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全知全能であるとされるキリスト教の神はなぜ悪魔を野放しにしたままでいるのでしょうか?

また、イエスキリスト(神)は自らに対する悪行を許し、我々人間にも悪行に対して許しを勧めるにもかかわらず、なぜ悪魔(堕天使ルシファー)とは許し(和解)をしないのでしょうか?もしくは上述のように野放しにせず、消滅させないのでしょうか?

正義、義、哀れみをなんらかの形で堕天使に示すことはできないのでしょうか?

A 回答 (17件中11~17件)

 No.1です。

蛇足になりますが。きちんと読んでいただいてありがとうございます。
 例によって 引用魔になります。信仰が前提ですが きちんと認識してくださったので ほとんど引用だけを連らねます。
 この世においての存在や行為のあり方について まづイエスが直接 弟子たちに語っているところです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 父は子(イエス)を愛して、御自分のなさることをすべて子に示される・・・。また、これらのことよりも大きな業(わざ)を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。
 すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。
 また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。
 すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。
(ヨハネ:《御子の権威》と題された段落として=5:19-30) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 しかも この《子イエス・キリスト》よりも大きなわざを われわれ人間が為すようになる(!?)。・・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。・・・ わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。・・・
 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。
 わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。
 (ヨハネ:《イエスは父に至る道》の段落=14:1-14)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これを アウグスティヌスが解説しています。
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 ・・・《もっと大きな業を行うようになる》ということば・・・はまたどういう意味なのであろうか。・・・
 それはこういうことであろう。つまり 《わたしを信じる者はわたしより大いなるものであることはできないが しかしわたしはその時には今よりも大いなるわざを行なうであろう》 すなわち
 《わたしは わたしを信じる人を通さないでわたしによってわざを行なうよりも わたしを信じる人を通してもっと大いなるわざを行なうであろう》ということなのである。つまり それは
 《わたし自身はわたしを信じる人と関わりなくわざを行ない また わたしを信じる人を通してわたし自身がわざを行なう》という意味である。言い換えれば
 《わたしがその人と関わりなく行なうとき そのわざを行なうのはその人ではない》 しかし 《わたしがその人を通して行なうときには その人自身によって行なうのではないけれども その人によって行なわれている》ということである。さらに
 《わたしを信じる人を通して行なうほうが その人と関わりなく行なうよりもより大いなることを行なう》のであるが それはその人が微力だからではなく その人がへりくだっているからである。そのことは 《僕たちは 主人から彼らに与えられている諸々の賜物の代わりに何を主人に返すことができようか》(詩編116:12)と言われていることからも分かる。
 そこで主は弟子たちに対して他の善いことの中でも特に次のことを与えようとされたのである。すなわち 彼らと関わりなくではなく 〔しかも〕彼らによって大いなるわざを行なおうとされたのである。・・・
(アウグスティヌス:ヨハネ福音書講解説教・第72説教(一))
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この回答へのお礼

貴重なアドバイス、重ねてありがとうございます。
きちんと認識できていましたか!?

私はイエスキリストを尊敬し、神であると認める選択肢を選ぶことは十分可能であると考えています。ただ、質問内容のような疑問が父としての神にはあるんですね。

まあ、それも、この引用からすると解決に向かうかのようですね。

それから、信仰を持つならば我々人間に神から権限が委譲されるということですね。

でも、大きなわざってなんでしょうか?
福音を伝えることや、イエスキリストが行ったこと全般でしょうか?

お礼日時:2008/01/25 00:04

基本的にはNo1の回答が一番まともだと思います。


いくつか問題があると思います。

(1) サタンや悪魔って、そもそもどこから来たのか?

