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第二次世界大戦の時、
地上戦などの戦闘で、ある狭い地域で勝敗がついたとき、
残った敵兵は捕虜にしたと思いますが、
敵兵の遺体は、どのように処理したのでしょうか?
敵の遺族に遺品などが届くように配慮したのでしょうか?

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A 回答 (7件)

#6です。


あっ、ご質問は「敵兵の遺体はどうしたんでしょうか?」だったんですね、失礼しました。
友軍の遺体もどうしようもないぐらいですから、
敵兵まで手が回らなかったでしょう。
数を数えることはしていましたが、正確かどうかは敵味方ともに不明です。
大袈裟に記録することや、勘違いもあったようなので。


シンガポールには日本軍と戦った英軍やオーストラリア軍ほかの兵士の墓地がありますが、戦後に整理されたものだそうです。
亡くなった当初はあちこちに埋められていたらしい。
http://www.visitsingapore.com/publish/stbportal/ …
 ↑
クランジは島の端のほうですが(マレー半島側。残念ながら足を伸ばしたことがありません)、
日本軍上陸の頃は、南部の市街地でも道端に一般人が死んでいたり、どうしようもなかったようです。
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この回答へのお礼

遺体を回収することができなかった兵士が24000人もいたんですか。
なんだか数をきいて、現実がわかったような気がします。
ありがとうございます。

お礼日時:2007/11/12 21:32

第二次大戦入門本みたいな本で、


アッツ島だったか・・・・結局は日本軍が負けた戦いですが、日本軍側が米兵を埋めてしるしの立て札を立てた写真を見たことがあります。
英語で(筆記体で)書いてありましたよ。
中にはそういうこともあったのでしょう。

でもそういうケースが多かったとは思えませんし、丁寧に遺品が届くように配慮することはしていません。
埋めるとしてもまとめて埋めるか、あるいはそのままか。
日本側は同胞の遺体も、大きな穴を掘ってその中に投げ入れることもあったようです。
また、谷や川を挟んで戦闘となると、遺体を収容したくても、回収できません。

収容できる場合はしたし、出来ない場合はそのままだったのでしょう。

米国側は知りませんが、日本側の場合、戦死の知らせが来ても、遺族が渡された骨つぼには石や砂しか入っていなかったという場合も多かったようです。
(未だに信じられないとか、すっきりしない遺族も多いのでしょう)
水木しげるさんの本などを読むと、せめて小指の先だけでも持って帰ってやろうと、死んだ仲間や死にそうな仲間の指先を切る場面が出てきます。

No.1の方がおっしゃるように資料として日本兵の日記や手紙を収集したという話は読んだことがあります。
当時情報士官だったドナルド・キーンさんが書いていたんだと思いますが・・・。

おっしゃるとおり、誰か見た人がいないとどこで死んだか分かりません。
死んだと思われていたのが現地で暮らしていた人々もいますし、
原野やジャングルや海には収集されない敵味方の遺骨が今も散らばっています。
戦後シベリアで抑留中に亡くなって現地で埋葬された人々もいます。
沖縄でもまだ散らばっているのですね。。。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/engo/seido01/index.h …
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2005/04/h0411-1.html
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2004/01/h0130-3.html
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この回答へのお礼

骨壷に砂や石が入っていたんですか。
今でもジャングルなどに収集されない敵味方の遺骨が散らばっているんですね。
実はこの質問土曜の夜に、テレビでコンバットを見ていて
やたらとドイツ兵が殺されるけれど、一体遺体はどうしたんだろう?
と思ったのがきっかけです。
ヨーロッパ戦線など、比較的市街地が多い場所では、一体どうしたんでしょうね?
ありがとうございます。

