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 もし重要であるとすれば 基本的なことをおしえてください。
 わたしは 何かひらめきが得られるかも知れないと思ったりはしますが よく分かりません。扱いかねます。

 この質問は 《Q:ヘブル書に引くエレミア書の〈新しい契約〉とは?
 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3807611.html 》でのご回答ANo.45に接して お尋ねするものです。
 次の箇所が 焦点になっており そういう解釈としての説をなすようです。

    ヘブル書8:7の一番目の言約がモーセを通じて与えられた律法な
  らば、8:13の新しい言約はサムエル下7:4-17で言う永遠の言
  約です。すなわち、ダビデの種からメシヤが来られ、イスラエル王国が
  成立するという約束です。   

    イエスキリストがイスラエルの王様として来られたけれども、イス
  ラエルの人々はイエスキリストを殺してしまい、イスラエルの王国は延
  期されたのです。
    そして、イエスキリストが再び来られてイスラエルの王国が成立す
  るのがヨハネ掲示録20:6でいう1000年王国です。        

〔参考・1〕サムエル記・下 7:4-17より 11-13節
  
    ・・・主があなたのために家を興す。
    あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子
   孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。
    この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座を   
   とこしえに堅く据える。

〔参考・2〕 ヨハネ黙示録20:6                  

   第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たち
  に対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となっ
  て、千年の間キリストと共に統治する。
                                                               
  * なお わたくしの立ち場は キリスト・イエスの出現で すべては決まっているというものです。

A 回答 (3件)

非常に熱心に聖書と向かい合っておられますね。

規定がありますので短くお答えさせて頂きます。
人間に対しての規則の部分解決との事で参照聖句がありますが、本当に厳しい規則、たとえば、
手は必ずヒジまで洗う、ヒゲはもみあげとの間を切ってはいけない、日曜日は働いてはいけない
(まきを拾っていて死刑)姦淫は身内によって石打ち死刑、神に対する捧げ物の方法にも誰が
、どのように、どんな物を、と、とても守れないものでした。これらか
ら解放される、という意味です。参照聖句はその後の霊的な成長部分で
、新約聖書のほとんどがこれです。
キリストの死は失敗ではありません。キリストが現れることは旧約聖書
で予告されていますし、キリスト自身も、すべてが予告されていることを、あらゆる場所で語っています。
したがって、イスラエルの王として来たのではありませんので、民達は王を殺したわけでもありませんし、
聖書の王国はこの時代のものではありません。
王国の問題ですが参照聖句2つは結びつきませんし、なぜここが出てく
るのかが、残念ですが私にはわかりません。
補足説明も私には難解です。
具体的にいつそれは来るのか、を聖書から示せ、と言うことでしょうか
?マタイ24章から25章その他は「しるし」について語っています。一例を上げます。戦争、食糧危機、地震、
疫病、地球を破壊する者達が現れる。これらは今起こっていることで、過去に起こっている事柄とは考
えにくいです。その後はキリストもいつ来るか分からない、と言っています。
現世界に神が直接介入しているか、は「いいえ」です。祈りは最後に「キリストのみ名において・・」と
キリストが仲介していて、神が直接介入していないことを証明しています。
またお答えできることがありましたら、書き込ませて頂きます。
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この回答へのお礼

 maatwさん ご回答をありがとうございます。

 ああ そうなんですか。どこか勘違いしていました。
★ キリストの死は失敗ではありません。
★ 聖書の王国はこの時代のものではありません。
☆ よかったです。決して
★ 具体的にいつそれは来るのか、を聖書から示せ、と言うことでしょうか。
☆ ということではないのです。そう言えば たしかに 《主キリストよ 早く来てください》という祈りはありますね。その限りで
★ その後はキリストもいつ来るか分からない、と言っています。
☆ というような受け取りになるのでしょうね。

 厳しい規則についても その煩瑣な規定からの解放も その《文字どおりの励行》ではなく 《霊による成就》という意味で 解釈できるようです。
 総じて ご見解は 現段階において 共通であると理解してよろしいようでしょうか。

 それでは 新しい見解の方の登場を もう少し待ちたいと思います。
 よろしかったら いつでも また参加してください。
 ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/01 18:37

