dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

先日もこの物語に関連して、質問させて頂いた者です。
やっと読破しまして、改めて「読破後の質問」がしたくなりました。
決して「急ぎ」ではありませんので、お手隙の時に気軽に回答を頂けたら。。。と思っております。

お礼が遅れるかも知れませんが、必ず致しますのでよろしくお願いします。


アンナはやはり「好きになれません」でした。
あれほどの「素敵な素晴らしい女性」が「不幸」である、と言う事が、私には「堪らなく哀しい」のです。もしも、「アンナが幸せ」であったならば、私はきっと「大大大好き」になっていたと思います。

そこで疑問が浮かびました。
*アンナが「幸せになる」には、「何が必要」だったのでしょうか?
アンナが「どうすれば良かったのか」を知る事が出来たら、私自身ももうちょっと幸せに「なり易く(笑)」なるかな。。。と考えています。

アンナの人生を「どこまで巻き戻せば」、違う「幸せになれる道」が見えて来るのでしょう。。。何度考えてもまだ判らないのです。

それとも「巻き戻し」以外の考え方で「見えて来る」のでしょうか。。。


その他、この物語をお読みになって「考えた事」「判った事」をお聴きしたいです。よろしくお願いします!!

A 回答 (31件中21~30件)

「年長者の知恵」をgooでも「軽んじぎみな」mashumaroです、あいすみませぬ(笑)。



『吉原御免状』の世界は「刹那」「無常観」「業の深さと宿命」「悲哀」などに満ち溢れていて、ゆえに、
そこで織りなす真っ向勝負な人間模様がより一層小気味良く感じられました。
この点で幻斎に対し、読書前と比較して「タダものではない奥深いキャラ」を自分で勝手に作り上げてしまっただけです(汗)。

>この「アンナの一人問答」が轢死の瞬間に「過去の喜び」に照らされて、「闇が破れる」ように。
>いっぱいいっぱい「考えて」も「判らなかった」事が、ある一瞬の「ひらめき」で「全く違う風景」を見せる。

「この最後の一瞬のひらめき」に浮かんだものは「愛しいセリョージャ」だった、と読んでいてふと思いました。
でも、もっと神々しい漠然としたものだったと思いますか。

あと、「カレーニンの変貌」って一体何でしょうね。
「変貌」というより、彼なりに「どう考えればつらい現実に立ち向かえるか」の試行錯誤の上の末の「賢い結論」だった、と私は思いました。
彼こそ、アンナの轢死を知ってどう思ったかしらね。
彼女への想いは感慨深く、誰よりも複雑だったのではないでしょうか。
それともキリスト者として許されない自殺=神から許されないし救われない存在=「天罰」
と、一人内心ほくそえみ、ほっとした、と思いますか。

私は自慢じゃないですが小説の読書量も読解力も半端なく乏しいので(つまりバカ)、
偏狭で独断的な解釈になることをご容赦下さいませ♪

>サライゼンって、仏の雨靴のメーカーなのでしょうか?

ジェリー・サンダルとしては昔からあったようですね♪
良さげじゃね?
親子でお揃い、なんていうのもイイかもしれませんぞ^^

>「一つの指輪は影横たわるモルドールの国に」←なるほど!!!
>「“灰色のおじい”“馳夫”」←これ、わかるかいな(笑)!!!

貴女の半端ない読書量と造詣の深さと知性溢れる文章に心魅かれるの。
だから「ガルシア」で私におっしゃって下さったお言葉を、
私こそ、貴女に倍返しで贈りたいです。
fuji坊さんがいなくなったらさみしいよ。
今後も出来るときで構わないから回答を頂戴ね^^

この回答への補足

こんにちは。日暮れが近いですね。
今日は夕立が来なさそうで、ちょっとつまらないです。
昨日は危うく布団を濡らすところでした。その後は子供達と「雷鑑賞会」と、お風呂で「かみなり様のお祭り」の即興お話会。
子供達に、即興でよくお話しするので、それも書き留めておかなきゃ~~。「うんちの行列」って言うヤツが一番人気なのですが。。。汗

>「この最後の一瞬のひらめき」に浮かんだものは「愛しいセリョージャ」だった、と読んでいてふと思いました。

私もそう思います。アンナが唯一「純粋に愛せた」のがセリョージャだったと思います。ヴロンスキーもカレーニンも、ドリィも、「愛している。でも。。。」と、「注釈」が付くけれど、セリョージャだけは「愛している」だけの存在だったのでは?と思います。

本当の「死の瞬間」って、そうありたいですね。。。。「人生を振り返って」死ぬのがいいなあ。。。私はただ「引きずり込まれた」だけで、もしその時死んでいたとしても、それは「本物の死」では無かったなあ、と思います。「何に換えても守りたい」と思っていた(筈だった)末の兄弟の事すら「思い出さなかった」私です。ただ「空っぽの暗闇」だけしか見えなかったから。。。あの時死ななくて良かった~~~~

>彼こそ、アンナの轢死を知ってどう思ったかしらね。

あ~~それ、すっかり考えてませんでした!!大汗。
でも「ほくそ笑んだ」とは思えません。と言うか、思いたくないです。

>神から許されないし救われない存在

までは、思ったとは思いますが、「それでも切り捨てられない情」のような、複雑な「愛情」が残ったのでは?と思いたいです。例え、「小説の中の人物」であっても、「悪く思いたくない」のが私です。私が誰かを「悪い」と判断するのは、手を尽くして「解釈」し尽くした「最後の手段」なのです。「甘い」ですか?

とにかく「再読」ですね!

>「年長者の知恵」をgooでも「軽んじぎみな」mashumaroです、

そうなのですか?
でもそれは、お姉様がそれだけ「知恵を得ている年長者」だからでは無いのですか?

私は、同年代の人たちより年長の人と話すのが好きです。「無条件で」敬意を示せるので。(逆に言えば無条件に「自分を卑下」出来るって事かも知れませんが。。。) 同年代の人に対しては、ついつい「競争心」を抱いて、相手を「否定」したくなってしまう自分が嫌なのです。どんな人からも「学ぶべきもの」ってあると信じているのですが、同年代を前にすると、「無条件に」と言う訳には行かなくて、自分の「未熟さ」にうんざりします。

うわっ!! 
すごい勢いで空が黒くなっちゃいました。雷来るかな~~わくわく!