お礼日時:2007/11/12 21:30

 戦争というものは、殺し合いです。

敵を数多く殺した方が勝ちなんです。ですから敵をやっつけるためには何だってやります。やられた方は敵愾心が湧き、どんな汚い手段を使ってでもやり返そうとします。
 戦争というものは、敵に対する憎しみが強ければ強いほど、勝ちにつながります。死んだ敵兵といえども、戦友を殺したにっくき敵です。
 「敵兵の遺体!」、遺体なんて言葉は使いません。日本の兵隊にとっては、中国兵の遺体は「チャンコロの死骸」です。
 敵兵の持ち物で軍事上重要でないものは、兵隊の戦利品(おみやげ)となってしまいます(他の方がおっしゃる通りです)。
 占領した側にとっては、敵兵の死骸を放置しておくと衛生上の問題が発生しますので穴を掘って埋めます。捕虜を使って穴を掘り、埋めることもあれば、他の方のご回答のように、機械力に優れている米軍などは、重機械を使って埋めることもあります。また現地人が埋めることもあったと思います。
 占領軍が埋める場合は儀式めいたことはやりません。埋めっぱなしということでしょう。運よく現地住民に埋められた場合は、埋葬ということになるんでしょうね。
 戦争は原則的にはノールールの殺し合いです。それでも若干のルール(ハーグ条約など)がありました。しかし、俘虜(捕虜)に関する規定はありましたが、戦闘中の遺棄死体に関する取り扱いの規定については、私は知りません。
 「一時的に阿吽の呼吸で戦闘を中止し、お互いが自軍の死者を収容した後、戦闘を再開した。」なんていうエピソードが残っていますが、実際こういうケースは少ないでしょう。
 ハーグ条約では、交戦国に俘虜情報局の設置を義務づけていました。
>敵の遺族に遺品などが届くように配慮したのでしょうか?
・・・捕虜について、そのようなことを取り扱う機関「俘虜情報局」が日本にも存在していました。死亡した捕虜の遺品は、この機関の管轄となり、赤十字を通し敵の遺族に届くようにするわけです。しかし先の大戦中に十分機能していたかどうかは存じません。
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この回答へのお礼

捕虜についての条約があるので、
遺体の扱いについて、なんらかの取り決めがあるのかと思いました。
ありがとうございます。

お礼日時:2007/11/12 21:26

No1です。


追加のご質問と解してお答えします。

敗北の場合と全滅の場合があります。  敗北の場合は生き残りの味方がいるわけですからどこで死んだかは報告などで判ります。
しかしジャングル中を敗走してバラバラになり病死や餓死した場合は未帰還兵として生死不明の扱いだと思われます。  時間がたてば推定死亡となるでしょう。 日本軍の場合このケースが多数でした。

全滅の場合は捕虜となったものがいなければ不明となるでしょう。
玉砕するなど最後の電報などがあれば、全員死亡と判断されますがこの場合でも生き残りがあったようです。

敵兵の場合は死体の数を数える事はしますが、その後は前におこたえしたとうりです。
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この回答へのお礼

>日本軍の場合このケースが多数でした。

そうなんですか。ちゃんと死亡が確認されたものではないんですね。

ありがとうございます。

お礼日時:2007/11/12 21:24

私も直接見たわけではありませんし、親から話を聞いた世代ですし、ちょっとご質問の回答からはズレるかも知れませんが・・・



母は戦中は、大阪に住んでいましたが、空襲のあった翌朝は道に遺体が散乱していて、その遺体をまたぎながら会社に出勤した・・・と言ってました。
夕方仕事を終えて帰ってくると、道の両側に遺体が積上げられていて、そのうちの何人かは、身内を探しに来た人が連れて帰るけれど身元がわからない人はそのままになっていて、次の日くらいには、それもなくなっていた(たぶん運んでいった?)と言ってました。

同じ日本人でもそうですから、敵兵となると、やはりNO.1さんNO.2さんのように、放置か、皆一緒に埋めるかでしょう。
映画で有名になった硫黄島には、今もいっぱい遺骨が放置されたままですし、シベリアに埋もれたままの遺骨を探しに行っているかたのドキュメンタリーも、以前テレビでやってました。
これは、情がうすいとか、残酷だとかではなく、皆、自分が生きる事に必死だからです。

戦後すぐに、戦死者の家族の届けられる遺品は、ほとんど、無事だった戦友が所持していた遺品だったでしょう。
だからこそ、戦死の報告も受け、遺品ももらってお墓も立てたのに、何年も経って南海の孤島で生きていた・・・なんて事があったりしたんじゃないでしょうか。

平和な時代になったからこそ、「遺族に遺品を返そう」となりますが、戦争中は、やはり「遺品は戦利品」という意味合いのほうが大きかったと思います。
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この回答へのお礼

>戦死者の家族の届けられる遺品は、ほとんど、無事だった戦友が所持していた遺品だったでしょう。

そうですね。ありがとうございます。

お礼日時:2007/11/12 21:22

米軍が残した写真だと、ショベルカーで掘った穴に日本兵の遺体をブルドーザー(!)で放り込んでいるものがありましたね。

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この回答へのお礼

そんなんですか。その場所に墓標を立てるくらいのことは
したんでしょうか?
ありがとうございます。

お礼日時:2007/11/11 16:53

常識的には火葬、埋葬したと思います。

  放置すると腐敗などが進みますから。
急いで移動しなければ成らない場合は放置することもあったでしょう。

敵兵の死体から記念品をとる事は両軍共に行った事です。
拳銃などの武器、時計など後で使用することが予想されるもの、文書、手紙など、旗、認識票などです。
米軍では特に敵の情報分析をプロファイルする為に積極的に文書を蒐集して分析したとききます。  日本兵の日記や手紙から情報が得やすかったと言われています。

遺族が何処にすんでいるかは判りませんから純粋に勝利の記念品としての蒐集だったと思います。

戦後長い時間がたってから遺族に返還される話しはよく眼にします。
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この回答へのお礼

そうすると、誰がどこで戦死したかということは
亡くなった時、一緒にいた味方が軍に報告するまで生きていなかったら
正確にはわからないということなんでしょか?
ありがとうございます。

お礼日時:2007/11/11 16:52

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Q戦国時代における戦での遺体の取り扱いって?

