
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
「馬鹿と狂人は紙一重」は当然の正しい認識でしょう。
しかし、これは「犬も猫も動物である」と言うのと同じです。
つまり、「当然すぎて面白くも何ともない」のです。
「犬も人も動物である」と言って初めて、「わざわざ言う価値」が出てくるわけです。
「狂人と天才は紙一重」
天才というのは、普通の人にはとても想像できないようなことを簡単にやってしまう能力を持った人のことですよね。
そして、この「想像できないようなことを簡単にやってしまう能力」が大きければ大きいほど「天才度」といったようなものが高くなることはご理解いただけるでしょう。
ところが、狂人にも「想像できないようなことを簡単にやってしまう能力」があります。
天才との違いは、それが社会的にプラスに働くことなのかマイナス(または0)に働くものなのかという点だけです。
比喩的に言えば、
天才は地球を右回りに走り出す人のことで、右に回る距離が長ければ長いほど「大天才」と呼ばれるようになるでしょう。
狂人は地球を逆の左方向に走り出します。左に回る距離が長いほど「狂人度」は高くなります。
ここでお気づきと思いますが、「本当にすごい大天才」と「本当にすごい狂人」は地球の反対側でぶつかる寸前まで行くはずです。
人間は誰しも天才的な要素と狂人的要素を含んだ生き物です。
この程度(度合い)が本当に大きくなりすぎた時に、我々は「天才」「狂人」という呼称を与えるわけです。
つまり、上の比喩で述べたように「両者の差は殆んどない=紙一重」ということになります。
ある意味では、視点を変えて見ることの重要性が込められている表現と言って良いでしょう。
No.3
- 回答日時:
>馬鹿と狂人は紙一重という意味は分かります。
本当ですか。それじゃ意味が通じませんでしょう。馬鹿と気違いはぜんぜん別物ですぜ。
辞書にはどうやら載せていないようですが慣用的な言い回しとして昔からあるのは「天才と気違いは紙一重(の差)」です。「天才と馬鹿」なんてことは言いません。ありえないことだ。天才と馬鹿もぜんぜん別物ですもん。今やみんな賢くなって本物の馬鹿というものが何か、忘れてしまったのかしらん。馬鹿を言い換えれば低能です。はなはだしきは無能、言語を解することさえなく、涎垂らして人前でせんずりをこいたりするような気の毒な人のことなんですが。昔はこういうのが街をうろうろしてた。どこへ行ったのだろう。それはさておき。
ついせんまで気違いという語はきわめて日常的に用いられました。テレビで白黒映画を見ていて音声が途切れるときの多くはこの気違いという語が削り落とされた痕跡です。テレビがこの言葉を忌避する様は、それこそ気違い沙汰と称したくなるくらいのもので。
その影響の甚だしさがここにも現れているのでしょう。テレビに不知不識のうちに洗脳されて気違いと云わないようにする構えができちまったんでしょう。天才と馬鹿かあ。天才と馬鹿ねえ。どう考えたって別物で、紙一重ってことはありませんやね。
>「あいつは紙一重だからなぁ。」といわれれば意味が分からなくなります。
馬鹿と狂人を比較して紙一重と思っていればそうでしょう。天才と馬鹿を並べても同じでしょう。紙一重なのはすでに言ったように天才と狂人です。どっちも平凡人の常識の範囲の外で活動する人たちです。社会に有益なら天才とあがめられ、有害無益なら気違いと蔑まれ厭われる存在となる、その分かれ目は必ずしも常人の目に明らかなものではないという。狂気の沙汰としか思われなかったことが、十年百年の後には先見の明を称えられることになることもあるのはかずかず歴史の証するところ。
あと念のために云っておきますが、ピンキリの意味はわかります? ピンからキリまでの意味は分かるけど、ピンキリは分からないなんて言い出さないでくださいよ。
しかし2390hamaさんは七十回も質問なすっててこんなふうに質問を重ねることが常軌を逸し礼に反することの自覚はあるんですかねないんですねどっちです。
No.2
- 回答日時:
>あいつは紙一重
仕事にかかわりある話題なら「出来る男」と「だめな男」の境目(^^)
天才は知識や考え方が偏った人が多くいわゆる常識が通じなかったり、突拍子もない思想、行動をするから馬鹿と紙一重ともいう。
天才とバカは紙一重、運不運は紙一重、便利と危険は紙一重、好きと嫌いは紙一重、オタクと研究者は紙一重、
質問に「わずかな差」とありますが、天才とそうでないのは(本来は)大差です。しかしだめな方が分野によっては活躍することもあります。
わずかじゃなく「どちらにもなりうる」か。
No.1
- 回答日時:
少し前のQ&Aも拝見しました。
回答者の方の書いていた「馬鹿と天才は紙一重」という言葉が重要なのです。馬鹿と狂人は紙一重では意味がないのです。(そんな使い方は普通しないと思います。)
歴史的に天才といわれた人物は、一方で馬鹿っぽかったり変わり者だったりすることがよくあったようです。(織田信長やモーツアルト、エジソンなど)
馬鹿と天才、一見、真逆にあるこの二つが実は紙一重だというのが重要なのです。
質問者さんが「紙一重」といわれたのは、この先、才能を発揮し大成するか、ただの「馬鹿、変わり者」で終わってしまうか(失礼)微妙なところだ。という意味のことを言われたのですね。(良くも悪くも、普通では無いと思われていると思います。)
ちなみに私はただの変わり者です。
この回答への補足
私が、この先天才になったとします。
では、回答者さん達は天才と狂人は紙一重と言っていますが、天才は狂人と紙一重という事で、私は紙一重なのですか??
紙一重という意味は、この先天才にも、狂人にもなれる。という将来の可能性をあらわすのか、すでに天才か狂人か分からないというときに使うのか?どちらでしょうか?
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