No.2
- 回答日時:
苗字帯刀で平民が禁止されたのは、打刀と脇差の2本の刀を腰に帯びることですから、平民でも脇差を必要に応じて差している事(お伊勢参りの時の護身用など)もありました。
「東海道中膝栗毛」にも何度か脇差が出てきてますし…。
「おお、こっちからは江戸の伊勢講がくるぜ。揃いの着物に揃いの脇差と豪勢だね」
「おい北八、助けてくれ。脇差のつばが横腹につかえ、痛くて我慢ならねえ」
参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%97%E5%AD%97% …
No.3
- 回答日時:
こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
まず、中間とは・・・。
足軽と言うと、雑用掛りのように思われがちですが、実は、れっきとした「武士」でした。従って、足軽は苗字を名乗ることができ、刀も大小2本差していました。しかし、武士階級としては、一番下級武士でした。
そして、足軽-中間-小者(または、下男)という序列のちょうど中間(ちゅうかん)だったことから、「中間」と呼ばれるようになりました。
中間は、武士ではないので、苗字も名乗れず、腰に差しているのは「木刀」1本です。
中間は、実は、戦国時代の後期からすでに存在し、当時は、「従者」と呼ばれていました。主に、主人の身の回りの世話をし、合戦があると、主人の身辺にいて武器を渡したり、馬の世話などをしていました。当然、戦闘に巻き込まれることもあり、そのような時は、主人の武器を借りて主人を守ったりしました。
やがて、江戸時代に入り、戦もなくなると、「中間」と呼ばれるようになり、着物の尻をハショリ、素足に草鞋(わらじ)履き、そして、腰には木刀1本を差して主人のお供をしたりしました。
ちなみに、小者(または下男)などがお供をする時は、小者は、腰のものもなく、さらには、裸足でお供をしました。
仕事としては、主人が登城や公式の外出時などに同行して、草履取りや槍、道具箱を持って供をしました。また、他家への使い走りなどもしました。
また、働き次第では、士分に昇格することもあり、足軽などの人数が足りない時は、中間の中でも品行方正な者を士分として雇うこともありました。逆に、中間の数が多い場合は「中間頭」を選んでまとめさせました。
中間の給金は、宝永年間(1704~1711)などの資料によると、年間二両(およそ20~30万円)というのが相場でした。当然、家を構えたりすることはできず、食事や衣類は主人から支給され、住まいも、屋敷内の中間部屋という長屋があてがわれました。しかし、「余禄」もありました。他家へ使いに行くと「礼儀」として、その中間に「心づけ」が渡されました。『武士の家計簿』(磯田道史著・新潮社)という本によると、財政が困難だった加賀藩猪山家では、中間が心づけを独占できたため、財政再建中の主人の小遣いよりも中間の方が収入が多かった・・・と、書かれてあります。
また、中間というと、「=博打」と考える方も多いようですが、中間は中間の誇りがあり、庭掃除や草むしりなどをしなかったので、時間を持て余していました。(庭掃除などは、中間より下の小者または下男がした)。さらには、大名を例にとると、参勤交代の時のために雇っている場合も多く、(そのため、折助=おりすけ、または、奴=やっことも呼ばれた。唄で「奴さ~ん・・・」というのはここからきています)。中間部屋の多くは、下屋敷(別荘なようなもの)にあり、多くの中間はそこに住んでいました。主人は主に上屋敷で生活していましたので、主人の監視の目も行き届かない。(上屋敷で主人の供をする者は、ある程度人数が限られていた)。そこで、将来、家庭でも持ちたいと思う良識のある者は内職をしたりしていましたが、江戸を例にとると、やはりそこには、「江戸っ子気質」があり、「宵越しの金は持たない」と言われるように博打に走る者も多かったし、中間部屋で行われるので、当然、胴元(主催者)は中間なので、決して負けることがない。かっこうな「小遣い稼ぎ」だったわけです。
では、「なぜ」それを取り締まれなかったか・・・。
まずは、主人の立場からすると・・・安い給料(年俸)ですから、あまり「なりて」がいない。主人が咎めたりすると、すぐに、そこを辞めて他家へ移ってしまう。「渡り中間」が多かったためです。
また、町奉行所側にすると・・・武家屋敷内は町奉行の管轄外であるため、捕捉することはできなかった。ただし、雇い主の威光を傘に町地や往来で暴れるようなことがあれば、町奉行所でも捕捉できました。しかし、大名なども側用人や留守居役などを通じて、奉行所の与力や同心に盆暮れになると、「うちの藩の者が不始末を犯した時は、よろしく頼む」と「付け届け」(公然の賄賂)を贈っていましたので、大概の場合は、そうした不出来な中間でも、藩の者が迎えに来ると、すぐに牢から出されて帰されました。
また特に、大名などになると、国元での採用もあり、これには、武士の家に生まれても、次男、三男などになると、家を継ぐこともできなかったので、まあまあいい就職口でした。彼らは、給料は安くとも武家に奉公できることは、何よりも「誉(ほまれ)」だったからです。
そこで、あなたの質問に対する答えですが、
>>中間 (武家奉公人)って平民なのに何で脇差しがさせるのですか?
