アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

私の娘の短大の先生の回答で著名な人の「死」に対する考えで・・ルソーが子供の死に対して「子供が死んだら・・また、子供をつくればいい。」と述べたと・・ときいて娘は驚いたそうです。

本当に、ルソーが子供の死に対して「子供が死んだら・・また、子供をつくればいい。」といつたのでしょうか?
教えてください。

A 回答 (7件)

ルソーはエミール(でしたっけ?)を書いたわりには、本人は良くない男だった


と聞いたことがあります。

詳しく知っている方がいたらうかがいたいですね。
    • good
    • 2

そんなにひどいことでしょうか。



鏡が割れてしまった、ならまた買えばいい、というのと同じことだと思いますが。それがごくごく自然なあり方ではないでしょうか。ルソーという人は自然に戻ることを主張したわけですから、言ったとしても別におかしくはないと思います。

現在の日本では、出生率が低下していますから、また子供をつくればいい、なんてことが言えますが、当時のヨーロッパに今ほどの医学があるはずもなく、また、衛生的なことも考えられておらず、子供が夭折する確率が非常に高かったのです。したがって、子供の死というのは、今の日本よりもずっと身近なものだったはずです。

もちろんルソーは男性ですから、出産の苦しみを知りませんので、こういうことを言うのは無責任と思われるかもしれません。しかし当時のヨーロッパで、女性の地位は高くなかったことから、これを現代の男女平等の観点から、「敵性思想」であると決めつけることはできないと思います。

思想というのは多かれ少なかれ時代と世相を反映しますので、その時代について考えることで、「この人そんな変なこと言ってたの?」と思うことはなくなると思います。

本来の質問の、「出典」ですが、今はちょっとわかりません。もしわかるようでしたら、また回答したいと思います。
    • good
    • 0

たしか.ルソーはフランス人でしたよね.ドイツ人でしたか?。


当時.ルソー程度の低所得層は.子供を育てるだけの収入がありません。そのため.子供が産まれると.孤児院に預けます。
「孤児院」といっても.実状は.子供を預かり.1週間食料を与えず殺して.大きな穴の中に死体を投げ込む場所で.また.施設自体もけして大きな用地があるわけではありませんので.穴が死体でいっぱいになったらば.すぐ隣に新しい穴を掘り使用します。当然.すぐに掘り返すので.場合によっては腐りかけの死体が出てくるのです。死体臭が孤児院の付近一帯に広がり.ある種の特別な空間を構築しています。
ルソーは.たしか.3(2?)名の子供を孤児院に預けています。

つまり.当時ルソーの生きた時代の低所得者層全般に普及していた考え方です。
なお.ルソーは「子供を孤児院に預けた」として.同業者から批判を受けています。

ドイツでは「子供は親の生活を脅かす侵略者」という考え方が普及しています。おそらく.ヨーロッパ全体として「子供は邪魔物」という考え方が普及しているかと思います。なお.十分な所得がある家庭では生まれた子供は乳母に預けます。乳母が育て礼儀作法を教えて.その後に親元に戻るのです。ヨーロッパ文学における「乳母」と「親に会う」という意味については.日本の考え方と大幅に異なります。
    • good
    • 0

ネットで検索してもそういった話は見当たらなかったので、


かってな想像です。

edogawaranpoさんも指摘していますが、当時のヨーロッパでは、
子供の死などめずらしいことではありません。
奥さんは落胆したでしょうが、それを慰めるためにそういったのではないでしょうか?
いつまでも死んだ子供に執着するのも不健康ですよね。

それにしても、キリスト教って「増えよ、満たせよ・・・」
を思想にしているのに、edogawaranpoさんの
「ヨーロッパ全体として「子供は邪魔物」という考え方が普及しているかと思います。」
というコメントは、どういうことなんでしょうか?
(反論でなく、単なる疑問です。)

うーむ、回答者同士の質問は禁止されていますが、
わざわざスレッドをたてるのも・・・と思いまして。
    • good
    • 0

哲学でなくて.ドイツ文学の話しだから.マーいいですか。


>どういうことなんでしょうか?
ドイツ文学の根底に流れる考え方が
>子供は邪魔物
という考え方です。キリスト教とは.多少ずれた考え方(魔女思想など)があります。
元々キリスト教は.権力者(地域豪族+豪族の支援を受けている教会)による民衆支配の考え方を示しているものです。民衆には民衆の考え方が存在しています。
    • good
    • 0