補足日時:2008/08/21 17:37
    • good
    • 0

yukkinn66さん、おひさしゅう。


“コレラの時代の愛”をほっぽりだして、“アンナ・カレーニナ”を図書館から再度借り直して読んでるとこです。
もう少しお待ちを。
なにせ、前回駆け足で読んだので、たぶん飛んじゃってるところが多々あると思うのよね。
ただ、後半のアンナを一通り見ているせいか、最初読んだときの前半のアンナに対する「あんまり好きじゃない」っていう気持ちが薄まってるかんじ。

あたしはまだまだ人に偉そうにアドバイスを出来るような段階ではなかったと、恥じ入ってます。
あっちの回答は出来ることなら全部消してしまいたい。。。

“灰色のおじい”“馳夫”といや、指輪物語ですがな。
yukkinn66さんが好きみたいなので、つい。
>玄斎さん、続編では死ぬのですが、死に方までカッコイイです。
おいちゃん、秋冬のお楽しみなんだから、ネタばれしないでよねー。

この回答への補足

こんにちは。
またいらして頂けて、嬉しいです。でも無理はなさらないでくださいね。

私もアンナはかなり「駆け足」で一読したので、まだまだ「体感」には程遠い状態です。大体、この複雑に絡み合って、写実的な物語は、何回読んでも「理解」なんて出来なさそう。。。と弱気になっています。読み手の「人生経験」の量(質も?)も、全然足りなさそうですし。。。。先輩方は、私の「感想」を、きっと「まだまだ青い!」って思われるのでしょうね。。。。汗。

お師匠様、
「まだ何も成し遂げた事の無い若造」が、「アンナを語る」とは「不届きな!!」って、静養しながら思われてません~~?

「若造の背伸び」って、必要な物だとは思うのですが、「傲慢」で「周りを傷付ける」事が多々ある気がして、気が引けるのです。それとも、「若造に傷をこさえさせる程、伊達に長生きしてねえよ!」って感じでしょうか。。。? 「傷付ける」なんて思うこと自体、「傲慢」かな。。。。

実は「薬切れ」しちゃって、断薬症状でふらふらしてます。お盆休みを計算し忘れて、大失敗です。涙 マイナスイオンならともかく、マイナスオーラめらめら、で。。。。

fuji坊さんの「アドバイス」、判り易くて、暖かくて、でも厳しくて、現実的で、「本物のアドバイス」ってこういうもの!って思いました。「ノートカウンセリング」は、いつもやろうと思うのですが、私の「言葉選びのこだわり」でいつも躓くのです。「完璧に言語化」しようと思うからいけないのですよね。。。ん~~。。。。

馳夫さんと言えば。。。「死の道(でしたっけ?)」の手前の国の姫に、片思いされるのが、なかなか「ドキドキ」でした。笑 でも何と言っても「野伏」の姿が一番惚れ惚れします。世に知られず、理解されず、疎まれて、謎めいて。。。。あ~~格好良い~~~

「シルマリルの物語」は読まれました? 


あ!いつも忘れて聞けずに居たのですが、トルストイの「伝記」や「自伝」等、何か「トルストイを知る」のに、良書は無いでしょうか? 先輩方のお勧めなら「はずれ」はありませんので(笑)、ご存知でしたら教えてくださいませ。

補足日時:2008/08/21 13:44
    • good
    • 0

久しぶりに最初から「アンナ・カレーニナ」を読み直しています。


「カレーニンの変貌」の部分だけ読んでもピンとこなかったし、大勢の方にこの本を薦めて、また自分でも読み直してみたいと思いました。
以前と、違う部部分に気づきがあるような気がして、ゆっくりと読んでいます。
(上)は以前よりもリョービンに違和感が強くありますね。
オブロンスキーのほうがすんなり入る。
堕落か?(笑)

吉原御免状の玄斎とか、剣客商売の秋山小兵衛といった、スーパーじいさんキャラは僕の憧れです。圧倒的な存在感。
なによりもジジイのくせに強くて女が大好きというのが惹かれます。
幾ら僕が図々しくても、自分とは重ねません。(笑)
玄斎さん、続編では死ぬのですが、死に方までカッコイイです。

「アンナ・カレーニナ」に戻りますが、今回、僕はこの本は10年前よりも今の方が理解しやすい部分も多々あると感じています。
特に、オブロンスキー、カレーニンといったところは、読み直せば「今」の僕の方が見えるような気がしています。

確かにキチィにしても、昔の女性は随分と早く家庭に入っていますね。
しかしそれは、素直に家庭にはいると言うことに抵抗感がない、いいかえれば、「昔からの知恵」を「引き継ぐ」ことに対する拒否反応が少なかったから可能だったのだとは思いますよ。
これだけ食生活や生活用品、生活様式が短期間に激変すると、引き継ぐというのは難しいです。

まあ、ちょっと時間をください。
この夏は子供達がいないので、ちょっと妙な夫婦生活を送っています♪(笑)

この回答への補足

「吉原御免状」と言えば。。。一読した時は「びりびりに引き裂いて捨てようかな」と思ったんでした。どうにもこうにも、誠一郎の母親や勝山やらの「殺され方」に我慢が成らず。。。夫がいたら、私に「ぼこぼこ殴られて」いたところです。レイプだのなんだの、「女の体を踏みにじる」場面に出くわすと、頭に血が上ります。おかしいのかな。。。。ダメなんですよね。。。。

ところで「続編」って何でしょうか? 影武者ですか?違いますよね。。。教えてください~~~!

>素直に家庭にはいると言うことに抵抗感がない
>これだけ食生活や生活用品、生活様式が短期間に激変すると、引き継ぐというのは難しいです。

う~~ん。。。お師匠様はそう思われますか。。。「未熟な若造の反論」ですが、読んで頂けますか?

