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「ゆとり教育」の先に…自信も失った若者たち
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080217-00000 …

ゆとり教育が、ネットで相手をおとしめる用語にもなっているほど評判が悪いようです。
ゆとり教育のどこに問題があったのでしょうか?
時間がとれるので、自習や塾に行きたい人は学力が伸びますし、趣味やスポーツなど興味のある分野を伸ばしたい人はそれができるはずです。
選択肢があるのはよいことだと思うのですが。
学力低下は、学校での教師の教え方に手抜きがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (21件中1~10件)

>ゆとり教育のどこに問題があったのでしょうか?



 ゆとり教育とは本来、詰め込み式の教育の絶対量を減らし、その分子供たちの主体的な思考力を養うことを目的としていました。しかし授業量の削減のみが実行され、思考力の教育が十分に行えていないのが現状だと考えます。理由を列挙すると

・受験制度が変わっていない
 受験制度がいわゆる詰め込み教育の成果を問うものであるのに、その改革がなおざりにされてしまいました。これでは授業に多少の変更を加えたところでゴール地点が変わっていないのだから教育に内容にが大きく変わることは不可能でしょう。

・授業内容をマイナーチェンジのみで対応しようとした
 週に数回、総合的な学習なるものを行えばそれで生徒の自発的な思考力が養えるというのは短絡に過ぎるでしょう。生徒の論理的思考力を養おうと思えばディスカッションや論文などを各教科で行う必要があります。

・十分な予算をかけていない
 上記の様な授業を行おうと思えばやはり少人数制のクラスの方が望ましくなってきます(例えば小学校で40人の生徒全てをディスカッションに参加させ、40枚の論文を全てチェックするのは至難の業です)。現在の教員数はそれを行うのに全く不十分です。質問者様は教師の手抜き云々を仰っていましたが身近に教員の知り合いがいれば彼らの労働時間を聞いてみることをお勧めします。

>自習や塾に行きたい人は学力が伸びますし、趣味やスポーツなど興味
>のある分野を伸ばしたい人はそれができるはずです。
>選択肢があるのはよいことだと思うのですが。

 数ある選択肢から有意義なものを選び取り主体的に実行できるという人間は大人でも決して多くはありません。選択肢の中には、一日中ネットゲームに耽ることも、TVを観る事も含まれています。子供たちに指針を示すべき親たちが先進国屈指の労働時間に喘ぎ、子供に構う暇も余りとれずにいるのですから、ただ選択肢を丸投げにするのも考え物でしょう。
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ゆとり教育の主眼は、総合的学習の時間を導入すること、


いわゆる、調べ物学習や自由研究を時間割の中に入れることだったのでしょう。

知りたいことがある→学習をする→知りたいことが増える→さらなる学習
ということが、したかったのだと理解しています。

授業時間の削減の目的は、質問者さんがおっしゃっているように、
生徒が時間を好きにつかえるようにするため、
さらには、生徒が個別に行っている学習へ対応する時間を教師へ与えるためです。

学校での勉強が社会へ出てからどう役に立つのかという風潮は、
生徒が抱く期待に格差が生じているということを示しています。
これについては、別途方策を探る必要があるでしょう。

学校で勉強をする方が得だ、という判断のための材料を揃えることはできるでしょうし、
そのことにより平均的学力が向上するでしょう。
近代教育における基礎学力が備わっていれば、
本人が進路を選択するに際して、その選択肢の幅が広がることになっています。
勉強ができるから、これをやってみよう/これがやりたい、
と生徒が判断するという仮定の上に成り立っているわけです。
基礎ができる→それに基づいた学習が可能→さらにそれに基づいた学習→
という形で学校教育が行われていますが、
可能ではあるけれども、やらない/やりたくない、といった判断に対して、
総合学習が導入されたのではないでしょうか。

三割削減のゆとり教育導入まで、授業時間は減少を続けてきていますが、
どの時点においても勉強をしない人はいたわけです。
勉強をしない人のそれぞれの動機に対して対処をするのか、
近代学校教育においては、基礎からはじめれば勉強は誰でもできることになっていますから、
無理矢理やらせるのか、そのどちらを選ぶのか、両方か、そこが問題の所在でしょう。

