大人になっても苦手な食べ物、ありますか?

わたしの「祖父」の出身地を旅行してたずねて行きたいのですが・・・

教えていただきたいのは、その「祖父」の出身地について知りたいのです。
私は東京生まれで、東京育ちのものです。

既に結婚をし子供もおります。私の旧姓は「喜多」といい、親戚もみんな東京におります。

私の父から伝え聞くところによると、祖父は明治時代の生まれで徳島は池田周辺(吉野川流域)の出身なのだそうです。

もうかれこれ100年近く前の話になるのだと思いますが、私の祖父は若い頃徳島の池田周辺の村から単身で東京の叔父を頼って出てきたのだそうです。

私の父は昭和一桁の生まれなのですが、9人兄弟の末っ子と言う事もあり、その子供の私は祖父の顔を知りません。

父もその父の兄弟の私の叔父や叔母たちもみんな東京生まれの東京育ちで、祖父の故郷を知りません。ただ祖父の手に引かれて連れて行ってもらった記憶はあるのだそうですが、場所が遠いだけに叔父や叔母に聞いても幼い頃でしかも戦前のことなので、祖父の故郷の記憶もほとんど残っていないそうです。

先日徳島の三好市役所にも電話をし、「私の旧姓の『喜多』という苗字をもつ人たちが多く住む池田周辺の地域はありますか?」と唐突な質問をしたところ、「『東祖谷地区』と言うところにその苗字を持つ人がたくさん住んでいます。」といわれました。

「東祖谷地区」と「池田」は地元的な感覚では近い場所なのですか?
一体どのようなところで、どのような歴史があるところなのでしょう。。。?

なにかそこが私の祖父の出身地の気がしてなりませんが、当然その確証も何もありません。

私の旧姓の「喜多」、「池田周辺(吉野川流域)」というキーワードを聞いた方で、もし「祖父の故郷」の手がかりとなる情報を教えていただけるご親切な方がいらっしゃれば幸いに存じます。

今年の夏休みを使って家族で四国を旅行する計画を練っているのですが、その道すがら三好市を尋ねてみたいと思っています。

何卒宜しくお願い申し上げます。

A 回答 (5件)

「東祖谷地区」と「池田」は地元的な感覚では近い場所なのですか?



池田は蔦監督がいた池田高校があります。田舎ですが普通の町ですが、
「東祖谷地区」はかなり険しい地区でちょっと徳島でも別格です。
しかし過疎化、高齢化が進み特にこういうネットで情報を得るのは難しいでしょう。

戸籍などで昔の住所を詳しく調べて地域を限定したほうがいいです。
実際の住所と住んでいる人が指す地区にも違いがありますし。
説明が難しいですが、あなたが考える池田周辺、東祖谷だけでは地元の人にも大雑把過ぎてなんとも答えれません。

そして実際に言って図書館などで調べる、運良く詳しい人に出会えれば親切に教えてくれるでしょうが、ほとんど山なので通行人なんていませんから、車で行ってそこら辺の人に聞いてみよう!は100%無理です。

しかし、もしお祖父さんの血縁者が見つかれば今でも親戚と同等暖かく迎え入れてくれるでしょう。

あなたの話しに近いのが「天涯の花 宮尾登美子著」
三好郡池田町のお寺に捨て子があり戦時中祖谷で疎開した人が子供を出産したが育てられず捨てて行ったのだろうと養護施設の園長が地元の人に尋ねてるくだりがありますが、そこら辺が参考になります。
小説としても楽しめますから直ぐにでも読むことをオススメします。
地名と土地の状況がつかめます。

あとお祖父さんの写真を何枚か持参して行って下さい。
顔つきはかなり重要な手がかりになります。
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この回答へのお礼

早速にもお返事いただけるとは思いもしませんでした。
ありがとうございました。

文面を拝見しておりますと地元の方のように見受けられます。

地元の方々が「喜多」という苗字をお聞きになって、なにか親近感などが湧いてきたりするんでしょうか?

