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入院している親を抱えています。先日医師から余命を宣告されてしまいました。いままで直接的な経験がなかったのでとてもショックで信じられませんが、事実として受け入れなくてはならないです。
もしも私が残り少ない時間しか残されていないとしたら、その事を知りたいのか、知らずに行きたいのかと言うことを真剣に考え始めました。
事実を聞かされた身内でさえこんなにショックなのに、本人が聞いたらどうなってしまうだろう・・
元気なうちに冗談半分にでも、そういう話をしておくべきだったのか?今になってそう思ってしまいました。
どんなにプラス思考の人でも、そんなことを聞かされたらショックは大きいと思いますが、その後をどう生きていきたいのかを考えられると思います。
でももしショックのあまり治療も投げやりな気持ちで受けることになってしまったら・・どうせ自分は長くないんだから、と言って嘆いてばかりの余生になってしまうでしょう。それを見守る家族も相当辛いことだと思います。
本当に病床から復帰できなくなくなった時に「~したかった、~に行きたかった」などと言われたら、家族も一生後悔をするのではないか。もちろん、生きているうちにやりたいことを出来るのが理想ですが、今までは我慢して出来ずにいたことも、この際思いっきりやらせてあげるべきなのではないか?

「もしもあなたなら、自分の残りの時間を知りたいですか?」

私なら・・知りたいかもしれません。
非難批判でも構いません、ご意見下さい。告知してこれからみんなで思い出を作るか、知らせずにこのまま行くべきか真剣に悩んでいます。

A 回答 (12件中1~10件)

>「もしもあなたなら、自分の残りの時間を知りたいですか?」


=知りたいです。ショックは大きいでしょうけどね。

親戚や親族を何人も亡くしている人なら色々経験もされているでしょうから、
こういった話しは少なからずされていると思います。
「~したかった、~に行きたかった」と言える段階ならムリにでも希望に添えるように
してあげます。ですが、私の周りの亡くなった人はそんな猶予の無かった人ばかり。
私の親戚や親族は自分の余命すら知らずに亡くなった人の方が多いくらい。
ガンなどは専門病院に入院した時点で自分はガンである事を知ります。
そしてガン=し。ととらえてしまいます。
現在のガンは昔と比べて治る人や上手に付き合う人の方が多いですが、
そういった病気の判りやすい病院でなかったら、入院患者さん本人が
告知を必要と口にするまで待ってあげるのはどうでしょうか。

義母はガンで余命4ヶ月でした。総合病院からガンセンターへの転院。
そして点滴と放射線治療。義母が気が付かない訳がないけど、本人に告知無し。
義父は義母の余命宣告を受けてすぐ子供を呼び状況を知らせ、余命2週間くらいになった時、
義母の兄弟に連絡を入れました。
義父の意図は静かに逝かせてあげたいから、騒がないでもらいたいというもの。
兄弟が見舞いに来ると、もうそこまでしが迫っている事が本人にわかってしまうから
釘を刺したつもりでした。ですが兄弟はこちらの意図をくみ取らず、
休日でなく平日に見舞いに来てしまって、その後の義母の体調はみるみる悪くなる一方でした。
義父は十数年以上経った今でも兄弟に連絡をしてしまい妻を精神的に追い込んでしまった事を
悔やんでいます。

私達子供は義父の判断で良かったと思っています。義母の兄弟が病院へ来るまでは
義母が行きたがっていた場所へ連れて行く事ができたし、私は息子達や義父より
長い時間義母と過ごす事ができました。
主人は実母を亡くしてから、自分の病気や余命も告知して欲しいといい、葬儀やお墓の事や
未亡人となるであろう私の事についても既に話し合いを終えていますし、念書のようなもの
まで書いてあります。

入院されている方のご性格は家族が一番解っていること。告知しても、しなくても
それを決断した時点ではそれが入院患者さんにとって良いと判断したのですから、
間違っていない正しい決断です。
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この回答へのお礼