近年の戦争の映画で戦死者の遺体を棺に収め、国旗などでくるんで本国に移送するという場面を見たことがあるのですが、日本の戦国時代はどうしていたのでしょうか?
大きな戦では大量の遺体が発生すると思うのですが、そのまま放置されたのでしょうか?それとも組織的に回収されたのでしょうか?
また、海外(中世の欧州など)でどうだったのかも分かれば教えてほしいです。

ご存知の方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

現代の山の中の道を走っていると、タヌキなどの小動物が車に轢かれて死んでいるのを目にするのが珍しくありません。周りに人家もないようなところだと、近所の人が見かねて死体を処理することもないでしょう。保健所などの行政当局が通報(誰の?)を受けて死体を処理するのか?

実際は、タヌキの死体は直ちに他の動物(例:カラス)が寄って来て綺麗に食べてしまうそうです。
参考文献:カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応戦略 中公文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31131995
山の中であれば、通行するクルマ以外に邪魔者はいません。効率よく死体処理(カラス等の食事)が進むでしょう。

ご質問ですが、戦国時代の戦いでの戦死者の遺体は、下記の経過を辿ったと思われます。

1. 戦死者は、首を取られた状態で戦場に残されている。
よほど大きな合戦、例えば武田信玄が徳川家康を完敗させた三方ヶ原の合戦でも、徳川軍の戦死者は1000人行かない計算のようですから、そんなに大きな数ではありません。普通の合戦なら「戦死者10人」とかの単位です。

2. 戦闘が終わって両軍が引き上げると、既に回答されているように農民たちが「戦場狩り」を行います。これは、「田畑を荒らしたことに対する補償」の意味も含まれていたようです。
この際は、我々の眼から見て価値がある鎧、刀、槍などはもちろん、着ているものもフンドシに至るまで全て剥ぎ取られます。戦国時代の日本は、今の北朝鮮のような「使えるものは全て使う」社会ですから、例えば「戦死者がつけていた、血に染まったフンドシ」でも洗えば価値があるので剥ぎ取られました。地位のある武士が着ていた服は、農民から見れば「超豪華な織物」ですから、血や泥を落として分解すれば高値で売れました。(和服は、縫った部分をほどけば長い反物に戻ります)

3. 農民が徹底的に戦場狩りを行った後、戦死体は、全て丸裸になったでしょう。即ち、冒頭で説明した「クルマに轢かれたタヌキ」と同じ状態です。この状態であれば、後は野生動物が死体を処理してくれたと想像できます。実際、合戦の後の戦場をカラスが徘徊している様子が、当時の手紙か何かで描写されている例があったと思います。

4. 現在も痕跡が残るように、地元の僧侶が穴を掘って死体を埋め、供養したと言う例もあったでしょう。これは、「戦場狩りで大儲けした農民たちが、罪滅ぼしの気持ちで供養を依頼」ということが多かったのではと思われます。

現代の山の中の道を走っていると、タヌキなどの小動物が車に轢かれて死んでいるのを目にするのが珍しくありません。周りに人家もないようなところだと、近所の人が見かねて死体を処理することもないでしょう。保健所などの行政当局が通報(誰の?)を受けて死体を処理するのか?

実際は、タヌキの死体は直ちに他の動物(例:カラス)が寄って来て綺麗に食べてしまうそうです。
参考文献:カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応戦略 中公文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31131995
山の中であれば、...続きを読む

Q戦時中に最前線に投下されて、生き残った兵士っていま

戦時中に最前線に投下されて、生き残った兵士っていますよね。突撃ー!と隊長が言って、突撃しますよね?突撃しなかったら、身内に刺されて死にますよね。どうやって、突撃ー!と言われて、確実に死ぬであろう敵からの集中砲火の鉄砲玉を奇跡的に除けて、周りがバタバタ死んで行く中で、敵陣まで生きて辿り付き、そして全勝出来たのでしょう。