 


ルソーというのは、決して貧困な下層階級に所属する者ではありません。生まれた時の社会階層は少し記憶に出てきませんが、若い頃から、その才能を買われて、中流または上流のサロン的教養の年長の女性に可愛がられ、その庇護を受けて、学問を研究した人です。

ルソーの立場は、見方を変えれば、若いツバメだったとも言えますが、別に、年長の女性が不倫とかの相手にしていたのではなく、力ある教養女性が、ルソーの思索力などを買って、(その他の要素もあったのでしょうが)、ルソーを庇護したもので、パトロネスとして、こういう関係はそれほど珍しいことではありません。

極貧階層出身だと、こういうチャンスもなかったはずなので、ルソーは、下層よりは少し上の庶民出身だったのだと思います。

>「子供が死んだら・・また、子供をつくればいい。」

というのは、残酷な考えに今では思えますが、西洋東洋に関係なく、ある程度普遍的な考え方でした。乳児死亡率が極端に高く、子どもが少し育っても、成人までに育つ子どもが半数もいなかった時代では、子どもの死は、西欧なら神様の定めとして、諦めるしかなく、神様が恵みで、また新しい子どもを授けてくれるだろう……というのが、普通の考え方です。

また、人類の総人口が、20世紀になってから爆発的に増えたのは、19世紀の増大の延長にもあるのですが、これは、医学や社会施設や制度の進展で、乳児死亡率が激減し、子どもが生き延びて成人する割合が非常に高くなった為です。

先進国では、乳児死亡率や、子どもの若年死は、20世紀半ば以降は、ほぼ、ゼロに近くなって来ます。しかし、20世紀でも、その前半は、西欧でも、子どもの若年死はかなりあり、日本でも、8人生んで、そのうち4人が生き延びて大人になり4人兄弟というような例は、半世紀前には結構ありました。

(日本で、いま、70歳、80歳以上の人で、四人兄弟、五人兄弟、あるいはそれ以上という人は結構多く、若い頃に死んだ兄弟も入れると、本当は十人兄弟だったなどというのも珍しくありません)。

夫婦の生む子どもが二人か三人になり、やがて二人か一人になって来たのは、先進国でも、ごく最近、二十年かそこらのことです。

人類の食糧事情とか生活事情が向上して、誕生した子供の成人までの存命率が上がったのは、紀元を過ぎた辺りからで、あるいはもう少し古いかも知れませんが、平均寿命も増加しました。西欧、インド、アフリカ、中国、東南アジア、日本も例外でなく、増大した人口は、戦争とそれに関連しての厄災で、また天災と飢餓で、多数が死亡して、バランスが強制的に取られていました。

中国などでは、周期的な大飢饉と、やむことない戦乱で、多数の人口が消えて行っても、なお、人口は、総体として、どんどん増えて行ったというのが実状です。

庶民の人権を守る思想や、子どもの権利を守る思想も法制度も何もなかったか、それに近い時代でした。西欧でも、東洋でも、生き延びる子どもが生き延びればよい、というあきらめよりも、もう少し進んだ考えがありました。

乳幼児の時に、死にかける子どもは、その時、医薬で助けても、後に成長途上で、結局死亡することが一般であったので、助けようと思えば助けられたかも知れない子どもでも、農民や庶民のあいだでは、死ぬべき定めだという考えで放置したというのもあります。

そういう身体の弱い子どもに手やお金をかけるより、もっと丈夫な子どもが生まれれば、それでよいという考えになり、別に親が、子どもを殺す訳でなく、自然に弱さ故に死ぬのですから、神様の思し召しだ、となるのです。

また、農村などの人口増大は、生きている者にとっても脅威であり、子どもが生まれても「間引く」などは、かなり一般的に行われていました。

(その他、都市でも農村でも、嬰児殺しというのは、ごく普通であったのです。避妊技術がほとんどなく、望まぬ子どもが生まれると、それを密かに葬るというのは、やむをえないことでした。そして、そういうことは一杯あったのです)。

社会が豊かになり、商工業が発展し、貨幣経済が生まれはしめると、庶民の生活レベルも上昇し、教養レベルもそれなりに上がって来ます。ここで、フランスを中心に「啓蒙思想」という考えが出てくるのですが、これは、西欧を通じて、あるいは欧州を通じて共通した社会の動きでした。