貴重な経験談をご丁寧に書き込んで下さってありがとうございます。
義母様が行きたがっていた場所に行き、一緒に過ごすことの出来た長い時間、きっと喜んでおられたことでしょう。
本人に告知せずにそれらが出来るのが本当は一番の理想なのかもしれません。余命を知らせずに、今までやれなかったことがあるのならば大いに楽しんでもらいたい。でもどうやって促せばいいのでしょう。
今まではそんなに頻繁に言ったこともないのに「旅行行こう」「美味しいもの食べに行こう」なんて言ったら、本人がおかしいと思うでしょう。周りがやけに優しくなった、なんて思うかも知れませんね。そしてもしや自分にはもう時間がないのかもしれない、と感づいてしまうでしょう。

最後の回答者様の言葉、「家族で決断した時点で、それが入院患者さんにとって良いと判断したのだから、間違っていない判断」
勇気が出ました。家族で一生懸命考えてあげたいと思います。

お礼日時:2008/05/22 22:49

死ぬほどの病気なんなら本人である程度は分かるんではないでしょうか・・・。

でも、言うべきですね・・・。
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この回答へのお礼

本人も病気のことは知っていますが、まさかそんなに余命が短いだなんて知らないのです。

お礼日時:2008/05/22 22:52

私は20代後半の女です。


私は幼い頃(4~6歳の間)酷い頭痛に悩まされていたそうです。
その間あまりにも激しい頭痛の為、2回程白目をむいて仮死状態になったそうです。仮死状態になる程の頭痛ってどんなもんだか?もちろん記憶はほとんどありませんが、幼稚園の頃に2回目の仮死状態になって病院に運ばれ、当時の医療での(20年以上前)脳に関する出来るだけの検査とかを受けさせられ怖かった恐怖はかすかにですが残ってます。
まだ検査結果が完全に出る前に。
医師に母は【脳に腫瘍があったら。それが悪性であったら命は半年もつかもたないかです。覚悟だけしておいて下さい】と余命宣告を受けたと聞いています。
母は結果が出るまでの日々。毎日毎日朝から晩まで泣いていたし。
眠れぬ日々が続いたと。小学生にもならずに娘が死ぬかもしれない。
自分に何が出来るだろう?自分は何をすべきだろう?
結果がよければいいけれど。万が一最悪な事態であって、宣告通りになるのだとしたら。残された時間どのように…。
もちろん毎日毎日母は私の無事を祈ってくれてました。
もちろん父も。しかし、やはり万が一の最悪も考え。
そうなれば、時間はとても貴重で。1分1秒勿体無いと。
色々考えていてくれたようです。
やはり他のもっともっと大きな病院をとも考えていたし、しかしやはりどうにもならないのであれば病院ずくしの人生で終わるのはあまりにも時間がもったいないと。一緒にいる事とか必死で考えたそうです。
私は高校生になるまで原因不明の頭痛に悩まされましたが。
高校生になりそれまでが嘘のようにピタリと止まり。
おかげさまで今年で29歳になり。結婚もしています。
私は幼い頃から両親から自分の事聞かされて命の大事さを考えて生きてきました。
2回も仮死状態になって、生きてる自分が本当に不思議です。
そんな私が。やはり再びそうなったとしたら。
今度はきちんと理解出来る年齢になったので、告知していただきたいと思い願います。
残された人生、自分なりにまっとうしたいと思うからです。
長く生きればいいってものでもないと私は思います。
たとえ残された時間がわずかであっても意味のあるものにしたいと。自分が納得いくように活用したいと思います。
同じ時間を。時を過ごすのでも。
過ごし方によって変わると思うからです。
同じ物事でも見方によって変わると思うからです。
1つのペットボトルに水が半分あったとします。
それを【もう半分しかない】と思うのか。
【まだ半分もある】と思うのかでは同じ物事でも。同じ現実でも捉え方で変わるからです。どちらも決して間違いではないのです。
どちらも正解だと私は思います。
もしかしたらまだほかに見方はあるかもしれません。
私は【まだ半分もある】と思う派です。

