先日、高野山で修行した友人の僧侶と話をしていたんですが元来僧侶は商売で行うのではなく生き方そのものだと聞かされました。特に十善戒と言うものを守り日々精進を重ねて生きて行くものと言ってました。そこでその友人の僧侶に十善戒を守っている僧侶はいるのかと尋ねたところ(居られない)と答えられました。じゃあ何のための戒律かと尋ねたら修行を行うときだけ守れば良いと言われました。例えば総本山や奥の院などで働く僧侶達ですら精進料理など普段は食べず夜になれば居酒屋などで生臭で宴会をしていると聞かされました。私も父親を亡くしてから冥福を祈るためお布施を収めてきましたがそのような事に使われてたと思うと複雑な心境になり質問しました。生臭で宴会などするのは駄目じゃないか?お布施などいらないのではないのか?と尋ねると誰も僧侶を志す者が現われなくなると言われました。友人の主張が正しいのであれば僧侶のしている事を在家に置き換えれば僧侶と言うのは商売でお布施は税金の掛からない売り上げで檀家さんはお客さんと言うことになる。僧侶もただの人間だけど修行をしたから在家より偉い修行中だけ十善戒など決め事を守ればあとは守らなくても良いとなれば凡人と僧侶は何が違うのでしょうか?またこの様な事は真言宗だけなんでしょうか?教えてください。
A 回答 (3件)
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No.3
- 回答日時:
No.1の回答者です。
回答に際して,私が僧侶ではないことを明記しておくことを失念しました。誠に申し訳ございません。>僧侶の生命を維持するのに必要最低限の費用が生臭で宴会ですか?
檀家や信徒からお斎(法要の後の食事会)などに招かれて,食事を頂くことは問題ありませんが,僧侶同士での宴会は,生命を維持する必要最低限度を超えていると思います。
>必要最低限であれば精進料理で良いのでは?
精進料理というのは高くつきます。私も祖母を亡くした時,四十九日法要が済むまで肉食(魚肉も含む。)を断ちましたが,ラーメンは食べられないし,うどんや蕎麦も,かつお節を使っているから食べられません。昔と今では食習慣も違いますし,栄養学的にも経済的にも,肉食可(魚肉も含む。)にした方が利口だと感じました。現代では,僧侶に供するためにわざわざ命を絶たれたものでない限り可としているようです。
>先日タイに旅行したときにタイの僧侶に合いました。(以下略)
僧侶の本来の姿だと思います。
タイは仏教国です。タイ王国憲法で,信教の自由は認められていますが,国王は仏教徒であると定められています。ですので,タイ国民の仏教に対する信仰が厚く,托鉢だけで充分な食糧を得ることができます。身内に不幸がない限り,寺や僧侶との付き合いもなければ,御布施をすることもない人が多い日本とは大違いです。逆に言えば,僧侶になれば喰っていける国です。ですので,僧侶の資格を剥奪されれば,たちまち喰って行けなくなる国でもあるのです。
日本でも,寺に住持せず,僧堂で修行し,托鉢で必要最低限のものを得て過ごしておられる禅僧もわずかですがいらっしゃいます。
>寺院の維持管理・修理修繕,は解りますが檀家総代さんにお願いし寄付を募れば良いことでは?
寺は,檀家が護持会費という名目で納める年会費と,葬式や法要の御布施で運営されています。それでも不足するときに檀家に寄付が求められます。毎度毎度寄付を求められては,私ども檀家は嫌になってしまいます。
>お寺は住職のものですか?檀家のものですか?