ちなみにわたしは小学校~大学まで東京でしたが、同じ苗字の方にはお会いしたことがありませんでした。就職をしてからは、会社に一人同じ名前の人がいました(先輩ですし性格もあまり好きではなかったので、その方にはあまりこの件には触れたかとがなかったです)。

丁度その頃偶然にもお客様で同じ苗字の方がいらっしゃったことがあって、私の名刺をお渡ししたとき、「私も旧姓が喜多っていうんですよ、あなたのご先祖はどこのご出身?」と聞かれたことがあり、私が「父や親戚からは徳島の池田と聞いております」と伝えますと、「やはり・・・」というような表情をされていらっしゃったのを記憶しております。
わたしはそれ以上仕事とは関係のない話にそれてしまいそうだったので、深くはお話できませんでした。

おそらくそのお客様もご自分の姓の由来にご興味がおありになったのだと思います。

お礼日時:2007/04/18 16:08

No3です。

舌足らずで不快なられたならお詫びもうしあげます。

ご質問者が「思い込み」で池田出身とされているとは微塵も思っておりません。同姓の他の方についてのお話しで、同姓だから出身地について関心をもっておられると「思い込み」があるのではないかという事で、あまりそういう感情にとらわれると正しく情報を分析できないかもしれませんよという老婆心です。

私は、ご質問者にははるかに及ばない若輩者でありますが、私の苗字は大変失礼ながらご質問者よりもはるかに珍しい苗字ですので、ルーツ探しの真似事を少ししたり、三十年ほど前に今の住居に転居してきた際に、地元で尊敬を集めている近所の高校の初代校長が母方の旧姓と同じで、母方の一族で教育者としてこちらに赴任した人物がいたという話を母が覚えており、年代的にも一致したもので、それがその初代校長と同一人物ではないと思い込み、その真相究明のためにすこし調べたりした経験で、つい希望的な観測をして、結果的に遠回りした事があったもので、余計なことを書きました。
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この回答へのお礼

いやはや、不快などとんでもないことです。

貴重な情報をご提供いただいた方に対して、不快な気持ちなどというものを持つはずもありません。

だいたい作家でもない私が書いた文章を、行間まで読んでいただけるだろうと期待するほうが図々しいのだとさえ思ってるくらいです。

私事のために心を痛めていただいたことに返って恐縮しております。

確かに少し文章の感情入れが強かったかもしれませんね。

すみません。

お礼日時:2007/04/19 16:21

NO2です。


残念ながら私は徳島南部の出身なのです、東祖谷はかずら橋などを渡ったり、ドライブに何度か行きました。
喜多さんは確か中学校の時同じクラスにいました。
学年120人ほどですが、その子一人だったと思いますがそんなに珍しいわけではなくほかにも2,3人であった事があります。

私の想像ですが、東祖谷は山奥で家がぽつぽつのある程度、今でも商店などは無く下の町まで買出しに行っています。
昔は生活必需品をたまに山から降りて購入したり、特産品を売ったりするのに質問者さんがおっしゃる池田の村に行ったのかも知れません。
また人口も少ないでしょうからその地区だけで結婚相手は見つからず交流のある村から結婚相手を探すなどがあったのでは。

また、山奥でお米も取れない地域で、主食はそばだったようです。
生活が苦しいからを山を降りて里で生活する人もいたと思います。

質問者さんのお祖父さんの家族もいつの世代かに山を降りたのかも知れません。

他の回答者さんもおっしゃってますがここは平家の落人伝説があります。
近くにかずら橋、つたで編んだ吊橋が架かっていて、これは昔源の兵士が来たときに直ぐに切り落とせるようにという話しがあります。

なのでもしかしたら平家の家来の子孫かも知れない(ひっそり隠れて地元の人にまぎれて暮らしたので詳しくわからない)という自負というか、プライドみたいなのがあるので案外自分のルーツを調べている人が多いでしょう。

なのでそういう姻戚関係にも詳しいのでもしかしたらだれそれの家の次男の系統で、本家はどこそこというのを知っている人がいるかも知れません。

なので本当に東祖谷出身だったらもしかしたら平家の子孫?
っていうロマンが味わえます。
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この回答へのお礼

お礼の返事が遅くなりまして大変失礼いたしました。

そうですか。。。東祖谷地区といところはそんなに人里はなれたところなのですか。。。

夏休みに道すがら立ち寄って・・・なんて言ってられそうにもありませんね。

ところで、
>質問者さんのお祖父さんの家族もいつの世代かに山を降りたのかも知れません。

いろいろとお話を伺っていると可能性はあるかもしれませんね。

何故かと言えば、85歳になる私の叔母と83歳になる叔父がまだ記憶の薄い幼い頃、祖父の手に引かれて一緒に里帰りをしております。
そんな山奥の交通手段の不便なところに幼子2人をつれていこうと思ったでしょうか?