私は「年長者は、年長と言う点だけで、優れているもの(優れている筈)」と信じて大きくなりました。それは同時に、「年少者よりも賢くなければならない」と言う自分に対する「決まり事」でもありました。一日分、一年分「成長」していなくては。。。と思って生きてきました。

まあ、「そうではない」と思われる年長者にも、多々会いましたが(不遜...汗)、それでも、「有るべき姿」としてのこの考えは崩れていません。子供が生まれて、その「一生懸命な成長」を見守る事で、「人類の未来に希望」を確信しましたし(大袈裟な!笑)、「我が子に負けないように」自分の成長も促さなきゃ、と思っています。(単に負けず嫌い?笑)

「古き良き」って言いますけれど、「昔から変わらず在るもの」は「正しい(面が必ず在る)」と思っています。それは「どんな時代でも」変わらず「大切な事」なのだと思っています。

例えば「生きる事」。。。どんな圧政の下でも、暗黒時代でも、氷河期でさえ、人類は生きる事を辞めたりしなかった。だから、人は「生きるべき」。

身近なところでは、う~~ん。。。新聞はともかく、「本」等の紙媒体の出版物。インターネットがどんなに発達しても、「本」って無くならない、と思うのですが。。。。それから、ミルクに対して「母乳」。グローバル化、と言うけれど、「民族や気候毎の生活様式」。。。そろそろ「ぼろ」が出そうなので辞めますが、「子供が好きな遊び」だって、「シンプルに」眺めると「変わっていない」と思います。

そのシンプルな「生きる知恵」=「年長者の知恵」だと思うのに、なんだか、「軽んじられている」と思うのです。「年功序列」も「ゆがみ」は在るにしろ、「そう在るべき成長の目安」では無いのかな?と思うのです。

「生活様式」や「生活用品」を超えて、応用される事ってあるじゃないですか? うまく言えませんが。。。。ん~~「子供に与えるおもちゃの選び方」とか。やっぱりプラスチックの積み木より、木の積み木の方が良いって思うじゃないですか。

なんだか何が言いたかったのか、判らなくなってきました。。。。汗 もっともっと「親から」「祖父母から」もっと早く教えてもらえば良かった、って知恵が私は在るのですが、そんなに「価値ある事」って少ないのでしょうか。。。。

キチィの家のベランダでの「ジャム作り」の場面は、「新旧の知恵」がせめぎ合い、混じり合い、「より良いもの」になろうとしているようで、嬉しい気分になったのです。(超家庭的読み方ですね!)

だめだあ~~~支離滅裂ですね。。。幼稚な説明ですが、「家庭に入る」事に限らず、「生活の知恵」が「軽んじられている」気がします。

>この夏は子供達がいないので、ちょっと妙な夫婦生活を送っています♪(笑)

いいですね~~~いいなあ~~~夫と思う存分旅行したり、恋人っぽい事を「し尽くす」前に、子育てしちゃっているので、二人になった時の計画はいっぱい有るんですよ~ 彼はなんか「山の中でろくろを回す」老後が夢らしいので、私は「それを眺めて茶化す」夢が有ります(笑) 頑張らなくっちゃ。

補足日時:2008/08/20 01:29
    • good
    • 0

こんばんは♪ 北京で数冊読破しました。



『アンナ=カレーニナ』の「アンナの轢死~ヴロンスキーの出征」の部分は3回読みました。
アンナの「一人問答」も十分理解できたし、何よりfemme fatale(運命の女)に巡り合ってしまったが故のヴロンスキーの破滅がたまりませんでした♪
愛する人を「生ける屍」としてしまうアンナの完璧なまでの美と知性と狂ったような凄み。
周囲の目とは異なり当事者二人にしてみたら「望むところの結末」を自ら選択できたのだから案外良かったのでは、とさえ私には思えました。
変な解釈でごめんなさいね~。

逆に私はその後のリョービンの「一人問答」を軽~く流してしまいました。
トルストイのポイントがここだったらまるっきりハズしているわね(笑)

『吉原御免状』も読みました!
one-H様、ご推薦どうもありがとう、面白かったです♪
でもね「幻斎=bagnaオジサマ」のイメージがほとんど沸かなかったのは何故?(笑)

北京は花も咲き乱れなかなかに良かったですが、空気が澱んでひどかった~。
フェアプレー精神の無さ、列の当然ともいえる割り込み、食事のマナーの悪さ、不衛生な面、平気で中年男がシャツをまくってたるんだお腹をさらけ出す!など
民意度の低さは相変わらず健在でした。
『毛沢東の私生活』に著されたような「入浴嫌い」や「若い女性をとっかえひっかえ」なんてことなど、
「あの民衆を束ねる奇跡」に比べたらぜ~んぜん取るに足らない問題なのでしょう(笑)

故宮内の『珍妃の井戸』は私でも入るかな~?というほどに狭く、
あれって本当に両手を縛られての暗殺だったのか、と思うとちょっと切なく思ったりもしました。

ダルビッシュ(長髪)を生で応援できただけでも満足♪
フォーボールの際に手を叩いて喜ぶ中国人を思いっきり睨んでやったわよ。
会場内で売ってた「葡萄入り食パン一斤」をかじりながらね^^変な食文化!
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こんばんは。

>「アンナの轢死~ヴロンスキーの出征」の部分
今読み返し中です。。。ですが、なんだかすっごく「面倒くさあ~~」と言う気分で困っています。

アンナは「お腹が満ちて」「体はさっぱり」「差し迫った用事が無い」時に読まないと、「全然判らない!」って本です。(ちなみに今「腹ぺこ」で、「風呂待ち中」の「中途半端」な時間です。)

この物語には、「ひらめき」の瞬間が何度か有りますよね。この「アンナの一人問答」が轢死の瞬間に「過去の喜び」に照らされて、「闇が破れる」ように。いっぱいいっぱい「考えて」も「判らなかった」事が、ある一瞬の「ひらめき」で「全く違う風景」を見せる。

「カレーニンの変貌」もこんな感じなのでしょうか。。。これって何でしょう。。。「百聞は一見にしかず」とか、「考える前にやってみろ!!」みたいな事なのでしょうか? (私は「人生をよりよく生きる方法(考え方?)」を得たいのですが。。。)そんな事を考えながら読まない方がいいのでしょうか。

小さい頃から、「本の世界」~「現実」って、「区別」出来ないのです。見事に「頭からどっぷり」浸かり切って「成り切って」読むので、登場人物の感情に降り回されるのです。「言葉遣い」までうつりますし(汗)。
だから、中学の頃には「すっかり疲れて」、自分の感情と「本で体験」した感情がごちゃ混ぜで、「自分の輪郭」を見失いそうで怖かったです。「読書は疑似体験だ、人生が豊かになるぞ~~」って言った先生がいましたが、私は「ややこしくなるだけだよ~~」って思って聞いていました。

>『毛沢東の私生活』に著されたような「入浴嫌い」や「若い女性をとっかえひっかえ」なんてことなど、「あの民衆を束ねる奇跡」に比べたらぜ~んぜん取るに足らない問題なのでしょう(笑)

そこまで「欠点をパーに」出来る「才能」って、憧れますけど、身近な人間は大変なのかな。。。「天才」のそういう話はよく聞きますね。「大きな凸」は「大きな凹」を「伴う」ものかも知れませんね。。。私の凸はど~こかな~~?


