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平安時代について調べている者です。
調べていてもよくわからないことがあったので、質問させていただきます。

1.平安時代の身分制度について
平安時代には、厳格な身分制度というものはなかったようですが、貴族と平民との間にはどのくらいの格差があったのでしょうか?
下級貴族でも、その生活は平民のそれとはかなり違ったのでしょうか。

2.摂関政治の頃の役人制度について
摂関政治の頃、役人になれるのはどんな人たちだったのでしょうか?
役人になれるのは貴族だけだったのでしょうか?
また、役人になるためにはどういった手順が必要だったのでしょうか?

3.女房などの地位について
女房、という言葉はよく聞きますが、彼女らの地位とはどういったものだったのでしょうか?
役人とは違うのでしょうか。誰に、何をするために雇われていたのでしょうか?
役人制度の中での位置づけも気になります。

質問だらけですみません。参考になるサイトがございましたら、アドレス等教えていただけると幸いです。
よろしくお願いします。

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A 回答 (3件)

ANo.1.2です。


<形骸化する以前にしていたであろう職務は、官職が「名前だけ」になってからはどうなったのでしょうか?
について、ごく簡単ですがお答えします。

・統治機構・軍事機構については、当然武家が幕府職制などの中で担ってゆきます
 戦国期になると、戦国大名のイメージ戦略として売官行為(お金で官位を買う)が流行しますが、
 一つの官位に複数の大名が叙任されるなど、やはり実態は伴ってはいません。
 江戸幕府は武家官位と公家官位を分離し、定員を別々としたので、例えば武家官位での「○○守」は
 その○○国を統治する大名への権威の箔付けとしても機能する一方、公家官位の「○○守」の方は
 形骸化したままで、公家内部の序列のモノサシとしてのみ機能します。
・服属儀礼に属するものは、制度そのものが廃れて行われなくなります
 例えば采女とか隼人などは大和朝廷が地方を切り従える過程での産物であり、時代とともに実際の運用は
 消滅しますが、ポストとしては残ります
・文書管理や宝物・御物(歴代天皇のコレクション)の管理・宮廷経済・宮廷文化・暦や陰陽道や祭祀のよう
 なものは、かなり規模縮小しつつも、官位と職能がセットで存続します。但し、官位はかなり低いものがほとんどです。
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この回答へのお礼

形骸化とともに廃れていった制度もあったのですね。よくわかりました。
何度も詳しく答えていただきありがとうございました。

お礼日時:2007/08/03 21:57

ANo.1 です。


2.摂関政治の頃の役人制度 について補足しますね。

律令では上級貴族の家政機関の規定もありますし、当然他の機関と同様に肩書(職掌)・序列(位階)・
定員も定められていますから、中下級貴族の職場ということになりますね。今風に言えば、総理と
官房長官については、東京の公邸の使用人も国家公務員の身分であったということになりますね。
但し、律令の規定がどの程度厳格に運用されたかは疑問で、実際には定員外にもいただろうし、
「私」用人もいたでしょうね。今風に言えば、国会議員の公設秘書とは別の「私設」秘書ですね。

そして、前にも書いたように、院政期以降、天皇を頂点とする公家社会に連なる人々は、ほとんど
全てと言って良いくらい、序列の固定化と職掌の世襲化の中に組み込まれます。律令が崩れていく
中で「令外官」という新たな官職が増えてゆくことはご存知だと思いますが、上記の家政機関も
同様です。うら覚えで恐縮ですが、確か最初は親王と三位以上の上級貴族しか律令に家政機関の
規定がなかったのが、後には4・5位あたりにまで拡大されたはずです。そして、その家政
機関もまた世襲化となり、上級貴族の分家筋の藤原北家・公家源氏の傍流の家や、藤原南家・
紀氏・大江氏など最初は上級貴族としてスタートしたもののその後没落した貴族の子孫たち
により、明治維新まで受け継がれます。
以下、時代は下り江戸時代となりますが、上級貴族とその諸大夫(家政機関の長クラス)の
家柄と出自・官職の例です。
摂関家 近衛家 -進藤家(藤原北家四条流 内蔵助など)
            斎藤家(藤原北家四条流 左衛門尉など)
     二条家 -松波家(藤原北家日野流 三河・相模守など)
            北小路家(大江氏 隼人正など)
大臣家 徳大寺家-物加波家(藤原南家 紀伊守など)
      花山院家-池田家(紀氏?橘氏?)
親王家 桂宮家 -豊嶋家(平氏)
※この時代の官職は一部の実務系を除き形骸化して「名前だけ」なので、公家の序列を
 明示する符号のようなものとなっています。

