プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

 結婚して19年の夫婦です。

 先日何かの番組で夫婦の会話の平均が一日1時間超といっていまして、皆さん、長時間会話してるんだなぁと羨ましく思いました。30分を切ると離婚の危機らしいです。

 我が家には・・・最近会話らしい会話、ありません。悪い波がくると、このところ長引きます。アメリカ人のように新しいパートナーにさっさと切り替えられればなぁなんて思うくらいです。

 主人はふだんから世間話や、会社での話をしても、なぜか返事もしないことがあります。先日も車中で会社の愚痴を言ったところ、生返事だったので「何でいつもそうなの?」と突っ込んだところ、車中は大喧嘩になりました。

 最近も子供のことで話し合うつもりが、いきなり攻撃的な態度をとってきたので、何で歳相応に穏やかになれないのか指摘したところ、後日のメールでのやりとりで

 「基本的には合わないんでしょうから…どちらかの我慢の限界を越えたら次の人生を考えましょう」と言ってきました。男がそこまで言うならよっぽどのことだと思い、私も「そうですね」と一言だけ返しておきました。

 それ以来私のほうは本当に必要最小限しか話ません。主人はこういう状況下ではいつも一応下テには出ますが、また同じことを繰り返すのでしょう。

 他の男性でも会話が続く方とはとめどなく続くのです。夫婦といえど心の中まで決して入ることの出来ない他人と暮らしてるようで、主人の言うように相手を変えたほうがいいのか本気で悩んでしまいます。

 ここまで読んでいただけた方で感想、アドバイスなどありましたらご自由にお願いします。





 

A 回答 (4件)

「平均一時間」という「統計結果」そのものを、私は信じていませんので、簡単に「そんなの気にしないのが良いよ」と言ってしまいます。



だって「一時間みっちりしゃべれるのか?」と思いますし、年中「夫婦一緒に生活している」人は、どうなんだろう、とか。
疑問を考えると次々・・出てきてしまいますもんね。

「価値観」は人によっては大きく差が出るものだし、「人間の許容限度」によっても変わってきます。
「心が広い人」や「順応性が高い人」は、相手の話を聞くのが達者だし、「理解力がある人」は、相手が「何を言わんとしているのか」を解析できますから、話を聞くことが苦痛にはなりづらいです。

「価値観」は、人間の「相性」の一端を示しているに過ぎません。
「価値観を同一に保つ」もしくは「違う価値観を許容する」には、どうしたらいいか、ということを「真面目に」考えたほうが良いです。
そうしないと「ガチンコ」ばっかりで、生活がしんどくなります。

「会話」は、時間ではなくて「中身」です。
相手を「思う気持ち」が、「言葉」となって伝わるのですから、「言葉」には重々注意を図るべきでしょう。
その「積み重ね」が、継続のコツなのでは、と考えますが、いかがですか?。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 コメントありがとうございます。

 作家の吉永美智子さんでしたか、亡くなった元御主人が騎手なのですが、『夫婦でいる時は相手にいい父親、いい夫を期待しすぎていたけど、離婚してそのタガを外すと「またなんていい奴なんだ」と思えるようになった』といわれていました。

 私もやはり主人にはいい夫、いい父親を期待してしまいますが、夫じゃなくなれば、多分いい友達、いい人になるだろうなぁとは思います。

 ウチの場合、価値観は同一には保てませんが、「違う価値観を許容する」ことが出来ないとtombanさんのおっしゃるとおり生活はしんどいですよね。

 父が結婚する時、「尊敬できる人と結婚しなさい」といっていましたが、その言葉の意味が今になってよくわかります。

お礼日時:2006/12/17 23:16

私も来年20年目になりますので、同じ位の年代かと思いますが・・・


夫婦の在り方は、人それぞれ違うでしょうから、立ち入るのはやめますね。
ただ、メールは良くないと思います。
お互いの感情が見えてこないから、受け手の取り方ひとつで、良くも悪くもなりますよね。
うちも、主人の帰りが遅かったりで、話す時間が取れない時は、手紙を書いたりします。
会話だけが、コミュニケーションではないのでは?
    • good
    • 1
この回答へのお礼

