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表題のとおりです。
海外の映画をみていても、手榴弾で自決ってあまり見ないんですよね。
沖縄とかその他の戦域でも、自決のために日本軍が手榴弾を使ったというのはよく見ますが、他の国ではどうでしょうか? 欧米やアジアではどうだったのでしょう?

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A 回答 (4件)

冬戦争という映画を見ましたか?



捕虜を捕まえたら拷問で軍事情報を聞き出す
というのは戦争時の現場常識といえます。だ
からでしょう映画内で捕虜に成りそうなソ連兵

が手榴弾で自決しました。日本帝國軍人だけが
自決したと言われるのは洗脳宣伝の結果です。
古くは日露戦争終結時に開放され帰国がかなう
というのに捕虜達の集団自決が在ったと伝えられる。

欧米は自分達が負ける場面でさえ理想的に表現する。
人間味あふれる正義の戦いを描く。
現実には海を漂流する日本兵を銃撃で殺し捕虜と
なった日本兵を殺して骨を削って戦利品とした兵士。

回答です。
手榴弾による自決は大日本帝國軍人だけでは無い。
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この回答へのお礼

冬戦争では自決はあったのですね。ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/18 21:42

朝鮮戦争(6・25動乱)の時には、旧日本軍をお手本にしたと思える特攻型自決を行った「爆弾十勇士」が韓国軍に存在しました。


詳しいことは下記のリンクをご覧ください。
http://junya-homepage.web.infoseek.co.jp/seoul_t …
http://stradition-navi.com/Othertravel/O0_kankok …
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この回答へのお礼

あまり真似してほしくないところを真似された気分ですなあ。
ともかくありがとうございました。

お礼日時:2011/11/22 21:50

手榴弾も何も、自決するのは日本軍だけですから。



他の国の兵士は、自決そのものをしないのですよ。
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この回答へのお礼

何かといえば負傷すると手榴弾を取り出す日本兵はなんか間抜けですよね。せめて一矢報いればとか思ってしまいます。

お礼日時:2011/11/18 21:42

旧日本軍には、「生きて虜囚の辱めを受けず」というのがありました。



平たく言うと、捕虜になってはいけない。ということです。
一旦捕虜になったり、行方不明になった場合、原隊に合流しても拷問を受けました。
敵に懐柔されたのではないか。洗脳されたのではないか。と、疑われたのです。

ですから、日本軍の捕虜は積極的に逃げようとはしませんでした。
逃げても味方に殺されるからです。

また、捕虜になったことがばれると、残した家族が村八分にされます。
食料や燃料などの配給は止められます。

日本軍兵士(特に陸軍です)は、味方に合流できないと判断した場合は、自決を決意することになります。
コレを綺麗な言葉で誤魔化したのが「玉砕」です。

外国の場合、捕虜になっても逃げ出してまた戦闘に参加することは英雄的行為でした。
映画では「大脱走」などに描写されています。

本来は、戦争にもルールがあって、正規の兵士であって、投降した者は捕虜にしなければならないのです。
暴行を加えてはなりませんし、私物を取り上げることもできません。食料と休息する場所を与えて、労働をさせた場合には報酬も支払わなければなりません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC% …
米英の兵士は良く教育されていて、捕虜となった場合の取り扱いを心得ていたようです。
日本軍兵士は、特別には教育されていなかったのかも知れません・・・

日本軍は、捕虜になると自身と家族が大変な目に遭うので、死んでも拒否するため自殺した。
兵士が拳銃を所持することはなく、38式小銃は長すぎて自殺には向きません。よって、手軽なのは手榴弾でした。

欧米兵士は、生きて還れば英雄になるわけですから、自殺する理由がありません。

たぶん、このような感覚は日本独自のものだと思いますので、日本を除けば捕虜になることを拒否して自殺する者はいないと思います。

ただし、艦船において、艦と共に沈む事を由とする事はあるようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。ですが他の回答を見る限り、韓国やソ連ではあったようですね。戦争を経済行為ととらえず、意地のようなものととらえる政府の国民だと、そういう考えになるのかもしれません。

お礼日時:2011/11/18 21:45

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Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

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Q戦後、軍隊の偉い人達は切腹したのですか?

