マンガでよめる痔のこと・薬のこと

中島敦の名人伝についてよく分からないことがあります。

まず、名人伝の舞台は趙の邯鄲の都ですが、この舞台が選ばれたのは何か理由があったのでしょうか。「邯鄲の夢」という故事成語(故事成句)がありますが、それと結びついていることはありますか。栄華を極めた邯鄲がはかなく崩れ去ったように、「真の名人は世の中に存在し得ない」とほのめかしているのでしょうか。

紀昌は、死ぬ一二年前に友人宅で、弓がなんであるか三回も尋ねますが、これに何か深い意味があるのでしょうか。いくら天下の名人とはいえ、死ぬ一二年前ともなれば、単にぼけてしまっただけなのではないでしょうか。
『木偶のごとき顔は更に表情を失い、語ることも稀となり、ついには呼吸の有無さえ疑われるに至った。「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐である。』
とあります。相当老い果てていたのではないでしょうか。それとも、普通に、弓の名も忘れるほど名人の域に達していたと解釈するべきなのでしょうか。

紀昌が天下の名人となったことを裏付けるものは、飛衛の言葉しかありませんが、紀昌は本当に不射の射を習得し、天下の名人となっていたのでしょうか。また、不射の射とはどんな意味が隠されているのでしょうか。

この「名人伝」という作品は、中島敦にとってどのようなもので、どんな意味を込めたものだったのでしょうか。


勉強不足で申し訳ありません。横暴な質問もあるかもしれませんが、どうぞ宜しくお願いします。

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A 回答 (3件)

> まず、名人伝の舞台は趙の邯鄲の都ですが、この舞台が選ばれたのは何か理由があったのでしょうか。



この作品には典拠があります。新潮文庫版『李陵・山月記』の瀬沼茂樹による巻末解説によると、『列子』湯問篇にある射術の師弟関係をもとに、さらに黄帝篇、仲尼篇で補強をしたもの、とされています。

わたしは『列子』は読んでないのですが、検索してみると、湯問篇にはどこにも「邯鄲」の文字はない。つまり、「邯鄲」という設定は中島敦がしたものである、と考えることができます。

ここで、質問者さんは「邯鄲の夢」をあげていらっしゃいますが、「邯鄲」には「邯鄲の歩み」という成句もあります。
http://www.geocities.jp/kurogo965/kotowaza3/page …
を見ると
「中国、燕の田舎者が、趙の都邯鄲の人々の洗練された歩き方を真似ようとして身に付かず、その上自分の歩き方を忘れて、腹這(はらば)って帰った。」
とあります。
これを見るとおもしろいことに気がつきます。
「歩み」では、田舎の人間が、歩き方を身につけようと、邯鄲に行く。
『名人伝』では邯鄲の人間が、射術を習おうと、山ごもりする。
つまり、表裏の位置関係にある。
おそらくこの「邯鄲」は偶然ではなく、この「邯鄲の歩み」から来たものでしょう(あくまでもわたしの解釈です)。

さて、「歩み」での「燕の田舎者」歩き方を忘れたように、『名人伝』で紀昌は弓を忘れます。これは同じことなのか、それとも表裏の関係にあるのか。
ここが読みの焦点となってきます。

紀昌は飛衛に学ぶ。
 ↓
飛衛から学ぶもののないほどに上達する。
 ↓
甘蠅のもとで学ぶ。
 ↓
山を下りてくる。

この流れから行くと、超人的な名手になっていなくてはなりません。
そうでなくては『名人伝』というタイトルにもそぐわない。
問題は「紀昌はほんとうに弓の名人になったのだろうか」ではなく、「どうしてこれが名人なんだろうか」です。

ふつう「技を身につける」というように、わたしたちは技術の習得を、いまある自分に何かをつけ加えていく、というメタファーを使って理解します。
けれど、はたしてそうなんだろうか。
ピアノを練習して、指がどんどん軽やかに思い通りに動くようになっていく。これは何かを身に「つけ」たから?
けれど、「軽やか」ということに注目すると、いらないものを取り払ったから、と考えることもできます。

技術や知識を「身につける」系の思想に対して、技術を高めていくために「いらないものを取り払う」系の思想というのも、古来からあるのです。非常に大ざっぱに言ってしまえば、「身につけ」系の思想が西洋思想、「取り払い」系の思想が東洋思想と言えるかもしれません。
たとえば「雑念を払う」みたいな言い方は、日常的にありますよね。

