プロが教えるわが家の防犯対策術!

最近カトリック教会に通いたいと思うようになりました。
理由は、寂しくてたまらないからです。
それから、自己責任で決めなければならない物事が多すぎて、
拠りどころがほしいということもあります。
なぜ、カトリックかといえば、学校時代にミサにでて、
心が安らいだ思い出があるのと、マリアさまがいないのは
寂しいからです。
ただ、親の教育方針は基本的に日本的無宗教(宗教には近づくな!)
でしたので、教会の中の社会のことはよくわかりません。

入門講座にでてみたこともありますが、
『奇跡』の話にアレルギーを感じて、一回でやめてしまいました。

わたしのような目的で教会に通うことは、
意味があるでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

聖霊の間違いでした。

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>ミサに出て心が安らいだのは、あなたが聖書を読んだり、奇跡を理解して安らいだのではなく、あなたの体の中に存在する何かに気がついたからだと思います。


何かって何でしょうね(笑)

何かとは教会では精霊といわれています。難しい話は聖書に書いてあります。
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>ところで、信者になったあとでも、いやになったらやめられるのでしょうか?



教会なら3ついやそれ以上かな
私とイエスの関係ならそれぞれありますので発言は控えます
個人的には信じてしまった この方しかいないと思うのでやめることはないと思います。個人的には教会に行っても行かなくても
神はあなたを愛している。こんな感じです。
未来の事は予測できないし、なんとも言えない、それぞれ顔、指紋が違うように生き方も違うからね。

>わたしのような目的で教会に通うことは、意味があるでしょうか?

私にはなくても神様にとって意味があるのでは
聖書は信じるものに「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません」という約束をしてくれたお方です

>『奇跡』の話にアレルギーを感じて、一回でやめてしまいました
奇跡:僕の奇跡は死ぬ予定だったその計画を変えてくれた
意味もなくつまらない人間だったと思っていたけど神様はあなたを見捨てないと この言葉が本当の奇跡です。

教会の中はわからなくてもいい、今必要なものは愛ですよ
いま、泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから・・・
今の気持ちを主に委ねて生きて行きましょう
疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう・・・・・・
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ミサに出て、心が安らいたのでしたら、それだけで十分教会に行く意味があるのではないでしょうか。

宗教は科学とは別の次元の話ですから、聖書の奇跡を現在の人間が生活する場面に当てはめて考えても意味はありません。ミサに出て心が安らいだのは、あなたが聖書を読んだり、奇跡を理解して安らいだのではなく、あなたの体の中に存在する何かに気がついたからだと思います。カトリック教会は、聖書の難しい話をする人は少ないので、ご自分が感ずるままに、教会に行かれれば良いと思います。他の信者がよってくることがないので、素っ気なく感じるかもしれませんが、カトリック教会では、他の信者を批判したりすることを望んでいませんので、他の信者の心の中に入ることを自ら謹んでいるためです。奇跡の話もその科学的根拠より、聖書が言わんとしていることに注目してはどうでしょうか。そのことを信じなくて教会に行っても、何も問題はありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>ミサに出て心が安らいだのは、あなたが聖書を読んだり、奇跡を理解して安らいだのではなく、あなたの体の中に存在する何かに気がついたからだと思います。
何かって何でしょうね(笑)
ただ、放っておいてくれるのは、一般的日本人にとってはありがたいですね。こんど、いってみようかなと思います。

お礼日時:2007/09/05 21:21

#5です。


>実はキリスト教関係の本は、結構読んでいます。
そうでしたか、これは失礼致しました。
奇跡の話にアレルギーを覚えられたことや「教会の中の社会のことはよくわからない」と書かれていたので、そのように判断してしまいました。
仰るように「学問」として捉える面と「宗教」「文化」として捉える面では異なっていると感じられる部分もあるでしょう。
ですが本であっても何も学問的なアプローチのものばかりではありません。
もっと違う種類のものを手に取ってみて下さい。
例えば外国のクリスチャンの方がキリスト教文化の中での生活を綴ったものであるとか、日本との違いを述べたものであるとか、また日本人クリスチャンの多くの先人達が書かれたものやその生涯を綴ったものなどでも良いでしょう。
また様々な宗教について比較したようなものもあると思いますがそういった視点も大切であるかと思います。

