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先日もこの物語に関連して、質問させて頂いた者です。
やっと読破しまして、改めて「読破後の質問」がしたくなりました。
決して「急ぎ」ではありませんので、お手隙の時に気軽に回答を頂けたら。。。と思っております。

お礼が遅れるかも知れませんが、必ず致しますのでよろしくお願いします。


アンナはやはり「好きになれません」でした。
あれほどの「素敵な素晴らしい女性」が「不幸」である、と言う事が、私には「堪らなく哀しい」のです。もしも、「アンナが幸せ」であったならば、私はきっと「大大大好き」になっていたと思います。

そこで疑問が浮かびました。
*アンナが「幸せになる」には、「何が必要」だったのでしょうか?
アンナが「どうすれば良かったのか」を知る事が出来たら、私自身ももうちょっと幸せに「なり易く(笑)」なるかな。。。と考えています。

アンナの人生を「どこまで巻き戻せば」、違う「幸せになれる道」が見えて来るのでしょう。。。何度考えてもまだ判らないのです。

それとも「巻き戻し」以外の考え方で「見えて来る」のでしょうか。。。


その他、この物語をお読みになって「考えた事」「判った事」をお聴きしたいです。よろしくお願いします!!

A 回答 (31件中11~20件)

やった! 狙ってたセレブなヤマメが釣れたわ♪


「ま~たあいつ、スカシてるな」と笑ってらしたのでしょう。
私のハッタリ文は相当に美味しく甘い餌に違いない(笑)

立原道造全集第4巻『方法論』第二章「建築に於ける美の性格」に、ようやくさしかかってます。
「建築は空間に於ける音楽、いはば凝固せる音楽(erstarrte Musik)」という件は、
ヴァレリー『エウパリノス』の「沈黙した建築」或いは「語る、歌いかける建築」
というキーワードを用いた建築と音楽との関係を思い浮かべました。

ヴァレリーの方は一見さらりと読みやすいのですが、取りこぼしが多く楽しさ半減どころじゃないな、と、悔しいことこの上なし。

一方、立原の方は丁寧に拾っていけば旧字体で抽象的で骨折りであれ、
ストレートに建築の真髄を捉えているから、少しは参考に出来るかもしれません(偉そう)。

自作の美しい詩をも含む彼の「美意識」が、どことなく早熟で完璧さを感じるのは、彼の若くしての夭折を惜しむ想いからでしょうか。
例の詩、私も惚れ惚れしてしまいます。
サモトラケのニケがimparfectな故に羽の躍動感と薄衣の流麗さをより妖艶に醸し出しているかのように。
朽ちかけた古代ギリシアの廃墟の柱も「そこにぽつんとたっているだけ」の方が、
往時の列柱が荘厳と並ぶ様子より、もしや儚さの点で美しいのでは、とさえ思ってしまうような、そんな印象を受けました。

>「実生活に犠牲を強いないような思想は本物の思想ではない」とかとも言ってたはずです。
>自分の魂がすっかり絵の方に移ってしまっているのに気づいたからではないでしょうか。

う~ん。だからトルストイは家出したのですか。 
『地獄変』をお昼休みに再読したのですが、kadowaki様のおっしゃること、納得です。 そして『地獄変』もまた、
「実生活を捨象してまで己の芸術作品に心酔し賭けた」芥川自身の自殺をも予見し得る作品ということでしょうか。
絵師の良秀が芥川の分身と思わずにはいられません。

>21世紀に読まれるのは前衛的な安部公房の方だろう、
>古典的な手法の三島は60年代の作家として記憶されるだけだろうと予想

あまりに突出した鋭い感性というのは、それ自体が時代の象徴に落ち着いてしまうのではないでしょうか。
昔流行ったYMOも当時は「お~21世紀はテクノ・ポップの時代だ~」と感動したものですが、何をかいわんや…(森高が名曲ですって?)。
安部公房も、もっと作品を残していたらどうだったでしょうか。

三島は日本では評価が低いのですが、独特の偏愛さというか悩ましさが伝わってきて私には堪えられないのです。
生きざまとしては実際不器用で右翼だし偏った変ちくりんな野郎だけど。
理想と現実との矛盾に苛まれ、そのはざまで醜態を見せ続けたとしても。

それでも、「こうと決めたらこうなんだよ!」とゴリ押しする「偏屈で強固な狂気」と「孤独でsensitiveな脆さ」
の二元論的作品が、多様な思想を受け入れる懐深いフランスではウケが良い理由かもしれません。

正直、私は『アンナ』の「リョービンxキチイ」ような「モラリスト達」には全くというほど興味が持てませんでした。
読んでいて「退屈」であり、思い入れもほとんどなかった。
でもそれは現代の日本で私が幸せ一杯で安穏と読んでいるからかもしれません。
旧態依然の当時のロシアにおいては、トルストイの説くモラリズムや哲学は人々にどのように映ったことでしょうね。

【作品中において】可能な限り何でもありの愛のスタイルや美学、世界観の存在を私は認めたいと思うのです。
だからアンナの自殺は決して覆さず、肯定せず、ありのまま受けとめ、気持ちを理解したい。
結局「死が解決をもたらした」けれど、そこに至るまでの人生において「幸せ」はある時期比類ないほど突出したものだっただろう、
だから「アンナの人生を巻き戻さなくとも彼女は幸せだっただろう」と私には思えるのです。
逆に「巻き戻す」ということは「悔い改める」ということにはなりませんか。
そうするとアンナの生きざまを否定するかのように思えて、私はそれは好ましく思えないのです。

はたまた、ビルから落っこちて突然お父さんが「棒」になっちゃう世界も至極愉快に思えて堪えられないわけで。
このあたりがyukkinnちゃんと異なる見解でしょうか。でも何も同意見に統一する必要は全くなくていいのですよ。

夏はメチャ熱く、冬は風で身を切られるかの如く、小雨程度であれ弾丸もどきで痛い、おまけに肝心の前方が見えない不満など、
女子の身には決して良いことばかりではありません。 ですが、
初夏の新緑の頃のタンデムは気分爽快で快感が突きぬけます!!
ま、発車直前と信号待ちの際の「後ろからグリグリ押しつけ♪」&降車後の涼しい顔は、望むところの挑発的悪戯なのです(笑)

この回答への補足

大物ゲット、おめでとうございます!笑
ジャンジャカ論じちゃってください。私には付いて行けない知的レベルですが(哀)、勉強になります。「課題図書」が増えて楽しいです。

>可能な限り何でもありの愛のスタイルや美学、世界観の存在を私は認めたいと思うのです。
>だからアンナの自殺は決して覆さず、肯定せず、ありのまま受けとめ、気持ちを理解したい。

私は巻き戻「したい」訳ではないのです。「ありのまま」って理想です。そういう風に受け入れて、且つ、自分の道も見誤る事なく生きて行ける技術が欲しいですーー!! 

バイク好きの私は、ウキウキしながら拝読した回答でした。夫がバイク派で、よく乗っけてもらいました。何をするにも「安定感」の消えない人で、「転ぶ恐怖」を味わった事がありません。私はすぐ転ぶので。汗  引きこもりの今や、「自転車のスピード」もヒヤヒヤしていますが。。。

補足日時:2008/09/03 22:13
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横レス、失礼いたします。



本題の『アンナ・カレーニナ』については、何ら語るに足るものを持ち合わせておりません。
大昔に知的虚栄心だけを頼りに読み終えたのを思い出しながら、書棚を探してみると、ホコリを被った河出書房刊『世界文学全集』収録(第11巻 中村白葉訳 680円)が出てきました。

生意気盛りの学生には、不倫問題がトルストイのヒューマニズムや博愛主義の枠内でしか描かれていないのが物足りず、それよりは箸にも棒にもかからない化け物のような人間を描いているドストエフスキーの方がはるかに面白かったような気がします。
不倫小説なら、ラクロの小説『危険な関係』の方がはるかに淫蕩で面白いと思いました。

にもかかわらず、こうしてしゃしゃり出てきたのは、他でもなくmashumaro2さんの撒き餌におびき寄せられたからでして、yukkinn66さんにはご迷惑とは存じますが、ご無礼の段についてはご海容いただきたく願い上げます。

