護身のための武道を習いたいと思っています。
身近にあるのは少林寺拳法の教室と空手(流派はわかりません)教室です。
実践向きで相手に打撃というか、致命傷とはいかないまでもダメージを与えるものってあるんでしょうか?
教えてください。

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A 回答 (12件中11~12件)

少林寺拳法が良いです。

護身術で、相手の力を利用して身を守る術です。打撃系と関節系(関節技)両方あります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
少林寺拳法のよさはやはり、両者があるということなんでしょうね。

お礼日時:2001/02/07 07:42

武道をたしなむものが護身とはいえ相手にダメージを与えるようなことがあれば


過剰防衛に問われることがありますよ。ご注意を。

どの武道にも優れている点はあると思いますので自分の目的を明確に道場主に
伝えて見学させてもらってみてはどうですか?

セルフディフェンスを売りにしているものにはグレイシーをはじめとする
柔術がありますね。

どこにお住まいなのかわかりませんが空手の正道会館にも柔術コースがあります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
正道会館系の道場かどうかはわからないので調べてみる必要がありますね。

お礼日時:2001/02/07 07:39

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Q武道の流派はなぜ?

なぜ、対外的に流派の技を使うとまずいのでしょうか。
特に古流の物などは安全なルールを定めても他流試合などを禁じているところが多いです。
戦国時代ならば、他人に知られれば研究されこちらの身が危ないことはあるでしょうが、それ以外に考えられるとするならば、もし負けた場合のメンツでしょうか。
他のものと比較検討できて初めてその流派の短所長所が解ると思うのです。
知らない人に宣伝効果を与えることはあれ、負の面はないように思うのですが。メンツなどよりも他の人たちとそれぞれの短所長所を教え合えば、さらによい物ができると思うのですけど。ちなみに私が属している西洋古典剣術はそのようなことは全くありません。

Aベストアンサー

説明ありがとうございます。
私の説明が悪かったようなので、追加します。

個人的には、武道・武術はもともと卑怯なものを格調高くさせようとしたものでもあると思っています。
また、卑怯なやり方に対応する工夫も重要です。(何が卑怯かは個人個人違うと思いますが、その工夫を活かせるような試合を作るといいですね。)
さらに、合戦を前提にしている場合、当然背後から攻撃されることや複数の相手も考えなくてはいけません。1対1の試合形式だとその点が甘くなります。大勢で1度にできて安全な真剣にできる試合もいいと思います。

「試合と書いていますが、大事なのは勝ち負けではなくそれを体験し、自分自身の短所と相手の長所を知る点です。」ということですが、大抵の人はルールがある限り勝ち負けに拘ってしまうのではないでしょうか? たとえ試合をしている人は拘っていなくても、流派を名乗って試合しているとそれを見た人は「あの流派が勝った・負けた」と思うでしょう。これは流派にとっては喜ばしいことではありません。
勝ち負けのないルールや、一般に敗者にみえるような側が賞賛されるような工夫もあるとよいでしょう。(それがつまらないなら、勝ち負けに拘っていることになると思います。)

「武器の件ですが、模造刀であれ竹刀であれ、相手も同じ物を使うのであれば武器による精神への追いは同じです。」
これについては、実際に模造刀(or刃引きの日本刀)でやった試合と竹刀でやった試合を何回か繰り返して比べて見ると、はっきりすると思います。
刃引きの日本刀でなくても、木刀とチャンバラ剣道の袋竹刀(正式な名称は知らないのですが)で比べたりしてもいいと思います。
模造刀と竹刀で比べるときは通常の剣道の防具をつけ、木刀と袋竹刀では防具をつけないでやって比べてください。武器があたったときの痛みや危険度の違いが、試合構造や精神状態ににどう影響するかがはっきり判ると思います。
(危険すぎてできないというのであれば、そこにこそ精神状態の違いが現れているのではないでしょうか? それでも何回か繰り返していくと試合の技術構造そのものの変化が見れると思います。そうすると試合することの功罪のある面が明確になってくると思います。怪我しても責任もてませんが!)