 サタン=悪魔なのか、サタンと悪魔は別?サタンとルシファーの関係は?堕天使っていったいなぜいるのか?誰が生み出したのか?
 これには諸説ありますが、聖書に完全に基づいて論証することは難しいところです。なぜなら、書いてないからです。ただあらゆる文脈上から判断するとき、3つの邪悪な存在が区別されます。すなわち、サタン、悪鬼(悪魔)、堕落した天使です。この3つは区別が必要です。
 悪鬼は創世記の時点で登場したと考えられます。つまり創造の後。しかしサタンと堕天使は創造前、つまり地球が存在する永遠の昔に何か宇宙において大きな反逆があったということになります。
 旧約聖書からかすかな記述を判別するとき、もともとサタンと堕天使は神のもとについていた忠誠なしもべだったことが分かります。サタンは天使の中の長、つまり天使のなかで最も優れた、能力ある、神に近い存在であったというのが有力であろうと思います。
 しかし、旧約の諸節からすると、サタンはある時から高ぶり、自分を神よりも高くしようとしました。そこで反逆が起こり、サタンは天使を巻き込み、堕天使としました。ここからいわば宇宙的戦争が起こり、現代にも引き継がれています。これが聖書の見方です。ルシファーとはサタンのことです。

(2) サタンや悪鬼、堕天使と和解できない理由 

 よく勘違いされることですが、野放しにしているというのは神が許したというわけではありません。まず重要な前提として、神はキリストの十字架の死をもってサタンを同時に葬ったとされています。時間の観念にとらわれた人間からすれば、そんな馬鹿なと思うかもしれませんが、現代に悪魔が横行していても、実は神の目にサタンは死んでいます。
 これはどういう意味か。聖書の啓示録において、サタンや邪悪な天使がどのように葬られるかが書かれています。ですから、サタンなど邪悪な存在はすべて葬られることになっており、これは予定とかではなく、絶対的に神が全能をもってそのようにするということです。その手順や道まですべてが決まっています。
 彼らと和解しないのは、彼らが邪悪であるから、というだけです。またイエスが人の悪行を許すとはいいますが、厳密には許していません。それを悔い改める存在、神を信じる存在には彼は救いを与えますが、罪人は後にすべて裁かれることがイエスには分かっているので、あまり明確な懲罰はしないのです。残念ながら未信者はすべて裁かれて滅ぶというのが聖書の記述です。死がその裁きです。

 サタンと和解することは、すなわち神が神でなくなるということです。神が「義」であるのでこれを動かすことはできません。わざわざ人を救うためにイエスを遣わす必要があったのもこれのせいです。「いたいのいたいのとんでけ~」といって人の罪を勝手に帳消しにはできないのです。人はサタンの狡猾により不義であったので、死という運命になってしまいました。これを救うために、神はイエスをもたらし、身代わりに罪を背負わせることで正当な手続きをとらねばならなかったのです。

 神にはサタンが悔い改めることがないことも分かっているので、和解という道はありません。

 堕天使に正義、義を示すということは彼らを滅ぼすということです。彼らをゆるすということは神が敗北し、敵に支配されるということです。なぜなら神が義でないものを許したことになるからです。彼は義であるがゆえに、義でないものはすべて滅ぼさなければなりません。人も例外ではありません。しかし救いの道を自らの犠牲をもってつくったわけです。これが聖書が全世界でいまなおベストセラーであることの理由です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

(1)brageloneさん(No.1)の回答とあわせて考えると(1)宇宙的悪魔対神の代理戦争が地上で行われているということになるわけですか。

(2)>残念ながら未信者はすべて裁かれて滅ぶというのが聖書の記述です。死がその裁きです。
 とおっしゃられていますが、福音が知らされていない場合なんかはどうなるんでしょう。brageloneさんの引用から全知全能の神にそのような疑問をさしはさむ余地はないと思われますが、どうかんがえても、理不尽に感じます。この思いが不信感を募らせます。不透明さというか・・・。もちろん私など関知できないのが神の心なのでしょうが・・・。

>イエスが人の悪行を許すとはいいますが、厳密には許していません。それを悔い改める存在、神を信じる存在には彼は救いを与えますが、罪人は後にすべて裁かれることがイエスには分かっているので、あまり明確な懲罰はしないのです。

とおっしゃられていますが、我々には主の祈りでもあるように、一方的にゆするように勧告しているように感じます。悪への対処法としての戦術レベルでの指示のようなものと考えるべきでしょうか?炭火を頭に積むとかいった。

うう、深遠ですね。ベストセラーたるゆえんはそのへんにもあるんでしょうか。

お礼日時:2008/01/25 00:30

神と悪魔の対話といえば、外典偽典伝承の類もいいけど、


ここはやっぱりヨブ記を思い出しちゃう。
(サタンとルシファーの関係の諸説は無視するとして)
いろいろ粉飾はほどこされたとしても、
やっぱりどこどなーく牧歌的においの残る異色の文学。

はじめてこれを読んだとき、誰もが思うに違いない。
ちょっとちょっとヨブの運命は二人の余興の玩具なのかしら?

