
No.8ベストアンサー
- 回答日時:
既に、今まだの回答者で言い尽くされていますが、補足として以下の文を引用します(少し長文になります)。
1944年秋・アメリカ軍統合参謀本部はニミッツ提督の計画ー日本本土の正面攻撃ーを支持した。
テニアンとサイパンから日本へ爆撃飛行をする際にB-29の飛行士が直面した最大の障害は、硫黄島がもたらす致命的な三重攻撃だった。日本への直行路に横たわるその島は、マリアナ諸島と日本の丁度真中にあって、二つの滑走路と一つのレーダー・ステーションを持っていた。
日本に向かう「超空の要塞」(B-29の事ー回答者注)が硫黄島に近づくと、そのレーダー・ステーションは爆撃機の日本到着より二時間前に本土の防衛軍に警報を発した。その上、日本を攻撃する為往復2千500マイルの飛行で北に向かって飛ぶ巨大なB-29は、硫黄島を基地とする、敏捷で小さい戦闘機には簡単な標的だった。
日本上空でふたたび対空砲火や空中戦に耐え抜き、しばしば損傷したB-29は終わりにまた帰路でも硫黄島を基地とする戦闘機に直面是ざる得なくなる。数多くの飛行士とクルーが水中の墓に身を没していった。第二十航空軍の司令官カーティスルメイ将軍は、自分の所の兵士にこれ以上こんな損失をこうむらせる事は出来ないと通告した。
被害を受けやすかったのは飛行中の爆撃機だけではない。陸軍航空隊は戦後、硫黄島を基地とする航空機がテニアンとサイパンを急襲して破壊したB-29の数は、東京への全爆撃飛行で失われた数より多いという結論を出した。
だが、硫黄島の占領は損失の減少をもたらすだけではなかった。連合軍が手に入れれば、攻撃面の価値を生む事になる。すなわち、B-29はそこに着陸して、負傷者をおろし、クルーを替へ、燃料を積む事ができた。それに、標的まで陸軍航空隊の長距離戦闘機P-51の飛行隊に護衛してもらう事ができた。(『硫黄島の星条旗』文春文庫P.227~228)
以上です。
No.9
- 回答日時:
硫黄島は現在は東京都の小笠原村の所属ですが、
当時の硫黄島は品川区に属していました。
このため、アメリカにとっては日本人に対して、
「首都・東京の一部を占領された」
という精神的な攻撃を与えるにふさわしい場所でもありました。
1942年4月18日の東京初空襲も、軍事的価値はありませんでしたが、首都を攻撃するという点において価値があったようです。
No.7
- 回答日時:
既に回答がつくされていますが違う観点から。
硫黄島は他の日本本土に近い島より防衛が困難と予想していました。
補給は完全に絶たれ、予備隊を送る事、航空援助も困難です。
しかも米軍の必要とする条件の全てを備えていました。
空母の艦載機は補給能力に限界があり、空母自体攻撃には脆弱ですから安全をきすには陸上の戦闘機基地が必要なわけです。
米軍は航空機による日本本土攻撃がかなり長期間必要と考えていました。
さらにB29の損害は日本上空で撃墜されるより損傷をうけての帰路の途中での墜落がはるかに大きかったので機体はともかく乗員の救助が必要だったのです。
硫黄島の防衛体制は米軍の事前の偵察ではこれほど地下要塞化されているとは予想されておらず、(工事用重機械の搬入はなかった)人力では無理という予測でした。 米軍のそれまでの島嶼占領作戦の勝利から米軍の攻撃力を過信していました。
実際は米軍の予想を超える戦死者が生じましたが、実態は5000名ほどで日本軍の戦死2万以上でした。 確かに米軍負傷者は1.5万とはなりましたが・・・
No.6
- 回答日時:
(あまり自信はないですけども。
。。)アメリカ軍は日本の占領する島を拠点をしぼって飛び石的に陥落させてきたと記憶しています。主に2つの進路から日本本土へ近づいてきました。「飛び石」に選ばれるのは戦略的に重要な島で、それを旧日本軍から奪うことで島とそこにある滑走路も確保しています。
もちろん目標以外の島もあったわけですが開戦半ばから日本は艦船の多くを失っていましたし、「目標」とされた島が攻撃されるのを近くの島から眺めているしかすべがなかった部隊もあったそうです。
No.5
- 回答日時:
米側戦史家でも硫黄島攻略戦の価値について疑問視する人はいます。
