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学生のころ
班田収受法→三世一身法→墾田永年私財法と
徐々に公地公民制的なものがくずれていった様な感じで習ったような覚えがあるのですが
よくよく考えてみると
墾田永年私財法が施行されているさ中も班田は行われていたんですよね。ということは班田収受法と墾田永年私財法は並立して存在していたことになると思うのですが
三世一身法はどこに行ったのでしょう?
発展的に失効させて墾田永年私財法へと変化を遂げたという認識でいいんでしょうか?
それとも三つとも並立して存在したのでしょうか?
それから
これらの法律やこれ以外の同時期の律令とかでもそうですが
いつなくなったんでしょうか?
今日からこの法律は失効します的な感じの詔がでたのでしょうか。
それとも
いつのまにかなし崩しになって
あるにはあるがみな忘れてしまったのか?
どうなんでしょうか。

A 回答 (2件)

まず、漢字の訂正を。

「収受」ではなく「収授」です。

班田は6年に1度の規定でしたが、この作業は大変な困難を伴いました。そこで、桓武天皇の時、12年1班となりましたが、平安初期にはこれも守られなくなりました。最後の班田は902年のことです。醍醐天皇が班田を励行するように命じたのですが、皮肉なことに、これが最後となってしまいました。

さて、墾田永年私財法が発せられたのは、人口の増加による口分田の不足という背景があります。また、税収の確保という目的もあります(墾田は租が課せられる輸租田です)。さらに、身分ごとに私有を認める面積に制限があり、私有を認めるというよりも、その範囲を限定しようとする法の意図が見えます。

墾田永年私財法は、765年に中断され(加墾禁止令)、772年に復活します。その後、面積の制限は撤廃されたと考えられています。

なお、723年の三世一身法(養老七年の格)は、743年の墾田永年私財法(天平十五年の格)で否定されました(「三世一身を論ずることなく」とある)。
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この回答へのお礼

遅くなってしまいましたが大変勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/01 10:22

> 墾田永年私財法が施行されているさ中も班田は行われていたんですよね。

ということは班田収受法と墾田永年私財法は並立して存在していたことになると思うのですが三世一身法はどこに行ったのでしょう?

班田収授法は、国有地を強制的に耕させる法律、対して三世一身法・墾田永年私財法は原野を開拓したら国有地ではなく私有地として良い、という法律であり、三世一身法は期限付き、墾田永年私財法は無期限、という違いがある、と私は理解しています。

> いつのまにかなし崩しになってあるにはあるがみな忘れてしまったのか?

というか、
開墾地が増える→国有地は変わらないので税収は変わらないが管理費は増える→国が管理しきれなくなって、野盗・悪党大活躍→自警団が出来、その後ろ盾に貴族がなることで荘園が成立
していく、という流れになっているのだと理解しています。

まぁ、形式上は「明日から~という制度にするぞよ」という詔が出ているのかも知れませんが、政治的実権自体、天皇家からは既に失われて久しい時代ですからね。
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この回答へのお礼

遅くなってしまいましたが
大変勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/01 10:22

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