 コメントありがとうございます。

 >>>会話だけが、コミュニケーションではない
そうですね。よくわかります。

 ウチもメールが普及してない頃は手紙でやりとりしたことも
あったのですが・・

 当時は私も主人に合わせていた部分があって、自己を主張することは
なかったので、主人のほうも「俺の悪いところをあなたは指摘するだけでいいんだ」みたいな殊勝なことも書いてきました。

 が、私が自分を抑えるばかりじゃ夫婦じゃないと思い始め、自己主張するようになり、今に至っては主人のほうから「我慢の限界を越えたら次の人生を考えましょう」と言う始末です。

 斉藤孝さんでしたか、「喫茶店で2時間話がもたない男とはつきあうな」とその著書で述べておられましたが、私はこの説に同調します。

 楽しい会話というのは、生きる喜びであり、幸せなことだと思います。

 何もメールをしたくはないのですが、ガチンコだとこのところ私も負けてないので激しい言い合いになり(言い合う時間は短時間ですが)、消耗してしまうしだいです。

お礼日時:2006/12/17 22:57

その時期がほんとに


夫婦だと思うのですけど。

どれくらいつきあったとか
どれくらい一緒に過ごしたとか
どれくらい一緒に暮らしたとか
どれくらい思ってたとか
実際、ほんとに「ひと」には
関係ないんですよね。

時間というものは・・いいえ
正確には「時間数」というものは
人が人に数値で示すために作られたものであり、
そこに「濃さ」とかは数値で表示できないんですよね。

結婚して「夫婦になってよかった」と思う夫婦は、最初から最後まで思う夫婦もいれば
数年後に思う夫婦もあれば、数十年後に
思う夫婦もあれば死で別れがくるとき思う夫婦もあれば、死別した後で思う夫婦もあれば
永遠に気がつかない夫婦もあると思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

 コメントありがとうございます。

 まぁ「夫婦の会話の平均が一日1時間」といっていた番組の
コメンテーターの方も、家にいる時間が少なければ一日5分しか
会話しないこともあるし、家にいたら話す時間もそれだけ長くなるし、
会話時間など数字ではわからないと言われていました。

 >>>「濃さ」は数値で表示できない
よくわかります。

 本当に信頼し愛し合った者同士なら
たとえ相手が南極にいて3年に1回しか逢えなくても
通じあえるはずです。

 が、私は相手を間違えてしまったかもしれないと
本気でこの頃考えています。
 

お礼日時:2006/12/17 22:39

アドバイスはありませんが感想はあります。

一字一句同じです(結婚年数も)。というか、ちょうど似たような質問を投稿しようと思っていました。

なんか、40も半ばを過ぎた頃から、夫の被害妄想が膨れ上がってきたように思います。それを解消しようと、丁寧な話し合いを始めると「話が長い」と、また嫌がられます(当然、1時間以内どころか3分以内です)。たまに決着がつき仲直りしますが、しばらくすると同じことを繰り返します。

常套句が「あなたが僕に謝ったところを見たことがない」です。「では私が『ごめんなさい』と言うのは『謝っている』ことにはならないのか」と問うたら、どうやら「反省しているのを見たことがない」と言いたかったようです。なので、「反省しているつもりだし、どうしたら自分を改善できるのかと、たびたび聞いているでしょ。どうしてあげればいい?」と言えば「わからない」。埒が明きません。

一応、家庭内離婚で、お互い自由にしていて、夫も帰らない日が多いので、なんとか成り立っていますが、週末は疲れますよねえ。あ、で、相手を変えたほうがいいのではなく、相手がいないほうがいいだけだと思います。老後は女友達と暮らす約束をしています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 コメント、ありがとうございます。

 ウチの主人の常套句もまさに
>>>「あなたが僕に謝ったところを見たことがない」
です。

 私にしてみれば、「その性格を直してから言え、百年早いわ!」という感じです。

 何かにつけケチをつけ、けなすのですが、男の人はみなそうなのでしょうか?他を知らないのでわかりません。子供のこともほめたことがあるのかしら・・というほど、とにかくほめずにケチをつけます。

「どうしてほめないのか」というと、「ほめるところが1つもない」
といいます。

 そういう頑な点を指摘すると、「この歳まで生きてきて性格は直らない」の一点ばり、本当に埒があいません。

 ucokさんは、老後は女友達とですか・・・
もう諦めの境地というか、すっぱりと割り切られてるのですね。
私も夫の退職後を考えただけで今からウンザリです。

お礼日時:2006/12/17 22:27

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!