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こんばんわ。

大学で日本文学を学んでいるものですが、平安時代の和歌史における題詠化というものを知りたく、質問させていただきました。
それに加え、題詠について、文芸性の観点からの評価などについても教えて下さると助かります。

よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

 ご質問の「題詠化」の「化」の意味がわかりませんが、題詠というのは和歌を自由に詠むのでなく予め与えられた特定の題(「春」「夏」「月」「花」など)に基づいて詠む、和歌の作り方です。

これは万葉の時代にもあったものですが、特に平安朝になって多く見られるようになりました。遣唐使廃止以降国風文化が栄えるようになり、詩歌も漢詩に代わって和歌が重んじられるようになりますが、それにつれ和歌は日常的、社交的なものから純文芸的、専門的なものに変ってきて、天皇の関与する「古今集」等々の勅撰集が編まれるようになります。その中で「歌合」(歌の良し悪しの勝負を競う)、「百首詠」(一度に百首作る)、「本歌取り」(過去の有名な歌の詞を取り入れて作る)等々が試みられるようになりましたが、「題詠」もそういう試みの一つです。いずれにせよ和歌が単なる余技や日常の連続ではなく、歌道として厳しい修練を積み、専門化してきた表れです。題詠は一つの題について詠うだけでなく、結題(むすびだい)といって、「月に対して古へを懐ふ」など、複合した題で競うこともあったことが「後鳥羽院御口伝」などにあります。歌合としては「寛平御時后宮歌合」、百首としては「堀川百首」などが知られています。
 今日では明治の正岡子規以降、事象や自身の心をありのままに、虚飾なく正しく詠うことが大事とされ、こうした「題詠」などは一種の技巧に走る言葉遊びにもなると考えられ、一般的には良いこととされません(「歌会始め」などには今もありますが)。
 貴重なテーマですが、簡単に説明できることではないので、国文科の学生であればなおのこと、教授に教わったり、書物で調べたりして地道に研究されることを望みます。なお「こんばんわ」でなく、「こんばんは」だと思いますが・・。
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