ホテルを選ぶとき、これだけは譲れない条件TOP3は?

 以前の質問において 次のような仮説を捉えました。それの吟味をしたいので お尋ねします。

 第一次に《こと=事》に感応して《ことだま=事霊》を見止めるがごとく思い描き 同時に《ことだま=言霊》としても捉えた。そのあと 第二次に 事の端⇒言の葉⇒言葉そのものに言霊があると見なすようになった。とするなら 《言葉を発すると そのまま それの表わす中身の事が起こる》という《言霊》の思想は 人為的に後で出来たこの第二次のほうではないだろうかと。→《Q:3994017 われわれ日本人は 互いに相手を神と思っているのでしょうか http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3994017.html 》No.11補足欄など。

 ところが この仮説をくつがえす次のような説を見かけました。両者を吟味しつつ ご見解をおしえてください。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 我々は祝福というと おそらくすぐ神に祝福されるというふうに考える。《創世記》一二章の一節から三節でもそう書いてある。けれどももっと遡って旧約の中で祝福とか呪いという問題を探ってみると 神との関係が初めにはない。・・・
 というのは 神との結びつきは旧約の伝承を探ると二次的なのである(ショットロフ)。要するに〔第一次のは〕言葉のもつそれ自身の祝福の力および呪いの力である。これは宗教的にいえばいわゆる呪術の段階である。ところが旧約ではきわめてすみやかに神とのかかわりをもたせさられて《あなたは祝福されている》《あなたは呪われている》という言葉が神との関係で用いられはじめており・・・(以下省略)。
 (関根正雄:『古代イスラエルの思想』2004p.63〔初出=1982〕)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

A 回答 (33件中21~30件)

primeapeです。


wikiの丑の刻参りについて霊媒師体験経験者としてのコメントです。
これには丑の刻参りの噂を真に受けた迷信と呪術が織り交ざっています。
このようにすれば願がかなうと言う噂(迷信)と実際の呪術です。
丑の刻参りの実態はストレス解消の憂さ晴らしです。
以心伝心の元、信仰心の偏りによりこの憂さ晴らしの脅迫めいた側面を真に受けると実際にのろわれます。
心の付け入る隙を狙ったと言う意味では実際の呪術合戦(ポンポコ魔道大戦)です。

以上は霊について考えるヒントにしてください。
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この回答へのお礼

 ということは 早い話が 《言葉そのものに 霊的な力がある》というのは そういう作り話であり そのまねをするのは ほかの皆もそういう振りをしているということになるでしょうか。

 ということは 第二次として そういう心理的な共同性を持つようになった歴史がある。幻想の共同としてでも 社会的に 暗黙の了解として成り立っているのであれば それとして  現実である。といったところでしょうか。

 いちおう 《言葉そのものの霊力》説は 迷信であるような。・・・
 ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2008/06/03 00:38

primeapeです。


A11の補足は美しい詩篇でbrageloneさんの忠実な信仰を伺えます。
これに関しては日本人らしいキリスト者としてもう少し自己主張しないともったいないんじゃないかとも思います。
補足の第一印象として、
>言葉そのものに 霊的な力がある
これが、科学的究明の放棄を意味する迷信状態に感じます。
霊媒師体験の実感として「霊」はこりごりです。
存在の不確定な何らかの物を無理やりこじつけても真理はありません。

もう少し考えてからまたコメントします。
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この回答へのお礼

 そう言えば 少し前に 《念仏平和主義》という言葉が出て来ていましたね。
 《平和! 平和!》と祈っていれば その言霊の力によって 平和が実現するという考え方に 知らず知らずに 日本人の一部は 成っていると――司馬遼太郎でしたかが―― 言ったそうです。《平和ボケ》という言葉もありますけれど。

 そう言えば 映画《ジャガー》での アマゾンの酋長のテレパシーの話を出しましたね。あるいは こういう話を思い出しました。
 つまりその昔 アイヌ語の勉強をしていた頃 アイヌの巫女の話を読みました。広く《共通感覚 sensus communis 》を持っていると捉えればよいかと思うのですが こうでした。つまり