確かに、硫黄島を攻略したことで、P51など新鋭陸軍機がB29に直掩することが出来るようになりましたが、この頃には夜間低空無差別焼夷弾爆撃が主流になっており、陸軍機の直掩は不要でした。機銃掃射だけなら海軍艦載機にも出来ることです。また、被弾したB29を収容することも出来ましたが、
いずれにしても2万8千人もの米側戦死傷者の代償としては小さすぎます。
攻略当初、米軍はこれほどの被害がでるとは予想していなかったのでしょう。戦史的に見て硫黄島攻略作戦は失敗です。
No.4
- 回答日時:
まず、終戦までB-29はマリアナから飛びました。
硫黄島はB-29にとってはあくまで緊急着陸の基地です。根拠地にはしていません。まず、マリアナを落としてから本土はいよいよB-29の爆撃が本格化するのですが、マリアナ諸島のサイパンから日本まではおよそ2500kmの距離があります。つまり往復5000km。
この距離だとB-29は十分往復できるのですが、護衛の戦闘機が随伴できないのです。
アメリカ陸軍が保有している世界最高レシプロ戦闘機の名誉をもつP-51ですら、航続距離は増槽をつけても3000kmと少しかないため(それでもこれは戦闘機としては桁外れに航続距離が長い日本海軍機よりもさらに長く、アメリカ軍の単発戦闘機でも最高)、マリアナからでは随伴できないのです。
戦闘機が随伴していない爆撃機というのは、いかにB-29といえど案外ダメージが大きく、欧州戦線において、アメリカ軍は爆撃機の防御力を過信して護衛機なしの昼間爆撃を行った結果、B-17が大損害をこうむったという経歴があります。
で、サイパンから飛んでいったB-29も、結構落とされたのです。
そのため、どこかP-51が随伴できるだけの距離でそれなりに整った航空基地がある場所を・・・となると硫黄島が最適だったのです。
また、硫黄島はちょうどマリアナと日本の間あたりに存在して、早期警戒所の役割を果たしていたのです。なので、B-29はここを避けて通らなければならないため、航続距離にロスがありました。
さらに、なんだかんだ言っても日本軍も(半ばやけになって)B-29撃墜に躍起になっていましたから、B-29にダメージもあったのです。しかし、損傷をおった爆撃機でさらに2500kmも飛んでサイパンに帰るのはなかなか大変ですから、どこか緊急着陸するための場所がほしかったのです。
また、硫黄島から日本軍機が半ば特攻で飛んでくると、まあ面倒なわけで、とりあえず可能性を潰しておきたい、というのがあったのです。
理由はこの4つですね。
No.3
- 回答日時:
100%正しくは無いかも知れませんが、詳しくは下記を参考視してください
南方戦線と日本本土とを結ぶ航空経路の中継地点として硫黄島の重要性が認識され、海軍が摺鉢山の約2キロ北東に千鳥飛行場があった。
アメリカ統合作戦本部は、日本軍航空機のサイパンへの攻撃基地の撃滅、硫黄島レーダー監視所による早期警報システムの破壊、硫黄島を避ける為の爆撃機の航法上のロスの解消、損傷爆撃機の中間着陸場と長距離護衛戦闘機の基地として、硫黄島の占領を決定した。
。(このフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの抜粋です)
参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%AB%E9%BB%84% …
No.2
- 回答日時:
簡潔に述べると、日本の中継拠点になっていたからです。
開戦時(1941)に日本軍は海軍・陸軍を父島に配備し、配備された部隊の管轄化に置きました。
開戦後、南方戦線と日本本土とを結ぶ航空経路の中継地点に適していると日本政府が硫黄島を重要視し始め、海軍が千鳥飛行場を建設しました。
つまり、航空部隊を潰すために硫黄島を攻撃したのだと思います。
No.1
- 回答日時:
硫黄島は、意外と大きいので、滑走路を造り東京に空襲をするB-29の基地にするため必要だったのです。
グアムなどから発進すると燃料などの問題から、もっと日本に近い所に拠点を作りたかったのです。
そこで、日本軍がいた硫黄島に進撃して奪い米軍が占領しました。
戦後も米軍がいましたが今は、空自の基地があります。
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