ただ叔母曰く「池田の町から山の中をずっと入っていった」ことは薄い記憶の中にあるようです。でもそんなに山奥なのか。。。?

いづれにしても夏休みに東祖谷は行ってみたいと思います。

いろいろとお時間を割いていただきありがとうございました。

しかし今更ながらインターネットってすごいですね。

お礼日時:2007/04/19 13:18

そちらの出身ではありませんが「地元的な感覚では近い場所」というのは、現在の感覚と江戸や明治の感覚ではかなり違いますので、あまり今の住民の感覚を信用しないほうが良いです。



一般的な話になりますが、例えば山岳部では、山は意外と住民交流の妨げにならずある程度の規模の河川の方が交流を隔てる事になるようです。しかし、下流・上流という川の流れの方向は、川自体を利用したり、川沿いに道がが出来ますので交流を促進する方向に働きます。同じ川の流域でも、山間部のある程度の規模を持つ渓流となりますと右岸と左岸では交流があまりないのだそうです。(以前、山間部の交通について調べていて知りました)

今ではさほど交流のない地域が、江戸や明治の頃は交流が盛んだったという事例は、全国的にはけっこうあります。有名なのは「ああ野麦峠」で有名な飛騨と信濃の交流ですね。

あくまでの地図での分析ですが(私自身旅行には何度も足を運んでますが)、池田は吉野川の右岸にあり、祖谷も右岸側ですから比較的交流はあったのではないかと思います。

ただ、喜多という苗字の方は、私の経験(関西育ちです)では、珍しいというほど少なくないので、苗字が同じだから池田と関連付けて考えるのは思い込みのレベルだと思いますし、苗字が同じだからと必ずしも親近感がわくとは限らないと思います。東京だからこそ、少なくてそう思う人が多いわけで、たぶん四国に行けばけっこうありふれた苗字かもしれません。
例えば石川県にもこういう文化財があります。
http://www.hodatsushimizu.jp/webapps/www/service …

池田などの四国の山岳部は平家の落人が多いことで知られ、特に東祖谷や西祖谷は有名です。
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この回答へのお礼

お礼の返事が遅くなりまして大変失礼いたしました。

私の祖父の出身地が徳島県の池田界隈であることは、私の父や親戚筋などから聞いていてほぼ間違いがないのです。決して思い込みからではありません。

私が知りたいのは「苗字」の由来のみだけでなく、戦前の交通手段もままならない時代、四国の山奥から東京へ単身出て行ったその祖父の若かりし頃の「思い」のようなものを感じ取りたいだけなのです。

池田からどのようなルートで本州へ渡りどのような交通手段で東京までたどりついたのか?当時の日本のインフラ状況を考えた場合、いまの私には想像すら付きません。。。大変なことです。

もしかしたら現代に置き換えたら、私が単身でアメリカのNYへ出て行って働くような感覚なのではないか(言いすぎかな?)とすら思ってしまいます。

わたしが今日この東京で何不自由せずに暮らせているのも、そういう祖先の「偉大なる一歩」から始まっているんだなあ、と考えずにはいられません。

ところで石川県の「喜多家」には数年前夫婦で訪れたことがあり、そこの当主の方ともお話させていただきました。その方の祖先は戦国時代前田家の重臣だったそうです。またその昔はやはり四国のご出身だったようで平家の落人伝説にも触れられておりました。

なにはともあれいろいろと教えていただきありがとうございました。

お礼日時:2007/04/19 13:00

奈良県民ですが、何かと言うとその周辺に出没する人間です。



東祖谷地区ですかぁ。物凄い山の中ですよ。池田から直線距離は近い
のですが、イメージとしては全く違う地域になります。

平家の落人集落とも言われていまして、歴史的にはかなり古い地域
らしいのですが、とにかく「山しかない」印象が強いですね。
谷も深く、かなり高い場所に耕地や住居があって独特な雰囲気です。
http://www.city-miyoshi.jp/kankou/higashiiya/25b …

一度は行ってみる価値はあると思いますが、何せ交通の便が物凄く
悪いところです。「ついでに」訪問するのでなく、一泊するつもりで
訪問されることをお勧めします。
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この回答へのお礼

有難うございました。

参考にさせていただきます。

お礼日時:2007/04/18 15:48

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