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例えば、アンパンマンを善、ばいきんまんを悪とした場合、この仮定は
本当に成り立つと思いますか?ばいきんまんは、自分の利益のために人に悪いことをしますが、アンパンマンは人を守って、ばいきんまんを退治してくれます。しかし、これには落とし穴があると思うのです。アンパンマンは、アンパンチすなわちパンチをすることでばいきんまんを吹き飛ばして退治してしまうのです。つまり、ばいきんまんはアンパンマンに暴力を振るわれるのです。この場合の暴力は善として見ていいのですか?また、少し前にイラク戦争がありましたが、この場合、戦争をしかけたブッシュが善、戦争されたフセインが悪としていいでしょうか?
大量破壊兵器は見つかりませんでしたが。アンパンマンでもブッシュさんでもいいので、悪と善の関係について教えていただければ幸いです。

A 回答 (13件中1~10件)

種々の行動は個別に善と悪の判断をされるので、トータルで見て善と言われたり、悪といわれたりしますね。


その判断として絶対的な善と絶対的な悪という定義や、世間的な善と悪なども存在します。
絶対的な悪というと、人に迷惑をかけることなどですので、ばいきんまんは悪ですね。人助けなどは絶対的な善なのですが、その方法が世間的に悪とされる暴力なので、これが説得で改心させるなどの方法であれば、完全にあんぱんまんも善になるのでしょう・・・。

アメリカが戦争を仕掛けた理由は基本的には他国に悪さをするイラクを懲らしめるというものですが、方法は戦争でした。
一般的に戦争は暴力ですので、非難もされます。
つまり一つの行動の理由と手段が相反する2つの評価を受けます。
※リアルな背景は無視して書いてますので、悪しからず。

つまり全ての意思を持った行動には複数の側面があり、それは個々に善悪を判断される可能性もあります。
ですので、彼は善で、彼は悪です、のように一概に表現するのは厳密にはオカシイのですが、
なんらかの意思を持って実行された事が多く共感を得られた(多くの人が善だと思う)場合に、それは善と言われ、そうではない場合が悪だと言われるのだと思います。
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人は絶対を認識できない。

 
というのも人間の特徴です。

何故イラク戦争をアメリカが始めたのかは、絶対を認識できないし、決定もできないとても限りのある私から見える風景ですが、、、、

アメリカの衰退を免れるには資源が必要です。
アメリカは石油が取れますが、十分国力を維持するには全然足らない。

サウジの王室と親密になり石油を輸入していたわけですが、サウジの方もどんどん値段を吊り上げてきた。
高い石油を買い続けることは、それだけアメリカの経済を圧迫していき、経済が停滞するばかりか麻痺しだす。
なによりアメリカ国民が政府に対して「なんとかしろ」と生活苦を訴えだし、自分達を支持しなくなってしまう危険がある。

国民の支持を得るためには国民と一致団結してあることをする必要があった。

第二の埋蔵量を持つイラクを国民と一致団結して乗っ取る というもの。

だけど、「のっとりましょう」と国民に行っても「そんな悪事できません」と協力してもらえない。

ではどうすればいいか。
パパブッシュの時代にイラクに核兵器の製造情報を流しておく。
そして計画にのっとってその数年後、子ブッシュがそれをネタにイラクを襲撃する。
「もっているはずだ」と強く言い張れた理由は、なによりパパがやっていたことをパパから教えてもらっていたから。

その通り。
パパブッシュから情報をもらっており、イラクは核兵器を作っていた。
だが、湾岸戦争で「石油問題でクエートに制裁を与えようと思いますが、ここでクエートに侵攻したとしたら アメリカはどのように動きますか?」と打診したところ、アメリカは「同種族同士の争いには不介入です」と答えた。
それで、イラクはクエートに制裁を加えた。
だが、なんと「不介入です」と言ったイラクが「正義の鉄建だ」と叫び、イラク兵をたちまち鎮圧してしまい、油田を破壊し海に流し、今回のこととは関係の全く無いイギリスで起きたタンカーの映像をもってきて、「イラクはこんなことまでしました。 100年は海は綺麗になりません。」など自分達がやった工作をイラクのせいにした。

イラクはここでアメリカが二枚舌を使うということを知ったわけです。

これじゃ 今後 アメリカはイラクに対してどういうことをするかわからない。
核兵器の製造方法を教えた理由も何かある と気づき核兵器を捨てた。


イラクが気づいたことを知らないアメリカは「イラクは核兵器を持っている」と言い張る。
やっぱり・・・・・・・。
10年以上前から計画されていた乗っ取りが開始された。