紀昌もある段階までは「身につけ」系の技術の磨き方をしていきます。
それがある段階を境に「取り払い」系に転換する。
そのターニングポイントはどこか。
これを見逃しちゃいけません。

> 弓? と老人は笑う。弓矢の要る中はまだ射之射じゃ。不射之射には、烏漆の弓も粛慎の矢もいらぬ。

甘蠅は弓も矢も使わず鳶を射落としてしまう。
何もかも取り払ったあげく、弓矢すらも必要なくなった。これぞ名人、というわけです。

さて、この甘蠅のもとで修行した紀昌、甘蠅から何を取り払うことができるのか。なにしろ甘蠅は弓矢すら持っていない。

そうなると、意識です。

「名人」が「名人」であるためには、誰かにそれを認めてもらわなくちゃなりません。
「名人」であることを求める限り、それを承認してくれる人をかならず必要とするのです。
けれど、ほんとうに「承認してくれる人」は必要なんだろうか。
ほんとうの名人というのは、承認してくれる人さえも必要ではないのではないか。

甘蠅には紀昌がいます。紀昌が、すごい技だと承認する。
つまり、徒手空拳の甘蠅にも、「持ち物」はあるのです。
だから、作者は紀昌から、さらにこの「承認」ということを取り払ってしまう。
取り払って、取り払って、残ったのはただのなんでもない老人です。
この老人には何も承認など必要ない。何かを証明して見せる必要もない。
だからこその「名人」なんです。

「邯鄲の歩み」がきれいにひっくり返った、と思うのですが。

この「取り払い」系の思想が現れた作品として、ほかにも鴎外の『寒山拾得』があります。
寒山も何も持っていません。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2545658.html
ここで引用している磯貝英夫の読解はこちらにも参考になるかと思います。

なお、「身につけ」系、「取り払い」系というのは、あくまでわたしの便宜的な用語であることをどうかお含みください。
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この回答へのお礼

丁寧な回答をありがとうございました。
「邯鄲の歩み」という言葉は知りませんでした。
取り払い系の技術の磨き方で、紀昌は名人になったのですね。

お礼日時:2007/06/23 11:06

中島敦の他の作品の多くは、ハッピーエンドではなく、悲しい終わり方をしていますが、この作品はそれほど不幸な終わり方ではありません。

何か特別な意味があるのでしょうか。

たまにはアンアッピーエンドの終わり方の話を書きたかったんではないですかね。

山月記や狼疾記などの作品は、主人公=中島敦である場合がありますが、この作品の場合は違うのでしょうか。

この場合は、独白のタイプではなくたんたんと語られるところは、冷静にモデルの話を膨らませたのではと思います。

まあ、私の回答はこんなものです。もっとよく解る人が書き込んでくれるとよいですね!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
それほど特別な意味はないのですね。中島敦の「名人伝」は、冷静に中国の古典を膨らませただけと考えればよいのですね。

お礼日時:2007/06/20 11:58

この辺が参考になりそうです。


http://www2.jimu.nagoya-u.ac.jp/kyudo/kantougens …

弓の名人では梅路見鸞を参考にしたんではないですかね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E8%B7%AF% …

残念なことに私では貴方の疑問にお答えできないので参考までに。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

補足で質問したいのですが、

中島敦の他の作品の多くは、ハッピーエンドではなく、悲しい終わり方をしていますが、この作品はそれほど不幸な終わり方ではありません。何か特別な意味があるのでしょうか。

山月記や狼疾記などの作品は、主人公=中島敦である場合がありますが、この作品の場合は違うのでしょうか。

お礼日時:2007/06/19 12:21

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Q中島敦作品の考察

私は学校の年間研究で中島敦を調べていて大好きになってしまったのですが、
『山月記』や『弟子』など有名な作品の考察サイトは沢山あるのに、『木乃伊』『かめれおん日記』などの考察サイトは少なくて困っています。
私は特に『木乃伊』に物凄く惹かれていて是非考察したいのに、力不足で参考となるものがないと太刀打ちできません。
惹かれてはいるものの、そこから何が読み取れるなどというのが分からない、上手く言葉に出来ないのです。
『悟浄出世』『悟浄歎異』『文字禍』も西遊記や歴史モノが好きなのでもっと深く知りたい、考えたいですし、
『環礁』『かめれおん日記』など自伝風の作品も深く読み込めればもっと彼のことを知れるのに、と思っています。