  一人のアイヌの男が 山で遭難した。戻って来ない。
  巫女が占なった。この山のどこそこあたりに倒れていると言う。果た
 してその通りであったが そのわけは こうだと説明した。

   ――わたしが からだ全体で 山になる。その山の全体に わたし
    の体を重ねてみる。
     そうすると 体の一部が 痛くなる。その部分が 山のどこに
    あたるかを考えてみれば そこに男は遭難しているはずだ。

 むろん 一方で 医学や科学の重要性は言うまでもありませんし 他方で その共同体を超えて 商売として こういう超能力をおこなうのも どうかと思うしするのですが 大きく《ことだま》の思想を しかるべき位置に位置づけしておくことは 大事でしょうね。

 冒頭に誉めていただいて ありがとうございます。精進します。
 ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2008/06/03 00:10

primeapeです。


神話ではなく幼児語に置き換えて言葉の発祥をイメージすることで、ようやく仮設の概要が理解できました。

>言葉を発すると そのまま それの表わす中身の事が起こる

これは言葉を発すると、又はより広義には音そのものに触れると、それに応じて心象に変化が生じる。との解釈でよろしいでしょうか。

この回答への補足

 primeapeさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 たしかに 《神話》は きわめて平面的です。物語の構造が たとえ 太陽や月などだけでも天体にまで及べば かなり拡がります。ただ拡がりは そこまでであって たといアマテラスの孫であるホノニニギが 高千穂の峰に空から降り立ったと言っても その神々とそして人間とは けっきょく つながっているという印象です。ギリシャ神話も きわめて人間くさい神々が登場します。
 つまり そういう経験世界としての平面構造であると たとえ《ことだま》というように霊的な力を想定するとしても 想像力が この地上に足をつけている人間から 少しは時空間をのびのびと行き来するような神々へと 飛んで行くに過ぎません。

 逆に むしろ 神なら神を想定して(つまり これは 無神でもいいのですが) その神から始めて 人間へと・この地上へと 降りて来るなら 世界の構造が 引き締まります。しかも あたかもその外部へも開けています。
 たとえば ある日ある時 《この父祖の地を去って 行きなさい》という言葉を聞いたというわけです。アブラハムですが その七十五歳のときですが そのとき 無限のかなたとの あたかも つながりが成ったというようです。どこへなのかは まだ 分からずに そのまま 出かけました。この無根拠なる行動の世界 これは 《ことだま》の領域だと思います。

 そうでないと 山が神秘であり 大木が霊を宿すとして それら神な霊(び)山や神木を仰ぎ それらに ただただ 供え物を奉り 祈ったり参ったり そうして清浄なる身心を鍛えるという寸法の《たましい》に終わると思います。
 だから その次元においてこそ 《ことば》を発出することによって そのたましいが 現実のものとなれと やはり 願ったり 果ては 呪ったりすることになります。

 ★ 言葉を発すると、又はより広義には音そのものに触れると、それに応じて心象に変化が生じる。との解釈でよろしいでしょうか。
 ☆ 《心象に変化が生じる》だけではなく 実際に《言葉の表わす中身の事が起こる》と信じる(つまり 思い込む)のだと思います。念力を発することもあるのでしょう。
  《丑の刻参り》が 典型的ではないでしょうか。→
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%91%E3%81%AE% …

 ですから 《言葉そのものに 霊的な力がある》とするのは ことだまの事態が どうか再現してくれと欲するようになったことから つまり二次的に 発生したのではないかと わたしは 踏んだわけでした。

 この尋究は しばらくつづきそうです。気長にまいりましょう。お力添え ありがとうございます。

補足日時:2008/06/02 23:15
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こんばんは、brageloneさん。





*******************************************************************************

☆ この《習慣》あるいは広く《文明》 これにかかわって では 果たして 

《ことだま》は いかにして歴史上 現われたるや? 


