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「倫理学は、概念や命題の間に成り立つ形式的な関係を問うもので、概念や命題として表現される知識が、その実質的な内容である実在と、どのようなかかわりにあるのかは、論理学では問題とならない」

と哲学の入門書にあります。

「概念や命題の間に成り立つ」の「間」の意味、「~その実質的な内容である実在」とは何を指しているのか、分かりません。
倫理学に関しては素人ですので、上の文章の意味することを具体的に教えてください。

また論理学と哲学の違いなどの意味も教えていただけたらと思います。

A 回答 (5件)

>言葉の組み立て方の技術、その世界においてのみ真実を追究する


という表現にちょっと誤解がありそうな気がしたので、屋上屋を架します。

以下、非常に乱暴な喩えで恐縮ですが、論理学を代数学に喩えて
ご質問の文章を次のように書き直してみるとイメージが掴めるかも知れません。

「代数学は、値や数式の間に成り立つ形式的な関係を問うもので、値や数式として表現される知識が、その実質的な内容である現実と、どのようなかかわりにあるのかは、代数学では問題とならない」

先生 「ここにりんごが3つ、みかんがいくつかあります。」
生徒 「ありません!!」
というようなギャグ(?)が昔流行ったことがありました。

代数学の知識は、
「りんごが3つ、みかんがいくつかあって、その合計が10であれば、みかんが7つある」
ことを保証してくれます。
そして、その「形式的な関係」は、
3+x=10 ⇒ x=7
といった記号で表されます。

一方で、代数学で、
3+x=10 ⇒ x=7 と主張するとき、
「xという文字が、みかんの数を指すのかネコの数を指すのか、はたまた正方形の辺の長さを指すのか」
或いは、
x=7 という結論について、
「みかん…だかなんだかわからないが、それがはたして現実に7つ存在するのか?」
は「問題とならない」わけです。

同様に、論理学も、
・すべての警察官はЮШКである。
・Aさんは警察官である。
が正しければ、
・AさんはЮШКである。
も正しいということを保証しますし、その関係は例えば、
∀(x)(P(x)⇒Q(x)),P(a) ├ Q(a)
などと表記されます。

また、
・すべての警察官はЮШКである。
・AさんはЮШКである。
だから
・Aさんは警察官である。
と主張するのは、「x×y=10 ⇒ x=5」を主張するのと同じ意味で
「結論は正しいかもしれないが、論証としては無茶」
ということも教えてくれます。

しかし、
「ЮШКっていったいどういう概念よ?」
とか、
「ホントにAさんはЮШКなの??」
とかいった疑問については、
先のギャグにおける先生の反応と同じ反応を返すしかありません。
「そんなことは今問題ではありません!」

論理学は「その世界においてのみ真実を追究する」というよりも、
「論理学の外の世界において真実を追究する手段」について、
「その手段がまともかどうかを追求する」のです。

乱長文陳謝。
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#3さんの例を使ってさらに言うならば、


論理学では「Aさんは女性である。」と言う命題があったとき「女性」とは何か?といったことは全く問題にしません。

ですから「女性」を意味不明な単語「ЮШК」で置き換えて
1)すべての警察官はЮШКである。
2)Aさんは警察官である。
-------------------------------
よって、AさんはЮШКである。

としても全く問題ありません。
この推論から導かれた「AさんはЮШКである。」という結論を見たとき、では結局Aさんは何なのか?という疑問は論理学の扱うところではなく、具体的に警察官のことやAさんの事について調べて解釈するしか無いのです。
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この回答へのお礼

>「Aさんは女性である。」と言う命題があったとき「女性」とは何か?といったことは全く問題にしません。

なるほど。それは「哲学」の範疇ということですよね。言葉の組み立て方の技術、その世界においてのみ真実を追究するというわけですね。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/06/02 19:11

また、論理学と倫理学がミスタイプのようですが・・・。



哲学と言う言葉には、様々な要素があるので正確に定義するのは、
意見が分かれる所だと思いますが、仮に哲学は答えを追求する学問
だとした場合、その答えを求める上で組み立てたてられた論理が正しい
物かどうかを検証する為の共通の物差しとして使われるのが論理学だと
思います。

例えば、

1)すべての警察官は女性である。
2)Aさんは警察官である。
-------------------------------
よって、Aさんは女性である。

これは、誰が見ても何かおかしいと感じますが、論理学の世界では、
論理自体の間違いが無いかを検証する学問なので、1)と2)の前提が
正しい限り、結論は正しいと言う事になります。

要するに、論理学は文字通り論理の学問なので、前提が正しいのか
どうかは、関係無いと言う事ではないかと思います。

論理学にも色々な手法があるので、詳しくは本を読むのが良いと思い
ますが、一応、入り口としてはこんな感じではないでしょうか。
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この回答へのお礼

>論理学と倫理学がミスタイプのようですが・・・。

どうしてですか?倫理学「は」です。主語なので倫理学と明示しなければなりません。

というのはよしとして

>前提が正しいのかどうかは、関係無いと言う事ではないかと思います

わかります。合理的に理屈が通ればよいということですよね。やはり哲学は答えが出ないものをあれこれと考えること、その考えを伝えるための理論構築のための学問が「論理学」というわけですよね。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/06/02 19:09

どうも、こんにちわ。


倫理学は、タイピングのミスとして・・・。
論理学についてですが、私が思うには、要するに論理学とは哲学などの
議論を検証する為の共通の物差しと言った感じだと思います。

議論をする上で、曖昧な単語などを定義して明確にした上で、その
定義が正しい事を前提として、論理が正しいのかどうかを検証するも
のなので、その定義自体が本当に正しい物かどうかは、論理学にとって
はどうでも良いという事だと思います。

例えば、Aと言う言葉をBだと定義した場合、これを前提として論理
を検証する事が出きるが、Aが本当にBなのかは、論理学では関係無い
と言う事だと思います。

こんな感じでどうでしょうか?

概念や命題として表現される知識が、その実質的な内容である実在と、、、
とか言われると分かり難いですよね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

*すみません、訂正させていただきます。おっしゃるようにタイプミスで、本文冒頭の「倫理学」は「論理学」です。

>曖昧な単語などを定義して明確にした上で、その定義が正しい事を前提として、論理が正しいのかどうかを検証するもの



「概念や命題の間に成り立つ形式的な関係を問うもの」
ということなのですね?


「実質的:1 外見よりも実際の内容が充実しているさま。また、実質を重んじるさま。「―な景品」形式的」

「実在:
2 哲学で、
(1)意識から独立に客観的に存在するもの。
(2)生滅変転する現象の背後にあるとされる常住不変の実体。本体。」

と辞書にありますが、倫理学は言葉同士の戦いのようなもの?といっては分かりにくいでしょうが理屈(理論)のことですか?
哲学とは「実在」の(2)のことであり、例えば神の存在を問うなど形而上学的なことを示すのであり、倫理学は違う。それが「概念や命題として表現される知識が、その実質的な内容である実在と、どのようなかかわりにあるのかは、論理学では問題とならない」
ということと解釈してよいのでしょうか?

お礼日時:2007/05/26 11:30

わからん。

。。

>倫理学は、概念や命題の~
...
>倫理学に関しては素人ですので、~

この辺、論理学の typo って訳じゃないんだよね。
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