なので、ここに挙げたものでもそれ以外のどの作品でも構いませんので、
皆様の各作品についての考えや、こういったテーマで考えてみたらどうか?というご意見を頂けないでしょうか?
どんな小さな意見でも良いです。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

中島敦文学の魅力とは、幅広い題材と途方もなく現実的な非現実の描写であると感じます。
私は高校時代に彼の『山月記』に出会いましたが、当時は主人公の哀れなどまったく実感が湧きませんでした。
彼の作品は、年を経て読み返すにつけ、新たな発見と絶望がもたらされるように思います。

さて、本題ですが、ネットでの調べごとは、紙での調べごとと同様にどうしても限界があります。
ですから質問者様はぜひ、旧い書籍での考察をなさっては如何でしょうか。
『中島敦全集』はお手元にありますか。いまは通販で買えますね。

また、ご存知かと思いますが、千代田区神田の神保町古書街が近ければ、

・日本文学評論の本が多い「西秋書店」
・日本文学でないものがないのでは?という「八木書店 古書部」
・明治~昭和の初版本が豊富な「けやき書店」

など、彼の足跡を辿れる書店がたくさんありますから、ぜひお運び頂きたいものです。

神保町ナビ ⇒ http://navi.jimbou.info/index.html

ちなみに、私のもっとも好きな掌編は『狐憑』と『文字禍』です。
でも、数年ごとにマイベストは移り変わりますね。

ところで狂言師・野村萬斎さんの手がけた舞台「敦」はご覧になりましたか。
私は残念ながら行けなかったのですが、DVDになったら是非鑑賞しようと思っています。

「敦」 ⇒ http://www.theaterguide.co.jp/pressnews/2005/09/05.html

文学にはさまざまなアプローチが可能です。
どうぞ御自身での深読を経て、彼の描き出す幽にして美しい文学世界を、味わっていってください。

中島敦文学の魅力とは、幅広い題材と途方もなく現実的な非現実の描写であると感じます。
私は高校時代に彼の『山月記』に出会いましたが、当時は主人公の哀れなどまったく実感が湧きませんでした。
彼の作品は、年を経て読み返すにつけ、新たな発見と絶望がもたらされるように思います。

さて、本題ですが、ネットでの調べごとは、紙での調べごとと同様にどうしても限界があります。
ですから質問者様はぜひ、旧い書籍での考察をなさっては如何でしょうか。
『中島敦全集』はお手元にありますか。いまは通...続きを読む

Q老荘思想とはどんな思想ですか

老荘思想とはどんな思想ですか

バカでもわかるようにやわらかくお教えください。
例え話なんかも助かります。

Aベストアンサー

老荘思想とは、老子や荘子という人物によって創始された思想です。老子と荘子は別に知り合いでも何でもありませんが、考え方がほぼ同じなので両者の思想をひとまとめにして老荘思想と呼ばれています。蛇足ですが、荘子とされる人物は複数(少なくとも3人)おり、老子も含めそれぞれ生まれた時代が異なります。

孔子の儒教が「人はこう生きねばならぬ」「物事はこうでなくてはならぬ」というガチガチに固められた道徳体系であるのに対し、老荘思想は「物事の善し悪しなんて考え方次第なんだから、気楽にあるがままでいいんだよ」という自由奔放さが特徴です。