特攻攻撃を命じたり、明らかな無謀な攻撃をさせたり、捕虜になるぐらいな自決させたりなど、旧日本軍は非人道的すぎるほど規律が厳しかったと聞きます。
そういった命令を下した人間は、敗戦が決まったとき自決したのでしょうか?
戦艦の艦長や、硫黄島だったかの司令官は自決したと聞いた事がありますが、軍部でも最高位地にいて権力が強い人間は戦後どうしたのでしょうか?
映画ローレライだったかで、地位の高い軍人に自決を迫るも誰もやらないというシーンがありましたが、実際もそういう感じだったのでしょうか?

Aベストアンサー

いろいろです。

した人。
大西瀧治郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E7%80%A7%E6%B2%BB%E9%83%8E
「生き残るようにしてくれるな」と医者の手当てを受ける事すら拒み、特攻隊員に詫びるために夜半から未明にかけて半日以上苦しんで死んだという。享年54。

橋田邦彦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E7%94%B0%E9%82%A6%E5%BD%A6
この方はとてもよくできた方です。
http://d.hatena.ne.jp/realjazz/20090815
今回戦争責任者として指名されしこと光栄なり。さりながら勝者の裁きにより責任軽重を決せられんことは、臣子の分として堪得ざる所なり。皇国国体の本義に則り茲に自決す。或は忠節を全くする所以にあらずと云はれんも我は我の信念に従うのみ。大詔煥発の日既に決せんと思ひしも、邦家の将来に向って聊か期するところあり忍んで今日に到り、敵の召喚をうけて時節到来せるを歓ぶ。

本庄繁
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%BA%84%E7%B9%81

しなかった人。
辻政信
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E6%94%BF%E4%BF%A1

牟田口廉也
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9F%E7%94%B0%E5%8F%A3%E5%BB%89%E4%B9%9F
# インパール作戦が敗色濃厚となり部下(参謀の藤原岩市といわれる)に「陛下へのお詫びに自決したい」と相談した(もとより慰留を期待しての事とされる)。これに対し部下は「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。 司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、一応形式的にも止めないわけには参りません、司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。今回の作戦(失敗)はそれだけの価値があります」と言われ、あてが外れた牟田口は悄然としたものの結局自決することはなかった。
# 前線では補給不足で苦戦が続くなかで司令部に清明荘という料亭と芸者を随伴させ、遊興に耽っていた。しかも、作戦中も毎日5時を過ぎると自宅へ帰り、そこで浴衣に着替えて料亭へ出向く生活ぶりは英軍に筒抜けであった。英軍はこれを前線でスピーカーを通じて流したため日本軍将兵の士気を著しく下げた。また、これらに対して諫言を呈した部下を最前線に送り玉砕命を下した。
# 敗色濃厚と見るや司令部の裏手に祭壇を築かせ、作戦指揮そっちのけで毎朝戦勝祈願の祝詞をあげていた。
# 「失敗したら腹を切れ」と部下を難詰するも、自身は自決することなく、余生をまっとうした。

東條英機
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D%E8%8B%B1%E6%A9%9F
孫に当たる方も東條英機著の本出版に際してコメントをしており、私としては複雑な心境なのですが、一応。

その他:
http://www.geocities.jp/m_karitto_sakutto/politics/D02_jisatsu.html

いろいろです。

した人。
大西瀧治郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E7%80%A7%E6%B2%BB%E9%83%8E
「生き残るようにしてくれるな」と医者の手当てを受ける事すら拒み、特攻隊員に詫びるために夜半から未明にかけて半日以上苦しんで死んだという。享年54。

橋田邦彦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E7%94%B0%E9%82%A6%E5%BD%A6
この方はとてもよくできた方です。
http://d.hatena.ne.jp/realjazz/20090815
今回戦争責任者として指名されしこと光栄なり。さりながら勝者の...続きを読む

Qなぜイスラム教ばかり過激派?