しかしそれでも、そこには受験勉強という学校と塾での二重の勉強が行われているという現実があります。
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学力が下がったのがゆとり教育が原因であるとは言えないと思います。

(大手予備校の調査でも発表されてますよね?そうでなくても、そもそも平均的な学力は下がる前提ですよね?)
ゆとり教育が本来ねらった目標を達成できなかったという意味でやはり失敗だと思います。

その原因は大きく2点あるように思われます。

ゆとり教育の本当のねらいをきちんと説明できなかったから

ゆとり教育の目的を達成する手段として、しかるべき研修を教員に行わなかったから

この2点につきると思います。

1点目
子どもにゆとりを持たせるためという2時的な目的を全面的に押しだし、大量生産方式では今後インド中国と競争して勝てるわけがない。1万人の優秀なマニュアル人間より、1人の天才を育てる教育という本来の目的をきちんとつたえなかったため、多くの誤解が生じた。

2点目
ただでさえ、教員は研修がほぼ皆無で現場にでる職場であると言われていますが、(他業種からの転職組はたいてい驚きます)教員本人が受けてきた教育を元に教員という仕事を行っています。

 自分が生徒として体験したことがないことに関して、研修なしでまともな成果が出ると考えたところが決定的な失敗の原因です。
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ゆとり教育はどうして失敗したのでしょうか?



私が思うことは
ゆとり教育が『失敗』した『成功』したの問題ではなく
(『失敗』『成功』の問題では無く) 
ゆとり教育がなにを生み出したか?

私、もし今。
時間にゆとりがあるとしたならば先ず勉強します。
もっともっと時間にゆとりがあれば
スポーツにも没頭したいなと思います。
それは今の年齢(25)になって思えた事です。

学生の頃に
時間の使い方
勉強、学ぶことの大事さ、
考える事の大切さ
とかとか、
を教えてくれる身近な人が居たら
もっと沢山勉強していただろう
当時、空手やってましたけど、本気で打ち込んでいればプロになれたと今更になって思って^^;心残りです。
今何がしたいか?将来何がしたいか?
自分個人として何が出来るか?
その為に何が出来るか?何をするか?
色々考えることが先ず必要なのではないか?と思います。

1、自分なりに考える。
   変な人には相談しちゃ駄目
2、ある程度答えを出す。
   あくまでも自分なりで良いと思う
3、目標を見つける。
   簡単でも良いからしっかりと目標とする!と良いと思う
4、そして実行に移す。
  無理をしない程度に頑張る!実現させたら必ず良い事あるから
順序を踏まえて、実行に移す時になってからようやくと
ゆとりの出番。(ゆとり=時間)

悩まなくなったり 答えをごまかしたり
人のせいにしたり 考えなくなったり
成長する為には必要な事ってあると思います。
まず基本を教える事が最大の教育と思う
基本の出来る人にとっては
『ゆとり教育』ゆとり、時間の使いかた
自主性をもてる最良の教育システムになるのではないかな?
と思いました。

教師の教え方に手抜きもあった。

私の奥さん。ゆとり教育受けてましたけど
「ねぇねぇOOってさ、ゆとり教育だったよね?どうだった?変化とか思った事とかあった?」と聞いてみた所
「ん?休みが急に増えたくらいだよ♪」と言ってました。
奥さんのゆとりが今の私を支えてくれているのだなと思った。
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すでに多くの意見が出ておりますので、簡単に意見を述べます。



ゆとり教育は理想でしょうが、社会生活に必要な基礎学力(知識)を身に着けないで進級(卒業)させたシステムを確立したことが大失敗だっと判断します。週休2日制の導入に伴い夏休み・冬休み・春休みの短縮しなかったため絶対的な授業時間数の欠除です。一方、日本社会はグローバル化と称して世界的に活躍できる人材の需要があるにもかかわらず、結果としては国内教育は正反対の教育をしていた。

人間は生来怠け者なので、「ゆとり」などと称して楽な道を与えれば多くのヒトはそちらに行ってしまいます。平等をモットーとした中央集権国家の我が国では、文科省の指針(方針)には反対するヒトは少ないと思います。回復するには20年近くかかるでしょうが、将来、我が国が生き残るためには仕方ないと思います。
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問題があったのは、ゆとり教育というよりも、そのベースにある学力軽視の風潮でしょう。