話変わりますが、サライゼンって、仏の雨靴のメーカーなのでしょうか? お姉様ならご存知かな?と。。。編み上げブーツ型の白いのを一目惚れして、オークションで落としたのですが、メーカーの評判ってどうなのかな?と思ったので、何かご存知でしたらお聞かせください~~

お礼日時:2008/08/19 23:05

ご質問の件、読み直さないと全く覚えていません♪


ちょいと時間をくださいな。
ちなみに僕、オブロンスキー嫌いじゃありません。(笑)

この回答への補足

こんにちは!

先程「とんでもない間違い」をしでかした事に気付きました。汗汗
オブロンスキーじゃないです~~~~! 「カレーニンの変貌」です!! なんちゅ~勘違いを。。。。。申し訳ありません。
どうして間違えたんでしょう。。。。恥ずかしい。。。。。しょぼん。。。

物語の中であまり「思い入れ深そうに」描かれていない印象の二人(カレーニンとオブロンスキー)だからでしょうか。。。でも不思議に惹かれます。私にとって、「謎が多い」からかも知れません。リョービンやヴロンスキーよりも興味があります。特に今下巻のオブロンスキーとカレーニンの会話を読み返していたのですが、「アンナの出奔後のカレーニン」に興味津々です。

とにかく!オブロンスキーじゃないってことです。彼はカレーニンの「謎」を解いた後の「謎」です。こちらも結構楽しみです。

補足日時:2008/08/12 13:25
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こんにちは! お師匠様。

お姉様は「玄斎」と被らなかったようですが。。。。んん~~~ご自身ではいかがなのでしょう? あの飄々とした雰囲気と、次元の違う実力、加えて女性(女体、の方??笑)に対する理解力。。。。素敵ですね。。。

急に雨こんこんで、気温が下がり、肩こりと鼻炎と頭痛が連動して厄介です。筋トレでも水泳でもマラソンでも、「ひとりで追い込む」スポーツが好きなのですが、今は「家族ぐるみ」の時期なので難しいです。あちらの先輩方も素敵なので、ぜひお近づきになりたいのですが。。。。

「アンナ」は「読み返す」にもちょっと躊躇する量です。。。。汗
質問ばっかりして、他力本願は失礼なので頑張っていますが。。。。私はドラマや映画を見ても、どちらかと言うと「脇役」が好きです。勿論読書でも。だから、カレーニンとオブロンスキーに「気を取られる」のでしょうね。

え。。。っと、読み返して気付いたのですが、キチィは18くらいですよね。で、リョービンが30半ば。。。で合っていますでしょうか? 当時は「その差」が一般的だったのですね。夫は妻を「幼い」とは思わなかったのかな。。。。とふと、気になりました。

逆に見れば、その「年上の夫」に「見合う」だけの、家事能力、交際能力、等を、その年までに女性は身に付けていたのですね。。。。「赤毛のアン」「若草物語」等を読んでも実感しますが、現在「女性の社会進出」の影で、「昔からの知恵」を「引き継ぐ時間」が失われている気がしてなりません。勿論「社会進出」は私も心から肯定しますし、私の野心の「今後の行く先」だと考えていますが、自分の両親、夫の両親、祖父母を思うに付け、彼らの「素晴らしさ」を「学び切れずに」いる自分が「悔しくて」なりません。

お礼日時:2008/08/17 16:49

う~ん、ちょっと気になったので。



>自分が「女である事」に一度たりとも「感謝」しないまま、「子供を三人」生んじゃった「馬鹿者」です。。。。
>で、「三人生んで」やっと感謝出来ました、「女で良かった~~~」って。

妊娠・出産が人の何倍も酷かった私からするとまさに理想的な子作りと言えるのですよ。。。
何とも羨ましい話だわ~~。
それでも「馬鹿者」とか冗談でも卑下することないと思うけどね。
素直に初乳を生まれ出でたわが子に含ませてる時の「感動」とか愛しいと思っているでしょ?

yukkinnちゃんとfuji坊さんの話が「深淵」過ぎて私には理解不能なことが多い。
でもその逆で私に「はあ?」も多いだろうし、別にそれはそれでいいと思うんだけどね。 
理解に努めようと努力はしてるのですが^^まぁ、馬鹿者ってことで許して~(笑)。

>「子供と言う存在」を「理解しない」男は「人妻の愛」に「値しない」。。。。なんて思うのは間違いなのでしょうか

なるほど、そう思いますか。
まぁ、私やyukkinnちゃんのように子育てを孤軍奮闘でこなす立場の人間にはそう思えても、
小説の舞台背景としては「乳母や富裕階層の子女を教育する外国人の教育係の絶対的必要性」があったわけだし、
だから逆にアンナの「母性」が強く浮き出た格好にみえました。
決して彼女は薄情な女性なんかじゃない、情の厚い女性だと私は思えるし、
時に恋を突き詰めると前の異性との子供が限りなく邪魔になるもあり得るんじゃないかしら。

ヴロンスキーに至ってはいくら恋人の愛息子とはいえセリョージャは血のつながりがない、しかも同性の「男」だから、
私は「無関心」「邪魔者扱い」をしても「人妻の相手に値しない」とはあまり思えないのよ。
実子の娘でさえ「別居の亭主の名を名乗る」現状を打破できない以上は心底「父性の愛情」が素直に育まれないこともあるんじゃないのかな。
あの当時の特権階級のライフスタイルを鑑みてそう思いました^^

もちろん人それぞれ考え方や感想の差異はあって当然だと思うし、
私たちは「女」だから、本当の「男の気持ち」なんて永遠に理解し得ないけどね。

逆に私は思うのですが、「父性が強い」「子煩悩」「誠実」「裏切らなさそう」「真面目そう」をキーワードに
伴侶に選ぶ女性の気が良くわからないのよ。
その「条件」を優先して結婚して、将来「あてが外れたとき」に「私を裏切った!愛していたのに!」と
逆ギレするんじゃないのかなぁってね。