戦争で最前線で戦っていたという旧日本兵のおじいちゃん方はどうやって、最前線をくぐりぬけたのか知っていたら教えてください。

日本が戦争になったら参考にしたいです。戦場から逃げたとか通信兵で後方部隊だったとかはNGです。最前線で戦って生き残った人のどうやって生き残ったのか知りたいです。

Aベストアンサー

 父の友人で、フィリピン戦線で戦った人の話を記載します。

 アメリカ軍の陣地に対して、夜間攻撃を行って占領するという命令を受け、その人の所属する小隊(50名程度であったそうです。)も、夜の闇にまぎれて匍匐前進して200メートル位まで忍び寄り(それ以上はサーチライトが照らしていて、見つからずに接近できそうもなかったそうです。)、夜明け前に「突撃ー!」となったそうですが、とたんに米軍陣地から猛烈な機銃掃射が始まり、照明弾も打ち上げられて、地面の窪みに這いつくばったまま、前進も後退も出来ない状態になってしまったそうです。

 明るくなる前に、点呼があり、這いつくばったまま17人が返事をして、「結構生き残っているな。」と思ったそうです。

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 日中、太陽の下で、何か動きがあると感じられた場所には、米軍陣地から機銃掃射が何度も容赦なく行われるので、ずっと地面の上に転がっていたそうです。
 そして、日が沈み、夜になってから少しずつ後退して、日本側の塹壕まで戻ったそうです。
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Q第二次世界大戦の日本は世界から見たら脅威的だった?

第一次大戦では勝利国として、その後も
小さな島国のわりにはいくつもの戦いに勝利して
第二次大戦の太平洋戦争のときのアメリカは、自国に上陸される可能性を十分考えていたとか。
そして日本艦隊も強かったようなことを聞いてます。
最終的にはアメリカ、イギリス、ソ連の超大国を相手に
最後まで戦って負けてしまいましたよね。

そこで質問です。
第二次世界大戦の頃の日本というのは
世界から見たら大変な脅威、軍事力を持った国家だったのでしょうか?

Aベストアンサー

異論として聞いてください。
陸軍についてです。

陸軍力は、
1)ソ連
2)日本
3)ドイツ(ただし、新戦術を勉強中)
4)イギリス
5)フランス
6)イタリア
7)アメリカ

だと思います。あくまでも開戦時です。アメリカは陸軍を開戦時にはあまり持っていない軍隊でした。ただ、陸軍を作る産業の力はすべてにわたって文句なく1位です。

で、日本対中国は前述の方の言われるようになったわけで、ゼークト・ラインをデザインした中華民国のドイツ人顧問が拳銃自殺するほど、日本陸軍は精強でした。
その日本陸軍と二次大戦前に唯一対決した列強があります。ソ連です。いわゆる「ノモンハン事件」です。
この時は日本側の連絡が東京と現地で錯綜したり、ソ連側が兵力(特に航空機と砲兵)を集中して結果は事実上日本の負け、となったわけですが、やったソ連にしてみてもとんでもない大損害をだし、よく言われるソ連の戦車無敵、でもなかった事実が浮き彫りになりました。当時までの帝国陸軍は時代に即した近代兵器をそろえた軍隊だったのです。
この事件、を指揮したのはのちにナチスを倒すジューコフですが、彼が戦後西側のインタビューで「一番苦労した戦いは?」との問いに間髪いれず「ハルハン・ゴル(ノモンハン)」と言ったのは有名なハナシです。

ただ、英米欧は「よくわからないけど……よくわからないていい」という、対日情報の不備、というか、あえて無視したという感じがあります。日本なんて関係ない、と。
英国情報部が東京駐在武官とともに、日本は海軍強いのは知られているが、陸軍も戦車、航空機の充実した恐ろしい組織である、とシンガポールで報告したものの、パーシバルが「では、パーティに」といったエピソードがあります。
また、陸軍の二式(鍾馗)戦闘機に乗ったバトル・オブ・ブリテン経験したドイツ空軍パイロットは、世界最強の戦闘機は極東にある、と報告しています。
戦後、台湾にのがれた蒋介石は、日本軍関係者を極秘裏に台湾に呼んで、実践学舎という軍学校をつくりました。アメリカの将校教育を受けた中華民国の軍人は、それをはるかに上回る日本人教官の精密な指導に驚いたそうで、蒋介石も授業をよく聞きに来たそうです。この日本人顧問団を「白団」といいます。最盛期には60人以上が台湾にいたそうです。

