プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私は母子家庭でとても厳しい母親と二人暮しという
複雑な環境で育ったせいもあり、
母親の言う事を聞いていれば幸せになれると信じて生きてきました。
母親に依存していたのだと思います。

そして結婚しようと言ってくれる男性が現れ、
4年前に入籍いたしました。
そこで私の依存する対象が夫へ変わりました。
夫はいわゆる『亭主関白』な人で、
家事も一切しないし私を自分の言いなりにする人です。
私は専業主婦希望だったのですが、
「一生働け、養う気はない」
との事で仕事を続ける決意をしました。
また、子供も欲しかったのですけど夫が
「自分達の自由が奪われるので子供は必要ない」
との事で諦める事にしました。
結婚当初は夫の事が大好きだったし、
一生働く事、子供がいらないという事のメリットにも納得し、
それがいいと当時は思ってディンクスの道を選びました。

今結婚して4年経ち、周りの友人も子供が生まれたりして
新しい生活を楽しんでいて幸せそうなのに
私は相変わらず仕事と家事の繰り返しの生活。
お金がないので海外旅行にも行かずに夫に尽くす毎日です。
私も幸せな毎日を送っているのですけど、
ふと夫への気持ちが疑問に思ってしまう時があります。
夫への気持ちはただの依存なのではないか、
傍にいてくれる人がいれば誰でもいいのではないかと。
今までは好きだから夫の気持ちを最優先に、と考えていたのは
夫にいなくなって欲しくないから
言う事を聞いていただけなのではないかと。
そして、今まで夫の事を好きだと思っていたのは、
好きと思っていた方がラクだから、
自分の気持ちを捻じ曲げていたように思えてならないのです。
おそらく夫が生きているうちは私も幸せな毎日を送れると思います。
夫がいなくなったらどうなってしまうのか、
また違う男性が現れたらアッサリそちらの方を
愛していると思って生きていけそうな気がするのです。

夫に対する愛情と依存の違いって何なのでしょうか?
皆さんはこういう気持ちになった事がないものでしょうか?
依存→愛情と気持ちが変化しているだけでしょうか?
私は依存する対象がないと生きていけない人間です。

A 回答 (5件)

はじめまして。


依存してもいいと思うのですが。駄目なのでしょうか?
結婚して何年か経つと、「好きで好きで堪らない!」と
思う気持ちは若干薄れると思うのですが。
(ちなみに私は結婚7年目です。)
かといって主人の居ない生活は考えられないし
今現在、他の人を好きになる可能性もありません。
「家族の愛」と言った方がいいのかもしれません。

言いなりになってる自分に、疑問を持っておられるのならば
何かしらの行動をおこしてみるのもいいかもしれません。
結婚当初と今では、ご主人の考え方も変わっているかもしれませんよ。
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http://trauma.or.tv/1kouisho/6.html
こちらのサイトを参照になさってください。
当てはまる部分が多くありませんか?

私自身は経験したことがありませんが、両親がそうでした。
DVで、被害は子供まで及んで、もうメチャクチャでした。
それでも、自立が出来ない母は、別居から離婚の道を選択するのに8年もかかり、自立するくらいなら暴力に耐えた方がマシくらいに思っていたみたいです。
アンタはいいけど、私たちは!?って感じでしたが。

何というか、どんな苦痛も慣れてくれば、新たな苦痛にさらされるよりはマシなように思えるのではないでしょうか。
そんなのは愛情ではないし、間違いです。

自分=依存相手ではありません。
あくまで自分は自分であることを忘れないで下さい。
自我が成り立った上で、相手にも思いやりを示すことが出来るのが、愛情です。
依存とは全く違います。
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夫婦間の愛情は


価値観の相違を尊重しあう関係から深まるものだと思います。

依存については……

>おそらく夫が生きているうちは私も幸せな毎日を送れると思います。
>夫がいなくなったらどうなってしまうのか、

上の二行の次には
「私はどうやって生きていっていいのかわかりません」
という意味の言葉が続くのかと予想しましたが
質問者さんのお書きになったのは

>また違う男性が現れたらアッサリそちらの方を
>愛していると思って生きていけそうな気がするのです。

でした。また、

>母親の言う事を聞いていれば幸せになれると信じて生きてきました。

この文章からも感じるのですが
質問者さんの、お母さんやご主人に対する感情は
「依存」ではない何か別のものでは?という気もします。
ではそれは何か?と問われてもうまく言えませんが……。
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>夫に対する愛情と依存の違いって何なのでしょうか?



