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ちょっと変わった質問内容になりますが、ちょっと考えたいことがあるので、ほかの方の意見が聞いてみたいです。
興味のない人や意味が分からない人はレスしないで、スルーして下さい。
人間は常に「悪」の部分と「善」の部分の両方が対立し合ってると思います(あくまで個人的思考です)
しかし、人間は生まれたばかり(赤ん坊)の時は「悪」の部分は一切ないと思います。やはり育った環境や周りの影響によって生き方が変わっていくと思います。これは凄く興味深いと思います。

ここからは、とある「宗教」の教えを話します。

初め「人間」には「永遠の命」を神に約束されていました。初めは人間が死ぬことは一切ありませんでした。つまり現代の「死」というものは無かったのです。それが、当たり前だったのです。
初めに人間として作られたのは「アダム」でした。そして人間には、ほかの動物とは決定的に違う能力を授かってました。それは「考える能力」「物を作る能力」です。現代の人間が発達した力です。実は「動物」「植物」の名前も「アダム」が考えたものです。
その後、「神」は「アダム」の骨から「エバ」(女性)を作り出しました。初めは一種だった人間ですが、「エバ」が生まれた結果、人間には「男性」「女性」っという風に性別が生まれたのです。それと共に人間は「繁栄する力」を持てるようになりました。もちろん、「永遠の命」を授かってる人間ですから、このまま「繁栄」すれば素晴らしいことだったのです。
しかし、その頃「神の見使い」の中に悪事を働く「見使い」がいました。それが「サタン」です。今現在の世の中を悪化させてる本人です。

「永遠の命」を約束されていた人間にも、一つの守り事がありました。

それは、とある「木の実」を絶対に食べてはいけないっという約束でした。(これはエホバが人間を試していたのだと思う)
しかし、「エバ」と「アダム」は蛇に化けた「サタン」の「嘘」を信じ、神の約束を破り食べてしまいました。
初めに「食べよう」と誘ったのは「エバ」でした。そこで「アダム」が留まれば、人間がこのようになることもなかったのに、二人は食べてしまい「楽園」から追放され、「永遠の命」を無くしてしまいました。
(この辺は過去の歴史にもありそうなことです。)
そして、「神」を裏切った「サタン」は「地球(元は楽園だった)」に追放されました。

そして、歴史が流れ・・・今現在の世の中です。

「宗教」の話しをずっと話していきましたが、私はこの教えは正しいと思っています。信じる信じないと人それぞれです。
しかし、「神」の存在はどうしても信じてはいられないことがこの世の中には一杯あるのではないでしょうか?

宇宙、地球、人間、生物・・・。

これらが自然に出来たと到底思えません。色んな説が科学者達が話していますが、それは単に人間の「妄想」「逃げ」だと思います。
「神」の話や「アダム」「エバ」の話しも「人間の妄想の一つ」という風に思う人もいるでしょうが、人間の妄想では片付けられない真実も沢山目の前にあります。
それに、今の人間は物事を軽率に考えすぎだと私は思いました。世の中もドンドン悪くなる一方だし、人間は過去から全然学んでません。

戦争もなくならない。殺人もなくならない。差別もなくならない。

確かに人間には良い部分も沢山あります。しかし、愚かすぎます・・・。難しいと思いますが、皆さんはどうお考えでしょうか?「神」を信じる信じないだけではなく、色んな意見が聞きたいです。

A 回答 (20件中11~20件)

いや、回答のまえに前提として、


「初めは人間が死ぬことは一切ありませんでした」なんてことはないと思うのだが・・・
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個人的には神は宇宙人じゃないかと思っています。


宇宙人が人間を連れ去ってテストをしてなんだこんな感じかと
わかりそのことを何気に宗教にしたのではないでしょうか?
勝手な予測ですがそうでも考えないと説明の付かないことは多いです。
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私は、特定の宗教は信じていませんが、神(あるいは神のようなもの)はあるんじゃないだろうかと考えています。


