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俊寛が流された喜界島は薩摩硫黄島であるという説と、奄美大島東方の喜界島であるという説があるようですが、どちらが有力なのでしょうか?詳しい方護教授願えれば幸いです。

A 回答 (2件)

さらには長崎県の伊王島という説もあるようですが(俊寛の墓がある)、康頼が流した卒塔婆のうちの一本が「安芸の厳島神社の浜辺」に流れ着いていますから、方向的には、長崎の伊王島よりは、薩摩硫黄島か奄美大島東方の喜界島のいずれかの方が自然な気がします。



薩摩硫黄島か奄美大島東方の喜界島では、どちらが有力かは存じませんが…。

平家物語の中には、この島について「島の中には高い山があり、常時火が燃えている。そして硫黄というものがたくさんある。」という旨の記載がありますから、『火山島』ではないかと思います。
また、都から離れていることはもとより「波路をしのいでいったところにある。並大抵なことでは舟も通わず」とのことですから、島とはいえ九州から程近い長崎の伊王島は外れると思います。

火山島といえば薩摩硫黄島のような気がしますが、ここには俊寛の銅像があるくらいですよね(しかも建てられたのは平成になってからだったような)。
喜界島には俊寛の墓と銅像があって、「墓を調査した人類学者の鈴木尚によると、出土した骨は面長の貴族型の頭骨で、島外の相当身分の高い人物であると推測された」らしいですが、喜界島は「隆起性サンゴ礁の島で全島ほとんどがサンゴを起源とする石灰岩」でてきているそうですから、「島の中には高い山があり、常時火が燃えている。そして硫黄というものがたくさんある。」という平家物語の記載とは一致しません。

ですから、個人的には薩摩硫黄島の方が可能性が高いのかな?と思います。

硫黄島といえば、映画の影響で、東京都の硫黄島(いおうとう)(原則上陸すらできない)と鹿児島県の硫黄島(いおうじま)を混同する方が増えているそうですね。
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この回答へのお礼

薩摩硫黄島に決まっていると思い込んでいたので、他の説もあるのを知り、それぞれ興味をそそられました。当時の日本の版図の中での絶海の孤島ということで、やはり、薩摩硫黄島で決まりかなと思っています。結論は同じでも、楽しい勉強をさせていたできました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/31 09:53

こんにちは



参考までに
http://www.asahi-net.or.jp/~xf6t-hrd/essay3.htm

個人的に対馬あたりだと思い込んでみていました
(だって~千鳥とかがすんでいるので)
硫黄島ですと人が住めないといわれていますよね
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この回答へのお礼

すばらしいホームページを紹介いただき、ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/31 09:45

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