ルソーは啓蒙思想家である訳で、社会の旧制度(アンシャン・レジーム)を批判し、人間の平等性を訴え、子どもの権利を主張しました。『エーミール』という本は、いかにして理想的に子どもを教養人に育て、しかも人権思想を持った、社会の歪みで心が歪んでいない、「人間本来=自然(ナテューラ)」の存在である人間を育て上げるか、理念的な方法を説いたものです。

「人間本来=自然」において、社会階級などはなかった、人間は平等で、互いを愛し、自然を愛し、豊かな芸術的感性を持っていたというのが、ルソーの考えです。

しかし、人間は、その語ったり論じたりした「思想」と、その人の「生き方」が必ずしも一致しません。一致する人の方が珍しいのです。ルソーは、教養人として認められてからは、パトロン・庇護者もおり、結構裕福だったのです。

しかし、彼は複雑な性格の人で、自己のなかにある「性的倒錯」を、当時のキリスト教社会の常識に反して、『告白』のなかで、堂々と記し、これまた「人間本来」であり、「自然」であるという主張にもなるのですが、個人としては、かなり利己的な勝手な、ナルシスティックな人でした。

ルソーは、愛人に何人かの子どもを生ませますが、孤児院に入れたり、捨て子にさせたりと、自分の子どもに対する愛も、育てる意志も、そういうものは持っていませんでした。それは、育てるだけの豊かさがあったにも拘わらず、子どもを棄てさせたからです。

この理由には、ルソーの性格や人格上の何かの複合感情があったのかも知れませんが、事実は、実の子を、育てる財力があったにも拘わらず、イヌの子を棄てるように見捨てたということで、『エーミール』などで主張していたことと、実際に我が子にしたことが、あまりにかけ離れていたので、教養人のあいだでは非難する人が出てきます。

『告白』を書いたことで、ルソーは「大悪人」だという評価がイギリスなどではあり、フランスでも、道徳を無視する社会の破壊者で、「悪人」だという評価もあったので、ルソーが、自分の子どもを無慈悲に棄てたことは、彼を非難する材料にもなったのです(ルソーは、フランスから追放されたか、されかかったはずです。またはイギリスかどこかに避難したはずです。危険思想の持ち主として排斥されたのです)。

なお、子どもが死ねば、また生めばよい、というのは、当時の庶民一般の普通の考えですし、富裕な者も、貴族などでも、そういう考え方をしていました。

『旧約聖書・ヨブ記』の始まりと終わりの部分を見ると分かりますが、神はサーターンの勧告を入れ、ヨブに厄災を与えることにし、彼の息子娘などは皆死にます。また彼の財産も失われます。ところで最後には、神はヨブの義人であることを認め、また、彼には、前にもまして、多数の息子や娘が生まれ、財産も殖えます。

これを読んで、財産が回復するのはともかく、ヨブの息子や娘たちの「人権」を神は顧慮していないのか、という疑問を感じたことがあります。死んだ息子や娘が甦った訳ではありませんから、新しく、息子や娘が生まれたと云っても、これでは、何かおかしいのではないかということです。

こういうことが『旧約聖書』に載っていますし、中世・近世の西欧社会では、「子ども」の概念がなく、子どもの権利を守り、子どもを庇護するという思想もなかったので、死ねば、また生めばよい、というのは、それほどひどい考えでもなく、普通の考えだったのです。

ただ、子どもの権利や人権などを主張して、危険思想の持ち主とされたルソーが、行動で、おかしな矛盾することをして、利己主義者ぶりを発揮したので、批判に勢いを付ける、糾弾の声として、こういう非難になったのでしょう。

子どもが増えて、人口が増えると、戦争や厄災が起こって、人口をまた元に戻し、世のなかのバランスは維持されているのだ、というのは、「事実」だったのですが、それが神の秩序、天の秩序という思想が、東西で一般にありました。
 
    • good
    • 3

 言ったと思います。

ルソーに限らず、知識人であれば誰でも、取り返し
のつかない状態になった者に、それを何とか取り返すように、或いはその
状態を誤魔化す為の思弁を用いて説得したりはしないと思われるからです。

 言ってないとは思われません。彼は言葉を話す事ができましたから。
    • good
    • 4

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す