まぁ、「汎神論」に近い感じです。

>人間は生まれたばかり(赤ん坊)の時は「悪」の部分は一切ないと思います

これは、「性善説」ですね。
たしか、孟子だったかと思うんですが、人間は生まれながらにして善であり、成長する過程で「欲=悪」を身につけるんだとか。
それで、聖人や徳の高い人から「善」であり続ける方法を学ぶ必要があるらしいです。

これと逆の「性悪説」を唱えたのが荀子。
このときの悪とは、所謂「欲望」の事で、人が安楽や空腹感、性欲などを覚えるのは自然な事であると考えた。
そこで、後天的な努力で「欲望」を制御する術を身につければ、「善」に近づくことが出来ると考えた。


私個人としては、後者を支持したいですね。
人間、「教育」をなおざりにしてほっとけば、必ず欲をコントロール出来ない人間になるような気がします。
「夕飯の前に、おやつを食べてはいけません」とか「わがままを言うんじゃありません」とか言われながら、「欲のコントロール」が身に付くのじゃないかな~と。
もちろん、もっとコントロールを身につけるためには精神鍛錬がひつようでしょうけど。

人間の本性が「悪=欲の塊」なら、「戦争もなくならない。殺人もなくならない。差別もなくならない。」というのは、当たり前な気がします。
で、神自身に「善悪」が無いならなおさらでしょうね。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E5%96%84% …
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イエスキリストがその人類の罪を贖うために十字架に架けられたのではないでしょうか。

キリストはもう人類の罪を贖ったわけですから、復活はしません。この世にふたたび現れることはないでしょう。
あと救世主が十字架に架けられて死んだわけですから、これも運命なのかも知れません。
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意見が欲しいということなのでのべますが。


まず一番最初から。善悪とは人の心が生み出した価値観であって、客観的に存在してなどいません。
たとえば、その赤ん坊とは自分が生き延びようとするだけの存在です。相手の都合などという概念すらなく、ひたすら生きることに執着する。彼方のような人間はそれを悪と呼ぶのではないですか?
そして成長したあとも同じです。目先の金銭のために人を殺すことも、逆に人を助けよりよい世の中にしようという行為も根本は自分にとってよい結果、未来をもたらそうとするエゴの産物でしかありません。
善悪はそれを他者が自分の利益、つまりエゴで決め付けたにすぎません。

エデンの園のくだりは置いておいて。
宇宙が自然に出来たかどうかはしりません。命の元となった神と呼ばれる超存在が居たとしても何の不思議も無いでしょう。
ただそれは太陽信仰と同じです。太陽は命を育む源ですが、命を育むために太陽があるわけではありません。それを神と呼び崇めようと勝手ですが。
少なくとも人類を見守り、今の人類の価値観に従って幸福に導こうとする、人類発祥以前より人類のために存在するという矛盾しまくりな奴隷以下の神様とやらは、論理的に考えなくてもありえないと思いますね。

まあ、彼方が他人は愚物ばかりだと(つまり自分は賢いと)思おうと関係ありません。世界は確固として存在しているのですから。
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以下、個人的な考えです。



「神が人間を創造したわけではない。よって、人間が神を裏切ったわけではない。」

私は人間が神の存在を創造したと思っています。

人間は複雑なことを考えたり、想像することが出来るから、とても弱くなり得ます。

例えば、死。
死を想像し、回避することのできない恐怖を感じると、人はどん底まで落ちていきます。

このようなどうすることも出来ない恐怖から逃れる手段として宗教が創造され、すがるべき相手として神が創造された。

これが私の考える神です。

私は神や宗教を否定しません。救われている人が沢山いるからです。
ただし、神がこの世の全てを創造したと思うか?と問われれば、否と答えます。

戦争、殺人、差別、全て人間界だけでの呼び名です。

スズメバチが他の蜂の巣を攻めるのは、人間の世界に当てはめれば戦争です。
雄ライオンが乗っ取った群れの他の雄の子を殺すのも、人間の世界に当てはめれば殺人(人ではないが)です。
サルの群れがよそ者を攻撃するのも、人間の世界に当てはめれば差別です。