何にもまして可笑しいのは、サタン自身がなにげに
ほかの天使と一緒に神の前に列席している。
しかも神に助言までしている。立ち位置まるで同じ。

本当は、悪魔は神のベストパートナーなのかも。

「光は闇の中で輝き、闇は光に打ち勝たなかった」(ヨハネ1:5)
けど、闇がなくては光も光れないのかも。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

サタンは「歩きまわって来た。」らしいですね。

さんざん残酷なことをさせるままにしておいて、後で何倍にも祝福する・・・。しかも、全員に「お前らに私の考えが分かるか?」と言われれば、私なら「いえ、分かりかねます。」と言わざるを得ません。
ただ、冒頭で殺されたヨブの家族たちも全知全能であるならば、天国かどこかで再開するようなシナリオがあるのかなとも思いました。

>闇がなくては光も光れないのかも。
たしかに悪がなければ義もないということになるんでしょうね。
創世記冒頭で光と闇を区別したとありますが、これは・・・。

お礼日時:2008/01/25 00:45

質問内容は、中世のキリスト教界でだいぶ問題になった事です。


(現在は全く問題にしていません。疑問が解決したのではなく宗教とは自分自身の信仰であるからです)

神と悪魔の関係を説明しようとする立場に、
グノーシス的思考による説明。
二元論的思考による説明。
悪魔の救いによる説明。
悪魔は神の意志であるとする説明。
宗教学的な説明。(これは現代の説明でせす)
歴史経緯による説明。(これも現代の説明)
などがあります。

個々に説明しますと長くなってしまいますので、概略だけに留めます。

グノーシス的考え方は、キリスト教と古代ギリシャ哲学が合わさって生まれた考え方で、精神を重視し、物質・肉体を劣る物とする考え方です。
神を、精神や知性をつかさどる上級神と物質や肉体をつかさどる下級神とに分けて考えます。
上級神と下級神の関係は、派によって異なりますが、悪魔は下級神が作り出した物という考え方です。(人間の肉体も下級神が造った)

二元論的思考では、グノーシス的考え方と似ていますが、マニ教の影響下に生まれた考え方で、「現世は、光と闇の戦いの場であり、未来永劫この世界がある限り続く」という考え方です。

悪魔も救われるべきとする考え方は、神は、悪魔の諸行も全て了解しており、いずれ悪魔も改心して天使となる事を知っているからという考え方です。

悪魔は神の意志であるという考え方は、「悪魔は実は天使であって、神の命令の下に行動しているにすぎない」とする考え方で、神を裏切る人間を探し出すために、神は悪魔の役割を天使にさせているのだという考え方です。

宗教学的説明は、神(光)は、敵対者がいてこそ必要であり敵対者がいなくなった場合、神はその地位から没落する事になる。
光は、闇の中でこそ光り、明るい所では光り輝く事ができないため、敵対者を必要とするという考え方です。
バラモン教の最高神インドラやゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーが没落したのは、敵がいなくなってしまったからだという事です。

歴史的経緯による説明は、そもそも「唯一絶対神」という考え方は、古代には無く、中世になって生まれた考え方で、それまでのユダヤ教における神は、ユダヤ人に対しての絶対神であり、他民族には関係が無かった。
そのため、異民族の神を排除できずに、悪魔として残ったという考え方です。

私としましては、神は、自らの力を示すために敵を必要としているため、敵対者を完全に心服させないのだと思います。
これは、アメリカも全く同じで、常に敵を求め、敵の存在により自国や信者の結束を強め、自らの絶対的権力を維持する必要があるためだと思っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

過去にだいぶ問題になったんですか・・・。

>神(光)は、敵対者がいてこそ必要であり敵対者がいなくなった場合、神はその地位から没落する事になる。

上述の神をアメリカにおきかえて考えると、テロリストはテロをやめてしまうと最も効果があがることになるような。でも、テロリストも必要なので存在させられ活動させられているわけですか?