これらの家柄の人々は、家老や執事のような家政機関の長のような地位の人々ですので、
その下には副官などの家柄もあり、家老や執事にも代々仕える部下の家柄もあり、その部下に
仕える庶民階層の人たちも当然いただろうし‥で、全体としてのピラミット構造ですから、
どこまでが今日で言う「役人」かというのは難しい問題です。

この回答への補足

返答が遅れて申し訳ありません。
貴族の家柄やそのピラミッド構造についてはわかりました。
重ね重ねの丁寧な返答、ありがとうございます。

>この時代の官職は一部の実務系を除き形骸化して「名前だけ」なので、公家の序列を明示する符号のようなものとなっています。
しかし、この部分が気になりました。
形骸化する以前にしていたであろう職務は、官職が「名前だけ」になってからはどうなったのでしょうか?
誰かほかの人がその職務に就いたのでしょうか?
差し支えなければ教えてください。

補足日時:2007/08/02 23:34
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ご質問の範囲が広すぎるので、取りあえず簡単にコメントします。

といってもかなりのボリューム
ですが‥ 何かあれば補足の返信を下さい。私も素人ですが、長年趣味で公家社会などの研究?
をしておりますので、分かる範囲でお答えします。

1.平安時代の身分制度について
・少なくとも貴族社会には厳格な身分固定が存在します。その序列が変わるのは特殊な場合に限ります。
・貴族は世襲制です。あらたに貴族社会に仲間入りできるのは、臣籍降下した皇族を除けば、実務系や
 軍事系などで、破格の昇進を遂げた下級官人に限ります。
・ごく少数の上級貴族を除けば、貴族の暮らし向きという点では、ピンキリです。物語や説話文学など
 にも貧乏貴族や盗賊となった皇族の話が出てきます。一方で地方に下った国司などの裕福な財力の話
 もあります。
・没落貴族以下の身分は、ある種、なりゆき次第の面もあったでしょうね。
 なお、律令の条文では奴隷も固定身分ですが、律令自体が平安時代にはもう崩れていますし‥

2.摂関政治の頃の役人制度について
・そもそも「役人」の概念をこの時代にあてはめるのが難しいのですが‥
・院政期以降、貴族社会では身分や序列の固定だけではなく、職掌の家政化が進みます。例えば、
 摂関家は本来天皇の外戚となることで摂政関白を務めていたのが、この時期以降は天皇の外戚
 でなくても摂政関白となる「摂関家という家柄・職業?」となります。今風に言えば、
 「総理大臣を世襲する家」ということですね。その他、藤原定家の子孫は代々「文化庁長官」(和歌の家)、
 安倍清明の子孫は代々「気象庁長官」(陰陽道の家)、菅原道真の子孫は代々「文部大臣」(学問の家)、
 といった具合です。
・天皇を頂点とする公家社会に連なる者のほとんど全てが、このような序列と職掌の世襲化の中に組み
込まれます。そして、平安京の荒廃とともに、個々の貴族の屋敷があたかもその職掌の役所のような
様相にもなります。とすると、貴族の家来たちも使用人兼下っ端役人のような存在になります。
 これらを総称してご質問の「役人」と規定すれば、摂関政治の頃はその過渡期ですので、その時点
で公家社会に留まっていた貴族と、摂関家など有力貴族の家来となっていた地方出身者などが対象者で
しょうね。但し地方を実効支配し始めていた武士団の「支配機構」兼「家政機関」はまた別の話ですが。