「イラク国民による当たらし政府を作ります」と言うが、そのイラク国民代表者はアメリカの息がかかった人たちばかり。
実質 アメリカ政府によるイラク政府です。


アンパンマンよりばいきんマンの方が子供達に人気がある。

ばいきんマン 名前はよくないが、菌が悪かというとそうじゃない。
善玉菌 悪玉菌。 悪玉菌も無いと人間の健康は維持できない。

両者がバランスよく存在してこそ、人間は生命を維持できているわけです。

子供に清潔状態をキープさせると、子供は抗体を作れず、人がかかっても殺せる菌も殺せず感染して発病してしまう。
弱い子供、生命力が小さい子供に育ってしまうわけです。

ということでバランスを欠くと人は病気になる。

アメリカはあんぱんマンなのか ばい菌マンなのか。

私から見ると悪者はアメリカ。

ところがアメリカは世界の中枢 つまり心臓部分の役割をもつまでになっている。
だから アメリカ経済が衰退すると 他の器官も弱ってしまう。
それじゃ 困るということで、各国もイラクに泣いてもらうしかないと アメリカを応援した。
日本もそう。
日本も悪者。


あくまで絶対を認識できない私の目から見たものですが。
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善と悪の関係については 出来るかぎりに事実について調べ 全情報を公開し 皆で知恵を出し合って 判断するということだと思います。



前のお二人の回答にわたしなりに補足させていただくかたちで 上の結論の根拠を次のように考えます。(すでに回答したもので 抽象的ですが)。

まづ 《絶対》の問題だと思います。

人間は 絶対の存在ではないという意味です。

そうすると 人間が《絶対》に対してどういう関係にあるかという問題になります。

絶対とは 人間が考えても 分からないことです。分かるか分からないかが 分からないことがらです。

したがって それに対する人間の態度は 《考える》以外の精神および身体のあり方ということになります。一般にこの態度を 《信じる》と言います。

従って 《絶対》に対する人間の関係としての《信じる》には その絶対の存在を《信じる》場合と《信じない つまり 信じないと信じる》場合とがあります。

仮りに《絶対》を《神》と表わすなら 有神論と無神論とです。どちらも じつは 信仰なのです。神は存在すると信じる場合と 存在しないと信じる場合とです。

そこで 善悪の問題は つぎのように考えられます。

絶対の存在 もしくは 絶対との関係にある人間の存在 これを善と規定することから始まります。生命のことと言ってもよいはづです。

したがって 存在あるいは生命 これを保持し――主観的にせよ――良く保つことは 善です。人間の社会的な行為なり人間どうしの関係なり そのような領域においても 互いの存在と生命とその保持・向上となることは 善です。

ところで 人間は 相対的で時間的にして有限な存在です。精神・知性にも 限りがあります。したがって この上に見た《善》という事柄を まちがって捉えることもあれば その善じたいを わざと 失おうとすることさえありえます。

《善》が欠けた状態 これが 《悪》です。《悪》が初めにあるのではなく はじめの存在とその能力などを まちがって使ったり 捨てたりすることが 悪だと考えられます。絶対の善ではないから そのようなまちがいが生じます。

・・・したがって まちがいを犯しうるわたしたち人間は 一人ひとりの存在に信頼をおき 互いにその知恵と能力にもとづいて 議論をつくし 善悪を見分けていく必要があります。そういう思想と社会のあり方としての民主主義という歴史の段階に至っています。

実際には 多数決という味気ない結果を招くことがあるでしょうし あるいは 悪と見なした事柄に対しては 止むを得ず その悪にかかわる存在をも抹殺するという手段(つまり最大の悪)によっても おおやけの善を守るという行動を起こすこともあると されて来ました。さて 今後は いかがなるでしょう・・・?
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ここでは意識と道徳性の関係の幾ばくかを取り上げてみるだけにしよう。