雪原から砂漠、そしてトウキョウにまで展開している、極東の謎の巨大組織、というのが他国がみた帝国陸軍の実態ではないでしょうか。

異論として聞いてください。
陸軍についてです。

陸軍力は、
1)ソ連
2)日本
3)ドイツ(ただし、新戦術を勉強中)
4)イギリス
5)フランス
6)イタリア
7)アメリカ

だと思います。あくまでも開戦時です。アメリカは陸軍を開戦時にはあまり持っていない軍隊でした。ただ、陸軍を作る産業の力はすべてにわたって文句なく1位です。

で、日本対中国は前述の方の言われるようになったわけで、ゼークト・ラインをデザインした中華民国のドイツ人顧問が拳銃自殺するほど、日本陸軍は精強で...続きを読む

Q戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍人、民間人合わせて310万人の人が死亡し、都市面積の30%が消失したと言われています。
しかし、310万人の死者は一見多いように見えますが、1億人の人口から見たら3%で、97%の国民は生き残っているわけです。
また、国土が焼け野原になったと言われますが、都市面積の70%は無傷だったわけです。

これらのことから見ても、当時の国民で、肉親や親戚に死亡した人がおらず、空襲も受けなかった人はかなりの数がいるはずです。
その中でも、農村部に住んでいる人であれば、食料にも不自由せず、普段通りの生活をしていた人も多くいたと推測されます。
もちろん時代が時代ですから、派手なパーティーをやったり、観光旅行にでかけたりということはできなかったでしょう。
しかし、戦後世代の人が教わったような、日本中が地獄絵と化したというのはちょっと大げさなのではないでしょうか。

当時は情報も統制され、日本がどんどんやられているというような情報は入って来なかったでしょうから、いずれ自分たちも攻撃を受けるというような危機感もなかったと思われます。
当時の国民の、少なくない数の人たちが、実は普段通りの平和な生活を送っていたと推測されます。
戦時中、実際にこのような普段通りの平和な生活を送っていた方の体験談を聞かせていただけませんか。
また、そのようなことを紹介したサイトなどがあれば教えて下さい。

なお、私が聞きたいのは「戦争中、普段通りの生活をしていた人の話」であって、「そんな人はいない」とか、「そのような質問は不謹慎だ」というような回答はお断りします。
質問の趣旨を理解した上で回答をお願いします。

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍...続きを読む

Aベストアンサー

 母は田舎にすんでいたので、まったく戦争の影響はなかったそうです。
確かに統制品は手に入りにくかったらしいですが、食べるのにはまったく困らなかったそうですよ。
 よく、都会から食べ物を分けてくれって人が来たらしいです。

 父は逆で都会で生活していたので疎開をしました。
疎開には、集団疎開と縁故疎開ってのがあるんです。
中でも悲惨なのが集団疎開です。学校の力関係が24時間中です。いじめっ子はずっといじめ、いじめられっこはそれこそ現代で言うイジメなんかと比較できないほど酷かったらしいです。

 また、縁故疎開っていうのも、ようするに都会のこじゃれたガキが、自分の親戚をたよって田舎に疎開するんです。すると、もちろんその子のキャラにもよりますが、めちゃ人気者になった人もいたみたいです。

Q戦争になった時の一般人の生き残る方法は?

ふと、日本国が戦争になった時生き残る方法について考えてみました。
日本の一般人が戦争に巻き込まれた場合、当然初期対応として
自衛隊の出動が考えられますし、兵士不足となったらば、憲法改正を
前倒しして徴兵制が導入されるのでしょうね。日本も生死の境い目に
自国の立場が置かれたら、政府もどう考えて行政を行うかわからない。
小泉純一郎元首相の時は、特例法と称してイラクへの米軍援助を
自衛隊員に行わせた。何だかんだで同時多発テロの時は日本人も
巻き込まれていたわけで、日本国はアメリカの言う事を信用して、
イラクへの派兵を行った。もっともアメリカにはテロ戦争の戦勝国
として日本の名前をよんでもらう事が無かったが。平和憲法が
あるのに、特例法だから許される、そう言うもんだと世の中に、
小泉純一郎氏は示したと言う事ですね。

とにかくそう言った経緯を考えれば、日本人が戦争に巻き込まれて、
戦争で戦って死ねと教えられるのも可能性として無いわけでは
無いと感じるわけで、その場合日本人はどうやったら生き残れるか、
ふと、考えてみました。

要するに金持ちだったら生き残れるのだけどね。
スターリングラードの戦いがわかりやすいかな?
当時のソヴィエトはナチスドイツとの戦争で生き残るために、
スターリングラードと名付けた地に、いなかっぺのわけのわからぬ
その辺の小僧達を戦争にかり出した。そして戦うものだけ生かして
やる、逃げる者には銃殺刑を提供してやると、強制的に戦争に
若者がかりだされてそして多くの人々が死んでいった。当時の
ソヴィエト政府のご事情もあったが、とにかく一般人は本当に
将棋の駒の歩兵の様に簡単に相手にとられてしまう、そう言う役目を
負っていた。