閑話休題。

>小林秀雄は「彼は細君のヒステリーに堪えたのではない、『アンナ・カレニナ』の思想の放棄さえ迫った残酷な思想に堪えたのである。」と著しています。

白鳥が、「ヒステリー」が生の現実であるなら、「思想」なんてものは所詮抽象的な観念にすぎないという二元論的な発想に囚われていたのに対し、小林は、トルストイは「『アンナ・カレニナ』の思想」のために敢えて実生活を放棄(=家出)したと説きたかったのでしょうね。
この前後にフロベールを援用しながら、作家は「実生活で死んで作品で生きる」と『禁色』の檜俊輔と同じようなことを語っていますからね。
あるいは、「実生活に犠牲を強いないような思想は本物の思想ではない」とかとも言ってたはずです。
『地獄変』の完成後に絵師が自殺したのも、同じことでして、自分の魂がすっかり絵の方に移ってしまっているのに気づいたからではないでしょうか。

>中学生の頃芥川は沢山読みましたが、あのエキセントリックさはやはり「青の時代」に読んだほうがエキサイティングなのかもしれませんね。
>私はあまり小説を乱読してこなかったけど、三島や安部公房は好きでした。

私も愛読した芥川や三島ですが、二人とも俗世を生きるのが怖くて、生き続けるためには小説を書き続けざるをえないことを弁えていたのだと思います。
その意味では、二人とも自転車操業のような人生を宿命づけられていたのかもしれません。

昔は、21世紀に読まれるのは前衛的な安部公房の方だろう、古典的な手法の三島は60年代の作家として記憶されるだけだろうと予想していたのですが、この予想は見事に外れてしまい、実際には正反対な結果となってしまいました。
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この回答へのお礼

kadowaki様、はじめまして。
お姉様の回答とともに、何度も素敵な回答を拝見しております。
いらっしゃって頂けて、光栄です。今後ともよろしくお願いします!

>「ヒステリー」が生の現実であるなら、「思想」なんてものは所詮抽象的な観念にすぎないという二元論的な発想

>作家は「実生活で死んで作品で生きる」
>「実生活に犠牲を強いないような思想は本物の思想ではない」
>自分の魂がすっかり絵の方に移ってしまっている

誠に申し訳ないのですが、私は、これらの出典の元の作品を何一つ読んでおりません。なので、ずれた発言をするかも知れませんが、その時はご指摘ください。

白鳥は、確か高校の現代文で一つ読みましたが、なかなか「タカ派」なイメージがあります。お姉様があげられた文も、切り込むような言葉でやや強引な印象です。でも、何故「二元論的」に作家と作品の関係を捉えるのか、私には判りません。作家という人間は、「魂を削って」作品を生み出す、と読書を重ねる中で常に感じてきました。

「評論家」と言うものは、「作家/作品によりそう」存在ではないのですね。。。私は評論はあまり読まないのですが、私自身が「評価」や「批評」と言うものの意味する所が、まだ「良く理解出来ない」のです。なんだか「勝手に言ってるよー。。。」と言うような抵抗感もありますし。。。汗  「魂を削る」と言う感覚が感じられないように思うのです。

そうは言っても、「食わず嫌い」の部分もありますので、人生の助けになるような「良い評論」がございましたら、ぜひご教示くだされば嬉しいです。やっぱり小林秀雄は「必読」でしょうか。。。

「迷惑」等とは全く思いませんので、どうぞまたいらしてください。また「違った視点」からの話題が得られて嬉しいです。知識不足で付いて行くのが難しいのが悲しいですが。。。(汗)

お礼日時:2008/09/03 11:26

一昨日からの雨、ひどかったですね。


今日は少しはマシかな♪ そちらはいかがですか。

>「私とは違うなあ。。」と思うのです。「私はそうは思わない」とも、(不遜にも)思うのです。。。

全然不遜じゃないですよ^^違う考えは面白いでしょ?
「轢死は不幸で愚かな行為なので、アンナは人生のどの分岐点でどう考えたら【幸せな人生】がおくれただろうか」と
「轢死をあえて覆さず、愚かな行為に至ったアンナの人生において【幸せ】を含めた愛憎の感情とはいかなるものか」と
考えるスタイルの差だと思うのですが♪

私は海外生活を経て「なるべく独自の考え」を出すようになりました。
正しくなくてもいいの。 オリジナルの発想がまず大事。
いつも同調してばかりだと「バカにされる」ことが多いからね。

でも大学のゼミやレポートでもその方が評価されてきた気がするし、
第一、作品でアンナがカレーニンとよりを戻したとしたら、私、何だか調子狂っちゃう(笑)

>「人は生きるべき」と考える私には「自殺を肯定」しているように聞こえるのです。
>自殺等、決して「する気がない」から。違うでしょうか?

えっと、私は一度も自殺はおろか、生きづらい世の中だと感じたことはありません。
本当に恵まれて育ってきたのだ、とご縁のあった方々に感謝の気持ちで一杯なの。
そこそこつらいことは感じることもあるけれど、すぐ忘れちゃう(笑)。

yukkinnちゃんは私を「野心的な主婦」と初めの質問でおっしゃっていたけれど、
私はちっとも「野心的」ではありません^^
「強固な覚悟」も「実力を磨き続けている」こともありません(笑)。
恐らくyukkinnちゃんのような「社会に参戦」というような気概を持った女性はさぞや大成すると思うので、
私はとても期待しています^^ほんとだよ♪

>それはアンナの「母としての成長」を妨げる事になる、とヴロンスキーは考えないのかしら???

まぁ、そうヴロンスキーは考えなかったのでしょうね(笑)。
独身貴族だしましてやカレーニンとの子供だから、あまり関心がなかったんじゃないのかな。
不倫をする上で相手の女性の連れ子までひっくるめて愛してくれる男性ってどれほどいるかしらね。

>やっぱり「M」なんですかねえ。。。爆

どうでしょうね(笑)。
中学生の頃芥川は沢山読みましたが、あのエキセントリックさはやはり「青の時代」に読んだほうがエキサイティングなのかもしれませんね。
私はあまり小説を乱読してこなかったけど、三島や安部公房は好きでした。
そうそう、フランスで「Mishima、Kawabata読んだよ」「柔道何色の帯持ってるの?」なんて良く聞かれたわ。

でもさ、切腹自殺をマジでやっちゃうのって・・・やっぱり小説の中だけにして欲しいわよね~凹凹凹

この回答への補足

こんばんは、お姉様。

本筋とはあまり関係ないのですが。。。。
「愚かな行為」。。。お姉様はそう思われるのですか? 
「愚か」。。。何でしょう。。。そう評価するのにとても「抵抗」を感じるのです。「愚か、とは言い表したくない」気分です。「不幸」なら良いのですが。。。「言葉選び」でどの部分が「引っかかる」のか、私自身いまいちよくわかっていません。。。汗  何だか「救いの無い言葉」と言う気がするせいでしょうか。。。「使っちゃいけない」気がします。「自分が言われたくない言葉」だからでしょうか。。。悩んでいます。。。笑

>えっと、私は一度も自殺はおろか、生きづらい世の中だと感じたことはありません。

私も世の中自体を「生きづらい」とは思いません。私が「生きづらい」のは「私が何か欠けているから」「力が足りないから」。。。とか考えています。「何かのせい」とは思えないのです。この思考が、良いのか、悪いのか判りませんが。。。

>不倫をする上で相手の女性の連れ子までひっくるめて愛してくれる男性ってどれほどいるかしらね。

そうなのですか? 。。。と言う事は、やはり「不倫」と言うものは「劣った愛(もどき)」になるケースが多いのですね。。。そうは言っても世界の名作の主軸を彩る「愛」が、「愛もどき(笑)」とは。。。。。

「大切な人の大切な物」=「自分の大切な物」とはならないのですか?
自分には「理解出来ないもの」であったり、「疎ましいもの」であったとしても、「あの人が大事にしているのだから、何か意味があるのだろう」って、「(誰かを愛する)誰もが」考える訳では無いのでしょうか? お姉様はいかがでしょうか?(しつこくて申し訳ないのですが、「一般的にどうなのか」が気になります。)

>私はあまり小説を乱読してこなかったけど、三島や安部公房は好きでした。

私は三島、川端、ダメです。苦手。。。汗  安部公房は。。。読んでません。。。大汗

川端は何だか。。。苦手なのです。流れる空気がとことん「湿っぽく」「ヌルくて」「重たい」気がして。。。フランスでは人気ありそうな作家ですよね。。。何となく。フランス映画って、私が見た数少ないものでは判断が付きかねますが、「淡々と語りつつ、深い部分まで連れ込む」感じがしました。(合っていますでしょうか。。。汗)


今、出産から出奔までの流れを読んだのですが、、、、判りません。。。何がどうやってどうなって、ぐるぐる目まぐるしく状況と各々の気持ちが変化して行くのか、さっぱりちんぷんかんぷんで。。。大汗 

トルストイは、淡々としていて、文章が静寂過ぎて、「観察日記」のようで、とても「ノリ」で読める作家じゃありませんね。。。物語の時間と観察者の時間を、「完全に一致」させていますね。「現在」は「現在」でしかない、のですね。。。

もう一度読んでみます。。。

補足日時:2008/09/01 22:45
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■このような「物事の捉え方」「価値観」は、「生き難い」のでは?と思えたのですが、特にお若い頃(今も充分にお若いですが。

笑)は、そう感じられた事は無かったのでしょうか?