既に1871年にダーウィンは『人類の起源』の中で、道徳的生物は自らの行動について省察し、評価することができねばならないと述べている。彼の意見では、空腹や情欲などの短期的な欲望は、長期的な価値観によって抑えねばならない。ダーウィンは予期計画者が直面するジレンマを認識していた。将来の様々な必要を見越せる人間の能力は、二種類の複雑な状況に至る。まず、将来の様々な可能性を考えねばならないので選択肢の数がずっと増えてしまう。第二に、自らの選択について省察することができるので異なった種類の評価を互いに比較検討するということである。これら二つの複雑さは選択者に大きな不確かさをもたらす──甚だしい場合は存在上の不安を。この不安を緩和するために、人間には選ぶ際の手引きとなる原理が必要になる。
興味深いことに、ダーウィンは道徳性、すなわち自らの行動を省察し判断する能力を、進化の結果だと考えている。この考えは、殆どの人が道徳的な導きを得るのに宗教的な教理に頼っていた時代にあっては革命的であった。道徳は神によって与えられたものと見られていたからである。
道徳の原理は分離型の価値観であるといってもよい。動物も様々な目標──必要や欲求──を持ちうるし、それを満たそうとする意志も持ちうる。しかし、目標の分離型の表象を持てないので、その目的を達成したいのかどうかについてはハッキリした態度をとることができない。集団で暮らす動物は、ある種の社会的な規則、とりわけ集団内の序列に関する規則に従っている。しかしながら、それらの規則は個体にとって分離型の表象としては存在していない。動物は規則に気付かずに従っているからである。
ピアジェの主張によると、子供の道徳的価値観は、親や権威者に従うことからくるのではなく、他者に感情移入できる能力、すなわち他者の状況に自らをおくことができる能力からくるのだという。そのような役割の交換は、子供が他者の感情という概念をもっていることを前提としている。しかし、これだけでは道徳が生まれるには十分ではない。私が貴方に対して単に感情移入するだけでなく道徳的であろうとするなら、私は意識的な選択をしなくてはならない──つまり私の目標の分離型の表象をもち、それを他の可能な目標と比較できなくてはならない。従って、道徳的であるためには、自己意識と自由意志とをもっている必要がある。マーク?トウェインは、「人間は唯一顔を赤らめる動物、そうする必要がある動物である」と言っている。
道徳的な選択は個人的なものでありうる。しかし、我々が、他の誰かが同じ状況をいかに経験するかを省察することで、成すべきことを決断したのなら、他者が同じことをすると期待するのは自然なことである。従って、我々は言語を用いて、他者がすべきだと思うことをさせる。予期計画力に関する私の議論では、人間のジレンマに焦点をおいた。これは「自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからだ」という使徒パウロの言葉がその一例である。道徳的な規則は、長期的で全体的な目標を、今現在の自己中心的な欲求との格闘の中で支えていくために必要である。社会はそのような規則を、法律や宗教的教令としてハッキリ打ち出すことで成り立っているのである。
長期的な目標のために協力するか、今したい気分のことをするのかの選択は、しばしばゲーム理論では「囚人のジレンマ」と呼ばれる葛藤につながる。囚人のジレンマは、全員が協力すると全員が利益をうるが、自分以外の全てが協力する状況では、一人だけ利己的になって協力しないとより利益をうる。しかし、誰も協力しないと、結果は全員にとって最悪なものとなる。
経済学者ロバート?フランクは、恥や愛などの感情と信頼や誠実さなどの社会的価値は、囚人のジレンマにおける短期的な利益をうることを避けるために、進化の過程を経て生まれてきたと論じている。例えば、税金を払わないなどの、他人に対してズルをすることで得をしようとするなら、その結果としての恥のために得がさほどのものに感じられなくなり、次からはそのような詐欺的行為は避けるようになるであろう、ということだ。感情が我々に、短期であれ協調することに利があるということを経験させるのである。
社会生物学者は、遺伝子はそもそも利己的で、できるだけ多く再生産しようとする、と言っている。とすると、自分の子供や親戚に対しては時には利他的であるべきだ、ということになる。自分の遺伝子の再生産を促進するわけだからである。
多くの形態の利他的行為は、長期にわたる主体な関わりを必要とする。利己的でない者の戦略は、信用を築き上げるために、短期的な自分本位の選択をしないでおく、というものだ。信用は、将来の様々な協力関係に発展するだろうし、それは一時の儲けよりも価値のあるものとなるからだ。そのような戦略は、通常は意識的な選択ではない。言い換えると、人は自分の評価を気にするために利己的ではなくなる、というこだ。良い評価が得られれば、将来に利益があるかもしれない。つまり短期的に利己的でないのは、長期的に利己的なのである。
こうした、信用が通貨である、というような投資モデルをもとに考えると、日常の良識的振る舞いの合理的な説明が得られる。しかし、注意すべきことは、この議論は二つの前提に基づいている。一つは、予期計画力で既に今、将来の選択の状況のために計画しているのである。利己的な短期の選択の価値と、将来の協調から得られるかもしれない利益とを比べることができなければならない。動物は今に生きていて、良識的振る舞いの戦略に必要とされる予期をうまく扱うことができない。同様に、小さな子供は先のことを考えるのが難しく、可愛い盛りに大いなる利己主義なのである。
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No.3です。

