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「総中流化」ということが言われて久しいですが、実態はともかくとして、こういう概念が定着するということには、すくなくとも人々に受け入れられまた実感されるということもあるのでしょう。しかし、ちょっとうがった考えをすると、果たしてこれはいいことなのかどうか疑問になってきます。たとえば昔は江戸時代身分の名残みたいなものが続いて、平たく言えば「上流」だ「下流」だという意識があり社会的認知もあった。で、それをキイキイいうとか問題意識を掲げるということはなかったわけで、今考えると、恐ろしく寛大な意識で生きていたものだと思えるのです。そして、特に戦後からだと思いますが、何が何でも公平でなくてはならない、一様でなくてはならないという「美意識」が支配し、かなりその方向に近づいたとはいえ、まだ幻想に過ぎない「中流」を標榜しだしたのでしょう。こういう人々の意識が大体このような流れであるとすれば、これはトータルで考えると、いいことといえるのでしょうか。なにか人間に必要なおおらかさというものを奪っていないでしょうか。

A 回答 (2件)

確かに全ての家庭が実際に中流になるのが良いのか悪いのかは別として、意識の上で中流だ、みんな平等だとなるのは悪い面も多くあると思います。



 趣味・娯楽などに見られる変化もその一つでしょう。そんなに良いものがあるなら私にも聞かせろ、読ませろ、見せろといったように趣味・娯楽が人を選べなくなってきました。良い物かさほど良い物でもないのかの違いが分からないのに何となく流されて良い物を求めるという現象もこういった意識変化のために起きたのではないかと思います。すぐ流されてすぐ飽きる。際限なく娯楽を求めていく。結果として本当の良い物が少なくなってきている感があります(少なくとも世間で騒がれているものの中では)。
 これらの意識の悪い部分は周りの人が得ているものは私も得る権利があるといいつつ、その権利を得たいならそれに付随する義務を受領しろといわれると、そんな義務なんか知らんと撥ね付けることです。権利の意味も良く分かっていないのに権利ばかり主張するから、際限なく娯楽を求めていく傾向もできたのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ごもっともだと思いました。最近流行するもの、行列店とか納豆減量法とか、そいういう「並び」意識に端を発しているんですよね。それがいいほうに行くならいいけど、結局は軽薄で何も残らない事にエネルギーを使ってしまう。深刻な問題ではないです。

お礼日時:2007/07/23 09:12

中流という「みんなで幸せになろう。

」という言葉で、
ネズミ構が生まれたからでは?
今ではマルチ商法が世界各地で蔓延してますが。

宗教もみんなで幸せになろう。とか言いながらやってることは…ね。

経済的には良かったんですが、人の心には良くなかったのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

「みんなが」という思想は結局危ないものを含んでいますね。倫理的にも実利的にも。なにか悪しき平等の例です。

お礼日時:2007/07/23 09:13

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