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神や霊的存在を否定する方は居られます。しかし、自然の存在は否定出来ません。
あなたの考える自然とは何でしょうか。自然=神ですか?
どんな意見でも結構ですので、よろしくお願いします。

A 回答 (12件中1~10件)

#11の者です



不二也
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この回答へのお礼

自然と超自然(神)は唯一不二ですね。

お礼日時:2002/06/05 00:30

我、自然の摂理により生まれ出でぬ


我、未だ自然を超えず

汝の神、自然を超えたと言い張るや?
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この回答へのお礼

御回答有難う御座います。自然の摂理、即ち汝の神にあらざるや?

お礼日時:2002/06/04 22:58

自然を見ているのは人間。


つまり、自然の存在の前提である主観、自己の存在を考えるべき。
自己の肉体は自然である。
肉体では、精神現象が神経の営みの結果としても、それだけなのだろうか。

われ思う、ゆえに我あり。
とは、われ思わざるなれば、我なしなり。
ならば存在、神、超越とはわが身の中にある。

キリストはそのことを万民に知らせたかったのに、悲しいかな世の人は彼をあがめることしかしなかった。
宗教者は、キリストをヒーローに仕立て上げ、教団の求心力を募った。

キリストはきっと自分のことをあがめるのではなく、すべての人がキリストたる生き方をして欲しかったはず。

癌も自然。汚染も自然。セイタカアワダチソウもエイズ菌も、みんなひとしく地球の上で生きているのです。
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この回答へのお礼

御回答有難う御座います。自己に自然が内在すると同時に外界も全てが自然なんですね。

お礼日時:2002/06/04 22:52

宇宙の原則。

栄枯盛衰、万物の流転。なるべき物。それには人がいようがいまいが関係ない。よく、環境を破壊する人間を反自然とみなす考えがあるが、それには異を唱える。人類が滅びようが環境が破壊されようが、それも自然の流れのなかの一つ。環境が破壊され人類が滅びたあとも、生命は新しい形で再びよみがえる。
環境を激変させ破壊したのは人類だけではない。光合成によって酸素を吐き出す細菌は、それまでの環境を激変させ多くの細菌を死滅させた。酸素は初期の細菌にとっては毒ガスにも等しい有害毒物だったが、その後酸素をエネルギーとして取り入れて活用する細菌が現れ、我々はその子孫となった。「環境に優しい。」などのコピーは「自分たちが垂れ流した汚物で窒息するのがいや」なのと、そのおかげで野生生物が減り寂しく思うだけの感傷主義にすぎない。
 人類がどうなろうが自然の知ったことではないし、滅びても大したことはない。
自然は神か?少し違う気がする。自然は法則。それは物が高いところから低いところへ落ちる物と同じ。光りがスピード制限があることも同じ。神とはそれらの法則を決めた者。エネルギーは多いところから低いところへ流れるのは自然の法則。それは数値であらわされる。しかし、どうしてそうなるか。には答えられない。
キリスト教創造論のなかのひとつ、神は宇宙を作ったが、以後は関知しない。と言う考えに悔しいが一票。
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この回答へのお礼

御回答有難う御座います。自然は法則。納得です。

お礼日時:2002/06/04 22:40

「自然」とは何か。

難しい問いかけですね。

人間にとっての自然というのは、「親」であり「家」で
あるように感じられます。

人間がこの世界に存在する以前から自然は存在しており、
人間はそんな自然の中で発生しました。
また、人間は自然界から食物を摂取して生きていますよね。
そういう意味では、自然は人間の生みの親であり、育ての
親であるようにも思います。

人工物に囲まれた都市生活を長く続けていると、人間と自然
との不可分さについて認識が薄くなりがちですが、人間は
空気と水と食物がないと生きていけせんよね。そして、そ
られはすべて自然界から供給されています。

また、人は自然の中で生活しています。大昔は、洞穴か何
かで暮らしていたのでしょう。
文明の発達につれ、木や石でできた住居に住みますが、そ
れらにしても、自然界から取り出した原材料を加工した物
です。

結局のところ、人間は死ぬまで自然の世話になっているの
ですね。ありがたいことです。
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この回答へのお礼