自然を崇拝し、無私無我を理想とし、自然にあるがままにいるのを善しとします。
世の中に絶対的なものや、絶対的な価値観など存在せず、すべては相対的であると考えます。

たとえば・・・
・長生きすることは良いことだとされていますが、長生きするということはそれだけたくさんつらい思いや恥ずかしい思いをすることでもあるので、必ずしも良いというわけではない。
・ある人が60歳で死んでしまったとする。60年という寿命は春に生まれ秋に死んでしまう虫に比べればとても長いが、800年生きた仙人から比べればとても短い。その仙人の寿命だって、1万年生きる亀に比べればとても短い。長い短いなんて何と比べるかによって変わるもので、長い短いを決める絶対的な尺度なんかない。
・美人は多くの人に好かれるので良いとされる。でも、美人は悪党にも好かれてしまうし、妬みを買うこともある。神様への生贄にされたり暴君へ献上されたりすることもある。美人であるということが良いこととは限らない。
・大きいけど脆いヒョウタンがあった。大きいからたくさん水が入るが、脆いのでたくさん水を入れると自重で割れてしまう。なので水を入れるためのヒョウタンなのに使い物にならないと捨てられた。でも、そんなヒョウタンでもたくさん集めてつなげて水に浮かせば筏の材料になる。役に立つ立たない、有用か無用かは使い方次第だ。
・仁や義は美徳とされているけど、ヤクザも仁義を大事にしている。戦争になれば仁や義を名分に虐殺が行われたりする。世の中の悪行の多くが仁義を名分に行われていることを考えると、仁や義も絶対的に良いものというわけではない。
・あるところに染物を生業にしている一族がいた。一族は染めた布を冷たい川の水に晒しているので、アカギレやシモヤケの薬を愛用していた。一族の一人は領主である武将に献上し、武将はその薬を大量生産して兵に配った。おかげで武将の軍勢は冬の寒さにも耐えて敵を圧倒し、勝利することができた。薬を献上したものは褒美をもらって豊かになったが、ほかの一族はそれまでどおりの生活を続けた。同じ薬でも使い方次第で成功することもできる。
・知識人は知識をたくさんため込むけど、その知識の多さゆえに常識にとらわれて何もできなくなってしまう。知識は大事だけど知識に閉じこもるのではなく、知識を超えなければ意味はない。
・本には知識がたくさん詰め込んである。でも何かをするコツとか経験とか、文字にできないものこそ本当に大事なのであって、どれだけ文章を読んでも言外の知を読み取れなければ結局何も学べない。だが、知識人は本をたくさん読んで知識をたくさんもって、何もできないのに知った風な気分になって尊大な態度をとる。読書人の読書知らず・・・

老荘思想とは、老子や荘子という人物によって創始された思想です。老子と荘子は別に知り合いでも何でもありませんが、考え方がほぼ同じなので両者の思想をひとまとめにして老荘思想と呼ばれています。蛇足ですが、荘子とされる人物は複数(少なくとも3人)おり、老子も含めそれぞれ生まれた時代が異なります。

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Qイタリア歌曲ドナウディのカタカナ読みを教えて

ドナウディのVaghissima sembianzaのカタカナ読みを教えて下さい

Vaghissima sembianza
d'antica donna amata,
chi,dunque,v'ha ritratta
con tanta simiglianza
ch'io guardo, e parlo, e credo
d'avervi a me davanti
come ai bei di d'amor?
La cara rimembra
che in cor mi s'edestata
si ardente v'ha gia fatta
rinascer la speranza
che un bacio, un voto, un grido
d'amore piu non chiedo
che a lei che muta e ognor

Aベストアンサー

初めまして。
カタカナ読み!?って、質問内容をそのままイタリア語で読むって事なのかな??

Vaghissima sembianza
 ヴァギッスィマ センビアンツァ
2列目
ダンティーカ ドンナ アマータ,
3列目
キ, ダンクェ,ヴァ’リトラッタ
4列目
コン タンタ スィミッリァンツァ
5列目
キーオ’ グァルド,エ パルロ,エ クレード
6列目
ダ’ヴェールヴィ ア メ ダヴァンティ
7列目
コーメ アイ ベイ ディ ダ’モール?
8列目
ラ カーラ リメンブラ
9列目
ケ イン コール ミ セ’デスタータ
10列目
スィ アルデンテ ヴァ’ ジャ ファッタ
11列目
リナスチェール ラ スペランツァ
12列目
ケ ウン バーチォ,ウン ヴォート,ウン グリード
13列目
ダ’モーレ ピュ` ノン キエード
14列目
ケ ア レイ ケ ムータ エ オグノール

ですね。
(´△`)

Q比較文学のレポートの書き方

レポートの書き方の本を数冊読んだのですが、余り理解できなかったので質問します
現在、比較文学のレポートを書いています
私は文学部に在学していますが専攻は言語学で(恥ずかしいことですが)文学に関するレポートを書いたことが殆どありません。なので比較文学のレポートの書き方(文学作品を扱ってのレポートの書き方)がわからず(現在、幾つか関連する本を読んではいますが)構成すら作れない状態です

そこでお聞きしたいのですが、比較文学のレポートを書く際の取組み順と、また注意すべき点は何でしょうか?
(比較する題材を明確にすることは勿論ですが)どのように比較していけばいいのでしょうか?
例えば私が扱うテーマは「文学作品に見る女性」ですが、時代の違う文学作品を読み、そこから見える歴史的背景と女性の比較するか、もしくは日本文学と他国文学で比較するか、どちらかの方法でレポートを書こうと思っています
その中で私がやっているのは
読む→気になる点(歴史的記述や女性観、女性の行動など)をチェック→それを書き出して比較→そこから見える違いを自分なりに記述
という感じなのですが、こんな手順で良いのか不安です