ははは。確かに大学生から20代は生きづらかったと思う。
というか、年と共に僕の場合は生きやすくなっている。(笑)

フロムの「愛するということ」を初めて読んだのは、いまから30年以上も前の話で、悪評高い旧訳で、紀伊国屋書店の黄色と茶色のハードカバー本だった。文庫本は出ていなかったね。どういうわけか大学の図書館で借りた。なんとも気恥ずかしいタイトル♪
かなり印象に残った本だった。
でもね、内容に「ピン!」と来たのは、結婚して子供達が生まれてからのような気がする。30才過ぎ。(笑)それで、読み直した。

僕はあの本は大好きだけれども、ある意味で内容的には「破綻」していると思う。そして、そこが素晴らしい!
アノ本の原題は‘the art of loving’。
まさに、「愛は技術である」という書き出しの通り。
この風呂敷の広げ方というか構想は凄いんだけれども、細部の詰めは甘く、読者のキャパに委ねられている。
そこがいい。
マルクスは徹頭徹尾精緻だ。
だから、論理的思考力に優れた人間ほど、その魔力に引きずり込まれた。
僕達の年代までは、随分とソレで人生寄り道した。。。

結局僕は、その隙間をいい加減な人生経験で埋めながら、以前に比べれば、ずっと安定している。
そもそも、論理的に精緻な土台の上に、おそろしくいい加減な人生経験を乗っけたという柔構造なので、結構しぶとく破綻はない。(笑)
これは色恋という問題だけじゃなくて、他のことについても僕の基本的なスタイルです。
土台は頑丈に、建物は融通無碍。
20代の頃は、それが出来ていなかったと思う。

人間って、「進歩」しなけりゃ、くだらないと思う。
せめて「変化」しなきゃ嘘だ。
とはいえ、そういう生き方そのものが、結構摩擦を生む。
酷い言い方をすれば、この世の多数派は、少なくともそういう意味では「愚か」だと思わないと、生きてゆくのは、なかなか辛いかも知れない。
とはいえ「愚か」って「無価値」ということではないし、「ゴミ」ってわけでもない。
ただ、あまりに愚かだと、時々イライラする。(笑)

アンナの最後のシーンね…。
僕にも謎です。
小説としては彼女は死ななければならないけれども、女としては死んじゃあいけないよね。

この回答への補足

こんにちは!玄斎先生。
遅くなりまして申し訳有りません。
言い訳をさせて頂くと、前回の「具沢山」を「味わう」のにかなり根を詰めまして、その後はしばらく「腑抜けて」おりました。。。汗

私の「不躾な質問」にまで、暖かく回答くださり、ありがとうございます!!

>年と共に僕の場合は生きやすくなっている。

とのこと、「匍匐前進」も永遠に続く訳では無いのかな。。。と安堵しました。そうは言っても、「努力の積み重ね」を怠れば、意味は失われますし、まだまだ「気を張って」生きたいと思います。

「何かにこだわって」生きている「大人」って、なかなか身近にいなくて、その中でも「成功している方」は更に少なくて、こうしてネットの上とは言え、お会い出来た幸運に心から感謝!なのです。我が両親もこだわっている、と言えば言えますが、「成功」には欠けていますので(汗)、「こだわり」と「成功」が両立する為には「並々ならぬ能力(押しの強さ?笑)」が必要なのだな。。。と思っております。

>マルクスは徹頭徹尾精緻だ。
>だから、論理的思考力に優れた人間ほど、その魔力に引きずり込まれた。

私の両親もお師匠様と同年代なのですが、大学卒ではないせいか、学生運動等の思い出はないようで、身近な話として聞いた記憶は有りません。ただ、麻原彰晃の逮捕の時に、「私たちの世代は不安定だった」と言うような事を話していて、「世代」というものを何か「不可思議なもの」と感じました。

「論理的思考」。。。「精緻」。。。なのですね。
マルクスの理論は、本人すら「実現はまだまだ未来だろう」と話していた。。。とか小耳に挟みましたが(申し訳ありません、知識不足です。涙)、高校の時等、教科書を読みながら「人間を善とした理想」なのだろうか。。。と心惹かれておりました。大学では経済を学びましたのに、何せ中退者の身、。。。勉強すべき事が沢山ありますね。

>論理的に精緻な土台の上に、おそろしくいい加減な人生経験を乗っけたという柔構造なので、結構しぶとく破綻はない。

ややこじつけて「アンナ」に話を戻しますが、
「土台の確かさ」と言う点で、ヴロンスキーはアンナに劣っているような気がするのです。アンナは最後の最後で「光」を手にして死んだように思いますが、彼には何が見えたのかな?何を手にして死んだのかしら?と思います。「同性として」、こういう「最期」で、恋人の「男」の側には「何が残る」のでしょう? お師匠様はどうお考えになりますか?

「母になる性」としての「女の立場」から、
人生の「土台」と言う点で、男は「浮き足立っている」気がします。それは私の思い違いでしょうか。。。常に「何かを通して」しか、「地に繋がって」居ないような気がするのです。。。それは、「命の在処」と言う意味での「地」かも知れませんが。。。

またしても、「纏まりの無い」お礼になってしまいました。。。汗

補足日時:2008/09/01 17:29
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3人の子育て中の『アンナ』の再読はさぞ困難なことでしょう。


どうか焦らずゆっくり読んで下さいね^^
長文なので適当に流して下さい。

そうそう、『聖母マリア再臨の日』読みましたよ~。
南仏は思い出深い土地ですので、読んでいて幸せでしたし、面白かったです。thanks!

>イタリアでのアンナとヴロンスキーは、結構「いい感じ」に受け取れたのですが、
その後の「すれ違い」は、「切っ掛け」で生じたのか、「積み重なって表面化」したのか。。。。?

先日大人買いした『小林秀雄 全作品』の『7 作家の顔』で、晩年のトルストイの家出に関する正宗白鳥に反駁する箇所を昨夜読みました♪
『アンナ』を書いた天才が何故「家出」を決意したのか本当に不可解!

