
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
>下級兵による反乱などは起きなかったのでしょうか。
事例があれば教えてください。先の大戦での下級兵犯罪については、不二出版の十五年戦争極秘資料集の『17 在満軍法会議處刑特殊犯罪集』、『27 陸軍省法務局長巡察報告』などを参照されてはいかがでしょうか。前者は旧満州(現中国東北部)での、後者は主に南方での部隊内の喧嘩や上官暴行などの事例が頻発していたことがわかります。
また、伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史・兵営と戦場生活』(番町書房)のなかで「戦場の裏面」と題してさまざまな下級兵士たちの暴動や反乱事件について記されています。
同書中の事例のうち、1941年(昭16)12月、中国北部山東省館陶県に駐屯していた独立歩兵第42大隊第5中隊で発生したいわゆる「館陶事件」は、防衛庁公刊戦史叢書にも載っているほどに有名な反乱事件でした。
転々とたらいまわしのように転属の憂き目にあっていた兵7名が、また新たな転属命令を受け、自棄酒を飲んだ挙句、出発当日に中隊事務室、衛兵所など次々銃で襲撃し、中隊長はじめ幹部将校を追い回し、幹部たちは抵抗もできず分遣所へ逃げた、というものです。このとき発した救援電が軍の監督無線に傍受されたため「皇軍未曾有の不祥事」として大問題となったのでした。
その後、軍法会議により首謀者2名は死刑、ほかは禁錮刑、となり当時の中隊長は事件後拳銃自殺を遂げました。
実際にはこれに類した事件は、数多く発生したと著者の伊藤氏は書いていますが、こういう反乱は、公にすることは軍の恥を晒す事につながるため、闇から闇へ葬られたと考えられます。
もうひとつ、山本茂実『松本連隊の最後』角川文庫版のなかには、中部太平洋の環礁エンダービーに派遣された部隊が飢餓で消耗したため、トラック島の友軍が救出したとき、不思議なことに連隊長以下将校が一人もいなかったその訳が、兵が飢死にするなか隊長はじめ幹部たちは飽食にふけっていたのを殺気立った下士官達に刺殺されてしまったのだ、と軍医の語る秘話が載っています。
これらに類する話は、戦記を数多く読むと真偽はともかく数多く見いだことが出来ます。また、兵の反乱は日本に限らずどこの軍隊でも起こったことでした。
No.6
- 回答日時:
兵士の反乱となると主役は士官(せめて下士官)となります。
日本でよく聞くいじめは下級兵士どうしに多いようですね(加害者は出世できなかった古参兵に多い)。まがりなりにも士官は教育を受けたものが多かったということでしょうか?こうなると兵士を団結させるべき人より下同士での出来事ですので部隊単位の行動にはなりえません。必然的にしかえしといってももっと小規模、陰湿になったのではないでしょうか?(他の皆さんも現代のOL給湯室見たいな例を挙げてますが)例えば個人所有の備品を棄てる、銃にいたづらして暴発させるなどばれにくい手を使ったと想像します。No.5
- 回答日時:
『軍事板常見問題』より
http://mltr.e-city.tv/index02.html
「(WW2)アジア・太平洋方面FAQ」から
http://mltr.e-city.tv/faq08c.html
「軍事組織全般」のうち
http://mltr.e-city.tv/faq08k.html#02037
【質問】旧軍では上官による下級者へのリンチが横行していたそうですが、徴集兵は皆殴られるままだったのですか?
