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 太平洋戦争中、日本軍は自動車が不足しており、弾薬や食料も人間が担いで運んでいたと聞きます。しかしなぜリヤカーというか荷車を使わなかったのでしょうか?背中に担ぐより何倍もの重量が楽に運べますし(今でも自衛隊は迫撃砲の運用にリヤカーを使っているそうです)、当時の工業力でも簡単に量産できたはずです。
 当時の行軍中の写真を見ても、従軍日記を読んでもリヤカーが殆ど出てこないので不思議に思いました。

A 回答 (7件)

こんばんは


道路事情のためでしょう。
当時、自動車(というより車輪のあるもの)がまともに通れる道などまずなかった。
日本国内の幹線国道が舗装されるのが昭和30年代になってからじゃなかったかな? 日本国内でもこんな状態ですから中国大陸や東南アジアはもっとひどかった。自動車が通れるのはごく一部の幹線道路だけ。さらに戦地では道のないところも通らねばなりませんから車輪のあるものは使い物にならなかったんです。

余談ですが、日本軍には大砲の部隊として山砲隊と野砲隊がありました。前者は比較的小型の大砲で、移動手段は馬。砲身や車輪などに分解して馬に載せて運んだ。馬ならデコボコ道でも、狭い道でもなんとかなる。時には兵隊が担いで運ぶこともあったらしい。
野砲隊はやや大型の大砲を使い自動車で運搬しましたが、道路事情のため機動性が極めて悪かったといいます。
一般に大砲には車輪があります。そのまま引張って行けばよいように思いますが、日本軍はそれすらやったようすがないですね。これも道路事情のために不可能だったんでしょう。
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以外に思われるかもしれませんが、ゴムは軍需という意味では日本は比較的問題なく調達していました。


なんせ天然ゴムの産地のマレーを抑えていましたので。
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他の方も回答しているように、使えるところでは使っていました。

問題は「使えるところでは」というところです。
輜重(補給)部隊や砲兵隊は多くの荷物を運ぶ仕事なので荷車はよく使っていたと思います。しかし、歩兵部隊ではどうでしょうか。もし山や不整地を越えなければならないとなると、むしろ荷車は邪魔になります。だから今でも自衛隊の最前線の兵隊さんは荷物は全部背負いますよね。

なお、質問者さんは日本軍では自動車が不足していたと指摘していますが、それは間違いではないのですが、それ以上に深刻な問題がありました。
それはね、自動車そのものの不足ではなくて、当時の日本では車を運転できる人そのものが不足していたのです。なにせ当時は自動車運転というのは「特殊技能」でしたからね。例えば大戦前夜の1938年の自動車生産台数を見ると、アメリカが200万台と飛び抜けていて、ドイツでさえ27万台、イギリスで34万台、ちょっと驚くのはイタリアでさえ約6万台あったのに対して日本ではたったの8500台だったのです。
さらに不足していたのがその整備士であることはいうまでもありません。運転できる人が足りないんだから、整備や修理ができる人となるとさらに少なくなりますよね。当時の日本車は信頼性が低かったので、まめに整備しないとすぐ壊れたのです。エンジンの整備は車だけではなく、第二次大戦で最も重要な兵器にもなった航空機でも必要でしたから、当時の日本のエンジニアの不足というのはものすごく深刻だったんです。それを増やそうとして大失敗するのですが、その話はまた今度。
日本軍がマレー半島に侵攻したとき、その速度が速かったので英軍の撤退が追いつかず、日本軍は英国製や米国製のトラックを多く手に入れました。それを日本軍は「チャーチル給与」と呼んでいたのですけどね。で、接収したトラックは日本軍が使っていたのですが、敵軍のトラックだから当然部品なんかは手に入らないわけです。ところが、後から日本から運んできた日本製のトラックが南国の暑さなどでどんどん故障するのに、英国製や米国製のトラックはロクに整備もできないのに故障知らずで動いたので接収されたトラックを与えられた部隊には喜ばれたそうです。そのトラックの質の差を見て当時の整備兵は「この戦争には勝てない」と思ったそうですよ。
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リヤカー使ってますけど…


輜重車という専用リヤカーもあります

ビルマの竪琴に登場してますから見ましょうね
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他の方の答えにもあるように 荷車は普通に使ってたと思います 迫撃砲とかを荷車に載せてる写真は何度も見たことあります 道路状況が悪い場所では担ぐのは当たり前



http://ameblo.jp/wa500/image-10563129067-1043453 …
http://ameblo.jp/wa500/entry-10563129067.html

(ww2 日本軍 リヤカー) で検索してもいくつか引っかかりますね

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%BB%8D% …

↑海軍十二糎自走砲 砲弾を車内に搭載できず、リヤカーを用意した

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%AD%E5%8D%81% …

↑短十二糎自走砲 本車とは別に弾薬運搬車やリヤカーを用意する必要があったであろうと考えられる。←書き方からするとリヤカーはごく普通の装備のように思われます

当時の行軍中の写真を見ても、従軍日記を読んでもリヤカーが殆ど出てこないので不思議に思いました。 >行軍写真は兵隊や武器を写すものが多く 荷車を写すものは現代でも殆んど見かけませんし日常的に使われている荷車を日記にわざわざ書く人もいないのは普通ではないでしょうか?道路状況が悪く普段リアカーなどで運んでるものを背負わされれば写真にも撮るし きつい思いをした兵士が日記にも書くし当然で記録が残るのも自然なことのように思います。
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おはようございます。



日本軍もリヤカー装備していました。

輜重兵の装備品です

題名は忘れましたが、第51師団が装備してニューギニアに持ち込んでいる本があります。

ちなみに、大八車は、日清戦争の頃から装備されていました。
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武器を作るために、金属類は献金献金、寺の鐘まで持っていかれた。


そんな状況の中で、武器にならないリヤカーに鉄(金属)やゴムをつかえません。

従って、リヤカーの代わりに兵隊さんを運搬者に使ったわけ。
しかも兵隊さんにカツを入れるのにもちょうど良いからってぐあいではなかったかと考えます。

何しろ銃後の守りの奥さんたちも、弓矢じゃなくて竹槍を持たせエイヤーと相手を突く練習をさせたんですから。
銃に竹槍ですよ。当時の軍のエライさんには分かっていたのかわからなかったのか???ですがねー。
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