《言葉そのものに 霊的なちからがある》というのは 乱暴に言ってしまえば 

《迷信》ではないのか? おしえて欲しーーーい。

*******************************************************************************


【結核の文化史】
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN4-8158-0246-7.html

【結核の文学史序説ー病の比較文化史的研究ー】
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/genbunronshu …

P228に、迷信に触れて書いてある。

【『支那人の食人肉風習』 桑原隲藏 著】
http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/4270_ …

【近代日本人の発想の諸形式】
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/itos …
http://p-www.iwate-pu.ac.jp/~acro-ito/Lectures/C …

この回答への補足

 littlekissさん ご回答をありがとうございます。

 今回は 霊感(?)が働かなかったです。
 ★ 【結核の文学史序説ー病の比較文化史的研究ー】
 ☆ まるっきり だめでした。

 ★ 【『支那人の食人肉風習』 桑原隲藏 著】
 ☆ 一応 広く捉えようと思って 次のwikiを参照しておきました。中国は けっこう広く構造的に 習俗があるように伝えていますね。
 ・wiki:カニバリズム=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8B% …

 ★ 【近代日本人の発想の諸形式】
 ☆ 伊藤整の文章のほう。注目した箇所を抜粋しておきます。

 ▼ 相対的に人間関係を把握して、人間の調和を求めながら追求することは、極めて困難である。また日本のやうに、目に見えない所まで、無の意識がひろがつて人間の思考を支へてゐる国で、人間関係を相対的に設定して見ても、元来は有の形でしか安定し得ない人間と人間の関係に、強い調和を望むことはできないかも知れない。また日本のやうに人格が容易に孤立して神秘性を帯びて絶対化することで安定してゐる国土で、相対的な調和を求めることは、それ自体、雇傭関係、夫婦関係、社会階級関係等において危機意識を深め、不安定な気持に人間を陥れるものである。
 ☆ これは もう少し見方を変えて 表現し直せるように考えております。

 ▼ 社会的存在としての人間の論理を伴つた調和感を作り出すことは、日本人には不可能なのであらうか。マルクス主義、精神分析学、条件反射学等が出現して現実の外形を分解する前に、若し日本にそれがあればあり得たかも知れないのだ。明治年間にそのやうなものを強く主張し、実践した存在に福澤諭吉がゐる。彼はいかなる事業をなす時にも、それが失敗した場合を先づ考へておいて、その上で大胆に実行したと言はれる。さういふ所には、彼の実践的論理性は、やつぱり無の意識の上に築かれた自然的なものであつたと推定させるものがある。
 ☆ 《社会的存在としての人間の論理を伴つた調和感を作り出すことは、日本人には不可能なのであらうか》という主題・課題は ことだまに関係していると思います。
 
 ★ 東北という主題
 ☆ ケルトとユダヤをも合わせて 主題としており あまりにも広いと感じるのが ふつうですよね。個々に おもしろい歴史を持ち ヒントも隠されているかとは思うのですが ざっと見たかたちに終わりました。
 ・ 東北は しかし 今では アイヌが〔アイヌ民族として〕住んでいなくなっており まったく ほかの日本人そして日本の地域と同じなわけですから アイルランドやスコットランドとは 別の位置づけであり あり方をしているように思えるのですが。冷害とそれによる食糧難の歴史を経て来ている点などが 隔たりを感じさせるのでしょうか。あるいは アイヌとの混血といった要素はあるのでしょうか。
 ・もっとも 質問でも 日本とユダヤとの対照を平気でおこなっているので ことだまに関しては 東北が 特殊だという要素は 見なくてもいいように思います。

 * 覚え書き程度のお応えでした。

補足日時:2008/06/02 02:52
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primeapeです。


ママ、又はマンマは赤ん坊が誰にも教わらなくても始めに話す言葉の代表選手です。世界共通です。
このマンマをきっかけに言葉の発祥について研究した本はいかにも探せば出てきそうですね。
これは第一次の言霊ですね。
ちなみにwikiでこんなのを拾いました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BC%E5%85%90% …

『古代イスラエルの思想』の引用は神を見出す課程ではないでしょうか

この回答への補足

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 《ママ (母)/ マンマ(飯)》は wikiにもあるとおり 《両唇音》なんですね。上下の唇を合わせて離すという動作 これは まったく自然に出てくる動作であり そういう調音の仕方なので 意味としても 赤ん坊がよく体験するものごとに当てられて 多くの言語で 語となっているようなんです。世界共通であると言います。これは じつは 知っていました。
 わたしが恐れていたのは 認知科学と聞くと まったく答えられないものですから その関連のことがらが かかわっているのかなと思ったからです。