作家の思想と実生活との関係って一体何でしょうね。
小林秀雄は「彼は細君のヒステリーに堪えたのではない、
『アンナ・カレニナ』の思想の放棄さえ迫った残酷な思想に堪えたのである。」と著しています。
思想の放棄とは、『アンナ』後、ぎりぎりの人生の真相に絶望した末での『わが懺悔』において、
自画像リョービンの「改宗(信仰を新たに得ること)」の「修正」にとりかかったことを指すようですね。
私はラストの「リョービンの思想」について読めてませんが、恐らく相当に重苦しいテーマに違いない(笑)

正宗白鳥の「…人生に対する抽象的煩悶に堪えず、救済を求めるための旅に上ったという表面的事実を、
日本の文壇人はそのままに信じて、甘ったれた感動を起こしたりしたのだが、実際は妻君を怖がって逃げたのであった。
人生救済の本家のように世界の識者に信頼されていたトルストイが、山の神(妻)を怖れ、世を怖れ、おどおどと家を抜け出て、
孤往独邁の旅に出て、ついに野垂れ死にした経路を日記で熟読すると、悲壮でもあり滑稽でもあり、人生の真相を鏡に掛けてみる如くである。」

これに対し小林は、
「ただ細君を怖れたなぞということが一体何んだと思ったからだ。
そんな事実を鏡になんぞ掛けて見るのが馬鹿々々しかったからである。
あの「日記」には、彼の家出という単なる事実を絶する力が感じられるのであって、その力が僕の暴露的興味を圧する事を感じたが為であった。」

また正宗と同様の思考を論ずる加能作次郎を、
「トルストイの実生活に於ける悲劇が果たしているとは一体どういう意味だろう。 
彼の痛ましい悲劇も、それ自体問題の解決だ、では彼の死も亦問題の解決ではないのか。
それでは問題を解決したのは彼では無く、彼は寧ろ問題に解決されたのではないか。」と駁したわけで。

最近のロシアと近隣諸国の強行的な独立承認問題等を見るにつけ、ロシアは、
トルストイの頃とは政治体制や民衆の意識が様変わりしたとはいえ、
やはり欧州の中でどこか「異質なもの」を感じずにはいられません。

そして当時の思想面でもトルストイでさえも「解決しきれなかったもの」が当然あったに違いない、と思わざるをえないような、
それほどに彼の「野垂れ死に」とは理解の上で困難を極めるものなのでしょう(ちなみに『アンナ』執筆時は48歳)。

また、かなり強引な手法ですが、これはアンナ本人の「破滅」にもあてはまるかもしれません。

モラリストにとっては「アンナは【たかが浮気】が動機で、自ら轢死したただの愚かな女であり、
過程において何か他の道が選択できたはず」と思う余地があるでしょう。

ですが彼女のヴロンスキーへの愛というのは、実際に「たかがと形容するに過ぎないただの愚かな恋」であったにせよ、
彼女自身にとっては、結局は「轢死によってしか解決され得なかったほどの身を焦がす激情」であったのだと私は考えるのです。

ですから「どの時点ですれ違い、積み重なり、他の選択肢を選る分岐点はいつだったのか探る」のではなく、
「それは必然だった」としか考えられません。 そして、
元来の彼女の性質からして、アンナは「破滅への軌道修正が出来るような女性ではなかった」ような気がするのです。
例えアンナの夫に誰が名乗りを挙げてもです(笑)
いいじゃ~ないですか、小説のタイトルになるほどの女性である限りは♪

ま、そんなことより、
>珍しく「頭なでなで」等して来て、「寂しかったよ」オーラがむんむん(笑)。。。
>まあ、結局「一本負け」しました。。。。悔しいけど。。。

yukkinn66ちゃんご夫婦には『アンナ』の凄味など触れなくてもいい類まれなカップルなのかもしれませんね^^羨ましいわ♪
いつまでもお幸せにね~(一本負けって、笑)

>何だか、毎日毎日みんなに~「私ばっかり聞き回ってる!!」、「誰も私には聞いてくれない!!」って。。。
>劇場に乗り込んで、醜態を結果的に曝してしまったアンナは、こんな気分だったのかな?。。なんて、不遜にも重ねてしまったのです(大汗)

アンナは「真の意味で孤独」であり、心情吐露をせざるをえなかったのですが、
yukkinn66ちゃんは、家族の誰からも必要とされ愛されている若いママであり、多忙さを呪う「可愛いボヤキ」にしか聞こえませんよ^^

あ~あ。
小林秀雄のように偏屈な理屈屋である反面、骨董仲間と遊んだり競い合ったりして、
小粋で洒脱な一面を覗かせるオヤジっていないかしら?
そういう人になら「だ~からおめぇは知ったかぶりをする【高慢】で【偏見】に満ちた女なんだよぉ!」と
叱咤されることに激しく快感を覚えちゃうんだけどなぁ。
「お願い、私をもっと痛めつけて頂戴~♪」みたいにね(笑)

この回答への補足

こんばんは~、アンナお姉様!笑
お師匠様とお姉様、お揃いで「具沢山」の回答を下さって、あっぷあっぷです。でも、「入手困難の大好物の捨て難い具」ばかりなので、細心の注意を払って食べている所です。残しません!笑

>そうそう、『聖母マリア再臨の日』読みましたよ~。

ゆっくりなさってくださいね。
落ち始めると(上がり始めても)、「別人格」のような気になるのが、私の「混乱」の原因なのですが、もしかして「一度の人生、二度美味しい?」なんて、元気な時は思ってしまうのですが。。。。。

小林秀雄、正宗白鳥の「思想と実生活」についての論争ですね。先程、ウィキペディアで「付け焼き刃」しました。汗   詳しく知らない私では、「どちらの見方を取るか」、決められませんが、こういう「論争」を見る時、「否定語が少ない方」を取りたくなってしまうのは、私の臆病さを示しているのかな、と勘繰っています。

「アンナ」に関する質問への、お姉様の回答を読む度に、「私とは違うなあ。。」と思うのです。「私はそうは思わない」とも、(不遜にも)思うのです。。。「俯瞰的」に、「観客として」アンナを読まれている感もありますし、その「冷静な見方」は、すぐに感情が揺れる私にはとても真似出来ない。。。と羨ましく思います。

だからと言って、その「回答の凄さ、深さ、暖かさ」が損なわれず、受け取れる事に、私はびっくりしているのです。大袈裟にこじつけて(笑)、「思想の違い」と「好意」は、「相関関係に無い」!!

>彼女のヴロンスキーへの愛というのは、実際に「たかがと形容するに過ぎないただの愚かな恋」であったにせよ、
>彼女自身にとっては、結局は「轢死によってしか解決され得なかったほどの身を焦がす激情」であったのだ

私なら、この二つの「要素」を「結びつけ」、「後者を導き出す」のに、なんやかんやと「証明」を付け加えたくなってしまうのに、こうも「朗らかに言い切ってしまう」のが、お姉様の凄さだなあと思うのです。

更にその後、
>いいじゃ~ないですか、小説のタイトルになるほどの女性である限りは♪

この「腹の据わった」「明るさ」は、私には無いものです。
(ちなみに、この一文を読んで、「何か良く聞いてるような。。。」と思ったら、夫が「この手の結論(?)」を、良く言います。。。あ~~!と思いました。笑)

お姉様は「アンナの轢死」を「必然」とする事で、(「人は生きるべき」と考える私には)「自殺を肯定」しているように聞こえるのです。いつもなら「強い反発」を憶える私が、あまりキリキリしないのは、「お姉様自身が自殺等、決して「する気がない」から」。違うでしょうか?

夫はやはり「死について」考え込んだ事等無い、と言います。ついつい「頭でっかち」になりがちな私と正反対で、「行動先行型」です。そして、「理論武装」して物事に当たる私より、「遥かに成功している」のです。

「自殺?。。まあ、それもありじゃない?」と言って、私をキリキリさせるくせに、「俺自身はぜったいしないし~」と、結果的に「行動で否定」してみせる。

また、「今後の予想」や「先を見通して。。」等、「辞書に無い」に近い生き方をします。「適当だな~~」と思うのです。(失礼ながら、お姉様の回答を読んでもそう思います。汗) でも、その「適当さ」を普通では到底真似出来ない程「強固な覚悟」が支えているのが見えるのです。

「人生なんて、ハプニングだらけ」と笑いながら(楽しみながら)、その「ハプニングに対応出来る実力」を、常に磨き続けている。。。そんな印象です。。。違うでしょうか?


「セリョージャとの再会」の場面を先程読んだのですが。。。「アンナの孤独」が痛かったです。

「セリョージャの存在」を心に消化出来ないようなヴロンスキーを、アンナは何故愛せたのか。。。
また、
ヴロンスキーは、自分と同等か、それ以上に愛されている「セリョージャの存在」に「無関心なまま」、何故アンナを愛せたのか。何故それで「愛している事」に「なり得た」のか。。。

それを「超えうる激情」を理解出来ない私は、「恋愛に重きを置かず」生きて来たせいでしょうか。。。それとも単に「幼い」だけなのかな。。。。汗 「恋愛」より「友情の方が上」だと考えてましたから。「恋」は「友情」に包括されると考えてきました。う~~ん。。。?

