漠然としていますが、どうも世の中に「対話」が少なすぎるのではないかと思いました。もちろん、個別的には多い人も少ない人もいますが、もし世の中総体としてみると、なにか不足しているのではないかと。もちろん、日本にいるから感じることかもしれませんが、多かれすくなかれ人類的なのではないかと。
婉曲的な言い方になりましたが、次のような例からそう感じます。
公衆マナーや交通規則などで「~~するな」的な禁則を書く場合、多くは理由を省略するんですね(刺青のかたはご入浴ご遠慮くださいとか)それが舌足らずなだけなのか、対話を拒んでいるのかよくわかりませんが、少なくとも親切ではないです。あるいは、「学校給食費を払わない人」「受信料を払わない人」などの理由をあまり報道しないとか。(あんなメニューで高すぎる)とか、もちろん社会通念上郷に入りては郷にということはあるのですが、その心情を抹殺してしまう。こんな社会で生きているので、親も子供の「心」と対話する習慣を失ってしまって、つまり、こいつどういう信教でこんなことを言うんだ?という問いかけを忘れてしまって、非行だ不仲だ何だという元になる。ネットでももちろん同様でやはり、相手の書き込みに対して、背後をイメージしないか。
そんな思いがしていますが、なぜ「対話」が不足するのでしょうか?
No.11ベストアンサー
- 回答日時:
事象や言葉から受け取る、表面的で直感的な印象によって判断してしまう傾向が強い、ということなのでしょう。
「対話」とは、そこからもう一歩相手(あるいは周囲の世界)の内奥へ踏み入ることだと思うのですが、それが面倒であったり、怖かったりするのかもしれません。
これは、想像力が欠如しているか、想像力を働かせる対象として認知していない(できない)かどちらか、ということになると思います。
これが「>なぜ「対話」が不足するのでしょうか?」に対する私の直接的な回答です。
このように、他者の本質に関わりたくない心理は、「想像力の欠如」と「想像力発揮の拒否」という2点にわけて認識しておく必要はあるかもしれません。
前者は、幼時からの教育的環境(=親の躾=国民性)が大きく影響するでしょう。
そして、それは同時代的な連鎖を生みますし、ご指摘のように世代間連鎖にもつながると思います。
ネットなどでの誹謗・中傷といった類はこの部類で、それはとりもなおさず自我の未熟さの露呈でもあるでしょう。
他者と関わることの基礎ができていない(あるいは意義を認識できていない)ので、実生活上では取り繕っていても匿名性の高いネットで本性が出てしまう。
尤も完全なる自我を確立している人はいませんから、私も含め、自然な流れで類似的行為をしてしまっている場合はあるかもしれません。
後者は、個人のキャパシティに帰するのではないかという気がします。
公衆浴場の刺青の例を挙げておられましたが、刺青をするにはそれなりの事情があるわけですから、それを世間一般の感情で拒絶するという理由を明示してしまうと相手の人生そのものと対峙する覚悟を表明することになります。
キャパシテイが広ければできるかもしれませんが。
「>親切ではない」「>心情を抹殺してしまう」というよりは、そういった面に関して他者に親切に(ある局面ではおせっかい)するだけの余裕がない、心情を理解しようとする余力がない、ということだろうと思います。
親子間の問題に関しては、余裕がないとか余力がないとか言っている場合ではないにも拘らず、その問題から逃げたり、安易に処理してしまおうとする姿勢が不適切ということになります。
ここは敷衍して解釈すべきではないでしょう。
ご質問に対する側面的な回答としては、
他者への関わりには限界があるということがひとつと、限界があるとわかっていてもせめて表面的な部分だけでも関わっておきたい(あるいは利用したい)というけちな根性があるから。
ということになるかもしれません。
時代性がこのことに拍車をかけているとすれば、コンピュータや種々の技術革新により、あらゆる問題を簡単、便利に解決しよう、あるいは解決できると考える傲慢で、やや勘違い的な風潮が背景となっている可能性もあるような気がします。
理論的に説明していただき、よくわかりました。
キャパシティと能力不足、その複合体といえるでしょう。
そんなに日本の教育(一派一からげに!)は悪いのでしょうかね。それは、結局社会風潮でしょうね。ものごとに白黒つけない、対話を避ける。
やはり、あげていただいた二つはセットといえるかもしれません。その能力がないから実践もなく、必然的にキャパも育たない。
こういう社会で、ストレスを感じない全体的構造はどういうものなんでしょうね。
相手との、人間的対峙、それは以上のように避ける、しかし、商売は続けなきゃならん、金蔓は離したくない。当たり障りのない文言はどういうものかを必死に(数学のように!)考える。そういう思想を、コンピューター社会の01構造が後押しする。それに毒され続ける。
そうですね。そういうことなんでしょうね。参りましたね!
