
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
もともとは古い歴史の中で、中国を世界の中心、天下の中心として自分たちを指して呼んでいた名称が中華です。
元来中国に広く分布していた民族の文化がその中心にあります。彼らは周囲の民族との混血が進んだといわれますが、のちに現在の主たる民族の基盤となっていきます。これは後に漢族と呼ばれる民族を構成していきます。便宜上当時のそれも漢民族と呼びますが、その漢民族の思想や文化が最も価値のあるものとして、中華思想の中心に存在していました。中国の史上、他民族である元(蒙古)や清(満州族)による支配があったのも事実で、それらの時代は漢族の文化や慣習を完全には破壊せずに統治していました。
これに対し、漢民族が支配していた時代は、それまでの過去の支配を否定し文献も破壊したりして、歴史を塗り替えていた時代ともいわれます。同じ漢の流れの上にある秦時代、漢朝、明朝では、どの時代でも万里の長城が築かれましたが、この三代は単に壁を延長しただけではなく、自分たち独自の長城を内側に築いています(つまり長城は現在もある部分は三重の壁になっている)。ある意味、前の時代を否定し、あるいは自分たちが前の時代を凌いでいることを、表そうとしていたのかもしれません。
いずれにせよ漢民族(中国では漢族といわれます)の時代は、いつも自分たちが中心であり、他を否定し攻撃し、強くあらねば(見せなければ)ならないという、国民性があると感じます(これは現代の中国も同じ)。
しかし現在は中華という言葉は、漢民族以外の少数民族にも適用されたりしますし、漢族ではない人自身も自分はChineseだと言ったり中華という表記を使うこともあります。これは国名に中華があるからだけではありません。
この裏には100年前の清朝が崩壊したあとの、中国国内の事情が関係しています。
満州族の清朝が崩壊した時代、漢族の国を再興するときが来た、と革命家たちは思っていました。後に辛亥革命が起こりますが、革命前は中国国内はいろんな思惑の人や利権で混乱し、武器や銃を構えた人が跋扈したり対立し、身の危険を感じる革命家たちが多くは、当時すでに強豪の仲間入りをしていた日本に亡命したり、日本の軍事学校にはいって訓練を受けたりして準備をしていました。日本人の中にも、革命を手助けする一般人やジャーナリスト、財界人がいました。中国国内には内外に力を持つ国や人のいろんな思惑が入り乱れていました。
このとき時代はすでに帝国主義の時代であり、また海外の新聞やジャーナリズムが全世界を結んでいた時代となっていました。武器等も海外から銃などが流入しやすく、外国の干渉も起こりやすい時代で、民族蜂起がおこりどこかの強国がうしろにつけば、中国の分裂が起きる可能性をすてきれません。
もし、漢の時代や明の時代のように、物流も情報の伝達もとてもスローであれば、自分たちのペースだけで国を作れたのですが、辛亥革命の1911年当時は、それはもう無理でした。
つまり漢民族のための「漢の国」を作った場合、北の他民族や(満州の背後には日本がいた)、西のチベット(中国と分離を望んでいた)や、すでに英国に抑えられていた南の香港など広東の一部は、民族が違うという大儀名聞を外国強豪が前面に出して、中国から分離されてしまうかもしれません。それを避けるために、中国の土の上にいるものはどの民族であろうと「中華」民族なのである、という中華の概念を引っ張り出しました。
このため革命の翌年、アジア最初の共和制国家として「中華民国」が1912年に建設されました。
世界大戦後、蒋介石率いる国民党は毛沢東に敗れ台湾に逃げ落ち、中華民国も事実上台湾に移ります。毛沢東は1949年、同じく中華の概念を国名に冠し、中華人民共和国をつくります。この国名には、過去のどの中華人の地域も中国のものであり、台湾さえも中国の一部であるという意味がこめられています。
詳しくありがとうございました。
中国人とひと言で言ってしまいがちですけど、民族としての意識にそういう事情があったとは知りませんでした。
No.3
- 回答日時:
中華の華(花)は、文化が進んでいると云う意味で、中華は、世界の中央にあって最も文化が進んでいる国と云う意味です。
特に、黄河流域に古代文明を築いた漢民族が周辺諸民族を東夷(とうい)・西戒(せいじゅう)・南蛮(なんばん)・北狄(いてき)と呼んだのに対して、自分らを世界の中央にあって最も文明が開化している民族と自負して云った言葉です。なお、中華民国は、辛亥革命後の1912年から中華人民共和国が成立した1949年まで、中国を代表する政府が採用した国名で、1927年を境にして、前半を軍閥混戦を背景とした北京政府時代と、後半の中国国民党による国民政府時代に分けられ、首都は前者が北京、後者が南京でしたが、1949年中国共産党(毛沢東)との内戦に敗れ、台湾に逃れた国民党(蒋介石)政府が使用していた名称です。華は、そういうニュアンスだったのですね。
日本の「ひのもと(?)」は大袈裟かな、と思っていましたけど、中国だと偉そうな?名前も違和感ないですね。東夷ってどの辺りを指して言っていたのでしょうか。
中国の東だから日本?!
どうもありがとうございました!
No.2
- 回答日時:
自分は、近代史的に詳しくないので、参考として答えさせて頂きます。
中国において、黄河の中流域に最初に文明が起こった時に、周りは、野蛮人だったわけですよね。「文明」という言葉が指すように最初は、黄河の中流域だけが明るかったわけです。漢という国は、劉邦が起こしたわけですが、漢水の流域の地方で起こった国なわけです。
いわゆる、中国は豊かな地域であったので、周辺諸国から侵略を受けてきた歴史があるわけです。中華の地域に対して侵略をしておいて、同化しなかたのは、モンゴルと日本だけです。それ以外は同化してしまったわけです。まあ、周りは色々な民族が居たわけですが、同化してしまった結果が現在の漢民族なわけですね。
参考にならなかったら申し訳ないです。
日本も豊かだったのだとは思いますが、島国だったのが幸いだったのかもしれませんね。
よく知りませんけど、朝鮮が半島とは言っても大陸の一部だったのに較べて、
日本は中国の属州的な存在にはならずに済んだのも、それが大きかったのかもしれないですね。
広東人は漢民族化された異民族(異民族化された漢民族の間違いかも?)と呼ばれるそうですけど、
漢民族とひと言で言っても、随分顔立ちも言葉も違いますから、周囲を異民族に囲まれて、
中国人(?)自体も、かなりの影響を異民族から受けたのでしょうね。
話がずれてますけど、気のせいか広東語あたりになりますと、普通話よりもタイ辺りの発音と似ている気がします。
ご回答、どうもありがとうございました。
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