No.4の方の回答の中の 

《「自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからだ」という使徒パウロの言葉》

に触れて さらに補足をさせていただきます。問題は一つに

《善いことをしようという意志はありますが それを実行することができないからです。》(ローマ書7:18)

とも別の言葉であるように 基本的に言って 自分の意志も判断も 《善》に軍配を挙げているということ この事態を踏まえてのことだと思われます。

これは 損得だけで判断しているとは 必ずしも思われない。逆に 利害関係からのみ判断することは 《憎んでいること》のほうだと言っていると採っていいでしょう。

二つ目には なるほど《神の律法》(同7:22)などと言って 《道徳的な規則》と採れる言葉を用いていますが だとしても パウロ自身は この道徳原則によって 救われるとも 自己の行ないを律するとも 言っていないことです。むしろ《キリスト・イエス / 生命をもたらす霊の法則 》を持ち出して 《神がかり》に傾き それによって《解放》されたと言います(同8:1など)。

三つ目に だからと言って――つまり《解放》が成ったからと言って―― その結果 《したいと思うこと》を意志の力でできるようになるかどうかは あくまで主観的なことがらなのですが いま仮りに そう出来たとした場合を考えてみます。

しかもその場合でも その《善》なる行為は 《利他的》であるかどうかは にわかには分からないということが論点だと考えます。

その心は 自己の生命の保持や存在の状態の向上が善である〔という想定な〕わけですから これは 言ってみれば 利己的なことだとも言わなければならないというところにあります。部分的には そういう事実が伴なわれていて 全体として見ても 利己・利他の区別つまりは道徳律とは あくまで また まったく 別の尺度で行動しているということだと思われるのです。

繰り返しになりますが 第三点は こうです。自分がしたいと思うことを仮りに自分の意志の力で為し得たとした場合 この場合にも――それは主観としては善だと主張しているわけですが それにもかかわらず―― 道徳規則にのっとって倫理的に善であるとされるところの善を意識的に選んで そうするわけのものではない これです。

(重なる場合は あると思いますが おそらく実際には 一般通念としての道徳に逆らってでも 自己の善を主張しつらぬくと言ってよいのではないでしょうか。その意味での利己に基づかない利他はないというふうに 平俗には言えると思います)。

このようにNo.3の文章を補わせていただきました。 
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質問者さんは、「アンパンマンとばいきんまん」、「ブッシュとフセイン」という象徴的な例を挙げることで、分かり易い説明を求められているのかと思います。


しかし、「複雑な事柄」については枝葉末節を省いて分かり易く説明することは可能ですが、ご質問の内容は、「単純だが奥の深い事柄」に属します。
こういう事柄は、無理に分かり易く説明したとしても、その説明自体に対しても多様な解釈が出来てしまい、結局本質は理解できません。
ご質問の回答は質問者さん自身が時間をかけて深く考えて少しずつ形作っていく性質のものかと思います。
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sachitadaさんコンバンワ。


あなたがお感じになられた善悪の矛盾は、
誰もが人生の様々な場面で感じることだと思います。

 善、是(正しい)、勝ち、幸 、成功、得、若、健康、生、富、好き
 悪、非(誤り)、 負け、不幸、失敗、損、老、病気、死、貧、嫌い

・・・と数え上げればキリがありませんが、
人類の文化は、このような相対的な価値観によって発展しているのが事実です。
しかしこの価値観の落とし穴は、あなたもお気づきの通り「自分の都合に合うか?合わぬか?」という、
(1)相手から見れば全く逆の「物差し」になってしまう
(2)「悪」だと思い込んでいる縁に遭えば悩ましい
   (遭わない人はいない)
等の生き詰まりが生じます。
ですからこの文化と共に、宗教や哲学を聴き開く時間を作ることで精神の調和が保たれてきたのだと解釈しています。

ちなみに私の師事する親鸞の言葉に、
「弥陀の本願には、老少(若)・善悪のひとをえらばれず」と、あります。
もし興味をお持ちであれば、
今月の17日(火)18日(水)朝4:05~4:50
NHKラジオ第一(またはFM)「深夜宅急便~こころの時代」をお聞き下さい。
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海で遭難しました。

遭難者は自分を含め3人です。2人乗りのボートが残されました。3人乗れば沈んでしまいます。選択肢は(1)争って勝ったものがボートに乗る。(2)全員が海に沈む。(3)相談又は共謀して2人がボートに乗る。この三通りが想定されます。