私が小中学校の頃、学校の教師から、「学校の勉強なんか社会に出てから役に立たない」と、よく言われたものです。教えるほうがそれなんですから、教わるほうもそれなりにしか勉強しません。勉強ができることがむしろ悪いことのように扱われ、ドラマなどでは勉強ができるやつは決まって悪者、そして学力が高い=人間性が無い、というようなステレオタイプもできました。結局のところ、学力は人間が生きてゆく上で大事なものだ、という世界中の常識が、この国では通用しなくなってきました。
残念ながら、ゆとり教育というのはそのような学力軽視の流れから出てきたものであり、その根本から問題をはらんでいたといっていいでしょう。

その結果として、学力の低下が顕著になってきたわけです。それが顕著に表れ始めて、学校も、行政も、マスコミも、国民も慌て始めたのがここ最近のことでしょう。

http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/3940.html

別の調査でも、学力そのものよりも学力に対する「意欲」が、日本では極端に低下していることがわかってきています。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chuky …

ゆとり教育の方法論は、決して間違っているとはいえないでしょう。使い方次第で、強力なツールになりえることは私も感じています。ですが、冷静に状況を見ていれば、今のありさまは容易に予想できたことです。いわば、目に見える家そのものよりも、その基礎がもともと腐っていたから、家が傾きだしたのですが、いまだにその基礎が腐っていることに、大多数の国民は気づいてすらいないでしょう。

本当の病根はそこにあると、私は考えています。
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 教えてGooも、すっかり荒れてますね。

罵倒・中傷ばかりで最近は参考になる回答がほとんどなくなりました。こちらもなるべく早く回答受付を閉めた方が良いです。回答を読む限り、プリンスホテルが日教組を断った理由は決して右翼のせいばかりではないと思えますね。

 私の経験ですが、教師の教え方の手抜きは相当にあります。どうしようもない教師も非常に多いです。でも、公立校の教師の質の悪さは戦前からです。最近の話ではない。とすれば、最近の学力低下の原因は他にもあると考えるべきでしょう。
 私が生徒だった30年前は、教師の間違いを生徒がその時に指摘できました。教科書を見れば、一目瞭然だったからです。野口教授が「超勉強法」で指摘されたとおり、教師の間違い自体重要な勉強となりました。ところが、今の公立小中校は、教師が間違っても、生徒達に間違いと分からない状態です。教科書を見ても分からないからです。原因は教科書が分からないように作られているから。指摘できるのは塾で別途勉強している子だけなんです。
 教科書は学習指導要領に基づいて作られていますが、この現在の学習指導要領が子供を勉強の出来ない人にするように極めて巧妙に設計されているのが学力低下の最大の原因だと思います。このような教科書を見ていると「ゆとり教育」の目的の本質は、格差社会の維持にあるようにしか思えません。もし本当に「ゆとり」が目的ならば、国立・私立の中高一貫校は閑古鳥が鳴いててもよさそうですが、現実は大盛況ですし、東大合格率も中高一貫校が90%を越えていますし。

 試しに、書店で中高一貫校用の参考書と中学校用・高校用の参考書を比較してみて下さい。いかに中高一貫校の参考書が内容が厚い上に分かりやすいかが理解できると思います。さらに、中学校用の参考書と教科書を比較できれば、公立校用の教科書がいかに分かりにくいかが確認できます。
 さらに教科書にないが、教えてもよい(というより入試に出しても良い)発展的学習というものがありますが、難関校ほどこの領域から出題されます。しかし、ここまで手を伸ばせる公立校教師はいないでしょう。まわりませんから。

 それから本題の「ゆとり」ですが、実感としては子供達のゆとりは却って減っています。質問者は何時頃帰宅していましたか?私は午後3時には帰宅していたと思います。今の小学生は早くて午後4時過ぎ、午後6時近くなんてしょっちゅうです。理由はと言うと「行事の練習のための居残り」「プリントが間に合わないための居残り」「先日の病欠の時にやれなかった作業の居残り」。つまり、子供達にはゆとりなんてないと言うのが実態です。ただ、これも地域格差が激しいようで、地方より都市部は無茶苦茶なようです。