これらも神への冒涜でしょうか。

もし神がこの世の全てを創造したのであれば、たかだか一惑星である地球に同居する動物のうち、なぜ人間だけを特別扱いしたのでしょうか。

私は俗に言う無神論者ではないと思いますが、神が絶対的な万物の創造主であるという定義には否定的です。

人間は確かに愚かです。当たり前です。たかが人間ですから。

>それに、今の人間は物事を軽率に考えすぎだと私は思いました。世の中もドンドン悪くなる一方だし、人間は過去から全然学んでません。

私は世の中はドンドンよくなっている面も沢山あると思います。
戦国時代に産まれ、弟と殺しあわなくて済んでよかったと、心から思いますもの。

大きな話をする時は、物事を多面的に見る必要があると思います。
過去から学んでいないのではなく、別の要因で過去にあったことと似たようなことが起きているのです。

例えば私が横断歩道を注意せずに渡って交通事故にあったとします。
この場合、「私」は「横断歩道は注意して渡る事」を学びますが、他の人はどうでしょうか。
小さな例ですが、大きな話も小さなことから始まります。

人間が不幸を感じることが出来る以上、この世の全ての不幸を取り除くことは不可能です。
人間が知るべきことは、不安や恐怖から逃れるため神の教えではなく、不安や恐怖を打ち消す「今の幸せ」だと思います。
健康でも不健康でも、生きていても死んでしまうとしても、人間の想像力をもってすれば、幸せを見つけることは必ずできると思います。

そうは言っても不幸を探すのって簡単だから幸せよりすぐ見つかっちゃいますけどね。
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アダムと楽園の話が出ているからには、聖書が原典ですから、少なくともキリスト教系の団体ですよね。

でもいわゆるプロテスタントでもカトリックでもない団体、いわゆる新興系や、反目してる団体ということでしょう。そういうところは、本来の経典を好きなように変革してると、元の団体から思われていると理解しています。

で、その本来のカトリックなどでは、中世に、聖書では説明できない科学的事実が出てくるたびに、混乱をきたしていたのはご存知でしょう。地動説、進化論などなど。つまり、宗教観というのは、科学が未発達の時代に発生した、後付の理論というかお話であり、科学的事実はそれを超えたところにあるということでしょう。

>戦争もなくならない。殺人もなくならない。差別もなくならない。

欲があるからでしょう。
実際に、それを仕掛けてる某国も、根底にはカトリックの教えが息づいているはずです。

で、聖書の内容は、戒めにはなるものですが、それに真実が入っているというのは主観でしかないでしょう。まあ、真理という部分ではありですが、基本的には後年読むあなたのこじつけですね。
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#1です。


神の存在を信じているかどうかは正直よくわかりません。
神頼みの前にまず自分が頑張らなきゃと考えるので、その時に神様が決めていたからダメだったとかよかったよかそういう自分の自由意志が無視されるようなことが理不尽に思えてしまうだけです。(同じ理由で運命も好きになれません)
神様ってのがあるとすればそれは人がまだ解明していない自然法則とか方程式とかそんなものかなって思います。
でもいたとしても不思議はないとも思っています。

>「自分の思いにそぐわないもの」ばかり想像する神だったらどうでしょうか?
>所詮人間が「神」のことを理解することすら無謀なのですよ

これですが、例えば全能の神様が自分のいうことをきかない人間を作ったとしたら・・・
作れなかったら全能じゃないですよね。全能って何でもできるですから。
作れたら自分のいうこと聞かない人間ができてしまうわけですからその時点で全能じゃなくなってしまいますよね。(その人に自分の言うこときかせたら従わない人間じゃなくなっちゃいますし)
つまり神様は完全じゃないということです。(神様は人知を超えた能力を持っていてそれを両方かなえられるって言われてしまったら人知を越えているので論じることができなくなってしまいます。)

神様否定ではなくいたとしても人とおんなじで完全じゃないってことがいいたかっただけです。

自分の意にそぐわない人間を想像するってことならそれはそれでいいと思いますが、であれば人をおろかと思う前に、そういうふうに創造した神様のせいってことですよね。
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あなたはそこまで敬謙に信じて居るのに何を一般から求めているのですか?



いろんな意見を聞きたいと言いながら宗教活動をされている様に受け取れます。

おろか過ぎると言うあなた自身も人間として生を受けているのですから、自分のおろかさを公表しているに等しいとは思いませんか?