>最近増量のためかカップがワンサイズでかくなりましたが、無用の長物だと思って。(笑)

おいおい、なんと羨ましい!
無用の長物って・・・万里の長城じゃあないんだから!(笑)
デコルテ・ケアは必須ですよん♪
いつなんどき「新たな出会いがあるかも」わからんでしょ。

>yukkinn66さんは“灰色のおじい”が好きなようですが、あたしは断然“馳夫”です。←ごめん、夜更かししすぎて推測不可能。ヒント頂戴。

>白馬の王子(あたしの、じゃない)が“聖母マリア再臨の日”の名前出したので、今それを。

面白い?その本。
fuji坊さんがハマるのならたぶん私も50%以上の確率でハマりそうだから良かったら感想頂戴。

そうそう、昨日娘と大型書店に行ったら『仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか』 (幻冬舎新書)が平積みされていて
しばらく笑いが止まりませんでした^^
筋トレ組の皆様をこの瞬間ほど羨ましいと思ったことはないです♪



 

この回答への補足

なかなか来られなくて申し訳ありません。
毎日先輩方の書いて頂いた文章を、読んでは居るのですが、「細切れの自由時間」しか得られないのが、此処数日続いていまして、「頭も細切れ」でまとまらず。。。。汗

内容が薄く幼いお礼になりそうですが、お許しください~~

>まぁ、私やyukkinnちゃんのように子育てを孤軍奮闘でこなす立場の人間にはそう思えても、
小説の舞台背景としては「乳母や富裕階層の子女を教育する外国人の教育係の絶対的必要性」があったわけだし、
だから逆にアンナの「母性」が強く浮き出た格好にみえました。
>あの当時の特権階級のライフスタイルを鑑みてそう思いました^^

お姉様のこの文を読んで、またしてもこの作品の「名作ぶり」が身に沁みました。「考慮」に入る事柄が、なんて沢山あることか。。。。
「人生そのもの」なのでしょうね。。。。「切り取って」一つの問題だけ解決!と言う事が生きていると難しいように、この小説も、「一つの視点」からでは、到底「理解」「判断」など出来そうにもありませんね。

。。。と、言う事は、私ごときの「人生経験」では、「判らない」部分が沢山ある、と言う事になりそうですね。ん~~~そういう事を「この板で聞ける幸せ」に感謝です! 今後ともよろしくお願いします! 先輩方!!


昨日は、女子レスリングを見ていました。もう一つ、なでしこも私の(と言うより、「夫の」ですが)チェック種目で、またしても、吉田沙保里の「格好良さ」と「綺麗さ」に惚れ惚れしました。綺麗ですよね。。。。彼女。すごい可愛らしい方だなあ。。。と思うのですが。。。。

補足日時:2008/08/17 16:04
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お帰りなさ~い!お姉さま!!
夜更かししていたら見つけちゃいました~

私はたぶん、カレーニンかオブロンスキーを好きになりそうです。あまり儲からない人生ですね・・・

ヒントはトールキンです。「一つの指輪は影横たわるモルドールの国に」お休みなさい・・・

お礼日時:2008/08/16 02:37

yukkinn66さん、おはようございます。


お礼をありがとうございます。

子供に対するヴロンスキーの考えのなさ・態度は、あたしも同じようなものです。
持ってないものを持った気になるのは、とても難しいです。
子供は大好きで、貸し出し券を握り締めてカウンターに来る小さい子を見ると、知らず知らずニコニコしてしまいます。
ですが、、、こんなこと言うと激怒されそうですが、、、犬を可愛がるのと同次元なのかも。

>大体、「子供と言う存在」を「理解しない」男は「人妻の愛」に「値>しない」。。。。なんて思うのは間違いなのでしょうか。。。。傲慢>かな。。。。「子供だな」って幼く見えちゃったのですが。。。。。
ということで、これは自分への戒めにします。
yukkinn66さんにそんな気ないことは重々承知なんですが。


女に生まれたことを感謝してないのはあたしも同じ。
あたしの場合、未だにそうです。
最近増量のためかカップがワンサイズでかくなりましたが、無用の長物だと思って。(笑)
アンナに興味を持つのは、自分と違う種類の“女”である彼女をもの珍しく思っているのかも。

アンナ・カレーニナの中に、気になる男性は出てこないですねぇ。
yukkinn66さんは“灰色のおじい”が好きなようですが、あたしは断然“馳夫”です。
自分でもなりたいと思います。(またか。。。また男になりたいのか)
全巻と全seeを持っております。
リョ-ヴィンにうっすら片鱗が見える気がするのですが、うーーーん、どうだろ???
白馬の王子(あたしの、じゃない)が“聖母マリア再臨の日”の名前出したので、今それを。
次はGです。“コレラの時代の愛”です。明日から映画が始まるので観るべきかどうか読みきわめます。

ではでは。

この回答への補足

こんばんは。fuji坊様!!

>>大体、「子供と言う存在」を「理解しない」男は「人妻の愛」に「値>しない」。。。。なんて思うのは間違いなのでしょうか。。。。傲慢>かな。。。。「子供だな」って幼く見えちゃったのですが。。。。。
>ということで、これは自分への戒めにします。

あ~~~!!!違うんです!!申し訳ありません!!説明が足りませんでした。

子供でも夫でも物でもペットでも「関係ない」つもりだったんです。
「一番大切な人」の「一番大切なもの」を「粗末にして」、「愛する」なんて「不可能」じゃないの???って思ったんです。

誰かを「愛する」「大切にする」って「一緒に大切にする」と「イコール」だと私は思っているんですが。。。。う~~~ん。。。。「依存」ですかねえ。。。?