No.10
- 回答日時:
直感的に良い点をついていると思います。
現在、学問的に社会科学においては「対話」ということがあらゆる領野でネックとなっており、その不足が説かれているところです。どのように正しい対話が可能か、その合意は可能か。ユルゲン・ハバーマスという社会学者を中心に、その継承者たちが多くの議論をし、また実際に行動しています。1つは構造的問題です。直接民主主義から間接民主主義への移行が不可欠となるなかで、大衆社会は世論をメディアに委ねるほかなかったという事情があります。メディアが世論の反映として、民主主義に透明化をはかる、つまり政治家に変なことさせず、きちんとできるだけ国民が政治的に判断することができるというふうに考えたわけです。ところが、60年代人々に襲ったのは、政治的無関心という問題でした。
70年代80年代と、政治的無関心ともあいまって、国家の暴力・市場の暴力が横行しました。それは環境問題、貧困の問題、差別の問題などとして、深刻化し、利害がどうこういう以前に「人類の存続」が問題となってしまいました。
こうした流れを受けて、人々は国家と市場を相対化するための「戦略」が必要であると考えました。それが「対話」です。もちろん対話といっても、悪いものもあるわけで、それをいかに透明性のある、正しい手続きをもって、合意へといたらしめるのか、それが問題となりました。
たとえば、これは対話そのものに価値を与えるもので、いわゆる何が正しいか、何が間違っているかは一概に決めつけることはできないという前提があります。たとえば、ある都市の大規模開発事業があるとしましょう。国や事業者はそれを都市の発展のためというかもしれませんが、住民は自分の住まいがなくなる、地域文化が衰退するというかもしれません。今までであれば、国はこれを顧慮せず、ほとんど金の力で無理矢理、退去させて事業をしました。たとえばそれは、成田闘争(成田空港建設をめぐる国と農民の闘争)であり、今なお続いています。
こういうわけで国や企業の地位がある意味で失墜しました。日本でいえば、やはり政治家の汚職、談合政治などが次々に問題化し、バブル崩壊で企業に対する信用がなくなりました。人々の信頼や幸福感はそこからは得られなくなりました。
したがって人々が主体性をもってやることが今問われはじめているところです。
核家族化や人々の閉鎖性が高まっているため、見えるかたちでの対話はほぼ皆無となりました。しかし同時にネット上に対話が膨大にはこびるという矛盾したかたちとなりました。しかしネット上の対話の80パーセントはほとんど生産的なものではなく、無意味です。
もう1つは日本に対話の政治文化がないということです。日本では我慢、忍耐が美徳であり、やはり企業での訴えや運動もアメリカなどと比べて圧倒的に少ないように見えます。これは教育上で日本が(おそらく意図的に)議論する訓練を積ませないためです。物事を客観的に見て意見をいう力が日本人は極度に低い。
ある日本人は、外国人の政治に関する対話のなかに入って、何もいわなかったら「あなた、どうして何も言わないの?」とある外国人に不思議がられて、注意されたそうです。
社会構造や現代史的に、だんだんと対話の場が増えてきた事は確かです。しかし、その機会を生かすだけの実力、気構えが、当の人間に備わっていない。特に日本人は無駄にしつつあるという事はいえます。
なにか、忍耐と対話コミュニケーションを履き替えている事露があるのではないかと。それは軍隊生活はともかくも、一般社会においてもなぜか、黙って従う事を是とせよとは、為政者のほうが強制したわけでもないでしょう。なぜか、民衆支配的にその感覚があるのです。別に議論はしなくてもよいが、心を開く事をやめたら人間死ぬよと思って欲しいものです。
No.9
- 回答日時:
空気と対話という点に関して
空気は
個に帰する妄想でもありえるし
集合的雰囲気でもありえる。
対話はそういった妄想とは対照的な発露があるが
集合的雰囲気の中で受け入れられるかどうかは別である。
例えば葬式では葬式の場の雰囲気があり
結婚式では結婚式の場の雰囲気があるように。
儀式的な、意識や価値観を共有する場においてその雰囲気を壊す”話”は敬遠されるだろう。
しかしそれさえも悪い意味ではなく
場の暗さを明るくほのぼのとさせる”話”や浮ついた場を引き締める”話”もありえるのだとは思います。
言葉の発露の原点はどこにあるかということになるのではないかと。
No.7
- 回答日時:
No.5です。
言葉足らずで誤解をされるかもしれないので。。。
沈黙は自分自身に問いかける時間、相手の言っていることをよく聞くという意味でもあります。
No.6
- 回答日時:
今の時代に欠けているのは、「対話」でなく「行動」だと私は思いますね。