少し気になりましたので、800字以内で書き込ませてください。


「新しい契約とは」は、8-13「新しい契約で・・以前のものを・・」9-15に「キリストは新しい契約の仲介者」とあります。キリストの出現は、レビ記にあるような人間に対して厳格な規則や、死んでしまう人間を救済するために、自分の命と引き替えにそれらから解放してくれました。これが新しい契約です。この場面は、キリスト出現以前の、人間に対する規則の厳しさは信じがたいものがありますが、それを守ろうとする人々と、新しい契約で生活しようとする人々との間で争いがあり、ここではそれを諭そうとしています。
現代社会では、啓示等に書かれている「事物の体制の終結のしるし」が、恐ろしく正確に表れています。そして人類史上初の大患難が起こり
千年王国が始まります。
以上が私の考えている千年王国です。

この回答への補足

 maatwさん ご回答をありがとうございます。

 旧い契約について《厳格な規則 / 規則の厳しさ》うんぬんということをおっしゃっていますので わたしの理解としましては 次のようになります。つまり その規則(つまり 律法のことでしょうか)による生活からさらに一段高いところでの生活形式を 《新しい契約》として示すのが ヘブル書第8章の内容である。これにかんして 同じ趣旨での別の聖句を思い浮かべるなら それは 次の《文字は殺し 霊は生かす》などの箇所だと思うのです。

   あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手
  紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石
  の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。
  ・・・
   神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に
  仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生か
  します。
   ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光
  を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イス
  ラエルの子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、霊に
  仕える務めは、なおさら、栄光を帯びているはずではありません 
  か。
   (コリント後書3:3-11)

 つまり これと同じ趣旨だというふうに理解しますが それで よろしいでしょうか。

 そのあとの段落でおっしゃったことが よくわからないでいます。
★ 啓示等に書かれている「事物の体制の終結のしるし」
☆ これが 歴史の事態に符合するとおっしゃっているのだと思いますが そして それは 千年王国の記事であるということだと理解しますが これが 一大難関です。わたしにとっては。
 No.1のご回答に接して 案外すみやかに わたしは 《神によるこの世界への介入のあり方》という主題を思い浮かべました。わたしの理解では おそらく具体的な現実としての介入は イエスという人間存在つまりそういう経験現実だけだと思うのです。あとは すべて アブラハムを初めとして その人びとそれぞれの主観内面に対するものであり その主観真実におさまるものだと考えています。
 そのことと 《千年王国》との関係がどうであるか これが 理解への難関なんです。この王国やあるいは 指摘しておられる《事物の体制》というのは これらも あくまで経験現実のことですよね。そうすると 明らかに神は そのように直接に人間世界に介入するということになります。
 ですから そこのところを――歴史の全体としてのごとく―― 説明いただかないと なんとも 判断しがたいというのが 正直な状態です。おおがかりなものであるかも知れないのですが いま そう思っています。

 あらためて まとめます。前半のご説明は 上に述べました意味で 納得いたしました。後半のことがらは どう理解していいか どういう事態であるのか まだ何とも 推理も想像もつかない状態でいます。と申し上げなければならないと存じます。このようなあいまいなお応えになってしまいます。あしからずご了承いただけますなら 幸いです。

補足日時:2008/04/01 00:02
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この回答へのお礼

 maatwさん 別の考えが浮かんだので お伝えして 補足します。

★ イエスキリストがイスラエルの王様として来られたけれども、イスラエルの人々はイエスキリストを殺してしまい、イスラエルの王国は延期されたのです。
☆ この解釈に即して考えてみるとき では何故 このイエスの派遣という神のはかりごとが 失敗したのかです。
 成功しなかったことを問題にするのではなく そうではなく 失敗することは ありうることだと思うのですが そのときにも なぜ失敗したか これについて 説明があるのが普通だと考えました。そうではないでしょうか。そして その理由・原因は 何だったのでしょうか。こういう疑問です。
 いかがでしょうか。

