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No.3
- 回答日時:
日本では、古代ローマのような市民皆兵はあまり発達しませんでした。
何故かというと、古代ローマの市民皆兵制度は、表裏一体で市民主権(国民主権)があったからです。つまり、国防の義務を果たすものは、権利として国政に参加できたのです。このとき古代ローマでは、王制は廃止され基本的に民主制の国なっており、指導者は選挙で選ばれていました。(元老院は除く)
翻って日本では、加賀の一向一揆などの少数の例を除いて、明治になるまで兵=市民または:国防の義務=国政の権利、という考え方はありませんでした。
質問者様が例に出された、「蘇我氏の軍勢」とか「近江朝の軍」というのは、蘇我氏の配下・家来の兵か雇われた者、近江朝の軍とは、その政権を支える各豪氏や武士の一団のことを指します。
ですので、市民とはいえないのです。
このときの配下・家来とは必ずしも血筋としての身内のものではなく、例えば蘇我氏に忠誠を誓い、蘇我氏の呼び出しに応じる変わりに、自分の土地・財産を蘇我氏(の軍事力)で守ってもらう、という集団安全保障の考え方での集まりでした。
そのようなグループが集まり、政権を取っている朝廷に仕えれば、これほどの安全保障は無かったはずです。
しかし時代が下ると、朝廷がその権力をかさに着て、横暴を尽くすようになったため、配下であったはずの軍事力を持つものたちが独立し、政権を樹立したのです。
この軍事力を持つものが武士で、武士政権としては鎌倉幕府が最初になります。
鎌倉時代は武士と農民が明確に別れていませんでしたので、この頃の人々は市民皆兵という言い方も出来ますが、市民とは「個人としての権利の主体」という意味もありますので、民主的な「市民」ではなく、個人に仕えるという意味で、王制、貴族制のほうが近いともいえます。
No.2
- 回答日時:
律令以前の氏族制社会では、氏族単位で役割が違っており、軍事を専任とする氏族は大伴氏と物部氏でした。
もちろんその他の氏族にも勢力に見合った私兵集団は存在したと思われますが、大伴氏と物部氏の一族郎党が軍事のプロ集団だった訳ですね。後代の武士を表す言葉としての「もののふ」は、物部氏の名残りです。余談ですが、日本で庶民が権利に対する義務として存在する兵役に参加するのは、室町後期の全国的な「惣村」の形成以降になると思われます。この時代の農民達は一種の法人(最小単位の共同体)である「村」に帰属する事で様々な権利を守り(又はその代償として個人の権利を制限され)、村の利益防衛の為に集落間の戦争にも参加しました。日本の市民兵の原型はこれだと思います。
参考になる文献を紹介出来ずに申し訳ありませんが、古代の軍事制度でしたら最初に書いた大伴氏、物部氏あたりをキーワードに探されるのも良いかも知れません。
No.1
- 回答日時:
徴兵だよね。
養老律令で成文化されたけど、正丁3人につき1人を兵士として軍団を形成した。養老律令が701年だから、壬申の乱あたりもこれに似た感じじゃないのかな。
普段は農民、という人が兵隊じゃないかと思う。
養老律令のあたりを調べれば、この手の記述は出てくると思う。
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