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一例として、http://freehost25.websamba.com/yxh58/s7.htm によると唐の元稹の作として(&#31289は偏は禾、旁は眞)
秋叢繞舍似陶家
遍繞籬邊日漸斜
不是花中偏愛菊
此花開盡更無花・・・(1)が見えます。

一方、http://books.sina.com.tw/rongshubook/swordsmen/2 … 
    http://www.tcssh.tc.edu.tw/lib/studgrp/class/cla … などに見られる如く結句が
此花開後更無花・・・(2)になっているものも混在しています。

中国語のサイトでは(1)が多数派、日本語のサイトでは(1)は絶無のようです。
和漢朗詠集によれば日本に伝わったのは(2)の方ですが、日本でも古くから(1)が正しいとする説はあったということです。

さて、質問です。
1 原詩では「盡」であるか「後」であるか、今日でも不明なのだと推察します。口伝ならともかく文字によって伝わっているのでしょうに原詩がどちらであるか判らないとは意外です。中国語のサイトでは、この詩は大量にヒットしますが「盡」を採っているサイトは何を出典とし、「後」を採っているサイトは何を出典としているのでしょうか。当方は中国語が読めないのでお願いします。

2 「元氏長慶集」という書物があると思います。この書物では「此花開後更無花」になっているのだと推測します。この推理は誤っていますか。

3 「盡」と「後」では作品の完成度に、どんな変化が生じますか。

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

こんばんは


あんまり詳しくないが自分なりに調べましたのでご参考に

>中国語のサイトでは(1)が多数派
ヤフー中国( www.yahoo.com.cn )で検索しましたが「後」はやく500万件ヒットし、「盡」は14200件しかありません。

この回答への補足

そんなにありましたか。
"此花開後"で検索して21項、"此花開盡"で検索して194項しかヒットせず、しかもどちらにも「元稹作の菊花」と直接は関係しないものが混じっているように思えます。しかしヤフー中国( www.yahoo.com.cn )を正しく使えているかどうか、私には中国語がよめないので何ともご返事ができません。
ご協力有り難うございました。

補足日時:2007/10/07 06:45
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マイナーな詩で500万件もヒットするはずがないじゃないですか。

こういう場合は「此花開盡更無花」をそのまま検索窓に放り込むのではなく、引用符をつけて"此花開盡更無花"として放り込みます。検索サイトとしてはYahooではなく、Googleの中国語サイトにして検索するのがいいでしょう。
http://www.google.com/intl/zh-TW/
これで調べると、此花開盡更無花の方は約13,700(繁体字、簡体字を含む)、此花開後更無花の方は約2,070で、前者の方が多数であることがわかります。
1)要するに写本に2系統あるということで、別に特定の典拠があるわけではありません。原本は失われているのでどちらか確定のしようがありません。「盡」は多分「尽」のように簡略され、「後」も「后」で代用され、それが草書体で書かれると似たような感じになったのではないでしょうか。昔はコピーというものがなく、無数の人の筆写を介すると、有る程度の誤読、誤写は避けられません。
2)「元氏長慶集」は元しん全集のただの名称で、この全集自体に2系統あるということでしょう。
3)意味がだいぶ変わりますね。「盡」だと「菊の花が咲き尽くしてしまうと、もうしばらく花は見られない」菊の花を惜しむ気持ちが強いですが、「後」だと、「菊の花が咲いたら、もう他の花は目には入らない」といった感じで、咲き誇っている菊花を賛美する歌になってしまうように思います。どちらもどちらですね。
なお、平安時代の漢詩の大家菅原道真の菅家文草(卷第五 詩五)には前者の詩句が引用されているようです。
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke …
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この回答へのお礼

1 について
原本が失われているのが原因で、二説存在することが分かりました。

2 についても事情に納得できました。

3 菅家文草(卷第五 詩五)は岩波版でも確認しておきました。
転句で偏に菊を愛するに非ずといっていることから、作者は菊の他にも花一般を愛でていると推し量れます。となると結句は「後」を採って
>>「菊の花が咲いたら、もう他の花は目には入らない」
とするよりは「盡」を採って
>>「菊の花が咲き尽くしてしまうと、もうしばらく花は見られない」
とした方が論理として整合する気がします。即ち「盡」を支持します。が、詩心はないので主張はできません。

有り難うございました。14日(日)までは締め切らないでおきます。またの機会にもよろしくお願いします。

お礼日時:2007/10/08 17:58

中国語では(1)の’此花開盡更無花’の方が古くから詠まれていて、結構有名な詩句です。



意味もBig-Babyさんが説明しました通り、「菊の花が咲き尽くしてしまうと、もうしばらく花は見られない」で合っています。

菊の花は百花の中で最後に咲く花として認識されているため、菊の花がすべて咲き尽くしたら、(今年度は)もう花が見れなくなるという詩人の惜しむ気持ちが表れていますし、なぜたくさんの人が菊の花を愛する解釈にもなります。
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この回答へのお礼

なるほど菊の人気の源の一つは「花の見納め」にあることに気付きました。
有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

お礼日時:2007/10/10 18:43

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