非暴力運動が効果をあげている理由ってこの辺にあるんですかね?

お礼日時:2008/01/25 00:55

ヨブ記を思い出しました。



http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0487.html


再び神とサタンは話をする。
「もしユダヤ教徒がユダヤ教ゆえに迫害され、別な宗教に改宗すれば助けてやると言われたら、彼らは改宗するだろうか。
別な宗教の神も、実は神が地上に降りてきたわけで同じ神だと嘘ぶけば、彼らはその宗教に改宗するだろうか。律法を守らなくていい、割礼しなくていい 改宗しさえすれば助けてやるといわれたら、彼らは神をすて、人間が作った神を崇拝するだろうか」

多くの人たちは今与えられる幸福を選び、改宗していった。
が、中には改宗しないユダヤ人もいた。
彼らはイエス・キリストを殺したものとして各地で迫害された。
それでも信仰を捨てなかった。

それでサタンは「じゃあ 彼ら民族が呪われていて、彼らのせいでこの世に災いが起こっているとし、生存する権利などないとつぎつぎ殺していけば、さすがに音をあげて、神を裏切り人間が作った神にかしづくのではないか」と言った。

棄教しなかったものは殺されていった。

追い込まれていったユダヤ人は絶体絶命になった。
それを知った日本人の一部は、秘密裏に活動をした。
追い詰められた崖っぷちの彼らを救え。
ユダヤ人にビザの発給をし脱出させた。


神は姿を現して物理的に何かして救うということはしない。
そういうのが神。
神は姿を見せないが、律法を通して接触をした。


10戒。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC% …
「私の民がどうして私の民を殺すでしょうか。私の民であるなら殺すはずがない」


何故一部の日本人が動いたかというと、情けとか憐れみじゃない。
自分も同じ民族かもしれないと思ったから。


私はキリスト教徒はモーセの十戒全部を破っているんじゃないかと思います。
キリスト教は律法を否定しているので、守る必要など無いわけです。
ええ、別の神 自分達が作った神を拝んでいるので、「わたしのほかに神があってはならない。」とは自分達が作った神だけを拝めってことで、その通り、自分達が作った神を拝んでいるので、これでいくと、間違っていないわけです。


キリスト教ができたころ、信者はユダヤ人だった。
自分達の先祖が拝んでいた神を否定し、自分達が作った神を拝むようになり、同族を殺していった。
それをやった者に神は刻印が押した。
4 8 15 16
呪いの数字。


ミスター・エコーは自分の弟を守るために殺したから、自分は間違えていないと島に訴えた。
エコーは島によって裁かれ殺された。

サイードは恋人をアナに殺された。
そのサイードは、過去に拷問をされたと言った女の訴えに激しく泣き、どうか許してください と言った。
恐らくサイードは彼女に拷問をしていないと思う。
しかし、サイードは心から懺悔し、相手の女は「私はやられたからやりかえすという人種ではない。そういう人間にはどんなことがあっても私はならない。だから、あなたを許します」と言い、サイードの罪は消えた。


あーー すいません 先日観たドラマのロストのことが頭にあったので。
で、ですね。
サタンという言葉は、敵対者 自分と逆のことを主張する者を指すんです。

ルシファーというのは、私の推理ですが、恐らく人間からみたリーダー 救世主ことだと思います。
ややこしいんですが、ルシファーってバビロニアの神話の・・・名前忘れた、、、が原型だとされますが、いくつかバージョンがあり、、、、
神殺しをして座を奪った者がいたんですね。
神の座(権力)を要求し、神を殺して、それから人間を作り、自分達の世話をさせた。
人間は神に仕えるものであるという契約を天に掲げ、それで人間はそれを見るたび神の契約を思い出すこととなった って神話があるんです。
それって虹のことですが。。。


で、悪魔を野放しにして何もしない神。
つまり人間を野放しにして何もしない神。

んーー

神は人間をできそこないだとして洪水を起こして全滅させようとしましたよね。
この時点で神は失敗作を作ってしまったわけで、何故全能の神が失敗するのか と指摘しているわけですよね。
もともとはそういう話じゃあなかった。
神は完璧でもなければ、一神でもなく、八百万の神々がいたんです。
日本の古事記と同じ概念。