 『古代イスラエルの思想』から さらに抜き書きします。
 ▼~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 《バールーク・アッター》の《バールーク》というのは動詞の受身の分詞で 《バーラク》は《祝福する》であるから 《君は祝福されている》という事実の確認なのであるが それを《〔祝福〕されよ》と理解したら もうすでに二次的段階で受け取っているのである。
 古代的に考えれば 《バールーク・アッター》という言葉を語れば 言葉自身がすごい力をもってその相手に働きかけていくわけである。遊牧的社会において《バールーク・アッター》は相互の挨拶に用いられ 共同体の中に霊的力が強く働くことを求めたものと考えられる。
 (関根正雄:古代イスラエルの思想 pp.63-64)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ すなわち

 第一次:バールーク・アッター(受身形):《君は祝福されている》
 第二次:   〃        (命令形):《君は祝福されよ》
 
というかたちで 第二次段階としては 《祝福されよ》というからには 《何かによって》が予定されている。つまりは 《神によって》というふうに《神》がかかわって来ているということのようです。
 第一次では 《祝福されている》というのは その言葉じたいにおいて霊的な力が働くということのようなのです。
 だとすると その説での第一次では あたかも 人は その知性がまだ眠っていて その言語行為そのものに寄り憑いて行っていると わたしには映ります。だとすると それは 原始心性であると思われます。

 もし強いて わたしの説に水を引いて来て 解釈するなら そのように歴史知性の以前である原始心性においてにせよ その言語行為が 《事》であると同時に《言》であるという事態に注目することができます。《言》および《事》に 霊的な力が働くと捉えるなら なるほど 第一次の《ことだま》だと見なせるかも知れません。

 ただ やはり 矛盾が残ると思われるのは 《言葉じたいに魂が宿る》とすれば 言葉を発することで そのことだまが働くというように捉えているわけです。これは わたしの見方では 後天的な人為的な第二次のことだまなのです。初めの第一次の《ことだま(事霊=言霊)》の表わす事態を 言葉の発出をつうじて 再現させるように願うという人間の思い或いは思惑があると捉えて 第二次的に出来た習慣なのではないかと見たのでした。
 この仮説には 未練があって 捨てがたいです。どうしたもんでしょうか。 

補足日時:2008/06/01 23:50
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言霊とは、万物を成さしめている、波動のことを言います。

この回答への補足

 h1r0s13さん ご回答をありがとうございます。
 趣旨説明に掲げた以前の質問でも ご回答をいただきました。その質疑応答から かかわりのある箇所を まづ再掲します。
 【ANo.26】~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 言霊とは、念です。それは日本人に限ってだけではないのです。全ての言語による愛の波動です。・・・
 現在は唯物論者が幅を利かして、さも利口そうに、簡単な事柄を複雑に書いたり喋ったりしています。・・・
 貴方が聞かんとすることは、より高次な次元から降りてくる妙なる波動のことではないのでしょうか。
 この世の全ての物は、無償の愛の波動から成り立っています。それが言霊です。なにも人間専用のものではないのです。

 【お礼・補足】  
 ★ 貴方が聞かんとすることは、より高次な次元から降りてくる妙なる波動のことではないのでしょうか。
 ☆ 《雷=神鳴り;いかつち;稲つるび;稲妻》の例を出して 《事霊=言霊》が 世界の基礎にあると人びとは受けとめていた / それが 今でも土壌となっていると思われる。と書きましたが どうも それ以上の《より高次な次元》の何ものかを 想定されているように受け取られます。 
 ★ 言霊とは、念です。それは日本人に限ってだけではないのです。全ての言語による愛の波動です。
 ★ この世の全ての物は、無償の愛の波動から成り立っています。それが言霊です。なにも人間専用のものではないのです。
 ☆ さて おおきく――おおきく です――《なぞ》において さらに《なぞ》として そういう領域が想定されうるとは思います。《なぞ》を含めたかたちで 第一次の(初源の)《事霊=言霊》の想定と同じものだと思います。
 はて そのあと どう受け取って どうあつかえばよいのか。