>「お願い、私をもっと痛めつけて頂戴~♪」

。。。。汗。。。。私が今まで読んだ本の中で、一番「セクシャルな気分」になったのは、芥川の「地獄変」です。これって、やっぱり「M」なんですかねえ。。。爆

補足日時:2008/08/28 23:26
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久しぶりのアンナ再読なのですが、とにかく疲れます。


「こんなに中身が詰まった本だったか…」と感じ、読んでいて頭が疲れます。今はこの本は読まない方がよいのかも知れない。
他の回答者に対するお礼も含め、思いつくままに書きます。

僕は、「幸せな日常にしか愛はない」のであるから「予期できる不幸」を回避することも大事なのだとアンナとヴロンスキーについては、単純に考えます。
そもそも無理のある関係であるし、「不幸の予感」が最初から有る「予期できる不幸」であったはず。

唐突に、年長者云々の話に戻りますが、僕は「物わかりが良くて優しい」タイプの人間と一緒に仕事をするのが嫌いです。
部下に対して、「責任は俺が取る!自由にやれ!」というタイプの中間管理職も嫌い。
「物わかりが良くて優しい」って「無責任」と紙一重。
これは、ビジネスの世界でも、日常生活特に家族生活でも同じだと思う。

ちょっと話がフィットしないかもしれないけれども、アンナとヴロンスキーは、ああなるべくしてああなった。
予期できた。
ある意味でね、「無責任」だったんですよ。お互いにね。
責任有る浮気者を標榜する僕に対して劣っているね。(笑)
「たかが」浮気でアホか!(笑)

それにしても、、、
僕は男が女に惚れて命を捨ててしまうのは嫌いじゃないんだけれども、女が命を捨てるのは、どうにも納得できない。
女って、もっと強くなきゃ、、、。

人間観察も凄いし、文章表現は天才的。
トルストイってある意味で怪物だけれども、アンナの死に至る部分は理解は出来るけれども、認めたくないような違和感はあいかわらずあるね。

ちょっとつかれたから、オースティンか半村良でも読む。(笑)

トルストイの生涯は読んでいません。
不幸な家庭生活であったことは知っています。
「吉原御免状」の続編は「かくれさと苦界行」というタイトルだったと思う。
僕は、「かくれさと苦界行」での柳生義仙というキャラクターも嫌いじゃない。「吉原御免状」の義仙は、さすがに受け付けないけれどね。

フロムって「愛するということ」かな?
あの本は、ここ半世紀の恋愛本の源泉みたいな本なのだと思う。
フロムは幾つか読んだけれども、あの本が一番説得力がある。
あと、確か「疑惑と行動」という本の巻末にある、クレド「我が信条」ってやつが、とにかく説教臭くて、いかにもで閉口するけれども、20代で目を通した方がよい本だと思う。
僕の年になると、、、、ヤレヤレです。(笑)

ボチボチ子供達が帰国。
妻と二人だけの生活も、あとわずかです。

この回答への補足

こんばんは。
本当に毎度毎度、丁寧に回答くださって感謝しております。

>「予期できる不幸」を回避することも大事

前回「切っ掛け」か、「積み重ね」か。。。。との疑問をいろんなケースで感じたのですが、「切っ掛け」が「予期出来ない」以上、「予期出来る危険要素」を出来る限り少なくしておくのが「必須事項」、と言った所でしょうか。それが「幸せの積み重ね」なのでしょうね。

アンナとカレーニンは、何故それが出来なかったのでしょう。。。カレーニンが「人間」になるには、「アンナの裏切り」が必要だった、と言うしか無いのでしょうか。。。今日は、あちこち拾い読みをしていて、カレーニンだって、なかなか素敵だな。。。って私は思ったのですが。。。

>ある意味でね、「無責任」だったんですよ。お互いにね。

はい、「セリョージャの存在」を間に置いた時、二人は完全に「すれ違って」いますし、悲しい事に「無関心」を装っているとも見えます。セリョージャの件に象徴されて、「無責任」がくっきりと見える気がします。

下のfuji坊さん宛の欄に、『「一番大切な人」の「一番大切なもの」を「粗末にして」、「愛する」なんて「不可能」じゃないの???』と子供っぽい(汗)表現で書きましたが、それが私にはしっくり来る、二人の愛の「違和感の元」なのです。

中巻の最後の方に、
「アンナはその悲しみをヴロンスキーと分つこともできなければ、また分ちたくもなかった」。。。これは、セリョージャとヴロンスキーが「質こそ違えど、同等に」愛している事の現れだと思いますが、
「いや、ヴロンスキーには、自分の苦しみの深刻さなどを、とても理解する力のないことを、アンナも知っていた」。。。これは「いただけない」(笑)と思ってしまうのです。

既に「人の母」であるアンナを「愛する」と言うのは、セリョージャの存在を抜きにしては「無理が生じる」し、それはアンナの「母としての成長」を妨げる事になる、とヴロンスキーは考えないのかしら???と思いながら、読んだのです。「現状維持」の人間程つまらないものは無い、と私は思うのですが。。。しかも、人生に挑戦的で、向上心のあるヴロンスキーが、そうしている事に、「何故気付かないの??」と叫びたくなるのです。

アンナも、そこまでに「愛する相手」なら、どうして「理解を求めないのか」、不思議でなりません。「無関心な部分」が必要な相手を、ここまで優れた女性がどうして愛せたのか、不思議でならないのです。

>僕は男が女に惚れて命を捨ててしまうのは嫌いじゃないんだけれども、女が命を捨てるのは、どうにも納得できない。

同じような言葉を、母からいつか聞いたように思います。私の「事件」の後かも知れません。私自身の「生きる意志」の為に理想化している部分も有るかとは思いますが、「女」と言うのは、「命そのもの」の強さがある(有るべき)と思うので、

>アンナの死に至る部分は理解は出来るけれども、認めたくないような違和感
 
これをとても強く感じてしまったのだと思います。

あ、先程「轢死」の場面を読み返して、疑問に思った点が。。。
「すると、その瞬間、アンナは自分のやったことにぞっとした」。。。その直後に「飛び退こう」とするも、「間に合わず」「抵抗虚しく」。。。と言うくだりです。

自殺に至り、死を勝ち取った(?)者の心境等、生きている者には永久に明らかにはなり得ませんが、これは、「今死んではならない」と、アンナが気付いた瞬間では?と思いましたが、玄斎先生はどう思われますか?

>20代で目を通した方がよい本だと思う。

「愛するということ」ですが。。。冒頭の数行読んで、先輩方に「心から感謝」しました。いやはや、「三十代になる前に出会えて良かった~~」と「胸を撫で下ろした」思いです。笑  

数年遅く手に取って、「間に合わなかった~!!」なんて、ありそうです。もっと早く読んでいれば、「家庭崩壊」しなくて済んだかも??なんて、思った日には、悔やんでも悔やみ切れません。ありがとうございました!!

最後に、失礼な質問かも知れませんが、お師匠様のこのような「物事の捉え方」「価値観」は、「生き難い」のでは?と思えたのですが、特にお若い頃(今も充分にお若いですが。笑)は、そう感じられた事は無かったのでしょうか? 差し支えなければお聞かせくださると嬉しいです。

補足日時:2008/08/28 21:53
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こんばんは。


オリンピックも今日で終わりですね。
男子マラソンを見てて、ちょっぴり北京が恋しくなりました♪

>アンナが唯一「純粋に愛せた」のがセリョージャだったと思います。ヴロンスキーもカレーニンも、ドリィも、「愛している。でも。。。」

そそ。セリョージャだけは無条件に、絶え間ない愛情を注げたし、息子との関係に何の疑問も抱かなかったのでしょうね。

fuji坊さんの「子供の目線からの解釈」はなかなかに興味深かったわ。けれど、むしろ「昔、住居学で、衣食住で住が一番必要ない。家がなくても生きていける、というレポートを出して」
の方に私は物凄~く心惹かれました。 私が教授ならトリプルAあげる♪

アンナが自滅する過程を読むにつれ、ヴァイオリンを習ってた遥か昔をふと思い出したの。
小学生の当時、たかが30分でも毎日練習してるから日々上達してると思いこんでた(笑)。
でも、ある日「いままでと違う!この音綺麗じゃない!」と言い表せない不快感、違和感を感じたわけ(実は練習不足や夜更かしとか?)。

わがままで浅はかだったから「松脂が古くてみみっちいから?」「先生の調弦が狂ったのかな?」とか、
「ヴァイオリンのせいにばっかり」し始めて、弾く度にどんどん嫌になって、
その後は惰性で続けつつ「いつやめるか」ばかり考え始めるようになった。
ちゃんと先生の教えを聞いて私の弾き方を変えれば良かったのよね♪
yukkinnちゃんはまだ当時の楽器を持ってるの?