私が夫と「一生一緒にいる」と決めた理由は、夫が「私を必要としない」ひとだからです。「私に影響されない」ひとだからです。友達をして「砂漠の真ん中に放り出しても生きて行けるよ」って言わしめた「生命力」って素敵じゃないですか????エヘッ

まあ、「恋人」って言うより「親友」「戦友」「ライバル」です。「体の構造が違う」は「最高のおまけ」なだけです。「体をと取り替えっこしてみよ~よ~」って頼んでいるのですが、「だめ!!」「今更ヘンなモノ、入れられるのやだ!!!」だそうです。(笑) 「無理!!」って言わないのが「おかしい」のです。

>女に生まれたことを感謝してないのはあたしも同じ。
あたしの場合、未だにそうです。

私は三人目を産んでから「女で良かった~」って本当に思っていると思ったのに、「悪夢」が復活して心療内科行きです。思春期によく見た「自分の腹部を刃物で滅多刺し」の夢。切り裂いていたのは「子宮」です。そんなにまで「拒否」してたんだなあ。。。と今頃「認めた」弱虫です。まあ「認めなかった」おかげで、「超難関」に受かったり出来たんですが。。。。力尽きたと言うか、「落差」に耐えられなくなった、と言うか。。。。ですね。まだまだ「克服」出来ていなかったんですね。。。

なんだか、厭味な気分になってきました。。。。どよん。。。

補足日時:2008/08/09 01:50
    • good
    • 0
この回答へのお礼

fuji坊様、お久しぶりです。
お盆の辺りから「秋」を感じたので、fuji坊さん、どうされてるかなあ?、と、気になっていたのですが。。。。今年は暑いし、「夏らしい夏」なので、「秋は遅い」と勝手に思い込んでおりました。突然の切り換わりで、私も体のあちこちが「固まり」始めており憂鬱気味です。

アンナは「楽しい」とは言い難いので(笑)、春までしまっちゃった方が良いのでは。。。?笑 リョービンが。。。。

肉漢まで見に行って、胸が詰まって叫びたくなりました。「何故、こんな素敵な人が辛い思いをしなければならないのだろう」って思います。中学生の時、「私の命と、私の大切な人たちの幸せが、交換出来るなら、死んでも良いかも」と、考えた事があります。今でもそう思いますが。。。でも、何故なのか、世界は「そうではない」。

アンナとヴロンスキーの「稀少な純粋な愛」も、「皆を幸せに」は出来なかったのですよね。。。。何がいけないのでしょう? 何が足りないのでしょう? 何かの「罰」なのでしょうか?

だから、「巻き戻して」道を探してしまうのだなあ。。。と思います。「過去形」から「方法」を探すからいけないのでしょうか? 何故何故だらけ。。。汗

fuji坊さんの他の方への回答を拝見して、「自分をカウンセリングする」重要さを知りました。これでも頑張っているのですが、まだまだ「消えた記憶」やら「セクハラのフラッシュバック」やらが残っているのに、逃げていたのは自覚しています。「克服出来る」のなら、しなければなりませんね。頂いた(横取りした(笑))アドバイスを参考に、私も頑張ります。

「勝手知ったる暗闇」は、「知っている」だけにお辛いのでしょうね。。。毎年無事に「帰還」されている「強さ」を尊敬します。退会しないでくださいね! ストーキングしていますので、ヒョイっと現れても大丈夫です。ちゃんとブックマークしてありますので。

また残暑も戻って来るでしょうし、「猶予」はあるかも知れませんが、ご無理なさらず、ゆっくり休まれてくださいね。いつでもお待ちしています。。。

回答ありがとうございました!!

お礼日時:2008/08/18 22:51

こんばんは~。


やはり今日は忙しくてあまり読めませんでした・・・というか、
ここ見たらどんどんネタばれしまくってるし~~!

yukkinn66ちゃん、
>「ビビって」ましたね(笑)。「なんか情けないヤツ」と失礼な小娘です。

う~ん、そう思いましたか。
私もいまだかつて「死」について考え込んだことがないの。
その割には出産時に死にかけましたが(笑)、そんなものかもよん。
ましてや「死にたい」「消え入りたい」なんてないなぁ。

>二人の恋が「絶対うまく行く筈ない!」と思ったのが、
>セリョージャの存在の意味を「理解しない」ヴロンスキーを見た時です。

え~と、ラストをまだ知らないので断定できないのだけれど、「結ばれて大往生まで添い遂げる」だけが「幸せ」とは限らないと私は思うの。
私はヴロンスキーにフィアンセでもできてアンナが服毒自殺でもするのかいな?と想定してるのだけど、
自ら命を絶つことで、それが思い通りかはたまた予期せぬ結果になるかは別として、恋敵や恋の相手の心に「自分を永遠に留める」ことが出来そうな気がする。
そしてそこまで思いつめられたら女冥利につきるのではないかい?

ところでラスト二行の「褒め殺し」ありがとう♪
「ドリイ」なイメージじゃなくて良かったわ(笑)

>湯治に行かれたオジサマ

愛しい奥様のそばでなに妄想にふけってたんですかぁ?(笑)←fujiさん風味

「いいから騙されてたと思ってとっとと読め!!」とおっしゃっていただけたらもっと早くに『アンナ』を堪能できたのに!^^
それだけ本当に素晴らしい作品だと感動しています。
ファベルジェってご存知?
http://www15.plala.or.jp/gemuseum/gstry-faberge. …
ロシアきっての職人がかつて製作した芸術的な卵型ボックスや置時計にみられる緻密さや優雅さがこの小説全体に感じられるのです。
「価値」的にも恐ろしい値段ですが。

それにこの小説の魅力は心理描写だけでないですよ。
使用人にけどられない、気取って話す際の「フランス語」「英語」。
「ヨーロッパの田舎」なのに特権貴族や富裕層だけが醸し出すスノッブさが何ともくすぐったいしたまりません♪

対比と言えば農奴農民の日々の勤労を尻目に「恋だの」「愛だの」うつつを抜かすごく一部の特権階級とのコントラストが面白かったです。

そして広大な領土ととてつもない貧富の差がのちのロシア革命につらなるかと思うと、
ロシアの歴史を勉強したくなりました。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』あたりの古典から『『ガン病棟』『動物農場』『多いなる野望』あたりまで読みなおしてみたいです。
佐藤優の本も入れてあげようかな(笑)

>fuji坊さん、
ちわーっす♪ ま~ゆるゆるときばりなはれ←バイトね

>前半のアンナは好きになれませんでしたが、後半、特に出産後のアンナはとても興味深かったです。

あらそ? 私は全編通して女性キャストの中では一番お気にだけどね。
一番「凛」としてる気がするのは…やはり願望のせいかも(笑)

>取り合いにならなくていいっすねvv

うんうん。fuji坊さんとは「男の好み」が違うんだね。。。
『アンナ』の中で「筋トレ」が似合う男って誰だろ?
オブロンスキーかリョービンてとこかな(笑)

ヴロンスキーそんなにいや?(リョービンは私も遠慮しとく~)
イケメンで洗練されてて能力ある男でいいと思うけどなぁ。
大化けしそうな予感を感じさせる面白い若者が私は好きなのよん♪

>小さい頃のおどけて写ってる写真を見ても、その時自分が心底楽しんでないことを覚えています。
>誰のせいでもない、そういう風に生まれついてるんだと思う。

だったら今から小さい頃の分まで心底おどけて楽しみましょうよ♪
まだあたしたち40ちょいで若いんだし^^yukkinnちゃんには遠く及びませんが(笑)

ところで、今何読んでるの??
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こんばんわ!

