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タイトルのように、日本の文体の歴史で、
最後に「和漢混淆文体」に変化しましたが、
なぜ和漢混淆文体に変化したのですか?

その前までの漢文訓読体や和文体というのがあったのに、
なぜ…?という疑問が生まれまして。

分かる方、是非教えてください!

A 回答 (3件)

漢文調は、力強く格調高い、というところが特徴です。

(例えば、中島敦の『山月記』の冒頭など。)
和文体は、柔らかく流麗である、という点が特徴です。(例えば、『枕草子』の冒頭など。)

そういった中、漢文調の力強さと和文体のしみじみとした雰囲気の両方を表現したいという事が出てきます。
例えば、『平家物語』。武将たちのいくさを力強く描きたい一方、別れや没落をしみじみと情感をもって描きたい…。

和文体と漢文調、双方の良さをそれぞれ活かして表現しようというのは、むしろ自然なことだったのではないでしょうか。
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 言語学をやったことはないので、話半分に聞いて下さってけっこうですが、



 漢語を使うと、概念を短い言葉で表現できます。例えば、「山脈」をすべて和語で言ってみて下さい。「やまなみ」では不足です。それでは例えば「山地」と区別ができません。海から見ると、いくつかの独立峰が重なって見える場所がありますが、これだって「海から見えるやまなみは・・・ 」と書いて間違いじゃない。

 和語で正確に表そうとすると、どうしても、他の「山」絡みの概念と区別するための長たらしい説明が必要になります。結果、本来原稿用紙10枚で書けるような論文を書くのに、100枚必要になる。

 我々は「山脈」という文字を見たり、「さんみゃく」という言葉を聞いただけで、特定の風景を思い描くことができるのです。それが漢語を使うメリット。

 韓国はこのメリットを捨てて、発音記号で統一するということをやりました。そのため、若い世代は、ご先祖様たちが書いたすぐれた遺産である漢文をまったく読めなくなっているし、ちょうど和語で全てを表そうとしたように、ダラダラと長い、そのくせ内容の少ない文章を書き連ねる結果になったようです。

 (私は、韓国からノーベル賞が出ない理由の一つの原因がそこにあると思っています。10枚で書ける論文に100枚使っていたら、あまりの内容の薄さに、審査する側だってウンザリする)

 それに対して、和語は語尾の活用や接頭語、接尾語などを駆使することにより、主語述語などを明らかにし、文の意味合いを正確にすることができます。

 例えば「吾日三省吾身」の「三省」ですが、これなど「3度反省する」のか、「3つの点について反省する」のか、文法からだけでは明らかではないのだそうです。漢語は、文章全体の意味が分からないと、中の1文の意味が分からないという、本末転倒したことになる危険をもっています。中国語の欠点です。

 その漢語、和語の両方の欠点を捨て、よさを生かそうとした結果が、和漢混淆文体の採用だったのではないでしょうか。


 いつでしたか、日本語をローマ字で書こうなんてバカなことを言った有名人がいますが、昔、和漢混淆文ではなく、韓国並みに完全漢文体で書こうという運動があったようです。

 それを阻んだのは、天皇の「祝詞」だったそうです。そういう説を読んだことがありますよ。

 それによると、韓国はあっさりと韓国古語を捨てて漢文に移行してしまった(その結果、すぐれた漢文を書いた)のですが、日本では和語を捨てることができなかった。

 その理由は、日本最高の神主である天皇が和語で「祝詞」を上げなければ、国が成り立たなかったから、和語を否定するわけにはいかなかったということでした。

 和漢混淆文になったのも、そのあたりが一因かもしれません。
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この回答へのお礼

お返事が遅くなってしまって、すいません。
まとめてお礼します。
皆様のご意見のおかげで無事に和漢混淆文体について理解することができました。
ありがとうございました!!

お礼日時:2007/07/20 13:49

多分あまり参考にならない回答です。



ひらがなは当て字からうまれました。たとえば中国語の「花(ファー)」を日本語っぽく読みたいと思い、それまで使われたいた「花(ファー)」の意味である「波奈(はな)」を当てたりしました。じっさいにくずし字辞典で調べると「波」→「は」が出てくると思います。
カタカナは今とは違って昔は漢文を読むときの補助記号として使われていました。漢字が並んでいるだけでは日本独特の訓読みが出来ないですからね。つまり翻訳するための補助記号なんです。
というわけで元々用途が違うので平安までは平仮名と片仮名は別々に使われていました。
しかし鎌倉時代になって、「五山」や「林下」といった禅宗の有力な力が中国から入ってきました。その力は幕府と並ぶほどだったというから驚きです。そして彼らは漢文を大変推奨し、言語や知識をどんどんと日本文化に流入させました。それにより漢詩や漢文が再興し、それが和歌や和文へも影響し漢字仮名交じり文をつくったのです。

偉そうにいいましたが、言語学は苦手です・・・。また、様々な意見が他にもあるの思うので、そちらも参考にした方いいとおもいます。
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