>そういう「予想外」があるのが、「アンナ」の魅力で、「人生の魅力」と「捉えるべき」なのでしょうね。。。

「アンナの魅力は予想外の人生」ですか。なるほどね~フムフム。

私の考えるアンナの魅力。
アンナってどんな女性だったんだろう?この恋でどれほど美しく光り輝いていたのだろう?と「読後いまだに」想像に尽きないところかな。
誇り高く情も知性も豊かでひときわチャーミングな女性が陥る「甘い恋の罠」ってどんなだと思う?なんて。

得も言われぬ美しい調べが、ある日「ふと」音に違和感を感じ、徐々に不協和音となって時に疎ましくなり、
その繰り返しの後はっきりとギーギー♪聴くに堪えない大音量となって耳をつんざき、
突然、静寂が訪れる最期。「アンナの転落」はそんな感じかな♪

>私は、同年代の人たちより年長の人と話すのが好きです。「無条件で」敬意を示せるので。

ふ~ん、そうだったのね。
私がyukkinnちゃんの年頃のときは40~50代なんてすんごい老人だと思っていました。
fuji坊さん同様貴女も年上キラーなのかな♪ 理解不能かも^^

私はね、トシヨリダイキライ(笑)。 説教臭いのは超苦手~。
歳なんて個人の資質とさほど関係ないんちゃう?と今も思ってます。
年上だから無条件にオマージュなんてまさか!と態度が思わず出ちゃうから年配(特に男性)からウケが悪いの。 

でも、一部のチャーミングなエロ・オヤジ達は大好きです♪

『高慢と偏見』というタイトル、まさに私にうってつけかも!(笑)

この回答への補足

こんにちは。
再読が一向に進まないまま、いろいろと思い返しているのですが。。。

>得も言われぬ美しい調べが、ある日「ふと」音に違和感を感じ、徐々に不協和音となって時に疎ましくなり。。。。

お姉様のこの表現、まさに「その通り」かも知れない、と思いました。
何故か「ふと」目覚めるように、「気付く」瞬間があります。「あ~そういうことだったのか。。。」と、以前は思っても見なかった視点から、自分を眺める事になって、びっくりする事が時々有ります。

この「ふと」は、本当に「切っ掛け」なのか、日々の「積み重ねの結果」としての「気付き」の瞬間なのか、よくわかりません。

アンナは、セリョージャを捨てて出奔後、「幸せそうに」見えたのですが、やはりどこかに「違和感のある幸せ」だったから、「不幸」に気付いてしまったのかな?、と悩んでいます。イタリアでのアンナとヴロンスキーは、結構「いい感じ」に受け取れたのですが、その後の「すれ違い」は、「切っ掛け」で生じたのか、「積み重なって表面化」したのか。。。。?

私の夫は突然「徹夜仕事」が入る事があります。今週は週明けからそうだった上に、私一人でちびたち三人連れて、無理押しで小児科に行ったり、ちょっと「常に無い」状態で疲れ気味。やっと昨夜遅くに帰って来た夫を小躍りしながら(笑)迎えて、ホッとしたのもつかの間、「会話に持ち込む」前に、二人でテレビに見入ってしまい(汗)、見終わった頃には、私はすっかり拗ねていました(笑)。

先述の「ノート」に、かりかりと、「私に何か聞けよ~~~」「テレビより私を見ろよ~~」「頑張って作った(久々の料理!)ご飯の評価は???」とか、恨みつらみ書き綴り、書き尽くしたら、「寝るよ~~~」と声が掛かり。。。(怒) 「すっかり怒ったもんね~~」と八つ当たり。それに大した反応が無い事に「すっかりふくれて」寝ました。

で。。。。今朝はすっかり私「ご機嫌」なのです。

不貞腐れてちび達の「足下に(いつもそこしか余裕が無い(汗))」横になったら、珍しく「頭なでなで」等して来て、「寂しかったよ」オーラがむんむん(笑)。。。ご飯を食べた後位からでも、「発散」してくれれば、私も不貞腐れたりしなかったのに。。。いつもなら「暑いから。。」とやんわり遠ざけるくせに、珍しく「腕枕」してくれたりして、「やっぱ、家はいいなあ。。」オーラがむんむん(笑)。。。早く言ってよ~~自分で言葉にしてよ~~~!!

まあ、結局「一本負け」しました。。。。悔しいけど。。。

で。。。「切っ掛け」か、「積み重ね」か、って疑問なのですが。。。
いつか、不幸にして、夫との間に冷たい溝が出来るなら、それは、「切っ掛け」だろうか? 「積み重ね」だろうか? と思ったのです。その溝を「乗り越える楽しみ」も有ると思いますが、そんな溝って、「ある日ふと」気付くんじゃ無いかな? って何となく思ったのです。

それは「出来てから」考えれば良いのかな?とも思いますが。。。
アンナがヴロンスキーとの間に「不幸」を察知したのは、ロシアに帰って来た時でしょうか。「周りの反応」によって、「強制的に気付かされた」感じもします。「認めたくなかった」のに、「曝されて」しまった!感じでしょうか。。。あれは「切っ掛け」だったのか、「認めずに」来た「積み重ね」だったのか。。。?

うまく纏まらず、読み取り難いとは思いますが、適当に読み流して(笑)、何かご存知でしたら、お願いします。。。。でも、昨夜はあのまま行けば、「久しぶりの大喧嘩」が勃発しそうだったのです。何だか、毎日毎日みんなに「具合悪くない?」「何食べたい?」「疲れてるでしょ?早く寝たら?」って、「私ばっかり聞き回ってる!!」、「誰も私には聞いてくれない!!」って。。。劇場に乗り込んで、醜態を結果的に曝してしまったアンナは、こんな気分だったのかな?。。なんて、不遜にも重ねてしまったのです(大汗)

フロムをやっと入手しました。ゆっくり読もうと思います。

補足日時:2008/08/27 16:58
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こんにちは。


ソフトの上野投手の「男らしさ」に感動!
「兄ィ!」と呼ばせて欲しいと思いました。
男子100m×4はドキドキしました。
野球、、、なかったことにしましょう。

アンナはまだ再読途中ですが、思いつくままに。
カレーニンは、彼の心の内側の「自己防衛制御システム」が自動的に作動したという印象を今回は持ちました。
キリスト精神と言うよりも、そう考えた方が、僕には理解しやすいです。
ああするのが、彼の心を守るのに、壊れないために、実は一番自然。
今の世の中でも、同様の行動をとる人間もいるんじゃないですかね。

■私は「年長者は、年長と言う点だけで、優れているもの(優れている筈)」と信じて大きくなりました。それは同時に、「年少者よりも賢くなければならない」と言う自分に対する「決まり事」でもありました。一日分、一年分「成長」していなくては。。。と思って生きてきました。

僕に限らずだと思いますが、40才になったとき自分のことを、「なんだ!まだガキじゃん!(笑)」と思いました。
50才になったときは「やっぱりまだガキだ!(笑)」と安心しました。


話は変わりますが、僕が学生時代の頃と、今の学生さんとの大きな違いの一つに、「学生運動」と「歴史の必然に対する認識」の有無という問題があるように感じています。
「世の中」というのは力ずくでも変革すべきモノであり、またソレが歴史の必然なのでは?改革・変革というのは必然的な流れであり、今現在については否定されるべきモノが多い。
それは、体制であったり社会構造であったり常識や秩序だったり。
勿論、過激派と呼ばれる集団に対する共感は無いまでも、改革・進歩は「歴史の必然」という認識というか意識が強くあった世代だと感じています。


僕はね、年長者は「この若僧が~」と言い、若者は「あんた達は古い!」と考えている世の中の方が活力があると感じています。
だから、生意気な若僧が好きです♪
「年長者の知恵」は年長者になってから思い出せればいいんじゃないかな…。

最初の質問に戻るけれども、僕はアンナが別の人生を送る「チャンス」はいくらでもあったような気もする。
でも、彼女は、あの人生を選択した。
僕の感覚だと馬鹿げた人生だけれども、理解できる。

■*アンナが「幸せになる」には、「何が必要」だったのでしょうか?