で、権力を欲した神は、最高神の神に座を明け渡すよう要求。
怒った最高神は全面戦争をすることになり、その時神々は紅白まっぷたつに分かれた。
これが今に語られることになったハルマゲドン 最後の審判の原型の物語。

で、その時最高神はいろいろな神獣を召還し、敵をやっつけるんですね。
ヨハネの黙示録に出てくるあんな感じの神獣。


よく見かける悪魔の絵って角が生えていて羊の体を持っていますよね。
これ 古代の神。
毎年身代わりに生贄として捧げられる羊の王タンムズもこんな形だったんじゃないかって思うんですね。

つまりキリスト教が悪魔としているのは、イエスキリストのこと。
キリスト教は悪魔崇拝を嫌いますが、自分達がその悪魔崇拝だったわけです。

で、4 8 15 16 の刻印が押されてるかもしれない。
その刻印があるものは、島によって裁かれ殺される かもしれないわけです。

で、その裁きの前に引き出されたものが、救われるには、サイードのように心から詫びる以外救われる道は無いとロストではしているんじゃないかと。
サイードはあの女性を恐らく拷問などしていませんが、彼女以外の多くの人たちを上の命令によって拷問してきた。
それは自分の意思でやったのではなく、仕事だったからやったわけです。
で、やっとそれが罪だと気づいたとき罪が現れ、それによって自分は苦しみ、犠牲者の代表者である彼女に詫びることで、罪が消えるという儀式を行ったことになり、サイードから罪が消えるわけで。。。


だからキリスト教徒はユダヤ教徒に心から詫びない限り、罪は消えず、罪ゆえに苦しみことになる ってことになるわけです。
なにより罪を犯し続けているということに気づけず、どんどん罪を重ね重くなっている。
これじゃ マートの前に引き出された時、天秤 カタンとすぐ傾きますねぇ。


>全知全能であるとされるキリスト教の神はなぜ悪魔を野放しにしたままでいるのでしょうか?

神は唯一律法を与えただけで、他は何もしないんです。
それが神なんです。
主神は何もしないんです。
やるのは人間で、叡智によって完了するんです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

イエス・キリストを神として勝手に立てたから悪魔崇拝というかカルトという考え方ですか。

ロストってキリスト教がベースになっているんですか。見たことないもので・・・。最近韓国マンガがアメリカでは相当な人気らしいですね。キリスト教ベース?モチーフになっているかららしいですね。

今度ロスト見てみたいです。

お礼日時:2008/01/25 01:11

質問者の文中には、色々な問題を含んでいます。



1全知全能の神の存在を断定(肯定)し、前提としている。
2悪魔の存在を断定(肯定)し、前提としている。
3神が悪魔を野放しにしてきたと断定し、客観的な事実であるかのように記載している。
4神が悪魔と接触後、和解か消滅か教示的改心の可能性を質問しているが、そもそも接触できる根拠がないのに接触可能と断定(肯定)し、前提としている。

これらすべての断定の根拠がありませんので、誰も回答できません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

1、2を前提として考えて、聖書も肯定して考えて見ると、ヨブ記で悪魔と接触している記述があるので、3だけが私の主観を多分に含んでいるということになるんですね。ということでお願いします。

お礼日時:2008/01/25 01:18

>なぜ悪魔を野放しにしたままでいるのでしょうか?



簡単なことです。グノーシスの思想がその場で崩壊して
しまうからです。

>イエスキリスト(神)は自らに対する悪行を許し、
>我々人間にも悪行に対して許しを勧めるにもかかわらず、

そんなことはないでしょう。出典は?
確かにイエスは許されるといっていますが対象がちがいます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

反宇宙的二元論というのをウィキでみました。これが崩壊するということですか?

主の祈り(マタイ6、ルカ11)で負い目のあるものとは悪を我々に行っているものだと解釈したのですが・・・。箴言25でも悪には善で報いよというものだと解釈しました。

悔い改めた者への許しと、なんというか戦術的な許しというかは違うということですか?

お礼日時:2008/01/25 01:30

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