>mapatoさまは信者の方でしょうか?信じなければならないこと、果たすべきこととはどんなことでしょうか?
ご期待に沿えず申し訳ありませんが私はクリスチャンではありません。
クリスチャンだからと言って一も二もなく信仰をすすめる訳でもないでしょうが、前述のようには言わないでしょう。
クリスチャンでない私が言っても仕方ないことでしょうが、「信じなければならないこと」「果たすべきこと」と言うのも何も難しいことをイメージされなくても良いのです。
質問者さんがカトリックについてある程度学ばれているのであれば当然御存知の事ではあると思うのですが、それまで「正しいと思っていたこと」とは百八十度違う価値観のものを受け入れなくてはならないこともありますよね。
例えばクリスチャン以外にとっては何の価値も見出せないものを「聖なるもの」と信じなくてはならないようなこともあるでしょう。
また質問者さんが奇跡の話にアレルギーを覚えられたように、多くの日本人は宗教と共存するメンタリティーを培われずに育っています。
厳密に言えば日本人の生活には神道を中心とする「日本教」とでも言うべき民俗宗教が深く根をおろしている訳ですが、多くの人はそれを意識していませんし(それが神道などの持つ特徴の一つでもあるのですが)やはり積極的に宗教と向き合うということについての知識も経験も殆どない訳です。
ですから西洋の人々のように科学と宗教とを自分の中でうまく共存させるようなことも難しいのです。
生粋のクリスチャンにとっては当たり前のことでも日本人として生まれ育ったものにはそうではありません。
そんな訳で宗教との距離感というものをうまくとるということが非常に苦手であり、カルトのようなものに溺れる人もあとを絶たないということにもなります。
人間はそれほど強くないので何でも自分で判断して自分で決断するというようなことは中々大変です。
それで質問者さんのように心の拠りどころを求めるといったようなこともある訳で、それは別に悪いことでも何でもありませんし特別に弱い人間だけがそうするというようなことでもありません。
ただ前述のように日本人は特に信仰をかたちであらわす宗教(多くの主教は当然のようにこちらですが)と丁度良い距離を保って付き合っていくという方法が身についていない為に平衡感覚を失うようなことも起こり易く、その身を委ねる前に慎重に相手のことを知る必要があるのではないかと申し上げた次第です。
「自分が嫌だと思うことを他人にもしてはならない」という日本の文化と「自分が望むことを他人にもしてあげなさい」というキリスト教の文化とではやはり大きな違いがある訳で、その価値観の異なる世界とどう向き合うことが出来るかという心構えだけでも学んでおかれては如何でしょうか。
あるクリスチャンの方が「時に問題のある配達人があったとしても郵便のシステムの大切さは変わらない」と信仰について語っておられました。
質問者さんが入門講座とやら感じられたものもほんの小さな切り口の一つにしか過ぎない訳ですから、もしカトリックとのご縁を感じられるのであればもう少し色々なものを見るなり体験されるなりしてみられても良いのかもしれません。
お求めの趣旨とは異なる話を長くしてしまってすみません。
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この回答へのお礼

はい。もうすこしいろいろ見てみるようにします。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/05 21:08

さあ、教会に集う人の悩みは様々です。


意味があるのかないのかも様々、教会に行き癒されたという人もいます。またその反対の方もいます。

後、行って見て礼拝の中で考えてもいいでしょう。
「シスターや受付の方に初めてです」と言えばそれで言いと思います
用意するものは何もいりません

後カトリックの教会では毎日いつでも誰でも入ることが出来ます
(受付で声をかけてください)

信じると言うことは様々一人一人違い ただ神は一人一人愛している

ここで言う奇跡は見えない神様とマリヤ様がいないと心が満たされていないと言う気持ちで、普通の人は考えず、ほかのもので満たされようとします。一度御心のままにお訪ねになってもいいでしょう
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>またその反対の方もいます。
やっぱりそうですか・・・。
人間の集団である以上、そういうこともあるでしょうね。
ところで、信者になったあとでも、いやになったらやめられるのでしょうか?