お礼日時:2008/04/01 08:16

えっとですね。


ユダヤ教はいろいろな宗教の影響を受けており、それらの宗教が無かったら、別物になっていたと思います。

キリスト教はユダヤ教が無かったら存在しなかったように、過去の哲学者や思想家が居なかったら、ハイデッカーが20世紀最大の哲学者と言われることがないのと一緒。

で、1000年王国の概念は、一体どこからきたのか。


ヒンドゥー教はこの世は周期的に生成と消滅を繰り返していると考えた。
1期から4期まであって、4期が最後の時期であり、母神が破壊者の相を持つと考えたわけです。

ちなみに神は3面を持つものなので、三相一体で、生成もするが破壊もするものであるという概念。
キリスト教はその概念を拝借して、別物にして、三位一体を作ることになったが、そうなる原因は、神は三相一体であるというほかの宗教の影響を受けたのでそうなったわけです。
他の宗教がそういう概念を持たなければ、キリスト教に三位一体という概念は起こらなかったってことですね。

つまり異教の概念を取り込んでいるのであって、独自のものじゃあない。


で、4期になると神々は互いの殺し合い、この世は火と洪水に包まれ、太母神は万物を飲み込み、カオスの状態にして、時すら破壊しつくされた後、再度太母神は創造をする と考えられていた。

4期の神がカリ・ユガという名前になるが、創造の相の場合、別の名前で呼ばれるが、同一なわけです。

で、カリ・ユガがやってきて、全てを破壊しつくすと信じられたいた。

マツヤ・プラーナ(古代サンスクリクトの韻文の聖典。宇宙論、聖典に記された歴史、神の本性を論じたもの)によると、世界の終末が近づくと、その兆候として、社会構造が崩壊し、暴力と犯罪が増え、人間の知性が萎える とされた。

啓蒙的な善性を体現するものが一人もいなくなり、秦の賢者も聖者も、真実を語り、聖なる言葉を守る人も一人もいなくなる と考えられた。

ヒンドゥー教だとユガは紀元前3104年、マヤだと3113年。
古代メソポタミアでは、文明技術の始まりは紀元前3113年から3012年としていた。

世界の始まりとしているものが、大体共通した年代な原因は、天体観測をどこもやっていたからだと思われます。
だから年代が共通するわけですね。

で、バビロニアなのかエジプトなのかわかりませんが、天体観測の技術が各文明に影響をもたらし、それぞれの地域に世紀末の神話を作り出したんじゃないか と。

そのような概念の影響を受けたキリスト教は、ヨハネの黙示録にその概念を反映させたものを聖典に入れたわけです。



でも古代のカリ・ユガをイエスだとして、イエスが最後の審判のために破壊をもたらすためにやってくると言っていたが、千年たってもやってこない。
早く破壊者としてイエスがやってきて欲しいと熱望したキリスト教は、いくら待ってもやってこないのを見て、困ってしまったわけです。
それで「神の目からすると千年は1日にしかすぎない」というテキストを見つけて、自分達の主張を弁明せざるを得なくなった。
恐らくこれはブラフマーの一日は千年であるというオリエントの賢者の発言がそのテキストの文章の由来だと思います。


ま、とにかく、自分たちの宗教を信じたものだけ、破壊から免れるとして信者を募ってきたが、実現しなかったら盗人の詐欺になってしまいますから。

こういう概念があってキリスト教は世紀末は紀元1000年のことであると決定したが、実際はそうならなかったことの言い訳に苦慮したわけです。

最後の審判の時の直前にこの世を復活するのはイエス以外に、アンチキリストも復活し、最終戦争をするとしたが、これは恐らくバビロニアの神話の影響をゲルマン人が継承したからじゃないかと。

ゲルマン人が築いた帝国は神聖ローマ帝国。
神聖ローマ帝国がある限り、アンチキリストは復活しないとした。


で、これはあくまでキリスト教ができたあと作ったものですが、キリスト教が存在しなかった時代はどうだったのか?

