いちばん失敗した人決定戦

新約聖書でよくイエス・キリストが自分のことを言う時に「人の子」と書かれていますが、この意味の成すところはなんなのでしょうか?
みんな「人の子」ではないでしょうか?文脈的に見ると、偉そうな意味で使われているように見えますが・・「人の子」っていわれても、たいした事ないように見えてしまいます。
どういう意味でしょうか?

A 回答 (7件)

この箇所については非常に誤解が多いいですね。



これは、ダニエル書のメシア予言、7章13節に言及した表現であり、「人の子のような者」=「神」当時は救い主(間接的には神)を指す表現として定着していました。

つまり、当時の人は誰が聞いても、この言葉から、「救い主」または「神」という意味を連想することができたのです。

イエスの自己認識としては、はっきりと、自らを「神」、「神の子」と考えていました。
(当時の人々の認識としては「神」も「神の子」も同じ権威を持つ言葉で、どちらも激しく神を冒涜する言葉です。)

ここら辺については以前私が別の質問に答えた箇所があるのでそこを参照されると詳しくわかると思います。No7の回答です。

参考URL:http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5400706.html
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 No.3です。



 《人の子( ben-adam ; υἱὸς  ἀνθρώπου ( hyios  anthroopou ))》の用例を引いておきます。

 ( a ) ふつうに《人》の意味のばあい。 もしくは《やや蔑みの意味合いを帯びた》かたちでの《人》の意味。
 ◆(創世記11:5) 主は降って来て、≫人の子≪らが建てた、塔のあるこの町を見て、

 ◆(ヨブ記25:6) まして人間は蛆虫 ≫人の子≪は虫けらにすぎない。

 ◆(詩編4:3)  ≫人の子≪らよ / いつまでわたしの名誉を辱めにさらすのか / むなしさを愛し、偽りを求めるのか。

 ◆(詩編8:5) そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。≫人の子≪は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。


 ( b )ふつうに《人》の意味だが それが旧約聖書で《預言者》に宛てて用いられたばあい。

 ◆(エゼキエル書2:1)彼(=神)はわたしに言われた。「≫人の子≪よ、自分の足で立て。わたしはあなたに命じる。」



 ( c )新約聖書で キリスト・イエスが自称として使った場合。これは確かに 基礎として《ふつうの人間》を言うとともに その上に特殊に《キリストであること》を含ませていると読める。

 ◆(ヨハネによる福音書3:13-15) ~~~~~
 天から降って来た者、すなわち≫人の子≪のほかには、天に上った者はだれもいない。
 そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、≫人の子≪も上げられねばならない。
 それは、信じる者が皆、≫人の子≪によって永遠の命を得るためである。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ★ みんな「人の子」ではないでしょうか?
 ☆ 以上見て来ましたように そのとおりです。

 ★ 文脈的に見ると、偉そうな意味で使われているように見えますが・・「人の子」っていわれても、たいした事ないように見えてしまいます。
 ☆ おっしゃるとおりです。《「人の子」っていわれても、たいした事ない》のもそうですし それなのに《偉そうな意味で使われている》のも そのとおりです。
 つまりは すべては表現のもんだいです。
 表現は 表わされたならば それとしてはその特殊な意味合いが出る(それとして受け容れられ通って行く)場合があります。
 それだけのことと見てよろしいかと考えます。表現のもんだいを超えて 物語の中身が問われるものと考えます。
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処女であるマリアが天使ガブリエルに「神の子」を身ごもっている事を告げられます。


これをが受胎告知と言います。
この時、マリアに下ったのが聖霊であり、マリアが「人の子」として生んだのがイエスとなります。
つまり、神が受肉した姿が「イエス・キリスト」なわけです。
そして、カトリック・プロテスタント諸派や正教会を含め、「父と子と聖霊」は違う位格(ペルソナ)ではあるが、それは一体であるという、「三位一体説」をとります。
イエスが「人の子」と言ったとき、「人の子として生まれた(受肉)神」という意味が込められているのでしょう。
つまり、「父(神)の子」である位格を強調した表現かと思います。
ではでは、参考になれば幸いです。
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神の子については聖書で説明されているが、人の子については説明が無い。



が、しかし、神の子になる ということを考えれば、神の子では(まだ)無い人を指すのではないかと。

聖書には <○○が父の△△>とか<○○の子△△>とか、系統が書かれている。
出自を明らかにしているわけです。

で、イスラエルの子 というのはヤコブの子孫なわけです。
ヘブル人(ヘブルの子)というのは、ノアだったか誰だったか忘れましたが、その何代目か後の人の子孫って意味。

ヤコブが神によって祝福されたわけですから、子孫繁栄を約束されたわけです。
しかし、ヤコブの子孫だからといって、必ずしも神の御心にかなうふるまいができるとは限らない。
神から祝福を受け繁栄することを約束された人々ではあるが、神がなすことと同じことをしていれば神の子 となるが、(まだ)そうなっていないイスラエル人は人の子。
つまり人の子とはイスラエル人のことじゃないかと。

ちなみに日本人のほとんどはDNAからいってヤコブの血は引き継いでいません。
彼らが言う人の子(イスラエルの子)ではないです。
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 こんにちは。



 もっとも乱暴に言ってしまえば

   わたし

 のことだと思います。あるいは

   ひとりの人 人間のひとり

 というように言っているのではないでしょうか。 

 ユダヤ人や 同じセムのアラブ人は こんにちはのあいさつを《平安あれ(シャローム! または アッサラマレイクム!)》と言っています。
 シャローム=〔アル〕サラム〔アレイ・クム〕:平安であり ちょうど韓国の人が 安寧(アンニョン)なりや?と尋ねてあいさつするのと同じようだと思われます。

 文字どおりの意味で訳せば 《人の子》になるようなのだと思います。旧約の預言者も使っていたかと思います。
 あるいは 父を 子の父と そして 子を 父の子とそれぞれ言ったりします。表現の問題だと思います。
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キリスト教では、神とキリストと聖霊は


同じものが姿を変えたもので本来は一体で
あると考えます。これを三位(さんみ)一体説といいます。

神が親でキリストが子であることから
父と子と聖霊という言い方をするときもあります。

キリストは、神がマリアという女性の子供として
この世に送られました。
神の子であるけれども姿は人間です。
「人の子」とは、キリストがそういう存在で
あることを言い表しているんです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BD%8D% …
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 んー、神の子(ベネ・エロヒム)と人間とを区別した


表現なのではないでせうか・・・

両者とも「神による被造物」という点では同じなのですが。
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