正直、昔よりも今の時代の方が「対話」は進んでいる気がします。
ここでこうして、知らない誰かに質問したり、その質問に回答してみたり、、、。立派に「対話」していますね。
他にも、テレビや新聞などマス・メディアを通して間接的に「対話」しています。
テレビや新聞は一方的にメッセージを送るだけという批判もありますが、一方でテレビや新聞は「視聴率」や「購買部数」などの「世間の目」を気にします。
視聴率や購買部数を伸ばすためには、世間の目(視聴者・購買者が何を求めているか)を如何に正確に把握するかに掛かっています。
昨今の視聴率低下や購買部数の低下、はては世間を気にしない不祥事は、メディアの作成側にこの「対話力」が無くなったのが原因かと思ったりもしています。
一方で、こういったサイトが普及して「対話」が行われるのに比例して、考え方が非常に観念的になってきている気がします。
例えば、よく「何故イジメはダメか?」という質問がされることがあります。
それにたいして、色々と回答が付くのですがそのどれもが(自戒も込めて)観念的で現実味が無かったりします。
しかし、それに対して以前は「ダメなモノはダメ」で「理由」なんて無かった気がします。
強いて言えば、「周りから白い目で見られる」からというのが「理由」だった気がします。
他にも、「給食費を払わない人」とか「ポイ捨てなどのマナーを守らない人」とかも、「周りの目」を気にしていないのでしょうね。
ウチの両親の話によると、昔は給食費を払わなかったら貧乏だとか同和問題とかで、色々と世間体があり親は必死で給食費を払っていたそうです。
それに、私の周りでも口で議論するときは「マナーは守らなきゃダメ」とか、「報道で見た(悪いと分かってる様子の人が)河川敷でゴルフをしているのを見て、信じられなかった」とか言っている人が、普段はポイ捨てやら電車で携帯電話で話したりと「マナー違反」をしていますね。
私自身はなるべく「マナーを守る」ようにしていますが、それはそういう人に対する反発心って気がします。あまり世間体は気にしていませんね。
世間体を気にしなくなる=人と人の関わりが希薄になる=自己中心主義が台頭する、というのが今の社会って気がしますね。
>そんな思いがしていますが、なぜ「対話」が不足するのでしょうか?
質問者さまとは反対の意見になってしまいましたが、参考になれば幸いです。
対話がタイムリーではなくなってしまい、すみません。
沈黙と行動、このことは、よく考えたいものです。
沈黙あるところに行動あるということはいえます。このネットに代表されるような?(ここでは真摯に答えていただいて感謝します)表層的な無駄話が氾濫している現代に、黙って行動する事、1人になることがどんなに大事だろうと痛感しています。そして、それが言うほど易しいことじゃない。結局、資本主義っていうのは、堕落の方向を延ばしますから。
表面的で空論的観念的が議論でなく、実生活に結びついた強制のようなもの、それが昔の村意識だったという事になるとすると、人間絶望?すると同時に、やっぱり共同意識か?と思ったりもします。一番の薬なのかもしれません。しかし、「駄目なものは駄目」理論というのは、結局「つながり強制はあるが、対話は拒んでいる」という性格があり、反対の現代都市生活理論においては「つながり強制力は希薄で、表面的な対話?がある」
結局、どちらも人間の幸せ完成形とはいえません。
No.4
- 回答日時:
日本人はディスカッションが下手だといいます。
アメリカの大学だと、講義で教授や講師を論派しなければ、いい点はもらえないケースが多い。
でも、これって社会の特徴の違いだと思うんですね。
アメリカは多民族国家。
開拓時代に自分を主張しないと、負けてしまって土地を追われていた。
お隣さんは異民族で価値観が違い、言葉で共通の接点を探し出して仲良くするか、理解できなければ排除など、近所と共生か排除かをしてきた国。
ということは自分も排除される側にいつなるかわからない。
だから、ご近所さんと会うと、まず天気の話をして、相手に敵対心はありませんよ とわざわざ示さなければならない。
スペインだったかに嫁いだ人が、夕食にどんなジョークを言うかと昼間から考えなければならなかったそうです。
パーティーでもどんなジョークを言うか、前から必死に考えないといけないって・・・、
ジョークを飛ばして相手に好感が持たれなければ、集団で生きていけないからそうするようになったとか。
異民族で成り立っている国家の特徴。
ところが日本は、戦はありましたが、(やはり異民族が原因だと思う) ご近所さんとは なんとなく、、、
推し量るというか、はっきりといわず、遠まわしに言うとか、曖昧なままにしておく というのが、共存する秘訣と編み出したようなんですね。