3.女房などの地位について
・律令制では、後宮として、役所?名・肩書(職掌)・序列・定員がちゃんと位置づけられています。
 この時点では、今で言う、れっきとした国家公務員ですね。
 しかし、それが平安時代にどの程度まで厳格に運用されたかは不明。
・平安時代には、宮廷にいる女性全般を女房と言うようになります。また、本来の役所?名・肩書
 (職掌)などが個々の女房の通称名に使われたりします。○○内侍など。
・宮廷だけではなく、貴族の家政機関の女性たちも、女房と言われていました。
・2.摂関政治の役人制度 で述べたように、貴族の家来たちも使用人兼下っ端役人のような存在ですので、女性たちもまた同様。
・女房たちの職務は、江戸時代の大奥のようなものを想像して貰えれば、当たらずも遠からず。
・なお、後になると「侍女」「下女」という呼び方が一般化します。それに伴い「女房」という
言葉からは「下働き・召使の女」という意味合いがなくなってゆきます。
 室町以降は、「女房」=「常に主人の傍に控える女官長・秘書室長のような存在」が基本
 その後、だんだん「女官」兼「愛人」のような意味合いに変化し、現在の「妻」の呼称に至ります。

この回答への補足

詳しい回答ありがとうございます。
1、3については納得しました。2についてまだ気になることがありましたので、補足させていただきます。宜しくお願いします。

2.摂関政治の頃の役人制度について
>とすると、貴族の家来たちも使用人兼下っ端役人のような存在になります。
この「使用人兼下っ端役人のような存在」として使われていたのは、貴族ではない庶民でしょうか? 上級貴族なら下級貴族を使ったのでしょうか?

補足日時:2007/07/22 09:03
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Q平安時代の貴族及び一般人の階級制度について

なかなか詳しくのっているサイトが見つかりません。良いサイトがあったら教えてください。おねがいします。

Aベストアンサー

位階官制に関するHPです。
個人の運営ですが、相当煮込まれていて、位階官制に関してはナカナカ良いと思いますよ。

なお、一般人の階級(身分制度)については、納得できるHPが見つかりませんでしたのでご容赦を。

参考URL:http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/

Q平安時代の一般人について

「平安時代」というと、
私の中では貴族のお姫さまや花合わせ薫物合わせといった雅なお遊び、
あとは和歌くらいしか思い浮かばず、平民の様子がまったく想像できないんですが、
誰もがこんな優雅な暮らしをしていたはずがありませんよね?
平安の平民たちはどんな暮らしをしていたんでしょうか。
いろいろ検索にかけてみましたが、貴族の生活ばかりが出てきます。
平民の生活というと範囲が広すぎて知っていても答えづらいと思うので、
特に気になるところを。

1.平民の職業ではどんなものがあったのか。
  中でも若い女性はどんな仕事を持っていたか。

2.街中にはどんな店があったのか。出店のようなものはあったのか。

3.一般人と貴族が交流することはあったのか。
  貴族を街で見かけても話しかけることはできなかったのか。
  よくある「身分の差の恋」などはなかったのか。

4.貴族のように教養を備えていない人は、和歌を詠むこともなかったのか。

5.女性(女の子)の着物は髪型以外江戸時代の町娘と同じようなものなのか。

6.平民は年貢の取立てや貧しい食事になんとか耐えて生活していたのか。

質問が多すぎてすみません。
レポートなどの資料にしたいわけでなく、まったくの興味本位ですが、
どれかひとつでもいいので、平安時代に詳しい方の回答を得られると嬉しいです。

「平安時代」というと、
私の中では貴族のお姫さまや花合わせ薫物合わせといった雅なお遊び、
あとは和歌くらいしか思い浮かばず、平民の様子がまったく想像できないんですが、
誰もがこんな優雅な暮らしをしていたはずがありませんよね?
平安の平民たちはどんな暮らしをしていたんでしょうか。
いろいろ検索にかけてみましたが、貴族の生活ばかりが出てきます。
平民の生活というと範囲が広すぎて知っていても答えづらいと思うので、
特に気になるところを。