死海文書を保持していたクムラン宗団は「戦いの書」の中において、世紀末の物語を描いていた。
エノク書を重要視しており、またヨベル書も参考にしており、それを元に1000年がいつかをはじき出して、年代は忘れましたが、その頃が1000年目だとしたんです。
地震によりクムランの集落が倒壊したとき、いよいよ世紀末が始まったと信じた。
で、イエスがいたと現代の人が信じているあたりに(キリスト教など存在していない時代)に、メシアたちが到来し、天の国を実現すると信じていたんです。

その者は、イザヤ書の内容を信じ、エッサイの若枝 すなわちエッサイの子孫であるダビデ家から出ると信じていた。
ちなみにダビデのお父さんの名前がエッサイ。

で、一説にはエルサレム神殿から逃れた大祭司がクムラン宗団を作ったとされ、彼らはエルサレム神殿を取られたので取り返そうとしていたらしい。
で、自分達を光の子と呼んでいたってことは、神殿にいる祭司達を悪の子という認識だったと思えます。

悪の子がエルサレム神殿を占拠しており、自分達が決めたメシアたちが、彼らを追い払うと信じていた。
でも、彼らが誰をメシアと認定したのか、書物を読んでもわからない。
最初に一人のメシアが道を開き、もう一人のメシアが王国を作ると信じていた。

一人のメシアがもし洗礼者ヨハネなら、レンズ豆と引き換えに長子権を打った人の子孫が、エルサレム神殿を占拠し、自分の血を祭司や議員たちに入れて、牛耳っていたヘロデ王に殺されました。
そして、もうひとりのメシアがイエスなら、ゲルマン人に殺されました。

さて、、、どうしたものでしょうね。
クムラン宗団は、年代を読みよみあやまったとして、再度ヨベル書で年代測定をしなおしたらしいです。


このように何かが既にあったので、生まれていくわけです。
思想にしろ主義にしろ、それが新しいとされても、実はいろいろな影響を受けているのであって、独自に出現したのではない。

それぞれの世紀末の神話がヴェーダ思想であったとしても、ヴェーダも恐らく何かの思想の影響を受けて宇宙論を展開したのだと思います。


ユダヤ教は宗教は12支族がリーダーとなることはできない。
祭司はレビ人じゃないとなれなかった。
それは神が契約との契約内容だったから。

ところがダビデだったか忘れましたが、12支族の中から大祭司を任命したことがあったようなんですね。
最初はレビ人が、この民族を率いて統率していたが、現実宗教だけでは、攻めてくる諸外国の軍勢を蹴散らせなかったので、政治的リーダーの素質があるダビデの出現が庶民達に歓迎されたわけです。

それで今までレビ人が統率していた民族は、レビ人をないがしろにしだし、神に従わず人に従うようになった。

そしてダビデと同じような人の再来を望んだ。
それはエッサイの息子のダビデのような人。

ダビデはペリシテ人の巨人兵士ゴリアテを倒しましたが、でっかい人形をペリシテ人は作ったのでしょうか。
尚、ペリシテ人もダビデも祖先は一緒なんですね。

ヘロデ大王の祖先とイスラエル人の祖先が双子の兄弟だったように、血は同じなんですね。

さて、、、カインとアベルは兄弟でたが、カインは兄弟であるアベルを殺しました。
世紀末になると親戚・仲間など関係なく共食いをするようになるとされる。
神の1日は1000年ね・・・・
ずっと先ってことになりますね。
今生きている人はとっくに死んでいるはるか未来に起こるとしても、我々はそれが真実だったのか嘘だったのか、確認することはできません。
今、それを確認するには、タイムトラベルするしかないですよ。
バーバーさん。

この回答への補足

 《バーバーさん。》と呼び掛けられても よく分かりませんが ご投稿をありがとうございます。
 そうですね。一番の問題は 神と人間との関係を どのように捉えているかにかかわっているでしょう。言いかえると 神によるこの世界への介入が どうであると見ているのか。
 字数制限がありますので 手短かに述べてまいります。
 介入が 人間の内面という領域にとどまると見るのか。それとも 自然の事象や社会の現象にまで 直接のつながりをもって現われると見るのか。比喩でなく 国の王としてのメシアなる存在 もしくは 王国という社会の形態や情況 あるいは 千年という時間現象などなど 経験事実にまで 神が介入するという見解に立つか。そうではなく 一人ひとり《わたし・その主観・つまり信仰》にとどまるとするのかです。

