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旧陸軍の士官は士官学校を卒業すると曹長の階級章をつけて見習士官になりますが、陸軍には準士官の階級として准尉とゆう階級がありますね
そこで質問です、見習士官と准尉(昭和16~20年頃)ではどちらが階級が上位なのですか。もちろん士官学校を卒業していない軍曹出身の曹長と准尉では、准尉が上位で、曹長が下位とゆうこはわかっているのですが、どなたか教えてください。

A 回答 (2件)

陸軍士官学校と甲種幹部候補生(甲幹)は予備士官学校を卒業すると見習士官に任ぜられる。

服装は下士官以下と同じで、階級章が曹長で、階級章の隣りに星の記章の付いた座金を着け、袖に士官適任章といわれる金色の山形の袖章を着けている。曹長の階級章ながら准尉より上級者とされている。 この座金は本チャンの士官学校卒業者は実砲と言われ、
臨時雇いの予備士官学校卒業者については空砲と呼ばれていました。

 准尉は服装は将校と同じだが判任官であり、見習士官は服装は下士官のようだが高等官待遇(将校)ということになるのだそうだ。
年配の貫禄のある准尉は後ろから見ると、何処かの連隊長(大佐)と
間違えられたそうです。
また、応召の年配の軍医にも見習士官の方がいました。その中には大学病院の教授等、医者としての社会的な地位の高い方も多くいましたが
若造の軍医士官の下働きとして、こき使われていた。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2011/02/25 23:14

見習士官は将校待遇の准士官で、准尉は下士官待遇の准士官です。


階級でいうと見習士官は曹長なので、准尉のほうが階級が高いといえます。ですが、見習士官は隊附勤務を経てから少尉になるので、隊附勤務(所属部隊が正式に決まって着任した状態)をしている見習士官は准尉に相当すると理解されていました。
ですから、どこにも配属が決まらずに待機している状態(あるいは配属先にむけて移動中で未着任の状態)の見習士官は街中で憲兵准尉にどやされることはありますが、配属済(着任済)の見習士官がそういう目にあうことはないといえます。
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幹部候補生の少尉が予科士官学校に入ったという記事を見て
疑問がわきました。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 一部補足修正します。回答文中、「現役は、陸軍予備士官学校を経て陸軍士官学校、陸軍航空士官学校を卒業した者。」としましたが、

 現役は、陸軍予科士官学校を経て~ 

 と修正します。

 また、回答No.2に関して、

> 幹部候補生というのは、兵からの叩上げの軍人を指します。
   
> 幹部候補生の少尉というのは、2等兵から始まって成績優秀な為選抜され、下士官を経て少尉に任官した軍人の事。

 とありますが、幹部候補生は叩き上げではなく、高学歴者を対象とした制度で、二等兵として入営後、三ヶ月で選抜され甲種合格者は将校(士官)として、乙種合格者は下士官として教育を受ける制度でした。

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小円匙、銃剣、雑嚢はしないと思いますが、他はどう兵や下士官と違うのでしょうか?
ご存じの方宜しくお願いします

Aベストアンサー

 将校の完全軍装ということですが、兵科によって微妙に差異があるのですが、いちおう平均的なところを説明します。

 頭からいけば、鉄帽は将兵ともに変わりはありませんが、略帽でもある戦闘帽は夏冬とも素材は同じですが、帽章の星が将校は刺繍で兵は布になり、あご紐も将校は本皮製で兵は代用革になっています。
 戦闘服も上下ともデザインは将兵同じですが、自前で調達する将校はオーダーメイドで材質や仕立てに大きな違いがあり、色調も兵よりは青みがかった色が強くなっていました。ただしこれは戦闘中に敵の狙撃兵のいい目標になるということで、実戦ではあえて兵用の上下を着ていたようです。

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 ほんとうはもっとこまごましたものがあるのですが、ざっとした説明ですがご参考になれば幸いです。
 