 小学生の子供達の塾の開始時間も遅くなり、開始午後7時で終了午後10時なんてのは当たり前です。子供にすれば「ゆとり」なんて嘘ですよ。今の子供は塾もスポーツも命を削りながらこなしているのです。そうしないと、国立・私立の子供に全く歯が立たないから。
 それじゃ子供達は日中何してるの?と言えば、主要5教科は一日に2時限あれば良い方で、後は行事の練習や車いすの押し方の練習、交通教室、街探検やそのまとめのグループ学習、と一体何してるのか、さっぱり理解できません。でも休めば内申に響きます。子供達は受験に全く無関係だと知りながら、学校で10時間近くも耐えている訳です。

 でも教師も大変ですよ。私のまわりでも責任感や思いやりのある教師が次々と校長や教育委員会からの圧力で辞職に追い込まれています。教育委員会に評価されているのはどうしようもない教師ばかりです。しかも、生徒達からの集金まで負わされて(これって本来学校の事務担当の職務だったはずですがいつの間にか教師が全部やらされているんですね)、まともな人は精神的にもたないです。

 それでも何とか、現状を打破しようとする教師もいます。東京都杉並区立和田中は都教委の反対を押し切って「夜間塾」を始めました。校長の未来の昇進はもはや絶望的なのかもしれませんが、彼の悔しさの一端は推測できます。杉並区には都立高校の中でも難関校と呼ばれる高校が複数あります。でも自分の中学からなかなか入れないんです。入った卒業生も「塾のお陰」と言います。自分たちが残業までして一所懸命教えても、それが近所の高校の入試に対してすら全く役立たないのです。

 「ゆとり教育」は失敗したのではありません。文部科学省の目論見通り、学習指導要領に従わざるを得ない公立校の学力低下、つまり国立・私立との越えがたい学力格差を生ぜしめたという意味では大成功です。
かわいそうなのは、指導要領をいじくることで、実際はやっていない単元を記録上ではやったことにされてしまう今の子供達です。
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「テストの点数だけが評価基準ではない」という詰め込み教育批判をかわすためだけのもので、替わりの評価基準を用意しなかったのが一番の問題。



 いままでのゴールをとっぱらってしまったのにコース自体は従来通りとなれば、結局同じ方向に向かうしかない。なのにゴールがないから誰もゴールできなくなってしまったという感じかと。
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ゆとり教育に問題があるよりも


教育そのものに、目的が明確に示されてないことが
大問題だと思います。
何を教育するのか、どういう人間を育てたいのか
全く示されてないでしょ?
個人的には、教育とは人を育てることだと思ってます。
その為に、勉強やスポーツをさせるわけなのですが
目的は、人を育てることですね。
世の中で、使い物になる人間や、独り立ちできる人間を
育てることが、教育だと思います。
親の目的もここのはずです。
そこに気がついてないように思われます。
ついでに、ゆとり教育の最大の問題は
週休2日制であると思います。
世の中で、週休二日制を取れる人なんて
そうそういるはずもなく、自営業の人などは週休二日制どころか
休みなど考えてられないですよ。
今の教育の形で育って人たちは
週休二日制のない場所で、働いていけるのでしょうかね?
それと学力についてですが
授業時間を入れ物にたとえれば、器を小さくしたと言うことです
今までの料では、中身がこぼれてしまいますので
中身を減らしました。
ですから、中身を減らしたのですから
ゆとり教育を求めた時点で、学力の低下は
問うべきではなかったですね。
一番迷っているのは、文部科学省だと思いますよ?
まず、土曜日の学校を始めるのが、先決だと思います。
そして、日本中の子供たちがが同じ環境ではないと言うことに
気がつくべきですね。
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ゆとり教育といっても、実際は詰込教育の詰め込む量を減らしただけだったのが問題でしょう。


学校の授業時間を減らすのなら、より効率よく勉強する方法に変えるべきでした。
そのためにはなんでも暗記でなく、自分で考え応用を利かすことを教えなければいけなかったのです。
当然暗記する量が減って、他に何もしなければ学力が落ちるのは当たり前でしょう。
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