是非ご指導お願いいたします

レポートの書き方の本を数冊読んだのですが、余り理解できなかったので質問します
現在、比較文学のレポートを書いています
私は文学部に在学していますが専攻は言語学で(恥ずかしいことですが)文学に関するレポートを書いたことが殆どありません。なので比較文学のレポートの書き方(文学作品を扱ってのレポートの書き方)がわからず(現在、幾つか関連する本を読んではいますが)構成すら作れない状態です

そこでお聞きしたいのですが、比較文学のレポートを書く際の取組み順と、また注意すべき点は何で...続きを読む

Aベストアンサー

比較文学とは何か? 文学を比較するのです。ですのであなたのやり方は間違っておりません。とりあえず何かを比較していれば比較文学です。だって誰にも定義できないんだから。

ただ一言付け加えさせていただくと、違いを記述したところでよいレポートは書けません。実はそこがスタート地点です。簡単でよいので「なぜそのような違いが生じるのか」を分析し、判断を下すことで、レポートとして完成します。

例えば漱石の作品中の女性を取り出し、それを現代の作家の女性と比較してみる。違いは明確ですが、共通点だってあるはずです。そこで「なぜ?」を加えてみてください。逆に共通点を挙げて、違いを明確にし、「なぜ?」を考えてみてください。

Q分子結晶と共有結合の結晶の違いは?

分子結晶と共有結合の結晶の違いはなんでしょうか?
参考書を見たところ、共有結合の結晶は原子で出来ている
と書いてあったのですが、二酸化ケイ素も共有結合の
結晶ではないのですか?

Aベストアンサー

●分子結晶
分子からなる物質の結晶。
●共有結合の結晶
結晶をつくっている原子が共有結合で結びつき、
立体的に規則正しく配列した固体。
結晶全体を1つの大きな分子(巨大分子)とみることもできる。

堅苦しい説明で言うと、こうなりますね(^^;
確かにこの2つの違いは文章で説明されても分かりにくいと思います。

>共有結合の結晶は原子で出来ている
先ほども書いたように「原子で出来ている」わけではなく、
「原子が共有結合で結びついて配列」しているのです。
ですから二酸化ケイ素SiO2の場合も
Si原子とO原子が共有結合し、この結合が立体的に繰り返されて
共有結合の物質というものをつくっているのです。
参考書の表現が少しまずかったのですね。
tomasinoさんの言うとおり、二酸化ケイ素も共有結合の結晶の1つです。

下に共有結合の結晶として有名なものを挙げておきます。

●ダイヤモンドC
C原子の4個の価電子が次々に4個の他のC原子と共有結合して
正四面体状に次々と結合した立体構造を持つのです。
●黒鉛C
C原子の4個の価電子のうち3個が次々に他のC原子と共有結合して
正六角形の網目状平面構造をつくり、それが重なり合っています。
共有結合に使われていない残りの価電子は結晶内を動くことが可能なため、
黒鉛は電気伝導性があります。
(多分この2つは教科書にも載っているでしょう。)
●ケイ素Si
●炭化ケイ素SiC
●二酸化ケイ素SiO2

私の先生曰く、これだけ覚えていればいいそうです。
共有結合の結晶は特徴と例を覚えておけば大丈夫ですよ。
頑張って下さいね♪

●分子結晶
分子からなる物質の結晶。
●共有結合の結晶
結晶をつくっている原子が共有結合で結びつき、
立体的に規則正しく配列した固体。
結晶全体を1つの大きな分子(巨大分子)とみることもできる。

堅苦しい説明で言うと、こうなりますね(^^;
確かにこの2つの違いは文章で説明されても分かりにくいと思います。

>共有結合の結晶は原子で出来ている
先ほども書いたように「原子で出来ている」わけではなく、
「原子が共有結合で結びついて配列」しているのです。
ですから二酸化ケイ素Si...続きを読む

Q叫び声などのスペル

英語の叫び声を文字で表したら、Ahhhhhhhh、Oh、など、他にどんなものがありますか?! 日本語で言う、ぎょえ~、あ”とか、驚いてはっとした、の"はっ"、それから例えば、階段から落ちて頭を打った時、頭をおさえながら、うぅっ って言ったりする時の"音声の英語のスペル"が知りたいです。

これらの感情を声に出して表す英語(?)のスペルを、知ってるだけ教えてください!!