「結構です」 という言葉。
相手を傷つけないように誉めつつ、しっかり断りの意思を表現している。
これを聞いたからといって「今 誉めたな じゃあ 買うんだな」と思う人はいない。
「いらない」とダイレクトに言わないのが共存のマナー。
日本では「すいません」とよく言います。
良くない、謝って済む問題じゃない、ってのが本来の意味なのでしょうが、「じゃあ 落ち度を認めるのだな。大きな過ちだとわかっているのなら、それなりのものをくれ」とは言わない。
「ありがとう」より「すみません」と言った方がより相手を上にたてる。
アメリカで「すいません」と言おうものなら大変です。
>刺青のかたはご入浴ご遠慮くださいとか
すごい日本的な遠まわしで、丁寧で、的確な表現だと思います。
これを読んで「お願い文」だと思う日本人はいない。
これは実質「ヤクザの方は利用できません」って言っているわけですよね。
じゃあ 何故そう書かないのか。
日本人ならわかりますよね。
対話がタイムリーではなくなってしまい、すみません。
文化背景歴史背景が関与していますね。
それも、一側面であると思っています。
ただ、それと相手を思いやらない、想像力を働かせないということに常下手もいいのかどうか、迷うところです。
No.3
- 回答日時:
はじめまして。
僕が教えてGooを見てしまうのは、、そんな対話の少ない今の社会で、みんなの背景にどんな状況があるのだろうと考えてしまうからだと思うのですが。。。
では対話の不足について・・
掘り下げると壮大な話になると思いますが、、俗に言う希望格差社会の1現象だと思います。戦後の高度経済成長に乗っかって、1億総中流化の時代が終わり(バブル崩壊)、上を望める家系と望めない家系がはっきりしてきて、極端な2極化が進んでるってゆうのが今だと思います。
そして、格差社会ってゆうとヨーロッパなんか格差は当たり前だってゆう話ですが、そこがポイントと思います。
ヨーロッパははっきり格差があり上流は上流のスタイルがあり中流、下流にもスタイルがあり、それらは生まれ育っていく中ではっきり自覚できる事のように思います、しかし、日本は未だに総中流の空気が世の中を支配していて、要は、同じスタイルの中に、上、中、下流の人たちが暮らしていることになります、だから、みんな中の上であるかのように振る舞い、なんてゆうか(上流は少ない訳だから、、)結局、自分の嘘や小細工を話したくないってゆう心理状況が蔓延していると思います。
で、ちょっとおかしな人がいると、なんだそれ!って突き放すし自分の隠したい部分に話が行かないようにスケープゴートにする。
質問文を引用して例えると・・
いろいろ事情もあるだろうと「うちの銭湯は刺青OKです!」って言うと、アソコの銭湯はヤクザがやってるんだと他人にスケープゴートにされるので、「事情はどうあれ刺青はだめです」とだけ言う。
後ろめたさの表れだと思います。
まあ、そのまま対話の無い社会になったら、ホント生き地獄だと思います。どうにか鍵をみつけてそんな世の中にならないように自分だけでも行動できればと思う今日この頃です。。
(~長っ!
対話がタイムリーではなくなってしまい、すみません。
ご丁寧にお答えいただき、すごく納得しました。
社会に対する後ろめたさ、そこからくるフィードバックとか、結局社会全体個人全体を支配する「後ろめたさ」のようなものが、あるのかもしれません。無意識的にせよ意識的にせよ、影響していますね。日本の現代史は、もっと一般に認識されて欲しいものです。
No.2
- 回答日時:
単純に言えば、人は「対話する」より「対話しない」方が楽だからです。
これに尽きます。ではなぜ対話しない方が楽なのか。対話をすることの弊害があるからでしょう。すなわち、時間の無駄、自分の考えていることを認めない、などです。
また、自分の文章で満足して、他人の文章を読まない人も増えています。自分の文章の粗を指摘された時は、感情的になったりしますし。
本当は読解をすることでいろいろなことが見えてくる面白さがあると思うんですがねえ。
国語力教育が衰えているのもあるかもしれませんが、本当に教育のせいにしていいのかというと疑問も残ります。
対話がタイムリーではなくなってしまい、すみません。
経済性とか、リスクとか、エネルギー損失量とか計算すると、対話しないというのが賢い選択です。そこには、モラルとか道徳律は存在しません。目的原理快感原理のみです。それが、当然の風潮になってきたようですね。
教育のせいではありませんでしょうね。中身の問題でしょう。
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