1.平民の職業ではどんなものがあったの...続きを読む

Aベストアンサー

1.
いろんな職業があったと思われます。当時はある程度の自給自足をしていたとはいうものの、都市部の人ではすべて自分たちでまかなえていたとは思えません。特に工業では、紙、陶器、武器、などのいろんな職工がいたようです。
女性にも職業があったことが予想できます。「振り売り」といわれる行商、機織、海女、白拍子のような芸能関係など、女性ができそうなものは何でもあったと思われます。専業もいたでしょうし、家事・育児・手伝いの傍らだったりもしたでしょう。また、古今東西、富裕な家のメイドは当たり前ですし、男女の仲を取り持つ「仲人」とか「仲媒」といった特殊な職業も文献に見られます。こんなものまであったのですから、衣食住に関するさまざまな職の基本はすでにこの頃にもあったことがうかがえます。
今昔物語などを読むと、たいそう活発な女性が多くいることから、そんなに窮屈な身分制度に押し込められていたわけではなく、わりと社会に出て元気だったようです。

2.
平安京には東西に市が設けられていました。このことから、全国に店はあっただろうと推測できます。ただし、商流の多くは「振り売り」という行商です。明治・江戸時代まで商業の中心はこの「振り売り」です。

3.
あったと思います。直感的にも、今ほど自由さはないにせよ、今も昔も、男女の仲が身分で隔てられるとは思われません。
たとえば、源氏物語の夕顔は貴族とはいえません。通っていた愛人の家の隣に、たまたまあったあばら家に住んでいただけです(実は友人のもと愛人だったわけですが)。逆に貴族の女に下衆の男を紹介する、ということもあったようです。こんなことの手引をやっていたのが、前述の「仲人」「仲媒」といわれる人達(主に女性)だったわけです。源氏物語や伊勢物語でも明示はされていませんが、たくさん出てくる仲介している女のなかには、職にしていたものも含まれていると思います。下女のサイドビジネスでもあったかもしれません。

4.
没落貴族もたくさんいましたし、そのひとたちの影響うけたりして、下々の方へも少しは広まっていたと思います。

5.
もちろん多少違いますが、庶民の服の基本は昭和時代までほとんど変わっていません。変わっているのはブルジョワジーやプチプルジョワジー以上の階級です。
ちなみに土間&高床の住居も、ふすまや障子がふえたくらいで基本は、昭和までほとんど変化していません。

6.
年貢の取立てよりも、自然との闘いと村・部落クラスの行政官の不法徴収・不法雑役などが厳しかったと思います。年貢は貨幣でもありませんし、農民は米だけしか作らなかったわけではなく、実際は野菜や雑穀、油、織物などで自足したり商売していたりして、それほど苦しくはなかったと思います。生活が破綻してしまうくらい苦しくなる原因の多くは自然だったでしょうね。

1.
いろんな職業があったと思われます。当時はある程度の自給自足をしていたとはいうものの、都市部の人ではすべて自分たちでまかなえていたとは思えません。特に工業では、紙、陶器、武器、などのいろんな職工がいたようです。
女性にも職業があったことが予想できます。「振り売り」といわれる行商、機織、海女、白拍子のような芸能関係など、女性ができそうなものは何でもあったと思われます。専業もいたでしょうし、家事・育児・手伝いの傍らだったりもしたでしょう。また、古今東西、富裕な家のメイドは...続きを読む

Q平安時代の庶民の名前

 執筆中の小説に平安時代のキャラを出そうと思っているのですが、当時の庶民(貴族以外)がどんな名前だったのが全然わかりません。

 部曲の廃止とかで名字は勝手に名乗っていたらしい、とか、庶民の女性は「~女」が流行っていた、男性は「~右衛門、~左衛門、~兵衛」がほとんどだった、までは調べられたのですが、そこで行き詰まってしまいました。