Aベストアンサー

onomatopoeia(擬音語)
interjection(int.間投詞・感嘆詞)

などとですネ。


Onomatopoeia Examples - Word List (100 語以上)
 http://teenwriting.about.com/library/blank/blstory1459.htm

 bang バン・ガン(とたたく)、(ドアなどが)バタン(と閉まる)
 bonk バン・ガン・ゴツン・ボイーン(と打つ・たたく・なぐる・ぶつかる)
 bong ボーン・ゴーン(鐘・ゴング・呼び鈴などの音)ゴツン・ボカッ
 boom ドカーン(と鳴る音)、ブーン(と鳴く声)
 bop  ボカッ
 bump ドン・バタン・ドスン・ゴツン(衝突の音)
 burp ゲホッ(ゲップ=belch)
 buzz ブンブン・ジージー(ハチ・機械など)
 brrr ブルブルッ(寒さ・恐れ)
 …  …
 whoop オー・ワーッ・ ワーイ(という叫び声)
 wow  ワーッ・ウォー・ウハーッ・ワー(すげえ)
 yahoo イャッホー・ヒャッホー・ワーイ(興奮・歓喜)
 yank グイッ・グーッ(急に引き揚げる)
 zap  バッ・ビビッ(一撃を加える)
 zip  ビュッ・ビッ・ピッ(弾丸の音や布を裂く音)
 

参考URL:http://teenwriting.about.com/library/blank/blstory1459.htm

onomatopoeia(擬音語)
interjection(int.間投詞・感嘆詞)

などとですネ。


Onomatopoeia Examples - Word List (100 語以上)
 http://teenwriting.about.com/library/blank/blstory1459.htm

 bang バン・ガン(とたたく)、(ドアなどが)バタン(と閉まる)
 bonk バン・ガン・ゴツン・ボイーン(と打つ・たたく・なぐる・ぶつかる)
 bong ボーン・ゴーン(鐘・ゴング・呼び鈴などの音)ゴツン・ボカッ
 boom ドカーン(と鳴る音)、ブーン(と鳴く声)
 bop  ボカッ
 bump ドン・バタン・ドス...続きを読む

Q日本史Aと日本史Bの違いについて教えてください。

こんにちは、疑問なのですがセンター試験の日本史Aと日本史Bとはどのような違いがあるのでしょうか?
ちょっと気になって調べてみたのですが、ほとんど日本史Bの事しか載っていませんでした。

二つの教科の違いや、選択時の有利不利などを教えてください。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 日本史Aと日本史Bの違いは、高校での単位数の違いと、教科書で学習する内容の対象が若干違うことです。

 日本史Aは、単位数が2単位など。単位の少ない時間で取り扱う科目です。教科書の内容も近現代史~の内容をメインとした教科書の構成となっています。日本史Bの場合は、大体4単位で、教科書の構成が古代史~スタートし歴史全体の内容を取り扱うものです。

 日本史Aでは、大体どの時代も勉強すると思いますが、教科書の構成上「近現代史」に特化した取扱になっています。また、日本史Bでは、古代史からスタートするので日本史Aの教科書より内容的に若干難しい内容も取り扱います。

 したがって、単位数の違いにより、日本史Aと日本史Bの教科書を使い分けていることです。主に、日本史Aは、職業科の学校で使われています。

 農業高校・商業高校・工業高校など普通科以外の学校で日本史Aの教科書を採択しているケースが多いです。普通科の高校でも日本史Aで近現代をやって、日本史Bで古代から江戸まで勉強して、受験するときは日本史Bで受験するというケースも見られます。

 つまり、日本史Aでは、教科書の構成上、近現代史がメインになりますが、日本史Bでは、古代史からスタートして現代史まで扱うという幅広内容になるということになります。そういうことから、日本史Aで勉強したいようで、勉強していないところ古代史~江戸時代の内容に関しては自力で勉強することが求められます。

 【大学受験での日本史選択】
(1)センター+私大(日本史で受験)する場合
 →「日本史B」を選択
(2)センターのみの場合(日本史A・B両方選択可で2次試験で日本史を必要としない学部学科を受験の場合)
 →「日本史A」を選択(学習時間が少なくてすむ)