愛情が基本的にないと「依存」する気持ちにはならないです。
どちらかが100%ということではない。
愛情は一種、自己犠牲です。
子供は、自分のことを我慢しても親に愛されたい、愛されていると願い、思い込む。(虐待・愛情・依存)
これは、逆の親から見ても同様でしょう?
程度、問題なのですが、絶対的に「虐待」だけの親というもの実はいないのです。

>皆さんはこういう気持ちになった事がないものでしょうか?

あります。
私は、50を過ぎた働くおばちゃんで子供が2人います。
私の親は19のときに離婚してます。 dvでした。
母がしっかりした人でしたので、あなたと同様な若いときだったかも知れません。
ダンナに依存したわけではありませんが、今思うと、母から離れるためには一時的に、ほかの誰かを必要としていたということは否めません。

>依存→愛情と気持ちが変化しているだけでしょうか?
私は依存する対象がないと生きていけない人間です。

決め付ける必要はないでしょう?
ただ、自分の口を自分で養っている以上、「依存」だけしているわけではないです。
これは、はっきりと自信を持っていい。
そして、現実には、専業主婦でないと、仕事を持って子育てするのは確かに、体力と気力が必要で大変なことであることは確かです。
パートナーの協力がないと子供は生半可な覚悟と体力では不可能です。

>ふと夫への気持ちが疑問に思ってしまう時があります。
夫への気持ちはただの依存なのではないか、
傍にいてくれる人がいれば誰でもいいのではないかと。

今がやっと「巣離れ」の意識がされたのです。

本来は、母親から離れるときに確信されたことが、ダンナと対等な生活規範が繰り返されることで最初から、親子として「上下」として
庇護する、される関係から、同等な夫婦として認識されてきた。
最初は、擬似親子のような夫婦関係だとあなたの心の中で
消化するほうが、日常生活を営みやすかったから。

【傍にいてくれる人がいれば誰でもいいのではないかと。】
これは、誰にでも心のよりどころがあって当然ですから、
誰かいないとだめな人=私と思わないほうがいい。

ヨン様を生活の張りにする人もいるし、いろんな意味で何かないと
やっていけない人が100%です。
それは、アルコールでの発散であったり、神への信仰であったり、
仕事への打ち込み方だったりします。
普遍的には、子供のためならがんばりやすいというのがよくあること。
絶対的に自分のためにがんばるというのはできそうで、一番やりにくい。
誰かのため、誰かがいるからと思うと、その「誰か」のせいにできるのでやりやすい。
それだけのこと。

だから、もしかしたら、一番身近で手っ取り早い人=今のご主人を選択してしまったということはアリです。

ただ、誰かを必要とすることは別に問題ではない。
その人を選んだことは、早計?だったかも知れないということはありそうです。

今が、あなたの意識としての巣立ち。
本来、あなたが目指す、幸せな人生設計と相容れないなら
今のパートナーと同等な立場で話しあうべきだし、
なんともならないなら、巣立ったあなたには、今のパートナーは必要のない人だから、設計図に見合った人を探されるのも次のステップです。

依存しているのは、あなたではなくて、あなたのパートナーのほうが生活を依存しているのです。
依存しているかもしれないとあなたに思い込ませることで得をしている。
依存を手法としてあなたは方向性を確定しているので
ご自身がそれを認識した段階で「共依存」の魔法はあなたは解けています。
「こいつは俺がいないとだめなやつだ」とあなたのパートナーは思う。

「こいつ」と特定するほうが、共依存です。

あなたは、「だれ」でもいいのですから、それは、ヨンさまでも同じこと。

これからがお二人のスタートですが、同等な位置に立ったことを認識した彼は「共依存」を抜けられるかが問題です。
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>皆さんはこういう気持ちになった事がないものでしょうか?


ありますよ。
私も少し前まで同じように考えていました。
「誰かに愛されたい」いつも、そう思って生きてきました。

>私は依存する対象がないと生きていけない人間です。
これも、私も、あなたと同じように思っていました。

今は少し違います。
依存は、「自分のため」だと気がついたからです。
愛情は、「相手のため」だと気がついたからです。

例えば、夜、旦那が友達と出かけたいと言う。
「自分のため」そばにいてほしい、というのは「依存」で、
「だんなのため」いってらっしゃい、というのは「愛情」で。

*******************************
聖書より。

愛は寛容であり、愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、
自分の利益を求めず、
怒らず、 人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、
すべてを信じ、
すべてを期待し、
すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。
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