表演会といったのは、流派の特徴が出やすいのでそのほうが研究にはなるかなと思ったからです。
自分の技が通用するかどうかは別の話です。それについては個人的な試合や、他流や他道場との交換稽古などが必要だと思います。(交換稽古や他流との非公式な練習試合をやっているところもあります。)

「日本古流の物を、危険な技はかけないルールで古流を生かして誰でも参加し楽しめる物を作ろう。」ということですので、参考になればと、だらだら書いてしまいました。
武術・武道・格闘技・護身術といったものは身に降りかかった危険を、自分に対してどう安全にしていくかの方法論ともいえます。失敗すれば怪我/死をまねくという前提があやふやにならない、かつ、安全な試合形式というものを探求したらいかがでしょう。
柔道や剣道がそうであればいいと思うのですが、もっといいものを作ってください。がんばってください。

説明ありがとうございます。
私の説明が悪かったようなので、追加します。

個人的には、武道・武術はもともと卑怯なものを格調高くさせようとしたものでもあると思っています。
また、卑怯なやり方に対応する工夫も重要です。(何が卑怯かは個人個人違うと思いますが、その工夫を活かせるような試合を作るといいですね。)
さらに、合戦を前提にしている場合、当然背後から攻撃されることや複数の相手も考えなくてはいけません。1対1の試合形式だとその点が甘くなります。大勢で1度にできて安全な真剣に...続きを読む

Q武道やってない方に質問です 武道やってる人のイメージってどんなですか?

武道やってない方に質問です

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Aベストアンサー

私の知ってる人だと、キチンとした方が多いですね。
極めたような方は特に 子供の頃ちょこっとやってて的な方は割りと
力で相手を威嚇するタイプが多かったですね
何事も長く続けて来た人は精神も鍛えられてるのかも知れませんね。

Q武道は、なぜ魅力的なのでしょうか? 武道は良い物だと思っている人がいる

武道は、なぜ魅力的なのでしょうか? 武道は良い物だと思っている人がいる一方で、武道を喧嘩の練習とか、乱暴者の集まりだとか思われているのも事実。 実際、武道の起源は暴力です。暴力が戦争の中で技へと発展し、さらに術と呼ばれる様になり、近年に心の扱いが加わり、現代の武道へと昇華したわけですが、暴力をコントロールするという本質は変わらない物だと私は思っています。 武道を習ったからといって、何に対して強くなれるのだろうか?狂犬や虎に襲われた時に備える事が出来るようになるのでしょうか?自然災害に対して何かが強くなれるのだろうか?人付き合いや、社交場のメリットがあるとするならば、暴力で相手の人を脅すのでなければ、別段武道でなくても、効率の良い対人関係改善の方法はいくらでもあるだろう。 こう考えると、やはり、武道とは、暴漢に襲われた時に対応する技術、護身術であると結論すべきなのだろうか。護身術ならば、必要最小限の技術で済むわけですが、武道愛好家はより高度な技術を求めて修行しています。また、おしなべてその様にしたくなるようです。それはなぜでしょうか?武道に関わると、より効率よく人に暴力を振るう方法を探求することに喜びを求めるようになってしまうのでしょうか?
 かくいう私も、護身の意味で始めたボクシングから、各種の武術・武道へ、それはまるで身代を潰してまでガラクタを買い集める収集家のようにのめり込んで来ました。しかし、なぜこの様になってしまったのかを最近考えています。自分の考察では変身願望が強い為?かなと思っているのですがこれだという回答に到達していません。
 そこでアンケートをしたいのですが、 「皆様は、武道にたいしてどの様な考えを持って接し、どの様な魅力を感じ、武道を続けているのですか?」 (便宜上、武道に武術を含みます。)よろしくお願いいたします。

武道は、なぜ魅力的なのでしょうか? 武道は良い物だと思っている人がいる一方で、武道を喧嘩の練習とか、乱暴者の集まりだとか思われているのも事実。 実際、武道の起源は暴力です。暴力が戦争の中で技へと発展し、さらに術と呼ばれる様になり、近年に心の扱いが加わり、現代の武道へと昇華したわけですが、暴力をコントロールするという本質は変わらない物だと私は思っています。 武道を習ったからといって、何に対して強くなれるのだろうか?狂犬や虎に襲われた時に備える事が出来るようになるのでしょうか...続きを読む