 ※私大受験を考えていて、日本史で受験を考えているのであれば「日本史B」を選択するのが無難です。リクルートの進学サイトのURLを載せておくので受験科目の選択に参考にして見てください。

 何らかの参考にならば幸いです♪

参考URL:http://www.shingakunet.com/cgi-bin/shingakunet.cgi

 日本史Aと日本史Bの違いは、高校での単位数の違いと、教科書で学習する内容の対象が若干違うことです。

 日本史Aは、単位数が2単位など。単位の少ない時間で取り扱う科目です。教科書の内容も近現代史~の内容をメインとした教科書の構成となっています。日本史Bの場合は、大体4単位で、教科書の構成が古代史~スタートし歴史全体の内容を取り扱うものです。

 日本史Aでは、大体どの時代も勉強すると思いますが、教科書の構成上「近現代史」に特化した取扱になっています。また、日本史Bでは、古...続きを読む

Q脇毛や、股間付け根の毛に白い妙な物質がこびりついている。

脇毛や、股間付け根の毛、つまりいつでも湿り気を帯びているような部位の毛に、
白い妙な物質がこびりついています。毎日風呂に入って、爪でこそげ落としたり、
石鹸やシャンプーしたりするのですが、全く落ちません。取れません。
むしろ、風呂上りの方が白さを増しているような気がし、そこから推測するに、
「水に触れて分離する=皮脂?油脂?みたいなもの?」かと。

以前はワキガなどなかったのですが、半年くらい前からこの白いヤツらが出現し、
それ以降、たまに小憎たらしいスメルを発してます。これからの夏が不安です。
忙しく、2日ほど泊まりで仕事をしているときにふと見てみたら、
脇がびっしり真っ白に汚染されていて、驚愕したこともあります。
ちなみに痛くも、痒くもありませんし、制汗スプレー等は効果が見られませんでした。

この白いつら、いったい何なんでしょうか?
原因、落とし方、または同じ境遇の方いらっしゃったら、お教え下さい。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

■ご推察は近いものです。この白い付着物は体毛の脂腺から分泌される脂肪分がこびりついたものです。というより、ワキガの原因となる皮膚細菌がその脂肪分を分解した産物です。

■かなり強くこびりついているのでなかなかとれません。

■対処方法は、お湯によくつかってふやかしてから(湯に入る前に洗ってもほとんどとれません)、もう一度よく石鹸で洗います。これを根気よく繰り返していきます。風呂上りにはベビーパウダーをつけてすぐに乾燥させます。

■制汗スプレーは臭いだけをとる「その場しのぎ」ですのでこの対処をしているとだんだんこびりつきがひどくなってきます。

■なぜ、以前にはなかったのがでてきたか、と申しますと、「歳をとってきたから」です。体が中年になってきて歳をとると分泌される脂肪の組成が変わってきて、細菌の繁殖に適したものになるからです。

Qレポートの書き方で困っている事があります。アドバイスをお願い致します。

今、大学は夏季休業中で課題の一つとして出されているので困っている事があります。
『比較文学』と言う講義でレポートが出されているんですが(この講義はその名の通り二人の作家を比較するモノ)このレポートを書く際に内容をそのまま書かない事を教授から言われています。(文字数は3000文字程度です)その理由にこの教授は年配者なのでその内容を良く知っているから書いても意味がないからです。
この場合、どうゆう事をレポートに書けば良いでしょうか?
例えば、感想、女性ならではの書き方・男性ならではの書き方、小説系・文学系が妥当でしょうか?
この他にも「これを書いておくと良いと思う!」と言うモノがあれば教えて下さい!
一方、「これは書かない方が良いと思う」と言うモノがもしあればそちらの方もご指摘お願いします。

Aベストアンサー

「内容をそのまま書かない」というのは講義の内容や、作家のことについての説明だけをしてはいけないという意味ですね。

だとすると、レポートとしては、自分なりの観点、ものの見方で、二人を比較することが求められています。
(一般的に、レポートとはそういうものですが)

その時に、二人に関する事実(内容に相当する)を挙げること自体は構わないと思います。

ただ、挙げた後に、その事実、共通点や相違点に対して,自分はどのような解釈を与えるか、どう考えるか、という記述が求められます。

ですから、「事実(共通点、相違点)を述べる→解釈を与える」というのを1つのパターンとして、
このパターンを集めて、全体として1つにまとまるように構成するのが良いかと思います。

Q四次元というのはどんな世界ですか?

