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プライドは何の為にあるのでしょう。
我々が合理的に生きていく際にはプライドの高さが時には邪魔になります。
プライドさえなければもっと楽に生きられるのにと思う時もあります。
ではプライドは生きていく為に何に必要なのでしょう。
プライドは必要なものなのでしょうか。
プライドの高い人と、低い人、低い人の方が成功するものなのでしょうか。
単純にプライドが高い人は捨ててしまえば上手く生きていけるでしょうか。

A 回答 (7件)

プライドとは、時に 自分を向上させるために必要なもの。



しかし、時に高くなりすぎたプライドは頑固さを伴い、容易には捨てられず、執拗にまとわりつかれる事にもなる・・・
つまり、自己破滅させるのも、自身にとって大切な人を失わせるのもまた、プライド
だと思います。
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一応心理カテなので・・・



若干言い過ぎることがあるかもしれませんので、
適宜補足していただけると助かります。

プライドを含めて自分への評価・価値のことを自尊感情(=自尊心)と心理学では名前をつけています。

この自尊感情は生きていくために何故必要なのか?
という問いかけに答えるべく近年提案された考え方があります。

ず~っと昔にさかのぼりますが、人はずいぶんと長い間群れで生活してきました。
それは、今と違って、自然環境が厳しく、ご飯を食べるのにも一苦労でした。
そのような環境下においては、
群れでの社会生活を営むことが出来ないことは、死を意味していました。
この群れでの社会生活を営む上では他者からの評価について敏感である必要がありました。
そこで、その他者からの評価を監視するシステムとして自尊感情を進化させてきたという考え方があります。

1.この観点から考えると、自尊感情、つまりプライドは必要であると考えられます。

2.また、自尊感情の低い人が成功するかどうかについては、
自尊感情というのは他者からの評価によって左右されます。
従って、高い人・低い人のどちらがよいかという問いかけはどちらもノーであるといえます。
問題になるのは、他者からの評価によって左右されるかどうかにあるト考えられます。

3.捨ててしまえば・・・というのは難しいと思います。
自尊感情は、生得的に高低が決まっているのではなく、
過去の経験の積み重ねによって形成されていきます。

自尊感情の高い人は、自分が周りの人から高い評価を受けている、
もしくは、高い評価を受けている(はず)だと思っています。
そうすると、
その評価を捨ててしまうよりも、
目の前に起こっている評価が下がるイベントを回避するように動機づけられるのが自然ではないかなと考えられます。

「死んだ気になってやり直す」
「泥水かぶりながらでも生きていく」
というのは合理的かどうか判断しかねますが、
確かにプライドの低いほうが、生きやすい側面があるのかもしれませんね。

個人的には、
「今の状況は絶対回避できない」
という風に思い込んでしまうことが
上手く生きていけないことにつながっているのではないかと考えています。

大和証券のCMで起用されたギロビッチ先生の格言がよくそのことを表していると思いますので、リンクしてみます。

何かのご参考になればと思います。

参考URL:http://www.daiwatv.jp/group/cm/profile01.html
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プライドとは持っていた方が良いのではないかと思います。


一応に大学を出て住んでる所で多くの役職をやっていて自分の会社を清算した後に住んでる所で自分のプライドがあってどうしていいのか解らない時、どうしたらこのプライドを抑えることが出来るか消すことが出来るだろうと考えました。1週間程考えましたがある時の禅宗の寺で教えて貰った「東守」の修行をすればと思いだし生活もしなければいけないので「東守」(汚水の管理)の仕事の所に就職しました。(差別ではありません!)
最初はいやで々、辛くて止めようと何度も思いましたが4年半勤めることが出来ました。(40歳を過ぎての就職で月給は最初は¥90,000-でしたが4年目に¥400,000-貰っていましたが辞めざるを得ない事が起きて辞めまた。)結果、プライドはそれまでより強くなったことが不思議でなりません多分、本当のプライドは自分の中にあるのではないかと思いまが・・・
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プライドと言うのは、生きてる証だと思います。


プライドが高くて鼻持ちなら無いと言われながらも当人はプライドが高い故に更に自分に磨きをかけていく人もいます。単に傲慢だけの人は、本当の意味でのプライドが高のでも何でも無いと思うのですが…

プライドと言う言葉には、「これ以上のプライドは捨てられ無い」と言う最低限のプライドが存在しますが、その最低限のプライドですら捨て去るを得ない事も人生には多々出会う事があります。その、自尊心を捨てた屈辱をバネに奮起出来る人は稀で、一度自尊心をすてると、人生なんてどう足掻いても成るようにしか成らない、などと諦めてしまう事の方が多いのでは無いかと感じます。
プライドとは、未来に向った理想と解釈すれば、理想は大きく持った方がより大きな人間になれるのでは無いかと思うのですが…
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人は自分自身というものを認識できる意識を持っていますから、自己肯定感が全く無くなると生きることは難しくなるでしょう。


プライドは、この自己肯定感の別称だろうと思われるので、何に必要かということではなく、人間に元々備わっているものではないかという気がします。
好むと好まざるとに拘わらず本能が備わっているように。
素直に考えると「プライドが高い」というのは、自己肯定感が強いということになりそうです。