>ここ見たらどんどんネタばれしまくってるし~~!

申し訳ありません!! やっぱりお姉様が読み終わるのを待った方が良かったですね。。。楽しみ半減しますもんね。勇み足しちゃいました。。。

「死について考えるリョービン」ですが。。。。
一回読んで読み返す前に、「おぼろな記憶」で不遜な書き込みをしてしまいました。トルストイ様、先輩方、お許しください。。。。

私は中学から高校にかけては、「悩み生産機(期?)」でしたから。。。汗

中学時代の私の愛読書は「橋のない川」でした。
私の中学時代の親友は、高校時代にお兄さんを自殺で亡くしています。
私自身は一度「未遂(もどき)」をした人間です。
私の末の兄弟は、まだ小さいです。母の陣痛の様子、生まれたての兄弟、おむつとミルクのお世話、、、、「命」が大きくなる様と、命を「惜しみ」「自責」する人、を見てきました。

「幸せ」であろうと「不幸」であろうと、「生きる事を「辞めて」はならない」のだ、と思うのです。「生きる」方が「格好悪くても」「不幸」でも、「生物として」「死を望んで」はならない。。。。「母が「命を賭けて」生んだ」「生物」なのです、「全ての生物」は。。。。。私は「理想的」過ぎるのでしょうか。。。。。遠慮なく「異論」お願いしますね。
まだまだ「判っていない」状態ですので。笑

「母は枯葉剤を浴びた」と言うルポルタージュ(、と言うのでしょうか?)があります。中学で初めて読み「号泣」した写真が載っています。「七七年に分娩された(ベトナム、ホアタイン村)「下肢」」。。。「下肢」って何????でした。「命から生まれるものは「命」じゃないの???」って思いました。多分これ以降「本格的に」悩んだのだと思います。

「死」って本当に「隣にある」んです。「気付かないうちに」擦り寄って来て、長い時間掛けて、少しづつ「染み込んで」来ます。「気付いたら」手持ちの薬が「空」になっていました。「ああ、、、、そう」と「当たり前」のように思いました。「心構え」も「切っ掛け」も「要らない」。だって、清水の舞台が「勝手に」欄干も消えて、「平坦に」なってるようなものです。「私が行く」んじゃない、「あっちがやって来る」感じです。

「弱い」ですね。「忘れん坊」だったんです。。。。。

お礼日時:2008/08/09 01:24

yukkinn66さん、こんばんは。


正規板はこのことですか?
なんにせよ、見つけられて良かったですvv

あたしもyukkinn66さんと同じで、巻き戻してやり直すと考えています。
どこまで巻き戻すかと言うと、“子供”を取るか捨てるか、というところです。
あたしは子供がないので、母親のそのへんの心情はまったく理解できてません。
なので、お子さんをお持ちの方からしてみれば、なんと浅はかな!となるでしょうけども。
でも反面、子供はアンナの言い訳のような気もします。
ヴロンスキーの愛を疑ったが為に、あの子を選んでおけばよかった、という、隣の芝生的な考えのような。

前半のアンナは好きになれませんでしたが、後半、特に出産後のアンナはとても興味深かったです。
好きというより、興味深かった。
日陰の存在でいることにいらだつところなぞは、この馬鹿女!と思いましたが、それでも彼女のやることなすこと、目が離せない感じです。

結局、人間巻き戻すとしたら、生れ落ちるところまで巻き戻さないとならないんじゃないでしょうか。
あたしも、小学校、幼稚園、それ以前に巻き戻ったとしても、やっぱり今の自分だと思う。
小さい頃のおどけて写ってる写真を見ても、その時自分が心底楽しんでないことを覚えています。
誰のせいでもない、そういう風に生まれついてるんだと思う。
mashumaro2さん、おひさしゅう。(笑)
あたしはヴロンスキーはあんまり興味ないなぁ。
取り合いにならなくていいっすねvv
男に生まれ変わったとしても、ヴロンスキーにはなりたくないです。。。
さりとてリョーヴィンにもなりたくねぇ。。。

この回答への補足

うわっ!! 続々と。。。。お越し頂いてありがとうございます!!
前回いきなり「ぶっちぎった」のでびくびくしながら立てたのですが。。。

>あたしもyukkinn66さんと同じで、巻き戻してやり直すと考えています。

fuji坊さんも、ですか? 私はいつもいつも「記憶を探って」行動を決めている感覚があります。でも夫は「そうじゃない」んだそうです。
例えば、パートで接客していた時、「こういうお客様」には「こんな感じ」の「成功例」を記憶から引っ張り出してくるんです。まあ、「無い」時は。。。「新たな事例」として「名前を付けて保存」です。

そうやって、自分の「引き出し」を増やして来た感覚です。
でも最近、「今の自分の原因」を「過去」に求めてばかりでいいのかなあ?とは思うのですが。。。。

全然話が変わりますが。。。
自分が「女である事」に一度たりとも「感謝」しないまま、「子供を三人」生んじゃった「馬鹿者」です。。。。で、「三人生んで」やっと感謝出来ました、「女で良かった~~~」って。

だから、初めっから「疑問を持たない」「女を生きてる」女性の物語って、「私じゃない。。。」みたいな気分になります。



先輩方、「補足」も「お礼」もごっちゃですが、よろしくお願いします。

補足日時:2008/08/07 23:01
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>でも反面、子供はアンナの言い訳のような気もします。
ヴロンスキーの愛を疑ったが為に、あの子を選んでおけばよかった、という、隣の芝生的な考えのような。