無知なので勘違いかもしれませんが・・・テロとか過激派とかって、なぜイスラム教の人たちばかりなんですか?キリスト教過激派とか、ヒンズー教過激派とかって聞いたことないんですが。
また、こういったことを詳しく勉強するための、おすすめサイトやオススメ本がありましたら教えてください。

Aベストアンサー

特定の宗教がテロと関係するというのは合理的な考え方ではありませんし,
そう言うことを発言すること自体が,あなたに危険が及ぶかもしれません.

宗教の教義とテロは無関係だと私は思います.
「教義」とは,その宗教の「教え」です.

ではなぜ,ご指摘のようにイスラム系に多いように感じるのでしょうか.
いくつか考えられますが,下記です.

 ・われわれはアメリカを中心とする旧西側の情報に多く接します.
  彼らは,キリスト教の人が多いので,イスラム教に対してすこし不親切な報道になっているのかもしれません.

 ・現在,唯一の超大国であるアメリカは,キリスト教プロテスタントの国です.
  彼らは,しばしばユダヤ教の国に有利になるように政策を執行すると見られています.
  逆に言えば,イスラム教の人々の国は宗教上の違いから,アメリカの共感を得ることができないため,
  結果として,差別感を味わいます.
    ユダヤ教というのは,キリスト教の母胎となっている宗教です.プロテスタントはキリスト教の一派で,
  聖書に忠実で,偶像崇拝を禁止する,どちらかと言えば,「キリスト教原理主義」でしょうか.(誤解を生む表現かもしれません.)


  テロというのは,常に弱い立場のものが起こす行動です.
  すなわち,「イスラム教の人々」が弱い立場であると言うことであろうと考えます.


 ・しかし,イスラム教の人たちの居住する地域の多くは石油を産出し,世界の利害
  と深く関係する国が多く,本人達の意志とは関係なく世界秩序の荒波にもまれてしまいます.
  これが日本では,資源もなく,世界から狙われません.仏教が良いわけではなく,
  世界が興味をもつ対象が日本には無いのです.
  
私が言いたいのは,宗教的な教えとは関係ないだろうと言うことです.
 イスラム教で「聖戦」のためには戦争を起こしてもいいという事が書いてあるのかもしれませんが,
そのこととテロとは関係ないと思います.
 過去においてキリスト教においても「十字軍」という戦争に加担する宗教組織がありました.

むしろ,世界で覇権を握っているひとびとの宗教がなんであって,その影にいる宗教が
何であるのかという分析がより的を得ていると思うのですが.

特定の宗教がテロと関係するというのは合理的な考え方ではありませんし,
そう言うことを発言すること自体が,あなたに危険が及ぶかもしれません.

宗教の教義とテロは無関係だと私は思います.
「教義」とは,その宗教の「教え」です.

ではなぜ,ご指摘のようにイスラム系に多いように感じるのでしょうか.
いくつか考えられますが,下記です.

 ・われわれはアメリカを中心とする旧西側の情報に多く接します.
  彼らは,キリスト教の人が多いので,イスラム教に対してすこし不親切な報道にな...続きを読む

Q沖縄戦で軍が一般人に自決をすすめたのはどうしてですか?

沖縄戦では多くの一般人が自決しました。
軍が自決をすすめて、青酸カリや手榴弾を与えていたようです。
沖縄はいずれアメリカに占領される運命であることはわかっていたと思うのですが、
どうして一般人に自殺をすすめたのでしょうか?
一般人が捕虜になろうが、自決しようが、軍の作戦の遂行上、さほど影響がないとおもうのですが。
軍人が捕虜になれば秘密をもらす可能性がありますが、
一般人には関係ない話です。
そもそも一般人を守るための軍隊なのでは?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

沖縄における集団自決に軍命令の有無を論ずることは、枝葉末節の論議です。
集団自決が事実存在する以上、局限状態における精神状態を理解することは今日困難なことです。

少なくとも最後の戦闘を意識しなければならない時、貴重な手榴弾を使用法も不慣れな民間人に手渡す事は明らかに軍律違反で一兵士の才覚で行われることではありません。  それが自決用か戦闘用かは不明にしても。
なんらかの命令、黙認があったと考えるのが常識的です。