まぁ、書かなくてもわかりますよね?
戦争になって戦地にかり出されたら、殺さないと殺される、
仲間からも殺される、逃げたら家族諸共処刑される事もある、
戦争になったら戦うしかない、生き残れたら儲けもの、
死んでしまったらおさらばさ。どうせ死ぬなら敵諸共にと、
特攻兵の話も聞いたな。それで日本攻め難しと思わせなかったら、
現在の日本である事もできなかったでしょうね。
中国朝鮮はそう言う日本人の心をくじき、日本を我が国領にと
願っているから、戦争では戦わない方が正しい生き方だよ、とか
情報操作をされたりしますが、何だかんだで生き残るには、
戦う他無いと。若くてまだまだ老い先あって欲しいのに、
戦争にかり出されたと言う世代になったら、もう、本当、
運が無かったとしか思い様がありませんね。

戦争は負けたくないし、でも逃げたいしでは成り立たず、
戦争で生き残るためには勝たないといけないし、逃げると殺される。
戦わないと。一般人が生き残るには?

もう、生き残る方法をあえて考えるのがアホ臭いかとも思いました。
日本人が戦争に巻き込まれた場合、どうすれば生き残れるかあれこれ
書いて質問してみようと思いましたが、もうなるようにしか
なりませんね。

と言うわけで、次のような質問にいたりました。


【質問】

戦争になったら生き残れたら儲けもの、
死んでしまったらハイさよなら。
でも嫌だと言って逃げたら末代まで子孫が呪われる。
自分も味方の兵士に殺される可能性がある。
もう、あえて生き残る方法を考えるのがおかしい。
と、思うのですが、皆様はどうお考えになりますか?
思うところお教えください。

こう言う質問するなやと言われるところもあるかと思いますが、
中国朝鮮などの日本への侵略欲の強さを考えたら、考えて
おかないといけない事かなと思って質問させていただきました。
ご回答お願いします。

もう戦争になったらなるようにしかならんよね??

ふと、日本国が戦争になった時生き残る方法について考えてみました。
日本の一般人が戦争に巻き込まれた場合、当然初期対応として
自衛隊の出動が考えられますし、兵士不足となったらば、憲法改正を
前倒しして徴兵制が導入されるのでしょうね。日本も生死の境い目に
自国の立場が置かれたら、政府もどう考えて行政を行うかわからない。
小泉純一郎元首相の時は、特例法と称してイラクへの米軍援助を
自衛隊員に行わせた。何だかんだで同時多発テロの時は日本人も
巻き込まれていたわけで、日本国はアメリカの言う...続きを読む

Aベストアンサー

>>皆様はどうお考えになりますか?
思うところお教えください。

戦場に出向いたら、そりゃあ兵士として、できるだけ多くの敵を殺すと同時に、自分や部隊の仲間が生き残れるように頑張るってことではないでしょうか?

なので、スカパーで兵器に関連するTV番組を見るとか、「三島瑞穂の自衛隊へのアドバイス」「日本人が知らない軍事学の常識」などの書籍を読んだりしています。前著は、「あなたがテロリストの人質になったら?」など、役に立ちそうな(立つ時が無いほうがいいけど)こと書かれていますね。

また、スイス政府が発行している「民間防衛」には、スイスの一般人として戦時に対処すべきことがイロイロと書かれていました。これを参考に可能なところは対応したいなあと思ったりしています。

また、「民間防衛」には「外国からの武力によらない国家侵略の方法とそれに対する防衛方法」が書かれています。現在、日本は、中国・北朝鮮・韓国から、そうした直接の武力によらない攻撃を強く受けつつあり、その攻撃にアメリカのマスコミも参加する始末です。ですから、安倍総理は反撃に苦慮しているように思えます。
なので、それらの国の言論反撃に反撃するため、日本が武器になる論点を、幸福の科学の大川総裁が、このたび「東条英機の霊言」において提示してくださいました。
私たち日本人は、この霊言を参考にすれば、中国・北朝鮮・韓国に対して、「正しい歴史認識をしなさい!」と主張していくことが可能になると思います。
また、アメリカに対しては、「アメリカ人の血を流しても、アメリカには日本を守る責任があるのですよ」と言うことが可能になります。
(この東条英機の霊言は、幸福の科学の大川総裁から、安倍首相への大きな援護射撃です。)

>>皆様はどうお考えになりますか?
思うところお教えください。

戦場に出向いたら、そりゃあ兵士として、できるだけ多くの敵を殺すと同時に、自分や部隊の仲間が生き残れるように頑張るってことではないでしょうか?