Aベストアンサー

>武道の追求者はタダの嗜好家なのだろうか? 
続ける動機がないとやめてしまうのでその要素は多少はあるのではないかと思います。追求と嗜好は全く同じということはないです。
>人間的成長が得られると信じられている武道とは幻なのだろうか?
人間(他の生き物も含め)暴力性が根源にありますから、その暴力に対する追求と探求はその『性』(人間性の性)ってなんだろうという追求。そのアプローチは人それぞれなので、成長と考えるかどうかは人によると思います。成長の定義も人それぞれです。 
>私の武道修行における達成感というものは、そんな種類の物だったのだろうか。
達成感というのは出来なかったことが出来たことへの喜びですので、ダイエットでも仕事でも同じだと思います。
 >暴力の技術には人を魅了するか、中毒に陥らせる魅力があると言う事なのだろうか。その魅力とは、生存本能に根ざした人間の原始的な部分から来るのだろうか。
技術への魅了は、他の競技アイススケートやハンマー投げ、野球にも共通すると思います。
完成度の高さに伴う美しさ、心技体の関わるところです。
心身が関わるところに原始的な何かがあるのかもしれません。
ライオンや野生動物をみて何か魅力を感じますし
暴力性といえば何故か戦車や最新兵器などに魅力を感じることもある
この辺りも何か通じるところかなと思うところです。
>武道家に対して女性が男らしいと魅力を感じるなら、それは、やはり、その原始的な部分による物なのだろうか。
原始的なオスとメスの関係からくるところだと思われます。

>とすると、武術として、技術の部分が魅力ということで、武道の道の部分、宗教的道徳を背負った部分は、己の暴力技術を使わないように押さえ込む為の物であって、武の修行としての魅力とはならない。となるのだろうか。
道徳も暴力も同じものでセットではないでしょうか。
人切りと言われた岡田以蔵なども、誰でも斬り殺した訳ではなく斬る対象と斬らない対象の分別をしていたところ、また斬って後悔した逸話などにはある何か道徳的なものがあったのではと思います。
また仮に人斬りに襲われたとき、道徳と暴力はセットで対処するのではないでしょうか。
戦わずに勝つなど。(きれいごとではなく実際にです)
人きりでなくても、生活のなかで起きることに対してもそうです。
世界の名将や賢帝と称される人達には、他国や自国の民との関係も良好です。
戦場に放り込まれても、人への配慮があり、かつ殺されずに敵を倒すというのは
理屈の域を超えていると思います。相手はどんな汚い手段をつかってもいいわけですから。

私は怖くて逃げるとか、構わず皆殺しにするといのはよく分かるのですが・・・(苦笑
やはり追求は終わらないです

>武道の追求者はタダの嗜好家なのだろうか? 
続ける動機がないとやめてしまうのでその要素は多少はあるのではないかと思います。追求と嗜好は全く同じということはないです。
>人間的成長が得られると信じられている武道とは幻なのだろうか?
人間(他の生き物も含め)暴力性が根源にありますから、その暴力に対する追求と探求はその『性』(人間性の性)ってなんだろうという追求。そのアプローチは人それぞれなので、成長と考えるかどうかは人によると思います。成長の定義も人それぞれです。 
>私の武道...続きを読む

Qフラメンコ教室・スペイン舞踊教室を探しています。

フラメンコ教室・スペイン舞踊教室を探しています。全くの初心者です。探している教室の場所は、東京都~千葉県を走っている、営団地下鉄東西線沿線か、大手町・日本橋・銀座近辺です。情報をご存知の方は、ぜひ教えてください。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

フラメンコ教室が、地区別に検索できます。
http://www.spain-japan.net/flamenco/DIRECTORIO/di_1.html

後は、参考URLで、キーワードを"フラメンコ教室" か
"スペイン舞踊教室" で検索できます。

参考URL:http://www.google.com/intl/ja/

Q護身

肩をつかまれたときに、相手をケガさせないように相手をかわす方法はありませんか?

Aベストアンサー

掴れたら無理ですね。足を踏む、向こう脛を蹴る、股間を蹴るなどは怪我の可能性がありますしね。
つまり相手の怪我を気にしてたら身は護れ無いと言うことです。

例えば上からつかまれる、両側からつかまれる、その瞬間であれば身を交わす方向は一つしかありません。それは下です。スクワットのように身をかがめること。
でも普通は膝と腰を曲げるので斜め前にかかめて仕舞いますから、これでは失敗の可能性が増えます。
唯一の可能性としては、しゃがもうとするのではなく、膝を胴の方に引き上げるのです。
縄跳びでは飛び上がりますね。地を蹴ってから膝を挙げます。この地を蹴る動作をなくしたもの。
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これで足が地に着いたらダッシュ。この練習をしてみてください。

でもあまりしゃがみすぎると膝を痛めるので注意してくださいね。


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