「肯定される自己」には様々な側面があります。
足が速いことにプライドを持つ人もいるでしょうし、
勉強や仕事ができることにプライドを持つ人もいるでしょう。
自身の優しさにプライドを持っている人もいるかもしれません。

これらは全て肯定的に捉えることが可能で特に問題があるとも思えないわけですが、
それでは、なぜ邪魔になったり、このために苦しまなくてはならなかったりする場合があるのでしょうか。
多分、相対的な肯定感として認識してしまうからではないか、という気がします。
端的に言えば、他者への優位性を保つ目的で発揮されるからではないか、ということです。

例えば、「他人より頭がいい」ということで自己肯定感を持っているとすれば、他人という存在があって初めて自分が相対的に存在することになってしまいますから(ある面では真実ですが)、
自我が非常に不安定な足場に立脚することになります。
常に他人の動向が気になり、落ち着かず、
そして、このような認識は、他者を貶めることによって自分を優位に導こうとする傾向を基本的に含んでいますから、他人からも疎まれることは間違いありません。
なぜならば、他者には他者のプライドがあるからです。

自己肯定感(プライド)は自分だけが持っているものではない、という当然のことに気付くことができ、他者のそれをも尊重できる精神性を維持できるのであれば、高ければ高いほど良いということになるのではないでしょうか。
尤も、あえてプライドと意識しなくとも、正当な人生を歩む人はこれを携えているはずです。
そして他者との関係性においてもそれが邪魔になることはないでしょう。
本当の意味で自己を肯定する人は同時に正しい認識方法も身につけていますから、他者のプライドも尊重できる能力を自然に身につけている(自己で経験済みなので)ものだからです。

結論としては、
「『プライド』(A)が邪魔になる」ということはないはずで、これを単純に捨てる必要はないでしょうし、無理に捨てると自己の可能性の一部を放棄することにつながる危険性があるでしょう。
しかし、
『邪魔になるようなプライド』(B)は捨てたほうが生きやすい、ということは確かであろうと思います。
(A)と(B)のプライドは似て非なるものである、ということです。
 
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「pride」という言葉を辞書で引いてみました。


1.自尊心 誇り
2.うぬぼれ 思い上がり 高慢

質問者さまがおっしゃる「プライド」はどちらの意味でしょう。
以下は、1の意味での私の考察です。

もっとも根本的に人間が「自己」を保ち生きていくには「プライド」が必要です。
ですから生得的に備わった「自己高揚動機」や「自己評価動機」というものがあるわけです。
この「動機づけ」や「自己」の形成には、個人の内的要因だけではなく、外部から与えられる外的要因が大きく関わってきます。

ですから、
>プライドは何の為にあるのでしょう。
>プライドは必要なものなのでしょうか。
>プライドは生きていく為に何に必要なのでしょう。
心理学的には、他者とのかかわりを持つ前に、自分を人間として維持していくのに必要です。

>プライドの高い人と、低い人、低い人の方が成功するものなのでしょうか。
一概にどちらが「成功」し、どちらが「失敗」するとはいえません。
そもそも、「成功」とは何を意味するのでしょうか?


以下、2の意味での私の考察です。

アリストテレスによると人間は「社会的動物」だそうです。
他者をかかわりを持っていく上で、「自己」を維持するために「プライド」は必要なものです。
しかし、成長過程で間違った自己概念が出来上がってしまうと、ゆがんだ「プライド」になります。
この場合は人を見下したり、傲慢な態度をとったりと、時に人間関係に悪影響を与えます。

その点では
>プライドは必要なものなのでしょうか。
歪んだプライドは、「社会的」には歓迎されません。
また、
>単純にプライドが高い人は捨ててしまえば上手く生きていけるでしょうか。
プライドが高い人には1の意味での「自尊心」が低い人が多いのです。
自尊心がこれ以上低下するのを防ぐために、
傲慢な言動で自分を守っているのです。鎧のようなものです。
ですから、簡単に「プライド」を捨てることはできないでしょうね。
単純にプライドを捨てるというよりは、
本当の自分を見つめる努力をしたり、社会的に自分がどういう立ち位置にいるべきなのかを見極める努力をする必要があるでしょう。
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自分、プライドないので分からないですが。

プライド持ってるってカッコイイですよね。実力も伴っていると尚更に。
隣の芝は……というやつかもしれませんが、プライドが高い人は他人からの信用も厚い気がします。捨ててしまっては勿体無いですよ、と思ってみたり。でも自分が生き方ヘタだとは思わないので、プライドの高さは関係ないんじゃないかなーなんて;;
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
プライドばかり高く、結果を出せない人は嫌われる人の代名詞と思います。迷惑な人だし、それは他人信用とは関係ない様な気がします。
プライドを持っているだけでは他人にちょっとかっこいいと思われるだけで終わりなのでしょうか。
では持っていなくてもいいかなと思えます。
プライドの無いと言われている回答者さんが生き方がヘタと思わないということはやはり無いほうがいいのではないかと思われてきます。
プライドがあることによって、無いよりは生きる活力が出る。の様なことはないのでしょうか。

お礼日時:2006/12/19 19:19

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