これ何て呼びますか Part2

私の体験談で、ある大学市民講座を受けました。
そこで、わりとグループ形式のなんやかんや素人がテーマを話し合って
どうこうやって発表するというようなものをいい年こいてやらされたことがあったのですが、まったく感心しませんでした。こんなことやっているんならば、先生が専門的講義をもっとしてくれよと。

それで、私は教育界のことはまったく知りませんが、子供の学校教育でも、こういう形式が増えているのでしょうか?これはあまりいいやり方ではないと思います。その理由は

○孤独で勉強するという姿勢が崩れる
○おのおのの関心テーマがひとつに集約されてしまう
○身体障害その他を持った子に対して配慮がない(難聴とか弱視あるいは性格の病的特性)
○結局は自力で物事を成し遂げられない
○「私」を出さないで無責任な匿名性に終わってしまう

のようなことが少なからずいえると思います。
これを是とするということは、ゆとり教育の影響もあるのでしょうか?その概念と関係あるのかどうかわかりませんが、このことも含めて、なにか、独学の意思がないものを無理やり共同作業の「強調の美徳」というような無責任な波に乗せてしまう、そんな気がするのですが。どうなんでしょうか?

そもそも、こういうことは、学ぶ意思のある人間にしか向かないのではないでしょうか。ゆとり教育が失敗したとすれば、それはそもそも、学ぶ姿勢がない、一人で知識の大海原に立つ気概のない(これは家庭教育の問題でしょう)子供を、そもそも扱うものではないのではないか?そんな気もします。

A 回答 (3件)

ある人がただ話をするだけの講義の勉強の目的はその人の話を記憶するだけです。


グループ討論の勉強の目的は論議が出来るようになる、話を理論的にまとめるようにする、自分でいろいろなことを考えたことを意見するなどで目的が違います。
日本人は自分の意見が言えない、話し合いが出来ないなどいわれがちで、そのようにいわれなくするためにもグループ討論をしていった方がいいです。
グループ討論だけではまた困りますが、話を聞くだけの暗記型の教育(詰込みだろうがゆとりだろうが今までの日本は暗記中心の教育しかしてません。)も良くないですよ。
>これを是とするということは、ゆとり教育の影響もあるのでしょうか?
これに駄目出しするほうが詰込教育またはゆとり教育の影響だと思いますよ。
勉強とは暗記することと思ってないでしょうか?
>そもそも、こういうことは、学ぶ意思のある人間にしか向かないのではないでしょうか。
ちゃんとグループ討論ができれば、意見をいわないことは許されなくなり、強制的に考えなければならなくなります。
たぶん今回のグループ討論はおしゃべりな方たちがしゃべって終わってしまったのではないですか?
それだとグループ討論失敗です。
意見を言わない人をいかに言わせるか。これもグループ討論の勉強の一つですから。
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この回答へのお礼

どうも、遅くなりました。
もっともな事だと思います。うまく運べば意味があるのですが、どうも滑らかでないですね。
障害者については考慮がないのが気になりました。

お礼日時:2007/08/12 22:50

個人的には全く逆のことを感じます。


先生の専門的な講義だけであれば、専門書等を自分で読めば済むことです。専門書等でわからなければ辞書や他の専門書を調べて理解すればいいことです。先生に講義を受けないと理解できないと言うのはそれこそ独学の放棄で甘えでしょう。

学校というのは、同好の輩が集まって討議をし、お互いの知識見聞を広めあう場と思っています。十分な討議に参加するためには独学(予習等)により必要な知識を事前に身につけていることが不可欠です。

但し、その中に同好の輩以外が多数存在するとその意義も薄れるのは言うまでもありません。

参考までに、アメリカの大学で多かったパターンでは、数名ずつのグループに分かれて討議後、場合によっては発表や文書提出をして、最終的には各自が発表やレポート提出でした。
グループ内での合意のなされなかった事項や自分が少数派となり否定された意見などに対して再度、発表やレポートにて考えを掘り下げて分析と結論付けを行うことができました。
勿論、最初から自分ひとりで発表やレポートの作成をする講座もありましたが、その場合は発表やレポートが独りよがりになる傾向があったと思っています。
仲間と討議を重ねることによって更に自分の考えを掘り下げるには効果のある方法と思います。
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この回答へのお礼

どうも、遅くなりました。
もっともな事だと思います。うまく運べば意味があるのですが、どうも滑らかでないですね。生徒同士が切磋琢磨しあうというのは、教育のもうひとつの効果でしょう。
障害者については考慮がないのが気になりました。

お礼日時:2007/08/12 22:51

こういう形式ではいい点は


・発表という体験に恵まれ、自分がこの授業で何を体験したのかが明らかになりやすい
・個々で話し合いを持つことで、同じことを聞いた他人がどう考えるのかがわかりやすい

この方が勉学効果を伸ばしやすい教科(補助的な教科に多いような気はします)もあると思いますよ。
個人で勉学するのも一つのやり方です。自分も主観では個人で勉学した方が集中しやすく結果は出やすいです。しかし学ぶ意思がどのようにあるのかを色々な多数の人に聞いてみましたか??合う人合わない人それぞれあっていいんじゃないでしょうか。
数学や語学も勉学ですが、道徳や社会学習も勉学ですよ。
あと、こういう学習方法を取ったところで日頃の勉強が全く生かされないかというとまったく逆です。日頃から個人で勉強し知識をつけないと集団研究の中のリーダーシップは取れっこないです。
小学校のいわゆる4教科や中学校の5教科にこれを積極的に...というと少し行きすぎの様には感じますけどね。
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この回答へのお礼

どうも、遅くなりました。
もっともな事だと思います。うまく運べば意味があるのですが、どうも滑らかでないですね。按配ですね。これに比重を置くのは、どうも休止が怠慢になります。
障害者については考慮がないのが気になりました。

お礼日時:2007/08/12 22:52

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