 ひとつ 思いつきました。《唯物論》も その第一原因として想定する《物質》は けっして《質料(もの)》のことではなくて そうでなく 質料の究極の抽象化として想定する概念だと思います。つまり 《もののけ(物の怪)》のことだと思いますよ。
 つまり 《高次の次元》にあるいわば《平等神》(無神というでしょうけれど)のようなものだと思うんです。つまり 回りまわって 究極においては おっしゃっている《無償の愛の波動》(あるいは 原子=ものが 方向の偏りを起こすようなその運動)のことと同じ性質のものだとさえ 思うのですが いかがでしょう。

 ★ 現在は唯物論者が幅を利かして、さも利口そうに、簡単な事柄を複雑に書いたり喋ったりしています。
 ☆ これは そのとおりなのですが 大雑把に言えば げんみつな意味での《唯物論》ではないからです。これを誤解し曲解した《〈ただ物〉論》――物が大事 / すべては物という説――から来ているはづです。
 それが証拠に 唯物史観の描く理想社会では 《経済的な必然性によって 体を売ったりする女はいなくなり 金で買ったりする男は もう いなくなる》(F.エンゲルス)と言っていますから。《愛の波動》でしょう?

 茶化してはいけませんが これは またまた みなさんからも考えを出していただいて わたしも おそわりつつ 練っていかなければならないように思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ つまり《波動》理論を どのように展開するか。しない(または する必要がない)とすれば その抽象理論のままで どのように 現実のことだまのことを捉え説明するかだと思います。
 この波動は primeapeさんにも触れていただいた情念や感情つまり わたしの言う《デーモン》のことであるかも知れません。あるいは 言葉そのものの持つ霊的な力それ自体を言うのかも知れません。
 心理や情感と 言葉と そして 言霊なる波動と それらの関係的な成り立ちは 果たして いかなるものであるのか。

補足日時:2008/06/01 11:38
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♪(*^・^)ノ⌒☆ほーい、brageloneさん。




おっと、そのまえに


               one of them 


******************************************************************************

☆ 《全体の善のために》というのは 思惟の段階で 一般的に 出てくると思うのですが 
個人としての行動に際しては あまり考えないほうが つまり むしろ 個人は 自己の利益を 
一応 考慮して振る舞ったほうが 無理がない(A.スミス)と思うのですが どうでしょう? と思いました。

******************************************************************************


『諸国民の富』諭吉っちゃんですか?

【福沢諭吉:文明論と経済学】
http://www.econ.kyoto-u.ac.jp/~yagi/yagi2005/lin …

あーん、読んできたけど、なんとも???なんだよなー

筆者の見解には、モノイイをちょいとつけたくなる。

どこに?

うん、あちゃこちゃあるけど、終わりのほうP25で書かれてあること。

農民や労働者は眼中にないようなことを書いてはるけど、ホンマそやろか?

ほいでもって、アジアの隣国とその民衆をも眼中にないような言い回し、ど
うも腑に落ちん。

この筆者の書きようだったらとんでもなく悪い奴みたいやん諭吉っちゃん。

弁護、弁護!弁護しちゃろ。

ちょいと年表を用意してっと、タイムスリップ!
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1880 …

バック、バック、バック

ざぁーっと当時の時代背景に目をとをして。

どぅーーーーえっーーーーと戻ってみただけでも



農村で収穫したもんを市場でさばければ、お金に換わる。

自給自足と自分家でだけ作ったもん食べとったら

食べることはできても、お金はどこからも入いってこうへん。物買われへんやん。

そやし、衛生状態も今みたいにようない

早よ何とかせんことには次から次に流行り病で人がのうなっていくばかり

そやから、インフラ整備急ピッチでとりかかってるやん

インフラを行えば、仕事が生まれ、場が提供される

労働に対する対価を得ることができる

貧困から抜け出す道筋

ごっついトンネルや鉄道の線路、いまはあってあたりまえ、あたりまえに目にするけれど

one of theme みんなの力の結晶

農民や労働者は眼中にないなんてことない。逆やー!