檀家のものです。そもそもお寺は,檀家が建立し,僧侶を招いて住持していただいていました。浄土真宗系を除けば,明治以前は妻帯を許されていませんでしたから,住職として招いた僧侶が亡くなると,新たに住職になってくださる僧侶を求めなければならなかったのです。そのため,住職となってくださる僧侶に対しては,檀家が衣食住を保証しました。
明治以降,僧侶の妻帯が公認されて,住職の子が寺を継ぐようになり,あたかも寺は住職のものと思われるようになったのです。
現代では,たいていの寺は宗教法人です。株式会社の取締役会に当たるのが,宗教法人では責任役員会です。一般では檀家総代会と呼ばれている組織です。株式会社の代表取締役に当たるのが,宗教法人では代表役員であり,大抵は住職がその地位に就いています。
「本山」などと呼ばれる大きな寺院を除けば,たいてい,責任役員会は,僧侶より檀家の方が数が多いので,
護持会費や御布施は住職の懐に入るのではなく,宗教法人の会計に入ります。代表役員である住職は,宗教法人から給料という形で報酬を得ています。もちろん,所得税や住民税も払っています。うちの寺の場合は源泉徴収しています。
ちなみに,浄土真宗系には戒律がありませんし,親鸞聖人自らも「煩悩具足の凡夫」とおっしゃっているように,明確な僧俗の違いはありません。
No.2
- 回答日時:
私は浄土真宗という宗派を信仰する、生臭な愚かもので、俗のは僧侶と呼ばれる一人でございます。
>>じゃあ何のための戒律かと尋ねたら修行を行うときだけ守れば良いと言われました。
これは、私も大きな間違いだと思います。戒律というのは常に守り続けなければならないと思います。仏教の修行は基本的には、戒・定・慧の三学であるといわれます。戒・戒律を守り、定・戒律を守りることで心落ち着いた禅定の境地に入り、慧・仏の智慧に到ります。その中において、戒律のいうのが基本にあるのです。
ただ、戒律を守るというのは非常に難しいことでもあります。人間の行為を仏教では「業」と呼びます。自業自得という言葉はご存知かと思います。自分の行為の報いは自分で受けるものであるということですが、この業は三つに別けられます。それは、身業(身体的な行為)口業(言語表現)意業(心意作用)の三つです。その三業の働きにの結果生まれるものが、善・悪・無記(中性)であって、悪とは殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒を五悪を中心とした、仏教の目的である悟りもしくは悟りに向う努力(修行)に対して、障害をなすものをいいます。
さて、ここで意業です。戒律にもいろいろあるのですが、特に大乗仏教における戒律は三業の中でも「意業を清浄に保つ」ということが中心にあります。それができれば、おのずと身業も口業も清浄に保つことができるということでしょう。しかし、意(心)というのは非常にむづかしいことです。ふとした瞬間に「あいつの子と殺してやりたい(殺生)」「あんな美人とエッチな子としてみたい(邪淫)」そういった心がわきあがってきます。その時点で、人を殺しているのです。女性を犯しているのです。戒律など何一つ守れません。
浄土宗をお開きになった法然上人という方は自身を「十悪の法然」とよび、また『聖光聖人伝説の詞』には「わがこの身は、戒行において一戒をたもてず」と自身のことを嘆いておられます。しかし、伝記においては法然ほど、持戒堅固な人はいなかったといわれるかたで、現在の歴史学研究においても仏門に入ってから生涯戒律を守った有名な僧を上げるなら法然がその一人であろうといわれるかたです。その法然上人の言う、戒一つ守れないという反省は、身口業よりも、意業の問題であったといえるでしょう。
ですから、そのかたが、
>>そこでその友人の僧侶に十善戒を守っている僧侶はいるのかと尋ねたところ(居られない)と答えられました。
と答えられたのは、真言宗のご修行されたえらいお坊様ですから「意業」において守れないという意味でしょう。私においては身口意業どれ一つとっても戒律守れないというのが正直なところです。
しかし、戒律ということでいえばお坊さんだけではなく在家も守らなくてはならないものです。とゆうか全ての人が守らなくてはならないものです。なぜなら、戒律を守るということは善で、戒律を守らないということは悪だからです。ですから、全ての人が善であったほうがよいのですから全ての人が守るべきものであることを知らなくてはいけません。ただ、それを、守れるか守れないかは別の問題です。
>>私も父親を亡くしてから冥福を祈るためお布施を収めてきましたがそのような事に使われてたと思うと複雑な心境になり質問しました。
お布施についてですが、「布施」とは悟りに深いための修行法の六波羅蜜の一つで、お金を布施する財施、教えを説きあたえる法施、諸々の恐怖を取り除いてあげる無畏施、三つがあります。
この布施についてお釈迦様の弟子で舎利弗という方は過去世(前世)において、布施の修行に励んでいました。あるとき彼は目玉がほしいという人に出会いました。そんなものどうするのかと舎利弗はたずねても、その人は取り合ってくれません。やむなく、片目をえぐり与えましたが、相手は目玉を受け取ると、地面に捨て足でそれを踏み潰しました。それを見た(過去世の)舎利弗は怒りの心が湧き上がってきました。しかし、そのつきハッと気がつくのです。今私は心から布施をしていなかった。心から布施していれば怒りが沸くわけがないと。
やはりここでも意業の重要性が説かれます。嫌だなーと思ってしまった時点で、それは布施という善ではなく、偽善という悪になってしますのです。先の説話にも布施の難しさが十分かたれれています。どうでしょう、自身の布施について質問者はどのようにお考えになりますか?
>>僧侶もただの人間だけど修行をしたから在家より偉い修行中だけ十善戒など決め事を守ればあとは守らなくても良いとなれば凡人と僧侶は何が違うのでしょうか?