当時の軍隊で文書乃至口頭での命令が正確に前線に伝達されたかの論議は不毛の論議です。
日本軍は米軍に接近切り込み戦法しか有効でなく、この為民間人に多くは若い婦女子に変装して接近するよう命令を受けていましたが、この命令は米軍に解読されて米軍兵士に警戒命令が発されていました。
従って投降しようとする民間人も誤解を受けて射殺されたケースがあったのです。

しかも日本軍は民間人も含めてハーグ陸戦条約やジュネーブ条約という捕虜保護の条約の存在すら教えられていませんでした。
従って当時の情報では投降した場合の取り扱いが過酷なものという恐怖が存在したのです。
しかも日本では自殺を罪悪視する習慣はなく、宗教的制約もありませんでした。
このような状態におかれて自殺を考えても不思議ではありません。
集団自決が強制であったか自発的であったかを論議するのが不毛の論議としたのはこの理由です。  
日本軍が担送困難な重傷者や病者に自殺を強制した事は事実です。
この思想の延長線上に民間人に対する考え方があります。

軍は本来戦闘を任務として民間人の保護を任務とするものではありませんでした。
本土決戦に備えて群馬県にひそんでいた戦車隊に出動命令が出た場合、道路は避難民であふれていた場合、どうするかを質問した隊長に参謀はひき殺して前進せよと答えられたといいます。

捕虜に対する質問は軍人、民間人を問わず米軍ではシステム化されていて民間人といえども知り得た情報を調査されました。
防衛陣地の設置に民間人も動員されていましたから意識しなくても情報は漏れるおそれはあったのです。

沖縄における集団自決に軍命令の有無を論ずることは、枝葉末節の論議です。
集団自決が事実存在する以上、局限状態における精神状態を理解することは今日困難なことです。

少なくとも最後の戦闘を意識しなければならない時、貴重な手榴弾を使用法も不慣れな民間人に手渡す事は明らかに軍律違反で一兵士の才覚で行われることではありません。  それが自決用か戦闘用かは不明にしても。
なんらかの命令、黙認があったと考えるのが常識的です。

当時の軍隊で文書乃至口頭での命令が正確に前線に伝達された...続きを読む

Q兵站軽視、食糧を現地で調達するという帝国陸軍の考えはどこから出てきたの

兵站軽視、食糧を現地で調達するという帝国陸軍の考えはどこから出てきたのでしょうか。
太平洋戦争敗戦まで、その考えに固執したのには、よほど強烈な思想があったのではと、愚考しています。
日清戦争で、早くも「因糧於敵」の方針が示されています。
穿った見方をすれば、陸軍創設を指導した西欧のどこかの国が、わざと軽視するべしと教えたのではないかと、つまらぬ妄想をしています。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 たしかに日本軍は兵站に関しては評判は良くはありませんでしたが、それは程度の差はあってもどこの国の軍隊でもそれなりに問題はありました。それでも「マレー侵攻作戦」に見られるように、兵站準備の周到さによって作戦を成功に導いた例があります。

 兵站自体の陸軍内部の立場は事実として軽んじられていましたが、それでもその兵站畑の中から将官も出ていますし、あの石原莞爾のように兵站に関しての重要度を常に周りに説いていた人物もいます。

 ではなぜ日本の兵站思想の貧しさの好例として常に挙げられる、「インパール」や「ガダルカナル」のような悲劇が起こったのでしょうか。

 一つにはとにかく日本軍が貧しかったということがあります。「日清日露戦争」や「日中戦争」に見られるように、銃剣突撃や白兵戦を常に攻撃の主体においていたのには、この貧しさが大きな原因となっています。