そもそも我々の住んでいる世界は三次元ですか、四次元ですか?
三次元の世界とは縦横高さのある空間の世界だと思います。
これに時間の概念を足せば四次元になるのでしょうか?
我々の世界にも時間があるので、四次元といってもいいのでしょうか?
それとも四次元とは時間とは無関係の世界なのでしょうか?
あるいは時間と空間を自由に行き来できるのが四次元なのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>そもそも我々の住んでいる世界は三次元ですか、四次元ですか?

4次元であると考えると都合がいいというのが
現段階の結論です。

 100年ほど前、スイスのチューリッヒ工科大学
のミンコフスキー教授が物理学的な4次元の理論というのを
考えました。物理的な計算をするのに、縦、横、高さ
方向以外にもう1つ方向があるとして計算すると
うまく計算できることがあるというもので、
彼の教え子の一人が、4次元時空の理論と
して有名な相対性理論を完成させた、アルバート・
アインシュタインでした。
 彼は、リーマンという数学者が作った、
曲がった空間の幾何学(現在リーマン
幾何学と呼ばれています)を使い、4次元の
空間が歪むという状態と、重力や光の運動を
あわせて説明したんです。これが相対性理論。

>これに時間の概念を足せば四次元になるのでしょうか?

 物理学的にはそうです。

 相対性理論の話に関連付けて説明するとこんな感じです。
例えば、下敷きの板のような平面的なもの(数学的には
これを2次元空間と言ったりします)を曲げると
いう動作を考えてみて下さい。下敷きに絵が書いて
あったとして、曲げながらそれを真上から見て
いると、絵は歪んで見えます。平面的に見て
いても下敷きという2次元空間が歪んでいる
ことが感じ取れます。
 2次元的(縦と横しかない)な存在である下敷きが
歪むには、それ以外の方向(この場合だと高さ方向
ですが)が必要です。

 19世紀に、電気や磁気の研究をしていた学者たちが、
今は小学校でもやる砂鉄の実験(紙の上に砂鉄をばら撒いて
下から磁石をあてると、砂鉄が模様を描くというやつです)
を電磁石でやっていたときに、これは空間の歪みが
原因ではないかと直感したんです。
 電磁石の強さを変えると、砂鉄の模様が変化します。
これを砂鉄が動いたと考えず、砂鉄が存在して
いる空間の歪みが変化したのでは?と考えたんです。

 3次元の空間がもう1つ別な方向に曲がる。
その方向とは時間という方向だということを
証明したのが、相対性理論だったんです。


>あるいは時間と空間を自由に行き来できるのが四次元なのでしょうか?

 4つ目の方向である時間は、存在していても
その方向に、人間が自由には移動する方法は
現在ありません。時間方向を自由に動ける機械と
いうのは、タイムマシーンのことなんですが。

 日常生活を考えてみたとき、縦、横といった
方向は割りと自由に動けます。1時間ちょっと
歩けば4kmくらい楽に移動できますが、
道路の真中で、ここから高さ方向に
4km移動しろと言われたら、人力だけでは
まず無理でしょう。
 飛行機やロケットといった道具が必要と
なります。
 時間方向というのは、このように存在していても
現在のところ自由に移動できない方向なんです。

 例えば、人間がエレベーターの床のような
平面的な世界に生きているとしましょう。

 この場合、高さ方向を時間と考えて下さい。

 エレベーターは勝手に下降しているんです。
この状態が、人間の運動と関係なく、時間が
経過していく仕組みです。

 人間もほんの少し、ジャンプして高さ
方向の移動に変化をつけることができます。

 同様に時間もほんの少しなら変化をつける
ことができます。

 エレベーターの中で、ジャンプすると
ほんの少し下降を遅らせることができる
ように、時間もほんの少し遅らせることは
できるんです。




 

>そもそも我々の住んでいる世界は三次元ですか、四次元ですか?

4次元であると考えると都合がいいというのが
現段階の結論です。

 100年ほど前、スイスのチューリッヒ工科大学
のミンコフスキー教授が物理学的な4次元の理論というのを
考えました。物理的な計算をするのに、縦、横、高さ
方向以外にもう1つ方向があるとして計算すると
うまく計算できることがあるというもので、
彼の教え子の一人が、4次元時空の理論と
して有名な相対性理論を完成させた、アルバート・
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