なので、スカパーで兵器に関連するTV番組を見るとか、「三島瑞穂の自衛隊へのアドバイス」「日本人が知らない軍事学の常識」などの書籍を読んだりしています。前著は、「あなたがテロリストの人質になったら?」など、役に立ちそうな(立つ時が無いほうがいいけど)こと書かれていますね。

ま...続きを読む

Q戦場で衛生兵を撃っては行けないルール

戦争映画を観て、よく戦場のシーンで「衛生兵!」って
叫んで、衛生兵がケガした兵士の所に走って行きますけど
戦場では、敵国の兵隊の衛生兵は撃ってはいけないという
国際ルールでもあるのですか?

Aベストアンサー

1864年の第1回赤十字条約「戦地における軍隊の傷者及び病者の状態の改善に関する条約」で、戦地病院は局外中立であるとともに、この病院が「任用する人員」、即ち病院の監督員、事務員、負傷者運搬者、説教者はその本務に従事し、かつ傷病者を救助する必要のある間に限って、局外中立であることが認められています。つまり衛生兵(負傷者運搬者)はその本来の任務を遂行している間は、敵対行動の目標とされていないことが規定されています。
次に1929年の赤十字条約は、その3章で衛生兵の保護について詳細に規定し、「傷者及び病者の収容、輸送及び治療並びに衛生上の部隊及び造営物の事務に専ら従事する人員並びに軍隊所属の説教者」は、戦争中であればどのような場合でも保護されなければならず、また捕虜としても取り扱われません。(敵に捕まっても、拘束されないという意味。)
このような赤十字条約を批准している国家は、戦争中といえども衛生兵をはじめとして、傷病者を救護する任にある者を攻撃してはならないのです。現代の戦争は実はある一定のルールに従って行われている、と言ってもいいでしょう。(もっとも批准していない国との戦争や、戦場が入り乱れている場合などでは、衛生兵が射撃されることもあります。ですから「衛生兵!!」と叫ぶのでしょう。)もっと詳しく知りたければ、国際法の中の「戦争法」を読んでください。

1864年の第1回赤十字条約「戦地における軍隊の傷者及び病者の状態の改善に関する条約」で、戦地病院は局外中立であるとともに、この病院が「任用する人員」、即ち病院の監督員、事務員、負傷者運搬者、説教者はその本務に従事し、かつ傷病者を救助する必要のある間に限って、局外中立であることが認められています。つまり衛生兵(負傷者運搬者)はその本来の任務を遂行している間は、敵対行動の目標とされていないことが規定されています。
次に1929年の赤十字条約は、その3章で衛生兵の保護について詳細に規...続きを読む

Q電車に飛びこんで自殺した方の親族は本当に多額の賠償金みたいなのをはらうのでしょうか?

電車に飛びこんで自殺した方の親族は本当に多額の賠償金みたいなのをはらうのでしょうか?

 そのまんまです。よくそういう話は聞きますけど、噂以上にわかりません。家族だからと言って連帯保証人でもないと思いますし、仮にそうでも額がでかいと即自己破産なきもしますし、死者の財産を放棄すれば債務放棄ということにもなるような気がしますが、良く分かりません。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

以前聞いた話しでは実際に請求、支払までいくことはないと言ってましたが・・・

自殺→電車に飛び込む→通常の精神状態では出来ない

のような理由だそうです。一億円以上等、高額の賠償金や
慰謝料の話しは鉄道関係者がある程度意図的に流しているようで(そう簡単に電車に飛び込まれては困る)。
それよりも飛び込まれた電車の運転手さんの精神的ショックのほうが大きくて事故後強制的に1ヶ月の休暇をとらされるようです。

いずれにしろ、電車で飛び込み自殺なんて絶対にいけません!!

Q全塗装 車検、届出について

 車の色を違う色へ全塗装をしようと思っていますが…何か届け出等必要なんでしょうか?改造車扱いでナンバーは変わってしまうのでしょうか?ご回答いただけると嬉しいです。

Aベストアンサー

色が変わっただけであればまったく問題なしです。
変更が必要なのは構造等に変更があった場合です。
色はこの構造等の中に含まれません。

なんもせず そのままで車検も通りますよ。

Q懲役刑と禁固刑の違い

ニュースで良く耳にする「懲役」と「禁固」とはどう違うのでしょうか?
禁固刑はずっと牢屋に閉じ込められて一切外には出れないのでしょうか?
この犯罪は懲役刑、この犯罪は禁固刑と犯罪によって決まるのですか?
わたしなら、牢屋に閉じ込められるくらいなら禁固刑三ヶ月なら、ある程度自由のある懲役刑1年くらいの方がまだマシです。