私のような愚か者にしてみれば、真言宗のお坊様は偉い方だと思います。「修行中だけ十善戒など決め事を守れば」修行中に守れるのであればそれはすごいことだと思います。身・口・意の三業をもって戒律を守りきることができたなら、一時的でも十分すごいと思います。
少なくとも私にはそんなことできません。戒律について考えれば考えるほど、私は心ではいつも悪を犯し続けている身です。浄土真宗のことについて言わせていただければ、そんな人間だからこそ、阿弥陀仏は救いたいとおっしゃってくださっているようです。その阿弥陀仏の救いには、偉い人は救って愚かな人は救わないという差別はありません。ですから、浄土真宗では在家も坊主もなんら変わらないものと位置づけ、「御同行・御同朋」と呼びます。特に浄土真宗をお開きになった親鸞聖人は「愚禿」とお名乗りになり、言葉の意味としては、愚・ただの愚か者にもなりきれず、禿・ボーズ頭の坊さんにもなりきれない、非僧非俗という半端者である名乗りにしておられます。ようするに、とことんかっこつけるのをやめてしまったんですね。そんな、自分自身を省みて「悪人」と呼ぶのです。他人について判断するものではありません。自分自身の自覚の問題なのです。
>>またこの様な事は真言宗だけなんでしょうか?
それはなんともいえません。少なくとも私はもっとひどい人間であることは確かです。
>>でお布施は税金の掛からない売り上げで
税金がかからないというのは誤解です。お坊さんにも所得税はかかります。収入は普通の人とそんなに変わらないはずですよ。丸儲けしているのは一部の人だと思います。周りのお坊さん仲間にきいても、寺だけではやっていけずに学校の先生等を副業にしている人がほとんどです。お寺のお金もちゃんと檀家役員による予算委員会を経て、檀家の総会というので承認されているはずです。おかしいと思うのであれば、そういったもの出席して異議を唱えてみてはいかがでしょうか?
一休禅師はこのような詩を詠んでおられます。
袈裟衣 ありがたそうに見ゆれども これも在家の他力本願
金ぴかの衣を着たお坊さんはえらそうに見えますが、その人にまかせっきりにしてしまうのは、他人任せという名前の間違った他力本願ですよ。という意味です。
>>生臭で宴会などするのは駄目じゃないか?お布施などいらないのではないのか?
という質問も、他人任せにしておきたい現われではないですか?自分では修行しないけど、お坊さんはえらくなくてはいけない、という他人任せの心から出ているのではありませんか?仏教とは「自覚の宗教」と呼ばれます。仏教は全てのことを自分自身はどうであろうか?と考え、自分を深めていくためのものです。お坊さんは偉くて、自分は何もしないというのではまったく意味のない、絵に描いた餅です。
質問者自分自身はどうですか??しっかり仏道修行に励んでおられますか??在家が守るべき戒律である五戒を守っておいでですか??よく考えられたほうがよいと思います。また、仏教の入門書などを読んで、基礎知識を得てからそのお坊様とお話になれば、また違う印象を得られると思いますよ。自分を深めるのに障害をなすような「おもいこみ」「先入観」であったら、捨てるべきであると思います。
ながなが、私のようなものが講釈させていただきましたが、支離滅裂な稚文で申し訳なく思います。文意を読み取っていただけるよう祈るばかりです。生意気なことを書き連ねたと思いますが、なにとぞご容赦ください。
合掌 南無阿弥陀佛
No.1
- 回答日時:
お金というものは罪深いもの・業の深いものでして,悪業が具現化したものとも言えます。
自らの生命を維持するのに必要最小限のお金は止むを得ないとしても,必要以上のお金は持たない方が良いのです。よって,凡人は,必要以上のお金(悪業)を御仏に捧げ,御仏から仏法を説いていただく訳です。現世において,その仲介をするのが僧侶の役目です。
お布施は,僧侶の懐に入るものではなく,寺院の維持管理・修理修繕,僧侶の生命を維持するのに必要最低限の費用に充てられます。
御仏に捧げられたお金(悪業)によって生命を維持しているのが僧侶です。生命を維持するのに必要最小限の額以上の額を得ている僧侶は,お布施をしていただいた方の悪業を全て引き受け,お布施をしていただいた方々に代わって,死後は無間地獄へ落ちていってくださる尊い存在です。
このように考えれば腹も立ちませんが。
この回答への補足
僧侶の生命を維持するのに必要最低限の費用が生臭で宴会ですか?必要最低限であれば精進料理で良いのでは?先日タイに旅行したときにタイの僧侶に合いました。その時タイの僧侶はお布施は着る物を貰い食べ物が無いときには托鉢をするし食べ物を女性より頂き時でも女性に一切触れない。触れれば僧侶の資格をなくすと聞きました。
小乗仏教と大乗仏教の違いはあれど本来の姿じゃないでしょうか?
寺院の維持管理・修理修繕,は解りますが檀家総代さんにお願いし寄付を募れば良いことでは?お寺は住職のものですか?檀家のものですか?きれい事じゃなく知識の無い方にも解るようお願いします。
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