同じ年の友達に。癌になり余命5年と宣告された友達がいます。
再発すれば次はないと。
その友達を励まし続ける事、本当に苦労しました。必死でした。
もちろん本人自ら医師に宣告を受けました。
おかげさまで。再発せず今は元気に暮らしています。
ですが、とても再発率の高い癌で。きっと、再発の恐怖はのぐいきれないと思います。
ですが、友達は気にせず?毎日頑張って生きてます。
やりたい事やって生きてます。
生死をさまよい 入院し 本当に何が大事かとかたくさんの事に気付けたと。友達は言ってました。

何が正しくて。何が間違ってるなんて。きっと誰にもわからない事だと思います。時間はお金では買えません。
特に限られてる場合はさらに何にも代えられない貴重なものだと思います。やり直しがきかない。
時は一刻一刻と過ぎていきます。
残された時間を無駄にしないようにと私は願います。
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この回答へのお礼

貴重な経験談をありがとうございます。そういう経験を乗り越えたからこそ、命の大切さ、ありがたさを、私なんかよりも深く理解なさっているのでしょうね。
どれだけ生きるかではなく、どう生きるかってことですよね。
心に響きました。余命宣告はされたけれど、義父にはまだまだ時間があると思われます。じっくり家族で話し合ってみます。まずは一刻も早く退院して、普通の生活に近づいて欲しいです。

お礼日時:2008/05/22 22:19

そうですか・・・。


私は自分の事はどうでも良いですが、家族の余命宣告はつらいですね。。。

私の場合は未経験で浅はかな考えかもしれませんが、逆に嬉しいと思います。なんだかやっと自由になれる気がして。。。

ただ、残される家族の方が気がかりです。
私が「全然辛くない」「むしろ嬉しい」「幸せな人生だった」といくら言っても納得出来ないでしょうね。。。
逆でも同じだと思います。

悲しませてしまう人が居るというのが辛いですが、なんだか「解放された気分」になる様な気がします。

やり残した事も探せばあるのかもしれませんし、生きていればまた色々と楽しい事もあるでしょうけれど、それはキリの無い話ですからね。

親でしたら成人した子供であれば悔いは無いと思いますが、逆だと辛い思いをさせてしまうのが気がかりです。それが一番辛いでしょうね。

ですが「死ぬと認識して過ごす経験」は人生一度きりなので、その感覚はドキドキしますね。
私は是非知りたいです。
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この回答へのお礼

プラスに考えられる方のようで、羨ましいです。そしてまず残された家族を心配するところが、優しい方なのだろうと取れます。もしも私が余命宣告されたら、まず自分のことで精一杯になるでしょうね。ショックから少し立ち直ったとして、これからどうしよう、何がしたいのだっけ、何が食べたいとかどこに行きたいとか、そんなことを考えたあとに家族のことを考えるだろうと思います。
解放された気分・・・その表現は意外で、でもとても共感できます。
義父にももしそう思って貰えたなら、救われるのに。

お礼日時:2008/05/22 22:07

こんにちは



先日暇つぶしにこの映画をみましたが、結構よかった。
今の nrikami-mk さんにぴったり。観てくれると幸いです。

御質問の答えとしてはショックでかいが教えて欲しいです。

参考URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/bucketlist/
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この回答へのお礼

ぜひ観てみたいです。まさに余生をどう生きるのか考えさせられる映画でしょう。
自分に置き換えて、そして今の現状と重ね合わせて観てみますね。光が見えてきそうです!!