カレーニンが僕だったら何とかしたかも知れない。(笑)
いや、冗談です♪

今回アンナを読み直して、再び読み直したいと考えた本が、また出ました。
ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」という本です。
まあ、「いいから騙されてたと思ってとっとと読め!!」とは申しませんが、よろしければ。(笑)
因みに、モームの世界十大小説に「戦争と平和」が選ばれて「アンナカレーニナ」が選ばれていないのは、「高慢と偏見」を入れたかったんじゃ?「高慢と偏見」と「アンナカレーニナ」の両方を入れるのが、イヤだった?な~~んて妙なことも考えました。

デワデワ。また♪

この回答への補足

こんばんは。
お師匠様は、どちらの空の下でバカンスなのでしょ?

上野さんは。。。凛々しくって惚れ惚れ、ですね。
ソフトで「カッコイイ」と言えば、ショートでしたっけ? 今ベルマーレで監督してましたっけ? 安藤さんが見事でしたけど。。。久々に見惚れてしまいました。(fuji坊さんがお詳しいのでは。。。?)
あとはなでしこの穂希ちゃんにも見惚れます。ちょっと私と名前が似ているのもありますが。。。笑

「カレーニンの変貌」ですが。。。
>「自己防衛制御システム」が自動的に作動した

もう「限界」の状態でしたものね。
でも、その瞬間に「負の方向」に作動しなかった、と言うのは「彼の善性」の証明にはならないものなのでしょうか? 「自己防御の為に」、例えばアンナかヴロンスキーと「刺し違える」なんて、ならなかったのは。。。彼の得意の「打算」? でもその「余裕」は無かった筈。

こういう「限界(臨界?)」状態で、「本性が問われる」。。。とは限らないのでしょうか? 

>僕が学生時代の頃と、今の学生さんとの大きな違いの一つに、「学生運動」と「歴史の必然に対する認識」の有無という問題があるように感じています。

あ~~!思わぬ「痛い所」を突かれた感じです。笑
私は中学から大学初期にかけて「改革、変革」が好きでした。とにかく「自分の力を試す」意味でも、学校行事、部活動等、あらゆる「受け継がれる悪習」に対抗し、改革を挑んでいました。役職の「権力を振るう」のは面白かったし、「議論で説き伏せる」のも楽しかった、「先輩の弱みを突く」のが何よりも「快感」で。。。。笑

大学に入って、仕事とレポートに追われながら「本物の進歩」とか、「変わらずに大切な事」とか、考えていたら、「急激な変化は「実質的な変化」では無い」気がし始めたのです。経済政策や経営学の講義は興味深く聞きましたが(もう忘れてますから突っ込まないでくださいね)、「大きな変革」程「回帰する力」も大きく働くように思えたのです。

かたや、実家では小さな末っ子が「すくすく大きくなる」。毎日「目には見えない」けれど、「着実に成長している」。。。対比するには難しいもの同士ですが、その「違い」「差」がなんとも不思議だったのです。

違った面からの話になりますが、私は「酒鬼薔薇聖斗」のひとつ上の学年です(年がばれる~~汗)。あの事件は衝撃的でした。さらに「阪神大震災」「地下鉄サリン」「新世紀エヴァンゲリオン」「オウム真理教」と、「大挙して押し寄せた」年。「あの一年」は、「否応無く変わらされる」「負の変革」の強い切っ掛けになった、と「振り返って」思います。

あまりに漠然と複雑で、強烈で暗黒で、うまく言えないのですが。。。夫と「あの後」の学校は(彼も下に兄弟がいます)、「変わった」と話します。よくわからない「怖いもの」がこの世にはあるんだ、と言う「前提」が「強烈に刷り込まれた」感じかな。。。。

>僕はね、年長者は「この若僧が~」と言い、若者は「あんた達は古い!」と考えている世の中の方が活力があると感じています。
だから、生意気な若僧が好きです♪

あ~~!私も「生意気」なつもりなので、「候補」から外さないでくださいね!! 
「活力がある」ですか。。。そうですね。その通りですね。現にこうして「頭でっかち」で「進めなく」なっちゃっているのが私ですから。汗
でも、以前の「生意気な初質問」で「あんた達は古い!」ってちょっぴり思いました。ん~~そんなの「ど~~でもいい」気がするんだけどなあ。。。って。笑

>カレーニンが僕だったら何とかしたかも知れない。(笑)

冗談でなく、そうかも知れません。
「どうしてカレーニンは前に進む(変わる)事で事態打破を試みないのだろう?」と、とても疑問でしたから。
同時に、アンナが家を出た時も、「どうしてアンナはやり直す努力をしないのだろう?」と思ったのです。「カレーニンは「人間」になったのに。。。」って。
アンナの産後、「カレー二ンの変貌」の直後に、どうしてアンナは「家を捨てる決断」が出来たのか、不思議でならないのです。アンナの望んだ「人間らしい夫」がようやく実現したと言うのに。。。。

>ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」

最近映画化されたものでしょうか? 何であれ、先生の「推薦図書」は読みます。あ、下のfuji坊さんの所で質問している「トルストイの伝記」。ご存知でしたら、ご教示お願いしま~~す!

補足日時:2008/08/23 23:54
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この回答へのお礼

あ~~勝ちました!! 首位奪還。
録画してあったサッカーをやっと見終わった所です。(早く寝ましょう!笑) 久々の小気味よい勝ち点3で、ガッツポーズ。
でもやっぱりスタジアムがいいなあ。。。。と悔しい。。。
とにかく勝てて良かった~~~

補足欄の訂正に参りました。
酒鬼薔薇の「二つ上の学年」でした。誕生日マジックと掛け合って判り難い上に、私の時事の記憶もごちゃ混ぜになっていました。情けないです。

「カレーニンの変貌」からヴロンスキーの自殺未遂と続く流れを読み返していました。
 
「人間」カレーニンが、「俗世間」と「精神の高み」の間で苦しんでいます。明日続きを頑張ります。

おやすみなさい。

お礼日時:2008/08/24 03:07

yukkinn66さん、こんばんは。



アンナとセリョージャについては、あたしは完全にセリョージャの立場に立った見方しか出来なくて。
母親としてのアンナについては、この母親はこの期に及んでどうして自分を苦しめるのか、なんで都合のいいときだけ自分を愛そうとするのだろう?という目でしか見られません。
あたしは生れ落ちたときから“見捨てられた子供”で、両親からあんなに愛情をかけて育ててもらったのに、何故か「間違ったことをすると見捨てられる」という思いを抱いて育ってきました。
yukkinn66さんがよく使う“傷付く、傷つけられる”と言う言葉は、あたしにとってもなじみのある言葉です。
メンタルな問題を抱える人は、この表現をよく使うような気がします。

あたしは不意に傷付けられたくなくて、自ら露悪的な言葉を吐いて、こういうこと言う人間は嫌いでしょ?と人に判定させるようなところがあるみたいで、こういう態度は相手の気持ちを無視しているしよくないなあと最近気付かされました。
けど、自虐ネタは得意なもんで、気をつけててもついつい出てしまう。。。長年のあいだに培った習性は、なかなか治せないです。

指輪とホビットしか読んどらんの。
お薦めなら、シルマリル読んで見ようかな。
馳夫は身一つでなんでもできるのがなんともかっこうよくて。
昔、住居学で、衣食住で住が一番必要ない。家がなくても生きていける、というレポートを出して、先生を呆れさせたことがあったけど。。。
今は親の家に居候の身。
よく言うわと思っちゃいますが。(あっ、また自虐ネタだ)

うちの図書館のホームページで検索したところ、岩波で“トルストイの生涯”って本があるね。
ロマン・ロラン著で、「超人的な偉人トルストイではなく、人間の内で最も人間的なトルストイが描かれている」となってます。
立ち読みしてくるね。