 直接教えていただけなくても、参考となるサイトのURLを貼っていただくだけでも構いませんので、ご助力の程、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは、初めまして。
中古文学&平安時代にハマって◎◎年の専業主婦です。
平安時代の庶民の名前・・・との事ですが、まず女性名については
『日本の女性名』角田文衛著を読まれると大変参考になると思います。
皇族貴族から遊女まであらゆる階層の女性の名前を紹介しています。
ある程度の規模の公立図書館もしくは大学図書館に蔵書されているかと思いますので、確認してみてください。ちょっと前に復刊されたのですが、それは大変高価で豪華な装丁がされています。20年ほど前に刊行されたものは上下(上巻ですよ)に分かれていて手頃で読みやすいので、こちらをお薦めします。(ネット検索できる図書館はたくさんありますよ)
男性名に関してはこれといってご紹介できる専門書は知らないのですが、「~右衛門、~左衛門、~兵衛」は少しばかり年代が下るのではないでしょうか?(室町時代以降位かな・・・と。専門家ではないので余り適当な回答を差し上げてはいけませんが)貴族といっても天皇周辺の大貴族から六位以下の下人や位官を賜っていない者まで様々です。また庶民にも平安京に住む下層の貧民もいれば、京より遙か遠くの地方在住でも実際は大規模な土地保有者で非常な富豪である者(負名・田堵といいます)もいます。
角田文衛氏の『平安人物志 下』の<大春日兼平>という章に、長徳二年(996年)に京で強盗を働き逮捕された者の名簿の一覧がありました。そこには<藤井国成><田辺延正><伯耆?吉><津守秋方><能登観童丸>などといった名前があげられております。仰るところの<庶民>かどうかは確認できませんが、位官については明記がないので官人では無いと思われます。
余り詳しい資料をご紹介できなくてすみません。

こんにちは、初めまして。
中古文学&平安時代にハマって◎◎年の専業主婦です。
平安時代の庶民の名前・・・との事ですが、まず女性名については
『日本の女性名』角田文衛著を読まれると大変参考になると思います。
皇族貴族から遊女まであらゆる階層の女性の名前を紹介しています。
ある程度の規模の公立図書館もしくは大学図書館に蔵書されているかと思いますので、確認してみてください。ちょっと前に復刊されたのですが、それは大変高価で豪華な装丁がされています。20年ほど前に刊行されたものは上下(...続きを読む

Q平安時代、入内した女性の親の身分

こんにちは。
平安時代、天皇の元に入内した女性はたくさんいます。
入内の件で教えていただきたいことがあります。

政略的要素があったと思いますが、どの程度の身分の人々が、娘を入内させたのでしょう。低い身分ではどのくらいから、高い身分ではどのくらいまで、なのでしょうか。

ご存じのかた、どうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

入内と言うからにはあくまでも中宮、女御などの地位での入内です。
もちろん摂関家などからの妨害もありますが、入内には女房をそろえたり多額の費用がかかるので有力者でなければ入内させるのは無理です。
また入内の儀式にかかる費用も多額で負担できません。
そのために平安以後の時代には極まれなときを除いては中宮や女御はおらず、もともとは女官である典侍、内侍などが実質的な天皇の配偶者でした。

Q「幕府」と「朝廷」の違いを教えて

中学校1年生の子供からの質問なのですが、

・「幕府」と「朝廷」の違いが分からない。
・そもそも「幕府」って何?「朝廷」って何?

と言われました。
お恥ずかしながら的確に説明できません。
教科書には説明が載ってないし、「先生に聞いてみたら?」と言うと
「先生は授業が終わるとすぐに職員室に戻ってしまうし、あまり質問しやすい先生じゃないもん!o(;△;)o 」
とのこと・・・(´_`;)

どなたか教えていただけますか?
私も勉強したいです。よろしくお願いします。<(_ _;)>

Aベストアンサー

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。(今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです)

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるという...続きを読む

Q平安時代の寝殿造り.....冬はどうやって寒さをしのいだのでしょうか?