>>町を歩くときに役人(町方など)に指摘されないのですか?
脇差ではなく、木刀でしたから許されましたし、咎められたりはしませんでした。
(よもやま話)
1.中間は木刀でしたが、相撲の力士になると、江戸時代の力士は藩お抱えでしたので、紋付袴姿で大小2本を腰に差して堂々と町を歩きました。
2.渡世人もひそかに、いわゆる、長ドス1本を腰にして旅をしました。
3.こうしたこともあって、幕府は、たびたび、刀の寸法について法令を出しています。大刀は二尺(=約60cm)以上で、たいがいは、二尺八寸(=約84cm)ぐらいであった。これより短いものを「脇差」といった。測り方は、切先(きっさき=刃の先端)から鍔元(つばもと=柄と刀の間に入れた環状の刃避け)までを湾曲を入れないで直線で測った。武士の子どもは十三~十四歳まで脇差だけ腰に差した。なぜ長さについて法令を出したかというと、相撲の力士や渡世人はとかく長いものを持ちたがったからです。
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
>>木刀だったんですか時代劇とかみていると木刀には見えませんでした。
はい。言い忘れました。TVなどでは、れっきとして刀にみえますね。
まあ、一つにはTV視聴率を上げるための所業でもありますが、まんざら、そうとも言い切れない・・・。
これは、多少、時代によっても違います。
(1)江戸時代初期の頃は、木刀・・・たぶん、あなたのイメージしているように、剣術道場で使うような「木刀」を腰にしていました。(ただの「木」を削ったもの)。
(2)やがて、時代が過ぎて、天下泰平になると、戦もなくなったので、家計が苦しい武士が刀の中身を売って、いわゆる「竹みつ」にしたことはご存知だと思いますが、逆に、中間などの「木刀」も刀に似せて、柄を飾ったり、鍔(つば)を付けたり、鞘(さや)を付けたり・・・と、本当の刀のように「見せ掛け」ました。これには、当然、主人も許し、むしろ、主人の権力の象徴のようになってきました。しかし、鞘の中身は、厳しく「木刀」と決められていました。
No.5
- 回答日時:
庶民は町中では脇差を差すことはありませんでした。
道中差しとして旅行時盗賊より身を守るため、脇差を差しました。
前答のように、中間は下士と小者(武家奉公の庶民)の間で戦闘員ではないのですが、主人の身を守ることもあるので、木刀を差すのが通例です。
鍵屋の辻の決闘(伊賀上野の仇討ち)で、荒木又衛門の大刀が河合方の中間の木刀で折られたことは有名です。
竹光では役に立たないと思うので、木刀を飾ったり塗ったりして、脇差に見せかけるのはあったかも知れません。
また渡り中間の中には脇差を差していた者がいたかも知れません。
主人が黙認すればそれまでです。
中間の木刀差しは各藩でも同じのようです。
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