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子供の頃、何かあるとすぐ親に「アンタは橋の下で拾われてきた子だから。」と言われました。まあウソとは分かっていたものの、少し悲しくなったりもしていました。自分が親の立場になり、私も子供につい言ってしまうときがあります。
で、ふと思いました。これは、時代を遡れば実際によくあった話なんだろうかと。どうなんでしょう?

A 回答 (9件)

 子供に対して「橋の下から拾われてきた」と話す民俗・俗信ですが、国内外を問わず、川というのは現世と異なる境界とされ、橋はそれをつなぐ神聖な場所とされました。

各地の寺社や霊場の入り口に橋が架かっている例が多いのも、“川の向こう”に対する崇拝と畏怖の念が生んだものでしょう(伊勢神宮の五十鈴川、高野山奥之院の御廟橋、熊野本宮の熊野川など)。

 子供ですが、「七歳までは神のうち」の言葉があるように、古く村落社会において、子供は神霊と人との中間的存在と考えられていました。つまり完全なる人間ではないと。幼児の葬儀を行う風習が広まるのも江戸中後期の都市部を中心としてで、村落社会においては幼児が死んでも葬儀を行わない。人として死んだのではなく、神霊の元に帰っただけだとの考えがありました(乳幼児の死亡率が高かったことも影響しているのでしょう)。

 子供は不完全なる神霊に近い、中間的存在。そこで川は現世と他界との境界線です。その両者をつなぐ場所である橋から拾うのは、異界の住人を人間として受け入れたことを意味するかもしれません。『桃太郎』や『一寸法師』の物語も、尋常ならざる力を持った子供が川から登場しますね。

より詳しくは次のHPを参照されてはどうでしょうか。
「あの世への架け橋―アジア諸民族の他界観~日本海学の視点から」(神奈川大学教授:佐野賢治)
http://www.nihonkaigaku.org/02f/i020823/i020823. …

参考URL:http://www.nihonkaigaku.org/02f/i020823/i020823. …
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生家の近くに多摩川が流れているので、しょっちゅう言われました。



最近の子は、これを言われると、本気で落ち込んでしまうそうですが
それが純粋で、しぶとく生きている私は純粋でないのでしょうか。

「言ってはいけない」と評論家や教育学者は言うけど
言わない社会が良いのか。
こんな事も言えない社会って親子の絆が希薄ではないのだろうか。

いろいろ考えてしまいます。
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この回答へのお礼

深いですね、実に深い。

お礼日時:2007/02/26 17:10

#2です。


夢魔は「むま」が普通みたいです。
神隠しになるのは、おなかが大きくなる前でないと、ばれちゃいますね。
食べ物などは、はらませた相手にがんばっていただきましょう。
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 よくある話ですよね。

私は京都の西陣に生まれましたが,「あんたは堀川の橋の下に捨てられてたのを拾うてきたんや。」とか「天神さんの木の股に捨てられてたんを拾うてきたんや。」とか。
 親が子を躾ける時の常套句のようです。
 
 また,昔々,捨てられた子・拾われた子というのは元気に育つという俗信がありました。武将の子で「捨丸」とか「お拾い」という幼名が付けられたのは,この俗信に起因します。
 ですので,親が子に対して「あんたは拾うてきた子や」と言うのは,躾と共に,健やかに育って欲しいという希望からなのです。
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私は、言われませんでした。


回りの友達は、結構言われていたと思います。
なぜなら、母が本当に橋のところで、拾われた子だったからです。
上の子、2人が亡くなっているため、今度の子こそ、丈夫に育つようにと、拾い主を決めておいて、捨てる、拾ってもらう、返してもらうという儀式みたいなことをしたそうです。
それをからかわれたりしたことがあるのでしょうね。
口が悪いところもありましたが、自分の子には、言いませんでした。
育てられないとわかっている子を間引くと、ただ、埋めるのではなく、肥やしにしたとか、ひどい話もあります。
育てられない子をお返しするという意味で、海につながる川へと置くのではないでしょうか。
とどめをさすのは、しのびないから、見ていないうちに川の水よ、さらっていって・・・。
ひどい世の中と言いながら、空腹の心配はしないでいられるのは、きっと幸せなことですね。
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川のほとりの街で生まれ育ちました。


同じことを親から言われ続けて育ちました。
橋のたもとに在った病院で生まれたので、「橋の下」というのはあながち嘘でもないのですが。
どうやら、近所の悪ガキ仲間も同様だったようです。

近頃疑問に思うのは、川から離れたところで生まれ育っていたら、
何と言われていたのだろうか、ということです。
神社とか、お寺さんなのでしょうか。神主やら住職やらがいるでしょう。
山から…、って熊に食われちゃうでしょ!
か、サルに育てられちゃったらどうするのよ。

「橋の下」って、人から離れていなくて、人目からはちょっと隠れてて、いかにもありそうな話っていうところがミソですよね。

でも、そんなこと言われるのは哀しかった(と、思う)、トラウマにはなってないけど、言ってはいけない、と思う。
親にそういわれていた時の自分に立ち返ってみたら、とても自分の子供には言えないと思う。なんだか哀しくなってきた。
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この回答へのお礼

すみません、私のせいで。哀しくならないで、どうか元気を出して下さい。

お礼日時:2007/02/26 17:09

「橋の下に捨てる」のではなく、「橋の下に被差別集団がいる」こと


から来ているんじゃないでしょうか? 血縁でない、という否定だけ
でなく、身分も違うという二重否定ですね。

子捨てそのものは、一定年齢に達するまで子供は「養育するだけ」の
対象ですから、それなりに昔から存在していたと思いますが、橋の下
に捨てる、というような一般的な行為は存在しなかったものと思います。
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この回答へのお礼

なるほど。二重否定なんですね。身分も関係する深い話なんですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/23 15:15

日本で新田開拓が盛んになるのは江戸時代からで、それ以前、子捨てや姥捨ては普通にあったようですね。

江戸時代以降も、飢饉になれば売るか捨てるか。
敗戦直後も、けっこうあったと思われます。
食べさせることができない場合ですね。

現在の子捨ては、父親について詮索されたくない場合が多いでしょうか。
昔の日本では、しばらく山へ隠れて神隠しになり、ほとぼりを冷ましたころ戻れば、山の神様の子として、村全体で面倒みる風習があったようです。
西欧では、「マリア様と同じ」と言い張ると、けっこう通ったり。
また、夢魔という悪魔に犯された、との言い訳も多かったようで、夢魔はキリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教に登場します。
せっかく生まれても死んでしまう子が多かったので、誰の子かわからなくても、拾われた子でも、大切に育てられたのでしょう。
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この回答へのお礼

「夢魔」(ゆめま?むま?)ですか。はじめて耳にしました。

>昔の日本では、しばらく山へ隠れて神隠しになり、ほとぼりを冷ましたころ戻れば、
これは子供自身が、ということですよね?「しばらく」ってどれくらいの期間だったんでしょうか?どうやって食いつないだんでしょう?

お礼日時:2007/02/23 15:12

熊本市の病院が、親が養育できない新生児を預かる国内初の


「赤ちゃんポスト」を設置するのを厚生労働省が認める方向
だという記事がきょうの新聞に出てました。
イタリアでも以前、捨て子を預かる窓口を作ったことで大きな
話題になりました。
さて、昔はそんなものはありません。せめても雨風をしのげる
屋根の下に置いてやりたい。それが、橋の下だったのでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど。そういうことなんですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2007/02/23 15:07

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