 つまり、攻撃前の十分な準備射撃には膨大な弾薬が必要となりますが、これを用意できなかった(あるいは惜しんだ)ため、結果的に肉弾による最後の決戦に挑んだということです。旧日本陸軍では日清日露戦争当時から、戦闘時における砲弾や銃弾の不足に常に悩まされていましたが、これは製造能力が無かったというよりは、やはり弾を惜しんで一発必中的を推奨する軍内部の精神的な悪癖がありました。

 もうこれは日本の文化といっても良いもので、現在に至るも自衛隊での訓練における弾薬の一人当たりの消費量は、南米の小国であるニカラグアのそれよりもはるかに少ないということも、なんだか笑ってしまうほどの哀しい文化だというしかありませんし、警察や海保なども似たり寄ったりの状況です。

 質問にある「糧が敵に因る」や「現地調達」という思想は元々旧日本軍からでた発想で、外国から強いられた発想ではありません。旧日本陸軍に大きな影響を残し、陸軍参謀本部の生みの親でもあるドイツ軍人メルケル少佐は、つねにその講義の中で兵站や補給の重要性を説いていました。

 旧日本軍が兵站戦でも敗北した理由のもう一つに、戦線での制空権と制海権の喪失があります。いくら補給をしたくとも、途中でその輸送艦船が壊滅させられればどうしようもありません。それでも「ガ島」の例にあるように、「ネズミ輸送」とか「アリ輸送」などのように揶揄されながらも、必死に補給を続けようとしていましたし、「インパール」にしても輜重出身であった第15軍参謀長の小畑少将が、その兵站無視の無謀な作戦に最後まで抵抗をしていました。

 よくアメリカ軍の補給能力の高さが取りざたされますが、それも相対的な戦局の有利があってのことです。そのアメリカでさえ細かな戦闘を取り上げれば、それなりに補給に苦しめられた戦線が多々ありました。ただアメリカのすごいところは、一旦これは必要不可欠なものだと理解したら、官民上げての協力体態勢を即座に構築し、一丸となってことに当たる覚悟の良さです。
 倒的な物量、言い換えれば国内での大量生産体制があってのことでもありますが、アメリカの思考方法の柔軟さは今でも見習うべきところがあります。

 第一次湾岸戦争(イラクを第二次と呼ぶならばですが)で見せた、あの圧倒的なロジスティック能力と物量を見るにつれ、この国はやはり戦争の時になればなるほど生き生きとするんだなとあきれるばかりでした。

 閑話休題 

 今に至る日本軍兵站思想の貧しさを非難する風潮は、たしかに事実として部分的には当たってはいます。旧陸大の輜重科を卒業し輜重将校になったのは、全卒業生の1パーセントにも満たないし、その中から大将までに登りつめたものもいません。それは明治維新の幾多の戦闘において、新政府側がその輜重業務を当時の地域の博徒(つまりはヤクザですね)達に任せていたことが、後々までに輜重に対しての悪いイメージを遺していったという面もあるかもしれません。

 旧日本海軍にしても輸送関係の部署を「ボロ士官の捨て所」とよんで侮蔑していましたので、この前近代的な伝統は根深いものがありました。

 しかし前述したように、軍部内部にも心ある人物はいて兵站に関する重要性を常に説いていましたし、大きな犠牲を払いながらも補給を継続しようとする意思と行動を続けていたことも事実です。しかしあまりにもその数が少なく、兵站に関しての人材不足はやはりどうしようもなく、旧日本軍の大きな欠点でした。

 それに軍内部に大きな発言力を持った、輜重畑出身の高官がいなかったことも日本にとっては不幸なことだったと思います。

 たしかに日本軍は兵站に関しては評判は良くはありませんでしたが、それは程度の差はあってもどこの国の軍隊でもそれなりに問題はありました。それでも「マレー侵攻作戦」に見られるように、兵站準備の周到さによって作戦を成功に導いた例があります。

 兵站自体の陸軍内部の立場は事実として軽んじられていましたが、それでもその兵站畑の中から将官も出ていますし、あの石原莞爾のように兵站に関しての重要度を常に周りに説いていた人物もいます。

 ではなぜ日本の兵站思想の貧しさの好例として常に挙げら...続きを読む


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