眼中においていたからこそ、貧困から抜け出す道筋をつけることに心血注いでたんとちゃうか。

お節介かもしれんけど、アジアの隣国の民衆に対しても、ほっとかれへんかったんやろ

自国同様に貧困から抜け出す道筋をつけることに心血注いでたんとちゃうか。

こんときから、アジア全体に利益がいきわたるような仕組みを夢見てたんちがうかな?

西洋諸国との格差をいち早く肌で感じていた諭吉っちゃんだけに。


【QNo.450292 地域通貨のことについて教えてください。】
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa450292.html
【QNo.3193243 もしもこの世から。。。 】
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3193243.html

この回答への補足

 お早うございます。お答えをありがとうございます。
 この質問は むつかしいですかねぇ。単純な事態としての仮説を持っていただけなのですが 反対説を前にしては やはり明らかにしたいという思いですし 偉い人の言説だから そうなのだという納得を持つこともむつかしいです。

 ★☆ 《全体の善のために》
 ☆ このことで コメントしたのは スミスの次の考え方に基づいたものです。
 ▼~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 生産物が最大の価値をもつように産業を運営するのは 自分自身の利益のためなのである。
 だが こうすることによって かれは 他の多くの場合と同じく この場合にも 見えざる手に導かれて 自分では意図してもいなかった一目的を促進することになる。かれがこの目的をまったく意図していなかったということは その社会にとって かれがこれを意図していた場合に比べて かならずしも悪いことではない。
 社会の利益を増進しようと思い込んでいる場合よりも 自分自身の利益を追求するほうが はるかに有効に社会の利益を増進することがしばしばある。社会のためにやるのだと称して商売をしている徒輩が 社会の福祉を真に増進したというような話は いまだかつて聞いたことがない。(国富論 第四篇第二章)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ どちらか一方に片寄るのも いけないのでしょう。もともと スミスも 《利己心と同感( sympathy )》を掲げたそうです。後者が基本のようです。つまり 個人の利己心を抑えるのではなく むしろ発揮し合いつつ しかも 言わば社会にあたかも《ことだま》の相い通じるがごとく また情念( -pathy )をさえ同じくする( sym- )がごとく 互いにその《文明》のあり方について 同感し合うところを目指す。 そして このとき 果たして 《ことだま》とは それがあるとしたら どういう起源のもとに 社会的な現実の一部となっているのか。おしえてほしーーい。

 ★ 【QNo.3193243 もしもこの世から〔お金が無くなったら〕。。。 】
 ☆ わたしは いまも インタムライスムを提唱しています。国家を超えて ムラ(市町村)どうしが 地球規模で 相互にあらゆる分野で提携していくという思想です。
 ■~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 たぶん ある日 いくぶんSF的に 金融の一切のシステムが消えたとき、 / スーパーの店員一人にさえ、たぶん彼がいままで学習したことのない / 尊厳の自立や 魂の自立が 必要となるのであって / われさきに詰めかけてキャベツを持っていこうとする人間を / ただ持って行かせてはならない と彼は気づかねばならない。(ANo.12)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これをめぐってなら 《みな誰でも 〈キャベツを持っていけ〉という》販売(?)のあり方を空想します。むろん生産も流通も すべて お金無しの状態です。つまり スミスの《利己心と同感》つまり 《ことだま資本主義》です。すべてにわたって 自由な主観の自由な判断に基づくという《文明論の概略》です。(誰かは 《無秩序の秩序 / 無法の法》だとか言っていました。nabayoshさん おーい!)。
 しかしながら 《ことだま》の起源が分からない。

 ★ 福沢諭吉の《脱亜入欧》等々
 ☆ 専門的な議論ではありませんが 総じて 《和魂洋才》でやって来たのですから あとは どこに重点を置くかでいろんな考えと施策があったと考えます。
 かえって少し冷たい言い方になるかも分かりませんが 政策論に入れば その時々において どういう事項を先に取り扱うかは 人命や人権に損害を与えるのでなければ みな相対的なものだと見るべきではないでしょうか。★《西洋諸国との格差をいち早く肌で感じていた諭吉っちゃんだけに》。

補足日時:2008/06/01 10:45
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この回答へのお礼