独り言のような疑問なのでおヒマな方、回答おねがいします。

Aベストアンサー

処遇の内容については皆さんお答えのとおり
刑務作業(要は強制労働)の有無のちがいです。

懲役刑は軽蔑すべき犯罪を故意に行った「破廉恥犯」に課されますが
禁固刑は政治犯など、自分の政治的信念に従って「正しいこと」と信じて行動した結果が犯罪になった場合、また過失犯など「非破廉恥犯」と言われる場合に課されます。

禁固受刑者で作業をしない人は1%にも満たないそうです。ほとんどの禁固受刑者は自ら望んで刑務作業(請願作業といいます)をします。

と、大学で習いました

Q男性に質問です。40過ぎた女性に女を感じますか?

表題のとおりです。
どんな年代の男性でもいいのですが
できれば40過ぎの男性だとわかりやすいです。
もちろん10代でも20代でも大歓迎です。

40過ぎた女性を「抱きたい」と思ったりしますか?

と、言うのも私は20代半ばなのですが、
夫は30代後半です。
もちろん夫の友達も同じ年代なのですが、
この間ちょっとしたシモネタ話で盛り上がったとき
「タメの女は抱けない」
「年上は絶対無理、お金払っても無理」
「しわとか見たら萎える」
「触った時点で萎え萎え」
「むしろたたない」
など、それはもうひどいことを言っているんです。
私は女ですから、かなりむかついてしまい
「あんたらだっておじんじゃん。」と
言い返したのですが「男と女は違う」といい
げらげら笑っていました。サイテーです。

でも、これが男の本音なのでしょうか。
自分が40になったとき、夫からは女として
見られないのかと思うと悲しいしむかつきます。
それとも、単に夫や友人が男として低い?のか??

皆さんはどう思いますか?
男性は自分が40過ぎ~50過ぎでも、
女は若いほどいいのですか?

表題のとおりです。
どんな年代の男性でもいいのですが
できれば40過ぎの男性だとわかりやすいです。
もちろん10代でも20代でも大歓迎です。

40過ぎた女性を「抱きたい」と思ったりしますか?

と、言うのも私は20代半ばなのですが、
夫は30代後半です。
もちろん夫の友達も同じ年代なのですが、
この間ちょっとしたシモネタ話で盛り上がったとき
「タメの女は抱けない」
「年上は絶対無理、お金払っても無理」
「しわとか見たら萎える」
「触った時点で萎え萎え」
「むしろたたない」
など、そ...続きを読む

Aベストアンサー

女性ですが、すみません。
私の周りが一般とは違いすぎるのか
40代、50代の女性が若く見えて美形で
ふってもふっても男が寄ってくるという
人多いです。会話も知的でこの女と話したい
という魅力があるので。みんな恋や不倫の
話に花が咲いています。
逆に20代、30代の身近にいる女性で
これといった魅力のある人がいなかったし
実際、彼氏いない人がすごく多いです。
20代女性はとにかく我儘で、男性から
嫌われている子が多く、30代は、子育て
髪振り乱しているような人が多く子供を
産んで間がないので体型も元に戻って
いないし、顔がやっぱり「お母さん」
やってます。でもそれはその時期はそれが
必要だから、いいけど又40代に入って
子育てが落ち着いてから
お洒落して恋心を忘れなければ、女性って
いくらでも輝きますよ。私も男性に40代の
女性をどう思うか、男性に聞いた事がありますが
ほとんどの人が若い女より魅力を感じると
言っていました。
芸能人では、やっぱり黒木瞳、由美かおる
秋吉久美子、吉永小百合、五十嵐淳子等って
すごい魅力的じゃないですか。同じ芸能人でも
若い頃綺麗でも40歳すぎてすごいオバサンに
なった人いっぱいいるので、その違いは
何かというと、「綺麗でいたい」という意識の
高さですよ。その意識があるかないかで
オバサンか、美女かって分かれてきます。
40歳になったら全員オバサンでは
ありません。黒木瞳なんかは、写真でも
綺麗に撮られる方法を知っているというから
美に対して敏感ですよね。

女性ですが、すみません。
私の周りが一般とは違いすぎるのか
40代、50代の女性が若く見えて美形で
ふってもふっても男が寄ってくるという
人多いです。会話も知的でこの女と話したい
という魅力があるので。みんな恋や不倫の
話に花が咲いています。
逆に20代、30代の身近にいる女性で
これといった魅力のある人がいなかったし
実際、彼氏いない人がすごく多いです。
20代女性はとにかく我儘で、男性から
嫌われている子が多く、30代は、子育て
髪振り乱しているような人が多く子供を
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