 将校の完全軍装ということですが、兵科によって微妙に差異があるのですが、いちおう平均的なところを説明します。

 頭からいけば、鉄帽は将兵ともに変わりはありませんが、略帽でもある戦闘帽は夏冬とも素材は同じですが、帽章の星が将校は刺繍で兵は布になり、あご紐も将校は本皮製で兵は代用革になっています。
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 私の妻の父は4年前に84歳で亡くなりましたが、昭和14年から軍隊に入り、ビルマのインパローと言う所で終戦を迎えました。

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こんにちは。
大岡昇平さんの本を読んでいますと、普通に当時の言葉が出てきて、事情に疎い私にはなかなか大変です。
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概要を教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

戦前の日本人男性は、原則として全員が20歳になると徴兵検査を受けました。その結果として、No1さんが言われるように
甲種、乙種、丙種、丁種、戊種
と区分されました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B4%E5%85%B5%E6%A4%9C%E6%9F%BB

なお、甲種であっても全員が現役に服するわけではありません。甲種の中からさらに抽籤された人が現役兵として陸軍は2年、海軍は3年の現役に服しました。甲種だが現役兵に選ばれなかった人、乙種以下の人は、戦争などが起きなければ一生軍隊とは無縁に過ごすことになります。

注意して頂きたいのは、甲種合格、さらに現役兵として徴兵されると、2年の兵役を終えて予備役となる際には、たいていは陸軍上等兵、成績の良い人は陸軍伍長の階級を得ることです。このような人が戦争の勃発などで召集された場合、上等兵または伍長として再スタートすることになります。

ところが、支那事変、大東亜戦争と戦争が激しくなるにつれ、過去に徴兵検査を受けたが現役兵として入営しなかった
「甲種だが現役兵に選ばれなかった人、乙種以下の人」
が、「臨時召集令状」(いわゆる赤紙)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AC%E9%9B%86%E4%BB%A4%E7%8A%B6
を受けて、例えば30代で入営することになりました。
この場合、年齢や社会での地位にかかわらず、「二等兵」から始まります。そして、例えば21歳の上等兵から奴隷のように酷使されることになりました。これについては、こういう哀れな境遇の二等兵のことを「補充兵」と呼びました。大岡昇平氏の本はそういう視点で読んで下さい。

「アーロン収容所」という本がありますが、この本を書いた会田雄次氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E7%94%B0%E9%9B%84%E6%AC%A1
は、1916年生まれで1936年(昭和11年)に徴兵検査を受け、入営せずにそのまま大学生活を送り、1943年に27歳で臨時召集令状を受けて陸軍に二等兵として入営し、典型的な「補充兵」としてビルマに送られ、インパール作戦に動員されて餓死するような悲運は逃れたものの、イギリス軍の攻勢に曝されて戦死か餓死する寸前で日本が降伏し、イギリス軍の捕虜となりました。

自らが補充兵であった会田氏によりますと、食事も休息も全てが最後で、全ての雑用をこなさねばならない補充兵は、年齢による体力の衰えもあり、補給が途絶えた戦争末期には、敵弾に倒れる前に真っ先に栄養失調で死んで行ったそうです。もちろん、爆雷を抱いて敵戦車への体当たりを命じられるのも、最下級の補充兵が一番最初です。

「ビルマから生きて帰った補充兵はほとんどいないはず」
と会田氏の本に書いてあると記憶します。

戦前の日本人男性は、原則として全員が20歳になると徴兵検査を受けました。その結果として、No1さんが言われるように
甲種、乙種、丙種、丁種、戊種
と区分されました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B4%E5%85%B5%E6%A4%9C%E6%9F%BB

なお、甲種であっても全員が現役に服するわけではありません。甲種の中からさらに抽籤された人が現役兵として陸軍は2年、海軍は3年の現役に服しました。甲種だが現役兵に選ばれなかった人、乙種以下の人は、戦争などが起きなければ一生軍隊とは無縁に過ごすことに...続きを読む


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