 スミスも もろに現象的なことを
 ▼~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 われわれが自分たちの食事をとるのは 肉屋や酒屋やパン屋の博愛心( benevolence )によ〔って 肉や酒やパンを分け与えられて と〕るのではなく かれら自身の利害にたいするかれらの関心に〔訴えて 交易し購買することに〕よる。(国富論 1・2)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ というように 言ったりするので 諭吉も
 ●~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「西洋人の心の誠実にして、日本人の心の不誠実なるにあらず。西洋人は商売を広くして永遠の大利を得んと欲する者にて、取引を誠実にせざれば、後日の差支と為りて、己が利潤の路を塞ぐの恐あるが故に、止むを得ずして不正を働かざるのみ。心の中より出たる誠実にあらず、勘定ずくの誠なり。」(『概略』4 一三二)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ となじったりする。とは言うものの 結局――つまり局面を結ぶに際しては―― 次のように スミスと同じように 《利己心と同感》の命題を出してくる。
 ●~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「利を争うは古人の禁句なれども、利を争うは即ち理を争うことなり。今、我日本は外国人と利を争うて理を闘するの時なり。・・・・けだしその気象なく またその勇力なきは、天然の欠典にあらず、習慣に由て失うたるものなれば、これを快復するの法もまた習慣に由らざれば叶うべからず。習慣を変ずること大切なりというべし。」(4 八○-八一)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この《習慣》あるいは広く《文明》 これにかかわって では 果たして 《ことだま》は いかにして歴史上 現われたるや? 《言葉そのものに 霊的なちからがある》というのは 乱暴に言ってしまえば 《迷信》ではないのか? おしえて欲しーーーい。

お礼日時:2008/06/01 11:11

primeapeです。


先に進みたいのでA5についてです。

あなたの言葉は文字の形にしろ何にしろその思いが伝わります。
だからあなたは生きています。
あなたのお父さんはbrageloneさんです。

こんな感じが体感しうる言霊ですかね。
呪術めいていますかね。

この回答への補足

 ★ だからあなたは生きています。
 ☆ ありがとうございます。

 ★ あなたのお父さんはbrageloneさんです。 / こんな感じが体感しうる言霊ですかね。 / 呪術めいていますかね。
 ☆ ううーん。これは わたしにとっては 残念ながら 文学的な表現ですねぇ。つまりは 内実として
 ★ だからあなたは生きています。
 ☆ ということを伝えてもらっているという意味です。

 でも 文学的な表現にしろ 言葉が なにかを喚起するとすれば それだけでも 言霊であるとも思われます。そうなると やはり単純に そもそも人類が言葉を持った時点で その《言葉じたいに 霊的な力が宿る》と言えるのでしょうか。この事態が 第一次なのでしょうか。

 もう一編 わたしの書いた文章を掲げさせていただきます。次のようにわたしとしては 第一次の言霊を 思い描いていたのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 奈良(ちなみに na-ra=地‐ら⇒奈良。cf. no-ra=野‐ら)の三輪山あたりの地で のちに《たたなづく 青垣 山隠(ごも)れる》と形容されたその風景を見て われらが祖先の誰かが 

  HA.....

と発出した。この場合 ただ ハアーッという息の音を出しただけかも知れない。溜息をついただけかも知れない。でも その主観の内には何らかの心の動きがあるはづです。あったはづです。

  HA.....SI。

というふうに 続けて 舌や口の筋肉のはたらきにものを言わせて さまざまな形にして 発声した。音で いま目の前の世界の風景を切り取った。また その心の状態をも取り立てた形だと思われる。

  HASI . / はし。

 こうなると 心の状態が あたかも表わされたかに思える。《愛(は)し》。ここに 

  う。 アルイハ うる(⇒裏・裡・心)。

と分節して これを添えれば

  うる‐はし。(麗しい)

とつなげて いまの心持ちをそれとしてさらによく取り立てて表わすことができたようだ。
 ところで はじめの《 HA.....》は 主観内面のことでもあれば その心の動きを感じさせてくれる当の山々の姿でもある。つまりここで 一気に文として扱えば それは 主題の表明でもある。