科学では証明出来ない事が多く存在するのは事実です。
ですが、「今の科学では解明されていない」のであって、将来解明される事もあるでしょう。

神の定義をどこにおくのも自由です。
あなたはあなたの信仰をすれば良い事で、同じ宗旨の方同士で論じるべきでしょう。

たくさんの宗旨宗派があり、それぞれの信仰がぶつかり合うような意見を述べても意味有りません。

私は無宗旨無宗派ですが、世間で言われる超常現象にたくさん出会っています。特別な能力も授かっています。
ですが、自分の中で納得出来ない事もたくさん経験し過ぎました。

こういう場で、あなたが求める答えは無いと覚悟して記入していますか?
あなたが現在を憂いて居るのであれば、いくらでも奉仕の方法は有ります。
宗教活動の前にすべき奉仕が山ほど有ります。
それが浄化と健全化に役立つのではないでしょうか?

信じられない様な実体験をしてから考えて下さい。
神と出会って話してから語って下さい。
体験が伴わなければ頭でっかちになり、本質が見えませんよ。

真摯に直向きに生きる事から始まります。
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神様の話が出てきているのでそこをふまえて思うことを書きます。


まず神様自体が全能かということですが、そうではないですね。
まず、神様が真に全能であれば自分の思いにそぐわないものが存在するはずがありません。サタンの存在にしても、アダムが知恵の実を食べたことにしても、神が全能であれば神がサタンはいちゃダメって決めた時点で存在していないはずですし、食べるなって言ったらアダムは知恵の実を食べられないはずです。ってことは神は全能でない不完全な存在だということです。さて、神でさえ不完全なのに人間が完全でありうるはずがありません。

逆説的に、神が全能であったならば、人が罪を犯すことは神がそうお決めになったからでしょう。全能の神が意図しないことなどありうるはずがないのですから。何か意図するところがってのことって解釈になります。
ここまでは屁理屈の話です。

戦争もなくならない。殺人もなくならない。差別もなくならない。
おっしゃるとおりでしょう。キリスト教では原罪、人はその存在の中に罪を負っているという考えがあります。(この原初の罪がアダムが知恵の実を食べてことだったと思いますが)
それでも人は進んでいると思いたいですね。

>世の中もドンドン悪くなる一方だし、人間は過去から全然学んでません。

どれほどの歴史観の中で考えているのかわかりませんが、少なくとも人が人を奴隷として使っていた時代から比べれば現在はまともだと思います。格差社会等についても歴史上に出てくる昔ほどじゃありません。建前上でも平等がうたわれています。
過去からの人の営みが現在となっています。命は紡がれています。
歴史観の中での見方としては現在が悪いほうへ進んでいるのみとの見方は少し早計であると思われます。(歴史上で最大の破壊能力を持ってしまったことは認めざるを得ませんけど)

この回答への補足

ご回答ありがとう御座います!回答拝見させて頂きました。tappara様は神の存在を信じてない方なのですね。信じてない方の意見が聞けて、とても興味深いです。

>まず、神様が真に全能であれば自分の思いにそぐわないものが存在するはずがありません。
では、逆に質問ですが、「自分の思いにそぐわないもの」ばかり想像する神だったらどうでしょうか?神はそんなに心が小さい方ではありません。「見使い」にも「人間」にも一人一人の「感情」を持たせたかったのだと思います。

確かに、私も「それでは、神は自分の失敗作を処理されているのか」っと一時期思ってる時もありました。でも、所詮人間が「神」のことを理解することすら無謀なのですよ。理不尽ですが、そう思いませんか?

また、tappara様は「宇宙」や「地球」や「太陽系」が自然に出来たと本当に思いますか?なにかしらの偉大な力があると私は思います。

あと、勘違いされてるみたいなので訂正しますが、私は「キリスト教」でも「仏教」でもありません。ほかの「宗教団体」の教えを述べてます。

っと長々となってしまいました。こうやって、こういうことを話せることは良い経験だと思います。本当にありがとう御座います。

補足日時:2007/04/11 15:14
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