 たとえば 直接介入説にたてば 《イエスキリストがイスラエルの王様として来られたけれども、イスラエルの人々はイエスキリストを殺してしまい、イスラエルの王国は延期されたのです》という解釈が出てきます。あるいはつまり 《彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する》とあれば その《千年》とは いつからいつまでか また その千年を測る物指しはどうであるか等々という議論が出てくることでしょう。
 つまり こう述べてきて すでに 反対説を明らかにしようと わたしは していますが それは たとえば 《文字は殺し 霊は生かす》という命題に基づいています。この場合の《文字》は 神の介入が その文字どおりに 経験現象となって起こるという解釈のことです。反批判がありましたら のべてください。
 ただ いまは 《サムエル記・下 7:4-17》の預言と エレミヤ書の《新しい契約》との関係が わたしには よく飲み込めないという情況です。ご存じの方がいらっしゃれば おしえてください。
   ***
 さて あとは 千年王国などの思想の背景説明に 言葉を費やしておられます。せっかくですから――その応答を期待しないで―― わたしからも まともに お応えいたしましょう。箇条書きになります。
(1) このQ&Aにおいては そして人はそういう質疑以外の場所においても 絶対の真理が何かを知ることは 無理なのですから 一人ひとりの主観真実を述べ合い 互いに研鑚し合います。
(2) 経験科学であっても この主観真実の照らし合わせに基づき 定説を推し出していきます。また 定説を書き替えます。
(3) 宗教ないし社会慣習としてのキリスト教については いざ知らず 個人の内面のキリスト信仰にとっては こういう前提があります。それは 《世界の現象のすべてが 神からの手紙である》です。
(4) つまり 思想にせよ技術にせよ 第一の発明者や発見者について そのこと自体を 貴びこそすれ 問題は 中身ですから その後先はどうでもよい。
(5) ダイムラーかフォードか知りませんが 最初の発明は もうどうでもよい。現在 中身のよいクルマを作ることが 問題です。その限り トヨタも 自己主張をしてよい。
(6) 三位一体と三相一体については すでに議論を終えています。 《Q:〈イエスなる人は神なるキリストである〉はゆるされるのですか。=http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3043372.html 》を参照。その ANo.11あたりから 《三相一体》が出てきます。
(7) 《この世の終末・世紀末・最後の審判など》という思想について ただ漠然と取り上げても おもしろくありません。いまは 千年王国しかも サムエル記・下の預言との関連で どう扱うかです。また 前半に書いたように 神の介入のあり方とも関係します。
(8) 具体的に
★ ・・・天体観測の技術が各文明に影響をもたらし、それぞれの地域に世紀末の神話を作り出したんじゃないか。
☆ 前半は分かりますが 後半は なぜ どのように そのような推論になるのかが分かりません。《天体観測→文明 そして 文明→世紀末の神話》の後半です。
★ でも古代のカリ・ユガをイエスだとして、イエスが最後の審判のために破壊をもたらすためにやってくると言っていたが、千年たってもやってこない。
☆ 《千年たっても》というのは どの時点からですか。イエスの出現の時からですか。そうすると イエスの出現というのは 何であるということになりますか。どういう内容の神の介入だったのかです。
★ このように何かが既にあったので、生まれていくわけです。
思想にしろ主義にしろ、それが新しいとされても、実はいろいろな影響を受けているのであって、独自に出現したのではない。
☆ これは 何も知識がないので 問うわけですが たとえばアブラハムへの神の介入事件は すでに同じような歴史があったのでしょうか。(↓)

補足日時:2008/03/29 15:51
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この回答へのお礼

(↑) 一般に 旧約聖書の時代は モーセの時代であり その律法の時代であると思われていますが かれの前に はっきりと アブラハムの信仰が出現しています。律法は その信仰と生活態度の内容が 言葉にして表現されたに過ぎません。新約として イエスまたパウロでは このアブラハムの伝統が あらためて 生きたというに過ぎないわけです。
 キリスト・イエスとその信仰にとって 《王国》など どうでもよいのだと考えます。もしくは それは 比喩であって 神がこの世に イエスを通じて 介入して 律法とそれによる共同自治(もっと あからさまに言えば それは 《死》の共同自治です)のあり方を あらためてひっくり返したことだと捉えられます。

★ 神の1日は1000年ね・・・・ / ずっと先ってことになりますね。/ 今、それを確認するには、タイムトラベルするしかないですよ。
☆ という問題じゃあない。いま現在において 神の介入についての思想が どういうかたちである〔と認識している〕か これを問うています。

お礼日時:2008/03/29 15:56

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