http://mltr.e-city.tv/faq08k.html#02037
【回答】普通は殴られるまま。
上官への反抗は抗命罪に匹敵して重営倉。
ただ、陸軍では戦闘中に闇討ちの可能性があるのであまり無茶は出来ないが、海軍だとかなりひどい事になったりもしたとのことだ。
軍隊といっても銃を持っていなくて船という閉鎖空間にいる海軍と、二等兵でも銃を持ってる陸軍ではまったく条件が違うので。
もちろん人それぞれだと思うけどね。
『軍艦長門の生涯』に出てくる話では、ある新兵が古兵のいじめに耐えかね、そいつを思いっきり叩きのめしたという話がある。
この話では直属の分隊長がそれは仕方ないと考えて不問に付したが、あとでその古兵の同年兵達にさんざん仕返しされたらしい。
陸軍では大戦末期、軍規が緩み出すと、兵が徒党を組んで闇討ちするような例があったようだ。
闇討ちにあった場合は面目を考慮して「なかった事」になるようだ。これは親父に昔聞いた覚えが・・・
直接殴ったりしない反抗としては、フケめしとか、行水めしとか。
度胸の据わった兵隊のなかには、「弾は前から飛んでくるとは限らない」とうそぶくのもいたとか。
余談だが、捕虜虐待で戦犯扱いされた兵士の話で
「確かに捕虜を殴ったが自分が上官に殴られるよりは軽く殴っていた。
殴る事が虐待にあたるとは思わなかった」
とかいう証言があったと記憶している。
・・・・・・・・・・(引用終了)
また、岩波新書『日本の軍隊-兵士たちの近代史』の一読をお勧めします。当時日本の人口の大半を占めた貧農層の視点から、日本軍という組織が近代化にどのような影響を与えたかを述べていますが、そこには
“軍隊生活は本当にきつかった。しかし、村での生活に比べたらはるかに楽だった”
“軍隊に入って初めて日が昇ってから起き、日が沈むと寝ることができた”
“軍隊内では地主の息子であっても、同じ立場でしゃべることができた”
“寝る場所と食べることの心配をしなくともよかった”
“軍隊が辛いというのは都会の恵まれた人だけ”(※以上要約)
という証言があります。
そういう面でも現代人の視点から“酷い扱い”と見える軍隊生活も、反乱までは発展しなかったのでしょう。
『日本の軍隊-兵士たちの近代史』吉田裕著
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0 …
No.4
- 回答日時:
NO.1さんのおっしゃるように明治初年の竹橋事件以外、事件といわれるような兵士の叛乱については私も知りません。
たしかに内務班でのリンチ、暴行、しごき、というものは大変であったと、軍隊帰りの人から聞いたことがありましたし、そのことを思い出すのも嫌なのでしょう、口をつぐむ元兵隊さんもいました。
下のURL資料に、昭和18年の軍法会議受理件数内訳として
上官殺傷暴行342名、逃亡1,023名、略奪207名、殺人56名とでています(この数字が信用できる数字かどうかは確認していません)。
略奪と殺人は軍隊内のことばかりではないと思いますが(地方人や現地人を殺したりする場合も含まれているかもしれない)、上官殺傷暴行と逃亡はすべて軍隊内部のことです。
これは明らかに軍隊生活の辛さが反映した結果だと思います。軍法会議にかけないで、部隊内で営倉入りなどで済ましてしまった事件を入れればもっと数は多くなっていると思います。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2687/siryo …
しかし、大規模な叛乱には発展しなかったわけです。これは叛乱の首魁は死刑という重罰のせいもありますが、一番大きな原因は、兵隊が団結できないような形に、隊内生活がなっていたことでしょう。
イジメ・シゴキは主として古年次兵が、初年次兵をしごくものでした。兵隊が兵隊をいじめるわけですから、兵隊同士が団結できるわけがなく、初年次兵だけではどうすることもできません。
こんなことから旧軍隊では下級兵士の叛乱事件はなかったんだろうと思います。
それでも戦争が終わってから、シベリアに抑留された人たちの間では、階級の逆転現象が起きていたようです。とくに「暁に祈る事件」などは陰惨で、私がもっとも腹立たしく思っている事件です。
No.2
- 回答日時:
旧日本軍に限らず、世界中どこの軍隊でも
”シゴキ”と称して、
古参兵が、新入りや徴集兵をいびるのは
よくあることです。
最近でも、イギリス、ロシア、韓国、アメリカなどで
過酷なシゴキや、屈辱的行為の強要などで
若い兵士が自殺したりする事件が報道されていますよ。
古今東西、軍隊の陰湿なイジメの例はいってもきりがないくらい。
中国の古いことわざでは
「良木は薪にせず、良(き)人は兵隊にならず」
といって、兵隊という職業は昔から最低の職とされていたくらいですすから。
しかしいかに酷い待遇を受けても、反乱となると次元が違います。
シゴキは懲戒処分ですが、
反乱は銃殺刑(あるはその他の死刑)ですから、
文句言われた腹いせに、相手の家に放火するぐらい
極端で致命的なリアクションです。
しかも軍国時代だと、反乱なんかおこすと家族にも危害が
くわわるおそれもあるわけで、表立った反抗すら余り聞きません。
それに反乱なんか起こしても、何の意味もないのは明らかですしね。
軍が反乱側と交渉するはずもなく、その余地もないわけで、
515や226事件ぐらいじゃないでしょうかね。
No.1
- 回答日時:
明治初年を除けば、明確な反乱事件の記録はない、と思います。
それでもこの件に関する事例というと。
朝日新聞 2006年2/6
丸谷才一.氏がコラム「袖のボタン」で、「守るも攻むるも」と題して書いていることによると。
日本海軍は列国海軍と比べて、戦闘中でもないのにやたらと軍艦の「自爆自沈事故」が多い、とのことです。明治から第二次大戦中まで5隻。(1943年、戦艦陸奥など)
もちろん大半は「原因不明」ですが、精神科医の中井久夫.氏の著作によると、
「制裁のひどさに対する水兵の道連れ自殺という噂が絶えない」
とのことです。
同コラムでの「だから日本人は軍隊を持つべきじゃない」という丸谷氏の主張には賛成できませんが、日本海軍にそういう一面があったのは否定できないと思います。
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