>ここで言う奇跡は見えない神様とマリヤ様がいないと心が満たされていないと言う気持ちで、普通の人は考えず、ほかのもので満たされようとします。一度御心のままにお訪ねになってもいいでしょう。

ありがとうございます。
なんだか、とても思いやりを感じる回答です。
機会をみて、いってみようかなと思います。

お礼日時:2007/09/05 21:06

こんにちは。


>わたしのような目的で教会に通うことは、
意味があるでしょうか?
まったく意味がないとは申せませんし宗教に身を委ねるきっかけというのは得てしてそういうものかもしれません。
しかしお話を伺っていると質問者さんはあまりにも相手について知らな過ぎで危険な気が致します。
キリスト教と一口に言いましても本当に様々ですし、どこでどのようなところに参加なさるかによって相当違った環境が待っています。
「奇跡」の話にアレルギーを感じられたということですが、そういったことに関してもそれぞれのところで考え方が違います。
別なところで話を聞いてみたら、また違った印象を持たれるかもしれません。
ですがどんなかたちにしろ「奇跡」などを信じるのはキリスト教徒にとっては基本です。
どんなに荒唐無稽なことに思われようとそれを人々は信じてきましたし、今でも信じている・・それが宗教というものです。
信者になれば安らぎを得られる部分もあるでしょうが、信じなければならないこと、果たすべきことなどがありますから「それだけ」では済まされないのです。
色々な教会などに出向かれて話を聞かれるのも良いですが、過去の経験からそれには抵抗を覚えられるということであれば、様々な本を読まれることをおすすめします。
どんなものでも良いですが、一つの本からでは一方的な見方しかわからないことも多いですから、例え浅くても広く読まれることが肝心です。
身を委ねてしまってからでは冷静にキリスト教がどういったものかをはかることも難しくなってしまいかねませんし、よく知らない相手に身を委ねれば自己を見失う可能性すらあると思います。
是非もう少し勉強されてから、「自分が身を委ねるに相応しいものかどうか」をもう一度御検討なさってみて下さい。
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この回答へのお礼

親身な回答ありがとうございます。
実はキリスト教関係の本は、結構読んでいます。授業もありましたし。
ただ、学問としてのキリスト教と信者にとってのキリスト教はちがうような感じです。mapatoさまは信者の方でしょうか?信じなければならないこと、果たすべきこととはどんなことでしょうか?
差し支えなければ、教えていただけるとうれしいです。

お礼日時:2007/09/01 23:57

寂しさはむしろ、日常生活の中で解決するほうが良いと思うのですが。



カトリックは悪い話ではありませんが、カルトにひっかからないようにだけ、気をつけてください。
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この回答へのお礼

はい。心配していただいて、ありがとうございます。
日常生活の中で・・・そうですね、そうできたらいいのですが。
カルトは大嫌いです。

お礼日時:2007/09/01 23:50

日本的無宗教(宗教には近づくな!)


とは、自然信仰以外は近付くな。ですよ。

自然信仰とは自然にあるモノを許容し受け入れること。
貴方の周りには数多の生命が満ち溢れているはずです。
そこに転がっている石にさえ神は宿る。
コレが自然信仰の基本。
だからこそ、そんな小さき生命を無視し踏みにじる宗教は許さない。
日本人が宗教を忌避する根本はここにあります。

食事の「いただきます」「ごちそうさま」は自然に感謝の意。
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この回答へのお礼

そうですね。そういう見方もありますね。
現状をそのまま受け入れる努力をするのもよいのかもしれません。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/01 23:48

私は無宗教の人間です。


以前、プロテスタントの友達から『同じ宗教じゃないから信用できない』みたいなことを言われたことがあります。
宗教を信じている人は私たち日本人が思ってる以上に信仰心が強いと思います。
質問者さんがカトリックを信じられるかどうかも関わってくるのではないでしょうか!?
ミサで心が安らいだし、マリアさまがいないのは寂しい、でも、『奇跡』の話にアレルギーを感じてしまった、というのは矛盾していますよね。
確かにただ通ってお話を聞く、聞いてもらうことは可能ですが、質問者さんがカトリックに求めるものを整理してから行ってみてはどうですか?
でないと、語弊があるといけませんが、引きずり込まれるかたちになるかもしれませんし。
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この回答へのお礼

そうですね。私が求めているものが何かのほうが大切ですよね。
ただ、自分でもよくわからないのです。
『奇跡』の話をした神父さんは、なんとなく大企業の係長みたいな雰囲気で、あんまり相談事をしたくないような・・・(^_^ ;)
もうしばらく、気持ちが落ち着くまで待ってから考えてみようと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/01 23:44

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