寝殿造りと呼ばれている建物は廊下をはさんで部屋にすだれ(みす?)や屏風が
あるくらいで、特に戸になる物は無い様に思うのですが、
冬はどうやって寒さをしのいだのでしょうか?
やはり着物を重ねる事でしのいだのでしょうか。

仮に火鉢などを部屋に置いてもかなりの寒さだったと思います。
さらに雨風が廊下から吹き付けば、濡れてしまったり....。

平安時代に限らず、現代から見ると昔の家は不思議ですね。

無知ゆえわかにくい質問ですが当時の暮らしぶりがとても気になります。
なにかお知りの事があったら教えてください。
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

「家のつくりようは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり」これは鎌倉時代の終わり1330年ごろに兼好法師が「徒然草」に書いた、日本の気候風土と住まいについて書いた有名な一説です。

寝殿造(しんでんづくり)は、夏向けの建物です。そのかわり装束は冬向けに作られたといわれます。
寒さを凌ぐために、重ね着を着れるだけ着たでしょうし、綿衣(わたぎぬ)という真綿(まわた)を袷(あわせ)の中に入れた今でいう綿入れのような冬着もありました。舶来の毛皮などもありました。

几帳、屏風、衝立、襖は寝殿造りの内部の調度品のなかにあって日本独自のものとして生まれ、これが工夫されて、間仕切りの少ない寝殿造りの防寒、機密性を保つ為に作られたものと考えられているそうです。

部屋は帳(とばり)を引きつめて、炭櫃(すびつ)や火桶(ひおけ)を部屋に集めてがんがん焚けば、それなりにしのげたようです。

火桶(ひおけ)・火櫃(ひびつ)・炭櫃(すびつ)
木をくり抜いて金属製のおとしを入れ、その中に灰を入れ、炭火を焚いて暖を取る暖房機具。主に桐の木で作られる。炭への灰のかけ具合で暖かさを調整する。本来は円筒形のものを火桶、方形のものを火櫃と呼んでいたが早くから混同していたらしい。炭櫃は方形で脚のあるもの。または、据え付けの大きな角火鉢のこと。

建物の風雨を防ぐ物としては、格子(こうし)、蔀(しとみ)妻戸(つまど)等がありました。

   http://www.iz2.or.jp/kizoku/chodo.html

「家のつくりようは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり」これは鎌倉時代の終わり1330年ごろに兼好法師が「徒然草」に書いた、日本の気候風土と住まいについて書いた有名な一説です。

寝殿造(しんでんづくり)は、夏向けの建物です。そのかわり装束は冬向けに作られたといわれます。
寒さを凌ぐために、重ね着を着れるだけ着たでしょうし、綿衣(わたぎぬ)という真綿(まわた)を袷(あわせ)の中に入れた今でいう綿入れのような冬着もありました。舶来の...続きを読む

Q公家とは?

武家は武士の家ですよね?
公家は何の家なのでしょうか?
小学生でもわかるレベルで教えてください。ご回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

武家はお侍さんたちです。ちょんまげで刀持って、どちらかと言うと「ござる」な感じの人達です。どちらかと言うと、幕府側の人たちになると思います。

公家は、天皇や天皇に近い人達などです。「~でおじゃる」なんかを使ってたりします。朝廷側の人たちですね。

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q平安時代の役職のこと

最近、新平家物語にはまっていて、何度か読み返しています。
ところで朝廷ではいろいろな役職があるようで、その役職の順位がよくわかりません。
たとえば「修理大夫」とか「小納言」とか、「権中納言」とか「近衛大将」とか…
何かわかりやすく記してあるサイトがあったら教えてください。

Aベストアンサー

こことかどうでしょう??
平安時代のことがわかりやすく載ってますよ☆

参考URL:http://anzu.sakura.ne.jp/~rainbow/sol/heian_world.htm

Q平安時代の東宮について

平安時代の東宮(になる)の定義みたいなのはあるのでしょうか?