どの方法をとっても1人溺れて死んでしまいます。他人を殺さないためには自分が死ぬしかありません。自分が生き残ったとしても法律では緊急避難として罰を受ける対象ではありません。アンパンマンの場合はおおかたは正当防衛と呼ばれる行為だと思います。しかし、ここでは倫理上のことが問われており、その地域の道徳のあり方により社会から別に罰を受ける可能性があります。何が善であり何が悪であるかはその社会が持つ文化であるとも考えられます。

一方、苦痛を伴う末期の患者に死期を早めると知りながら苦痛を緩和する薬品を投与することは善いことなのか悪いことなのか、それは状況により判断するしかないと考えます。固定的な善悪、あるいは固定的な善人悪人があるとは考えません。判断基準がきわめて大切になりますが。
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「アンパンマン」「ばいきんまん」とブッシュ、フセインとでは、同列にするわけにいかないなぁと思うのですが、ただ「暴力」というのは正当性を欠いた、不当な力・行為・強制力という意味がありますから、本来「善」の範疇には入れられないでしょう。


ところで
>ばいきんまんは、自分の利益のために

とありますが、その利益というのが、不当でなく正当なものかどうかということが問われると思います。尤も「ばいきんまん」にとっての正当という判断はあり得るにしても、逆の立場の者にとっては、そうでなくなってくる場合がありますから。
暴力は不当なものであり、不当なものは悪であるなら、「アンパンマン」が暴力をもって「ばいきんまん」を征するのは法的制裁と同じようなことになり、強いて言えば消極的な善とでも言いましょうか、しかし厳密には「善」であるとも悪」であるとも言えないのでしょう。
ただ、たとえ「ばいきんまん」といえども存在して然るべきというなら、それは逆の立場にある者についても言えるわけですから、要は最初に不当な行為をはたらいた者は、実は自分自身に対しても「悪」をはたらいたのだということになるのでしょう。
バランスを崩してしまうようなことが「悪」に繋がるということになりますか。だから「善」「悪」は常に揺れ動くのでしょうね。
生きるか死ぬかが懸かっているような極限の状況だと、それこそ利他精神の発露か自己保存欲求の権利か等なかなか判断基準が難しいですが、まぁ基本的に余分な欲をかかないのが一番無難なことだとは思います。
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難しいですが簡単な話です。


質問者さんの言う善とは正義とは違う意味で言ってるのか、もしくはそこまで考えてるわけではなく、善と正義など「良い」といったイメージの象徴として言っているのか?たぶん後者の象徴として言ってるほうだと理解して進めます。

良い悪いなんて価値観です。この質問の答えに対して宗教を引用される人もいれば常識を出してくる人もおられるでしょう。もしくは法律を出してくる人もいてるかもしれない。

しかし!
ぶっちゃけ宗教も法律も常識も良い悪いなんてゆったもん勝ちです。
私がタバコ国という国を作って、その国を鎖国して、外部から一切の情報を入れないようにする。そして宗教、法律、道徳倫理観を私が作って広めたらタバコ国民にとってそれが良いことです。
私が「力こそ正義!力なきものは生きる資格なし」といった感じのことを法律、宗教に組み込めば、タバコ国でアンパンマンが放送されれば、我が国民はアンパンマンに憧れるでしょう。
イラクVSアメリカのニュースを見せれば、アメリカは素晴らしいと、国民はお祭り騒ぎでしょう。

質問者さんがアンパンマンをみて暴力による問題解決は悪だ!というなら質問者さんにとってはそうなんでしょう。私にとってはアンパンが正義ですけども。

アンパンマンというアニメが人気がある日本という国の常識や道徳観などはきっとアンパンマンというアニメが象徴してるんじゃないでしょうか?

見れば分かりますが力こそが正義ってアニメじゃないですね。バイキンとアンパンが仲良くしてるシーンもありますしね。反省すれば許します。
最後は正義が勝ちます。人に迷惑かけちゃ駄目です。友情は美しいです。
愛と勇気だけが友達です(笑)

最後に「悪と善の関係について教えていただければ幸いです。」とありますのでそれに対して

見る側の好みですね。
フセインは見る人によっては英雄ですよ。
バイキンマンも見る人によっては主人公ですよ。
もちろんブッシュもある人にとっては最高ですよ。(どういう意味の最高かは想像に任せます)

善と悪なんて作っただけです。ゆったもんがちです。そんなもん存在しないです。この世の始まりには善悪は間違いなく存在しなかったと思いますよ。
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