 《山》のことを どういうわけで《やま》と言ったか分からないが 人はこれを得る。そして さらに 《所》の意味の《と》を得て これらを 合成すれば 《やま‐と》のかたちに その地を 言葉として持った。

 文としては 主題(問い)と論述(こたえ)から成る。つまり

   やまと(山‐処)‐は うるはし。

 人間は その思いを 表わさずにはいられない(!!??)。その内容を充実させようとする。

   やまと‐は・・・・・ほ・・・・・うるはし。

 《ほ》は 突出したものの相を表わし 《穂・帆・秀》であろう。ここに《ま / ろ / ば 》をも添えて

  やまと‐は ま‐秀‐ろ‐ば〔なり。 それゆえ〕うるはし。

と来る。こうなれば 意思表示としての言語は 文による表現(それは 判断である)を基軸として 文法規則としても やがてその現在にまで至る姿を現わしてくるものと思われる。
(《Q:3994017 われわれ日本人は 互いに相手を神と思っているのでしょうか http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3994017.html 》No.37補足欄)
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 こと(事)‐たま が先だと思うのです。どうも これは まだ弱いらしいです。これを明らかにするには 脳の知覚や認知というのでしょうか そういう科学を踏まえた言語学が 必要なのでしょうか。

補足日時:2008/06/01 01:56
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primeapeです。


質問の内容がつかめてきました。
言霊に一次と二次があるとの説明は文面を見る限り考えが及ばず理解しがたいです。
これはもしかして、brageloneさんの内面にある、「私は生きているのですか、それとも死んでいるのですか」と言った感じの問いかけではないでしょうか。
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この回答へのお礼

 ★ 言霊に一次と二次があるとの説明
 ☆ にかんしては 以前の質問の補足欄に次のように書きました。
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どうも 《言霊》には 第一次のそれと 第二次のそれとが あるように思われて来ました。
 空で放電現象という《事》があって これを《いかづち / かみなり》という《言》で受ける。もしくは そのように発音を伴なって成り立った時点で〔* (今回の追加としてです:)つまり局面を改めた段階で〕 それは単なる《事の端⇒言の葉⇒言葉》と捉えたかも知れない。
 したがって 〔最初の〕《言霊》は 〔言葉が確定したあとの〕《言葉霊》とは ちがうと言わなければならないかも知れない。つまりこれら両者が 第一次と第二次とです。
     * 
 というのも 雷は つまり神鳴りは 事であり 神というからには その《事》に 《いか(厳)つ(の)ち(霊)》ということだまが宿ると捉えられた。雷光は 稲の生育に 霊の息吹きを宿らせるという観想によって 《いなつるび(稲と雷電との交接)》と言い あるいは《いなづま(稲妻もしくは 稲夫〔夫も つま と読む〕)》と表現した。生育というよりは 稲が孕むということのようです。
 だとすれば このような《こと(事)》とその《霊》の観想が 初めにあって そのあと《言霊》や《言挙げ》が続くと思われて来ます。
 
 もっと言うならば たとえば《のりと・のろい・まじない・言祝ぎ》は 第一次の《事霊》の現象を 再現しようという段階に至っており したがって 局面が違ってきており その第二次的な人間の側の知恵であり努力であるとなります。
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 生きている死んでいるについては 次のご回答にて。

お礼日時:2008/06/01 01:42

primeapeです。


試しに「霊」と言う言葉を「感情」と言う言葉に置き換えて再度ご質問なさるとするとどのようなコメントになるのでしょうか。
霊とは不確定な存在のため抽象的です。
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この回答へのお礼

 たしかに 《感情》や《情念》にまつわるもろもろの心理を わたしの言葉で《デーモン》とすれば
 ★ 試しに「霊」と言う言葉を「感情」と言う言葉に置き換えて
 ☆ みれば 第二次のコトダマ(言葉霊)のしわざだという仮説に見合った事態を言っていると思います。

 ★ 霊とは不確定な存在のため抽象的です。
 ☆ が この言霊の思想に限っては 現実経験とつながっていると 習俗としては 見なされていますので 《神学》を持ち出さなくとも 質問もできるし回答もしていただけるものと思います。

お礼日時:2008/06/01 00:55

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