普通源氏物語等では天皇(主上)の子供(男皇子)がなってますよね。子供がいない場合や子供が女皇女しかいない場合はどうしたのでしょうか?
いない場合天皇の弟や妹でもなれたのでしょうか?

素人なのでできるだけわかりやすく説明してくだされば嬉しいです。
参考文献・サイト等も是非是非教えていただきたいのでよろしくお願いします。

Aベストアンサー

中学生の頃から「源氏物語」が好きで、そのものの勉強では飽き足らず、結果、背景となる平安時代・摂関政治を短大(歴史関係学科)で専門にしていた者です。

> 平安時代の東宮(になる)の定義みたいなのはあるのでしょうか?

ご質問文から推察して、ご質問者様がおっしゃっている「平安時代」というのは、平安時代の中でも、ちょうど私が専門とした「摂関時代」、「外戚政治が行われた時代」のことを言っていらっしゃると考えましたので、そちらからご回答を差し上げます。

それならば、特に「定義」はないと思います。
強いてあげるとすれば「母親が藤原氏の娘であること」になるでしょうか。そうでなければ、外祖父の立場ゆえの摂政・関白就任ができなくなりますから。

> 天皇(主上)に子供(男皇子)がいない場合、天皇の弟や妹でもなれたのでしょうか?

という点については、天皇(主上)に子供(男皇子)がいても、天皇の弟やそれ以外の血縁者が立太子(立坊)し、東宮になっている例も多いです。
ただ、この時代には女帝がいませんし、女東宮(にょとうぐう)が立太子(立坊)した形跡もありませんので、その必要に迫られたとき、それが可能だったかどうかは分かりません。

実例ですが、一条天皇(皇后は藤原道隆の娘・定子、中宮は藤原道長の娘・彰子)には、皇后にも中宮にも皇子がいますが、いずれも「"一条天皇の東宮”にはなっていません」。
一条天皇の東宮は、父方・母方のいずれからみても従兄弟にあたる居貞(おきさだ)親王で、この方が一条天皇の次に皇位に就く三条天皇です。
一条天皇の皇子(生母は中宮彰子)が皇位に就くのは三条天皇の次(後一条天皇)です。
ですから、三条天皇の東宮も、三条天皇の子供(男皇子)ではありません。


>普通源氏物語等では天皇(主上)の子供(男皇子)がなってますよね。

どのように源氏物語を読まれたのか不明ですが、源氏物語では、「普通」なっていません。

今上帝の東宮は、確かにその子供(男皇子。母親は光源氏の娘・明石中宮)ですが…。
歴代を追っていきますと、先帝(紫の上の父親である式部卿宮や藤壺中宮の父親)と桐壺帝は親子ではありませんし(兄弟と推察されているが)、桐壺帝の東宮も当初は弟(六条御息所の夫)でした。
のちの朱雀帝が桐壺帝の東宮に立ったのは、この前東宮(前坊)が亡くなってからのことです。
その朱雀帝の東宮は、桐壺帝の第十皇子(のちの冷泉帝)ですから、これも子供(男皇子)ではなく弟です。
さらに冷泉帝の東宮(のちの今上帝)は、朱雀帝の皇子ですから冷泉帝にとっては従弟です。

平安時代に限定されているものばかりではありませんが、下記サイトも参考になる点があるかと思います。

http://watercrown.vis.ne.jp/japan/kouzoku/

http://www8.plala.or.jp/gochamazetei/leport-1.htm

http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/column.html

中学生の頃から「源氏物語」が好きで、そのものの勉強では飽き足らず、結果、背景となる平安時代・摂関政治を短大(歴史関係学科)で専門にしていた者です。

> 平安時代の東宮(になる)の定義みたいなのはあるのでしょうか?

ご質問文から推察して、ご質問者様がおっしゃっている「平安時代」というのは、平安時代の中でも、ちょうど私が専門とした「摂関時代」、「外戚政治が行われた時代」のことを言っていらっしゃると考えましたので、そちらからご回答を差し上げます。

それならば、特に「定義」は...続きを読む


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