お礼日時:2008/05/22 21:55

知りたいです。

全部片付けるからね。
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この回答へのお礼

やり残したこと、言い残したいこと、片づけておきたいこと・・・きっと誰にでもあるでしょうね。

お礼日時:2008/05/22 21:52

私は、知りたいに一票。



日ごろから生死について考えている人や、
信仰をもっている人なら、
告知してもショックは少ないと思います。

そもそも、誰にだって死は告知されています。
それが、○十年なのか、○ケ月なのかの違いなだけで。

告知を冷静に聞けるように精神を鍛えておきたいと思います。
取り乱さずに聞けたら、それは人生の勝利だと思います。

質問者の親様はどのような生き方をされたのでしょうね。
それがヒントになると思います。
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この回答へのお礼

自由に生きられる(普通の生活が出来る)時点で、後悔の無いように毎日を生きていられたら、たとえ余命を聞かされたとしても、ショックの大きさが多少は違うのかもしれません。

もう明日にでも死んでしまっても悔いはない・・
そう思える人生を送っている人も、なかなかいないのではないでしょうか?
義父の生き方はどうだっただろう。今の時点では悔いはない、とは言わないと思います。

お礼日時:2008/05/22 21:50

知りたいです。


やり残した事もあるし、家族に言っておきたい事もあるので。

私の父がガンでした。
胃の調子が悪いと病院に行った時には、すでに手遅れでした。
余命半年と言われ、最初は隠していましたが、治って行かない身体に対して、本人がイライラし始め、母が告知しました。
それからは落ち着き、病状を受け入れて行ったようでした。

後悔のないように、沢山の時間を一緒に過ごしてあげて欲しいと思います。
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この回答へのお礼

絶対治るから頑張ろう、なんて言葉は時には残酷なのでしょうね。治ると信じて辛い治療を受けているのに、一向に良くならなかったら、きっと私だってイライラして家族に辛く当たるでしょう。

治るなんて嘘だったじゃない!もっと早く言って欲しかった!時間を返して!!なんて言ってしまいそうです。
家族でじっくり話し合おうと思います。

お礼日時:2008/05/22 21:42

私だったら告知してほしいと思います。


それは、大切な思い出作りというよりも
今までの人生と真剣に向き合う機会だと思うからです。
これから生きていく人、死んでいく人。
人生に真摯に向き合えるのは「死に逝く人」だと思っているからです。

しかし、これは私の理想論です。現実を目の当たりにしたとき精神的に耐えられるかどうかです。
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この回答へのお礼

もしも限られた時間を知らされたなら、この先のことを、本当に真剣に考えることが出来ますよね。まだまだ人生長いと思っているから、生きていることのありがたさ、時間の大切さを心底分かれていないのかもしれません。

お礼日時:2008/05/22 21:35

これは本当に難しい問題だと思います、私も相談者様と同様に『自分だったら知りたい』と今は思っています。

しかしそこにはまだ年齢的にも若い・聞いたとしても消化出来る自信(ポジティブに捉え~悔いの無いよう精一杯生きる)があるからかもしれません、もう1点はやはり自分がその立場に立っていないからという理由もある気がします。

ある程度の年齢になり・身体が弱ってしまった時、「余命が少ない」と伝えられたらどうなのだろう?と思うと…想像でしかないですが厳しいですよね。

もし私が相談者様と同じ状況になったとしたら、まだちゃんと動ける状態で余命の期間が半年程度ある場合なら伝えると思います、逆にもう退院が出来ないような状態ならば何も言わないかもしれません。そして最後は本人の性格だと思います~『生きる』と強い意思を持てる方は、余命を伝えられた事が力になり寿命を延ばす事に繋がるでしょうし、弱気になってしまう方なら寿命を縮める結果になる気がします。
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この回答へのお礼

私にとって義父なので、本当の性格は分かりません。頑固で、優しい義父ですが、私には見せない弱さも持っているかもしれません。それは長年連れ添った義母にだって、もしかしたら分からないことなのかもしれませんね。
もしも時間をさかのぼることが出来たなら、余命告知を望むのか問いかけたいです。

お礼日時:2008/05/22 21:28

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