あたしもmashumaro2さんと同じで、筋トレしたくても出来なくなったとき、あっちに行くのは辛いんですよね。
それに加えて、性格悪いのがバレるけど、、、妬ましい。(笑)
我ながら女々しいんだけど。
でも、本は通年そこそこ楽しめるので、このあたりには来れたら来たいなあと思っとります。
ただめっちゃトーンが暗くなるので覚悟して。

アンナ、いまだ上巻のなかほど。。。しばしお待ちを。

この回答への補足

こんにちは。 
もう夕方なのですね。
寝たいのを我慢していたら、昼過ぎから気付けばさっきまで、見事に「爆睡」していました。汗
昨日から始めた「やりたいことノート」ですが、出て来る出て来る。。。。こんなにあったんだ~~って、びっくりしています。それに、「食べ物」関係の多い事に自分でびっくりしています。もう何年も「好きな物を好きな時間に、好きなだけ」食べた事なんて無いですもん。涙  私、こんなにお腹空いてたんだなあ。。。何かしないといけませんね。取りあえず、手始めは、夫にお菓子と菓子パン、ケーキを買い集めて来てもらおうかな~~~あ、牛乳も!笑

アンナとセリョージャですが、

>母親としてのアンナについては、この母親はこの期に及んでどうして自分を苦しめるのか、なんで都合のいいときだけ自分を愛そうとするのだろう?という目でしか見られません。

セリョージャはそう思ったと思います。。。アンナもそれは知っていたでしょうし、予想していた事だと思います。でも、アンナは「都合のいいときだけ愛した」のでは無い。。。。と私は感じました。アンナの「愛が思い通りに伝わらなかった」だけでは無いのかな、と。アンナの心の中には、セリョージャが「一番根強い存在」みたいですし、いつでも常に「愛していた」と思います。

「伝え方」と「受け取り方」が違ってしまっただけかな、と。

>あたしは生れ落ちたときから“見捨てられた子供”で、両親からあんなに愛情をかけて育ててもらったのに、何故か「間違ったことをすると見捨てられる」という思いを抱いて育ってきました。

私の「人生最初の深い悩み」は、「こんなに満たされている自分が、どうしてこんなに「寂しがりや」なのだろう?」ってものでした。

私の母は「親元で育っていない」人なので、その不安定さ、寂しがりやは理由が付くのですが、「じゃあ、何故私は???」といつも悩んでいました。「親の寂しさは遺伝(伝染)する?」なんて考えても居ます。だからこそ、「絶対に克服せねば!」と思うのです。私で断ち切らねば、と。

>お薦めなら、シルマリル読んで見ようかな。

お勧めします!!!、創世記なんて、音楽が溢れていて素敵ですよ~~ あとは、「子犬のローヴァーの冒険」とか。。。
トールキンの著作で邦訳済みの物(当時)は、高校の時に掻き集めて全部読んじゃいました。指輪の中でエルフが歌う歌とかが、全編載っていて垂涎ものでした。笑

>岩波で“トルストイの生涯”

ロマン・ロラン著!! 何かやっぱり文豪は「伝記も凄い」ですね。探さねば! ありがとうございます!!!

「女々しい」って、「男用の言葉」ですよね。私もよく自分に対して使いますが。
私は物心ついて以来、「女嫌い」で「負けん気が強く」て「男並み」をいつも目指して来ました。女と競争したってつまらない、なんて生意気な事思っていました。「女っぽい」事は出来る限り避けて、「男に負けないように!」と心がけてきました。
三児の母なんてしていますが、「一番縁遠そう」「一生独身でいそう」と、友人達には思われていた(自分でもそう思っていた)ので、びっくりされます。汗 

「男気溢れる女」になりたいです!!笑

補足日時:2008/08/23 17:41
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yukkinnちゃん、大丈夫? ちょっとおつらそうですね。


なんとかやり過ごして下さいね^^

【「アンナを語る」とは「不届きな!!」】なんて、誰も思わないだろうし、
貴女みたいに10年スパンで何回もこの小説を読み返して、その都度新たな発見を楽しめるから良いと思うわ。
(少なくともあと4回は読め!ってことかも、笑)

私が今回『アンナ』を読んで一番印象的だったのは、登場人物の誰一人として、
本人が注ぎ、時に見返りを望んだであろう「自分の愛情・友情」と「全く等質・同質の愛・友情」を
相手から注がれることなど決してあり得ない、ということを
作品の端々に見受けられたことかな(当り前か、笑)

夫婦カテでも常々思っていたのだけれど、
自分の想いがこうだから、相手も全く同様に想ってくれる、というのは大いなる幻想であり思い上がりなのよ。
人間なんて理想ほどには誠実に行動はできない生き物だし、相手がどう思っているか、なんて所詮はかり知れないものだ、と思う。

恋人って、夫婦って、家族って、はたまた友人関係って、
一体何だろう?何で一緒にいるんだろう?と考えさせられる場面もしばしばあって。
「それでも一緒に過ごしたい、共有したい」とお互いに願うのって、一体何故でしょうね。
共に笑い、時に責めあい、喧嘩をし、または、一方的に相手に魅かれ、一人苦しんだり、悲嘆にくれる。

そんな、ともすればありきたりな人間模様が軽快なピアノの小品集の如く優雅にかつ上品に奏でられているところが
『アンナ』の最大の魅力ではないかしら♪

さぁて、皆様のまっとうで個性的な「感想」が今から楽しみです。
私はまともに一度しか読んでいませんので、偏屈な感想にはなにとぞご容赦を♪

10年後・・・お互い子供がまだまだ大学生になっていない、なんて子育て人生、先が長いよね凹
ま~ゆるゆるでのんびりいきましょう^^気楽にね♪

この回答への補足

おはようございます。(こんにちは?)
最近は早朝から何度も目覚めて、いまいち「寝た気」がしない(足りない)日が続いています。なので、「書き込み」の時間帯が気まぐれです。

ご心配かけて申し訳ありません。
昨日必死で病院に這い込み、断薬症状が取れたので、とても楽になりました。楽になりすぎて「ハイ」にならないように気を付けないと。。。。

「マイナスオーラめらめら」はうんざりしているのに、何故か無くなると「エネルギー源を失った」ような気がしてもったいなかったなあ。。。なんて思ってしまう自分が不思議です。「どんな状況」でも「うまく利用したい」ものです。昨日から「やりたいことノート」を付け始めました。

そんなこんなで一向に「再読」は進まずにいます。

>私が今回『アンナ』を読んで一番印象的だったのは、登場人物の誰一人として、
本人が注ぎ、時に見返りを望んだであろう「自分の愛情・友情」と「全く等質・同質の愛・友情」を
相手から注がれることなど決してあり得ない、ということを
作品の端々に見受けられたことかな(当り前か、笑)

夫の前に付き合った人が私に投げつけた言葉を思い出しちゃいました。笑   そいつは「君は、「自分の思い通りに動く人」が好きなだけなんでしょ????」って叫びました。汗  真面目で人の言葉を「真に受ける」私は、「自分の身勝手さ」に消えたい程うんざりしたのです。。。。が、夫に出会って「あれあれ????」でした。

だって「何一つ思うようにならない相手」なのに、楽しいし満ち足りている。「この違いは何なんだ??」って思いました。
「想定外の反応」が「心地良い」って「不思議」。
思い通りにならないって「素敵」。。。
人と人の間の「化学反応」を知りましたし、「見通せない楽しさ」と「何とか「する」」覚悟の大事さも知りました。
その為に人は「実力を磨き」「牙を研ぐ」のかな、と思っています。(闘争好きな性格。汗)

「思い通り」なんてつまらないですね。「思い通りにならない相手と」だから、「予想外の(以上の?)もの」が生み出せる。「思い通り」なら、「予想通りの結果」しか得られないでしょうから。

「その楽しみ」を本能的に知っているから、
>「それでも一緒に過ごしたい、共有したい」とお互いに願う

のではないかな?、と思います。
そういう「予想外」があるのが、「アンナ」の魅力で、「人生の魅力」と「捉えるべき」なのでしょうね。。。

それにしても
>そんな、ともすればありきたりな人間模様が軽快なピアノの小品集の如く優雅にかつ上品に奏でられているところが
『アンナ』の最大の魅力ではないかしら♪

素敵な言い回しですね~~~~惚れ惚れしちゃいました。
やっぱり「アンナお姉様」って呼ぼうかな。笑

補足日時:2008/08/23 11:48
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