「疑う」と言う「逃げ」に出たが為に、「隣の芝生」はありそうですね。
でも、
ヴロンスキーと言う「新しい愛」と、
セリョージャと言う「それ以前から存在する愛」が
「同じ重さ」で「両立しない選択肢」ならば、
「古い方」を私は選びます。

大体、「子供と言う存在」を「理解しない」男は「人妻の愛」に「値しない」。。。。なんて思うのは間違いなのでしょうか。。。。傲慢かな。。。。「子供だな」って幼く見えちゃったのですが。。。。。不遜な小娘です。

お礼日時:2008/08/07 23:28

わかった風なことを書けば、人の人生なんて紙一重なんだと思う。


あの、リョービン=キチィの夫婦だってドリィだって、一歩間違えば、アンナ=ヴロンスキーのような生き方をしたって不思議はない。
絵にはならないが、(笑)
だから、

■アンナの人生を「どこまで巻き戻せば」、違う「幸せになれる道」が見えて来るのでしょう。。。何度考えてもまだ判らないのです。

って、考える必要が無いことなのかも知れない。
トルストイ自身の「時間」に対する考え方が、「過去も未来も存在せず、あるのは現在と言う瞬間だけだ」ですしね♪

幸せな人生としてのリョービン=キチィと、不幸のサンプルとしてのアンナ=ヴロンスキーが存在するとも思わない。
恐らく、対比させたのでもないのだと思う。
一人一人を、「描いた」のだろうという感覚を持っています。

僕は、「芸術」よりも「工芸品」に惹かれるところがあります。
例えば、200~300年前に作られた弦楽器とか、器とか、仏像とか。
この作品って、「工芸品」のような精緻さが凄いし、「もしも…」と発想したことはないです。

僕だって、一歩間違えば30年以上も前、河原で鉄パイプで殴打されて死んでいたかもしれない。
全く「軸」は違うけれども、アンナも嫉妬と絶望の狂乱の中で死んだという感覚が僕にはない。
「歓喜はすべての後悔を消し去る」そして、「後悔はすべての歓喜を消し去る」。

........................

暑さでへばった妻を連れて温泉宿に行き美味いものを食べてきました。
やはり、食事って「味」単独でなく、場所、雰囲気、サービス、その後の時間と一体で、様々に変わる。

仕事を放り出して出かけ、温泉に入り昼寝し、部屋に順番に運ばれてくる料理を2時間以上もかけて愉しみ、また温泉。
慣れない夜具で、妻とのセックス、、、
「幸福な家庭は全てに似かよったものであり、…」を味わいつつも、いろいろ妄想もしていました♪

...............

アンナカレーニナって、おそらく「所帯持ち」でない人間には、知性の有無に限らずあまり理解できないような気もする。

僕は少なくとも、小娘?キチィの結婚生活よりもアンナの破滅の方が好きだ♪(笑)

この回答への補足

>わかった風なことを書けば、人の人生なんて紙一重なんだと思う

「わかる気もする」のですが。。。「これからもっと、幸せに「ならねば」ならない」小娘としては、「それでは困る」のですよ~~!
そんな事言ったら、「欠けたところのある」幸せしか、「まだ」手に入れてない小娘は「諦めて泣こうかな」と言う気分になります。汗

「大失恋」がお幾つの時の事か存じませんが、「その時は」どう感じましたでしょうか? (お答え頂けたら、ついでに「失恋の詳細」と「鉄パイプの経緯」も聴かせて頂けないかなあ?。。。なんて)

>僕は少なくとも、小娘?キチィの結婚生活よりもアンナの破滅の方が好きだ♪(笑)

確かに「ドラマチック」で素敵ですが、「なりたくない」です。
「好き」か「嫌い」か、となると、、、う~~~~ん。。。。。

小さい頃から、「出来る事」=「好き」、みたいな「変に几帳面」と言うか「臆病」なところがあります。「出来ない事」は望まない。。。とか。
だから、「嫌いにはなれない」けど「好きじゃない」。。。。としか表現出来ない感じです。なんだか「逃げてる」ようで自分でも嫌なのですが。。。

補足日時:2008/08/07 22:45
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こんにちは! 玄斎先生(笑)!

一つ、忘れていた事がありまして、気にはなっていたのですが、やっと思い出せたので、お手隙の時に、私の「理解の手助け」を頂けたら。。。と思います。よろしくお願いします。

この物語を一読して、「一番の謎」が「オブロンスキーの変貌」でした。中巻の17です。今思い出しついでに読み返しているのですが、
*この「変貌」を「引き起こしたもの」は何なのか???
いまいちよくわかりません(汗)

今まで「理性の及ばない」もの(=感情)、「人生の意味」等を深く考える事を避けて、オブロンスキーは生きて来たのですよね。「そんなもの」に「気を取られ」たら「負ける」、と言わんばかりの雰囲気で、それなりに障害のある生い立ちのようですし。。。自ら自覚している「最低な望み」を否定出来ないところから、彼の「偽善」の壁が崩れたのでしょうか。彼の「他人の苦しみを見る時に起こる精神的混乱」と言うものを、私は「黒々と醜い感情」を何となく思って読み進んだのですが、そうではなく、「単に純粋な混乱」だったのでしょうか。それが、この時、「幸福」と「法悦的な心境」へと「転んだ」のか、彼の元来の「善性」がそうさせたのか、悩んでいます。

物語の重要人物の中で、一番割かれているページが少ないようで、いまいち私には「謎の多い」人物です。お陰で今「一番気になる」人物になっちゃいました。今夜彼を主に据えて、読み返す予定ですが、お師匠様の見解はいかがでしょうか。。。。?


それからそれから。。。。「失敗は繰り返し」て「良い」のですか? 私は「失敗を繰り返す事」に「慣れて」しまうと、いずれ「取り返しのつかない大失敗」をしてしまう気がして、かなり「張り詰めて」(これでも)生きてきました。始まりは「家業の手伝い」で「一人前の戦力」にならねば!ってところだったのですが、それを「人生全般」に拡大解釈しています。

いつか失敗してしまう、人生を失敗してしまう。。。って変な方向に考えている気もします。何か「ご指導」頂けませんか? (でもお体は大切になさってくださいね。お嬢様に心配されちゃいますよ)

お礼日時:2008/08/11 17:57

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!