御回答有難う御座います。自然は「親」であり「家」。有難いですね。

お礼日時:2002/06/04 22:38

●普通 自然というと作為のない「ありのままのもの」を指しますが。


 よくよく考えると作為がなくとも自然でなくなることがたくさん在る事に
 気が付きます。例えば 酸性雨 環境ホルモン 大気の温暖化
 人口の増加に伴う環境の変革 たとえばこれらの事柄を作為的に行った訳じゃ
 ないから自然だ と言う方もおられるでしょう。
 これらを人為的なものだとするならば この地球に自然なんて存在しなくなります。
 そうなんです。現在の地球には純粋無垢な自然は もうどこにも存在しないのです。
 自然とは宇宙150億年の実証なのです。
 あらゆるものが 時間の淘汰の末にバランスしているものそれが自然です。
 しかし 人間はその行為が永い時間地球にバランスをもたらすかを考えずに
 知恵というもので環境を自分の好き勝手にいじりだしたわけです。
 これが自然破壊の始まりです。
 人間の知恵で 将来はそれなりのバランスを取ることは可能でしょう。
 しかし そのバランスは 人為的なもので自然ではありません。
 人為的なバランスは 地下都市でも 宇宙ステーションでも可能でしょう。
 しかし この地球の自然は この地球でなければ不可能です。
 スケールが違いすぎます。地球は人智を超えたスケールを持っています。
 どれほど科学が進んでも 地球の軌道をいじることはむずかしいでしょう。
 それほど 地球はスケールがおおきいのです。
 だからこそ 地球の自然は 守られなければならないのです。
 取り返しがつかないものだから。
 いま 人類は自らの行いを考え 修正の方向に向き始めました。
 熱帯の森が 失われる悲劇を 一刻も早く止める手立てが必要です。
 わたしのまわりの田んぼでも 農薬と科学肥料の影響だと思いますが
 こどものころ 図鑑にも載っていないたくさんのトンボがいたのに
 いまは まったく見かけなくなってしまいました。多分 絶滅してしまったでしょう。
 おおくの間違いに だれが気付き だれが修正できるでしょう。
 皆 現代の経済のなかで 必死に幸せになろうと努力している結果の
 環境破壊なのです。これから発展しようとする国々も同じ過ちを犯すでしょう。
 わたしの 庭には今年もカワセミが営巣しています。
 そろそろ 雛がかえるころです。
 美しく気高い鳥です。厳しい冬も自力で生き抜く輝く命を感じます。
 それにくらべて わたしのなんたるだらしなさ いいかげんさ
 なまけもので 化粧して自分をキレイに見せようとして
 こんないない方がいいような わたしも 地球を汚しているひとりなのです。
 悲しいことです。今年も芝生にMCPPを散布しました。
 ほんとうに なさけないです。
 快楽に逃げるしか 芸のないおんなです。
 自然とは
 わたしたちを 見放さないでいて欲しいと 懇願する相手です・・・。
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この回答へのお礼

御回答有難う御座います。自然破壊嘆かわしいです。快楽を追求するのは自然の営みですね。

お礼日時:2002/06/04 22:31

「放っておく」事が自然にと解されるならば、エントロピーそのもののことを言いますのでしょう。


ということはよほどのことがない限りこの世界全体は自然な状態であると思われます。それはマクロで考えたときのことで、ミクロで考えればまぁ個人個人にお任せします・・・
自然=神 自然=植物などが繁茂している様子 それは唯の宗教観ですよね。
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この回答へのお礼

御回答有難う御座います。マクロ的には世界は自然な状態ですね。

お礼日時:2002/06/04 22:25

非常に表現が難しいのですが、思い切って大雑把に言ってしまうと、自然(宇宙を動かす根本実相=真理)を二つに分けて考えます。


 天然自然をみて私は真理を知ったとなれば悟りの宗教(原始仏教系統)、天然自然から真理を教わったと擬人化すれば神の宗教(イスラム・キリスト教系統)という考え方はどうでしょうか?
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この回答へのお礼

御回答有難う御座います。自然から仏と神が分化したということですね。分かりやすいです。

お礼日時:2002/06/04 22:11

自然とはさまざまな物理現象(解明されているものもそうでないものも含む)によってのみ変化するもの。


その、物理現象を起こすときに人間の意志が介在していない時を、私は自然と考えます。
ちなみに、神は人間の意識が作り出したものであるので、私にとって自然ではないです。
霊的存在を否定はしませんが、霊が人間の意識(何かを変えようとする意思)を有していれば自然ではないとおもいます。
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この回答へのお礼

御回答有難う御座います。世の中に神が氾濫しています。自然ではない神が多いです。

お礼日時:2002/06/04 22:04

人類がいなかったときは自然しかなかった。

人類である人間が誕生し人工的またはある種作為的に行った行為によって不自然が生まれた。とも言えるような気がします。よく聴かれる話ですが、自然しか存在しない世界では、自然という言葉が存在しなくて、もちろん不自然という言葉も存在しない。なぜなら必要がないから。不自然なものが認識され始めて、初めて自然という概念が生まれる。
 以上のような考え方があると自分自身踏まえたうえであえてそれを否定したくもなります。人間だってそしてその行為さえもが自然の一部だと。神が存在するかどうかは自分には判りません。ただもしいるとするならば、それも自然なことなのかもしれません。
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この回答へのお礼

御回答有難う御座います。自然と不自然、難しい概念ですね。

お礼日時:2002/06/04 21:57

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