プロが教えるわが家の防犯対策術!

巨人軍がV9していた時代を知らない者です。

V9をしていた頃、巨人は強すぎると言われていたようですが、

球界の勢力があまりにも偏っていては見ているほうもつまらないと
思うのですが、野球ファンの方はどのような気分で見ていたのですか?
(すみません、わかりにくい言い方をしてしまって)

また、どうしてそんなに巨人軍だけが秀でていたのでしょうか?

A 回答 (7件)

巨人ファンでなく、V10を阻止した側の中日ファンです。



一言で言うと、打倒巨人!

しかし、いま思えば、彼らはセリーグ無視でした。ほとんどのライバルはパにいました。セリーグでは、自分自身の記録に挑戦していました。たとえば、
王:ホームラン ⇔ 野村(主に南海)
長嶋:全般(特に守備。HR444本。ベース踏み忘れ、とか)
柴田:盗塁 ⇔ 福本(阪急)
堀内:200勝へ
高田:守備
森:頭脳

対するセリーグのチームは阪神(投手:バッキーとか)、中日(投手:権藤、坂東、打者:西沢、谷沢とか)で、当時から星野は気合いだけ。

勝ち負けも大事でしたが、私は「また巨人にやられた」とオヤジと悔しがっていた自分を思い出します。楽しかったのです。それで。
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ferereieさん、今晩は。

巨人軍V9は、昭和四十年代の事ですね。
今五十代の私が子供の頃、子供達が好きなものとして、「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉が有りました。全国的に使われていた言葉です。
大鵬はもちろん、大相撲の大横綱大鵬さんです。
地方に住んでいる方達への、ラジオ、テレビの放送は巨人軍中心でした。必然的に、巨人軍ファンが増えたのです。
それに相反して、アンチ巨人軍も多数いらっしゃいました。対戦相手のチーム名は知っていても、そのチームの選手の顔や名前を知らない、と、いう方も多く存在しました。巨人軍が負ければ、ただそれでいいのでした。
勿論私は、大の巨人軍ファン。勝てば、ただそれだけで満足。夜のスポーツニュースは、全部観る位でした。
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No.1です。

再度失礼します。
No.2の方の言葉は聞いたことだけある40代です。

私の出身は東海地区です。よって中日の放送(主にラジオ)が多かったので、ファンになったのも必然でしょう。
当時は、東北、北海道には当然プロ野球球団はなく、「ああ上野駅」で分かるように、特に、関東以北は東京一極集中でした。
北海道は、円山球場、スタルヒン球場と、標準語(東京弁)で、巨人一色でした。
巨人ファンの方は、大橋巨泉(古い)に代表されるように、勝って当然で、彼は巨人が負けたとき、翌日の新聞という新聞を買い漁り、ある日、間違ったスコア表示で巨人が勝ったことになっている記事を発見したそうです。へえ~
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野球ファンの方はどのような気分で見ていたのですか?


>巨人に勝つ・・・といった見方です。
アンチ巨人の・・・ファンとか、だから阪神が巨人以外の球団になんぼ勝っても面白くないのです。
強気をくじき弱きをたすく。判官びいきが強かったのです。
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日本野球機構オフィシャルサイトの「歴史」でたどれば当時の巨人の際だった強さがよくわかると思います。


http://www.npb.or.jp/

V9以前からも巨人は強かったです。
強いチームに入ると有望な選手はさらにその才能を伸ばします。
これは高校野球でも伝統校が強いのと同じです。
長嶋、王といった有望選手がその才能を開花させて他球団はまったく太刀打ちできませんでした。
あまりに巨人が強すぎるためにいい選手を特定球団だけに集中させないようにドラフト制度が始まったのです。
ところがドラフトが始まっても選手が大成するには時間がかかり、1973年まで巨人は連続日本一を記録します。
ドラフト以前にプロ野球に入団した選手の力が衰えるまで強い巨人の時代は続きました。
ドラフトで獲得した有望選手が力を付けてくるとなかなか巨人も優勝できなくなり現在に至ります。

打撃の記録的には王選手の大活躍。
勝負所で強く、ファンの記憶的には長嶋選手の活躍がありました。
投手陣も層の厚さはダントツ。
堀内だけでなく城之内、高橋といったエース級の投手を何人も抱えていて隙がなかった。

日本シリーズでも3敗することなく9年連続日本一。
本当に強かった。

なぜ当時の巨人が強かったかというと、平均点以上の力を持つ選手が多かったことが原因でしょう。
他球団にも一流と呼ばれる選手はいましたが、個々の選手の実力差が激しく、年間を通じて巨人に対抗し得る戦力はどこも持ち合わせませんでした。
今年の楽天で岩隈投手とそれ以外と考えていただくとわかりやすいと思います。

当時の世相として仮面ライダーや時代劇に代表されるように毎回同じ結末になることが好まれていました。
「巨人が勝つ」と言うことが普通の時代でしたから「巨人の勝つところが見たい」という理由でテレビ視聴率もよかったのです。
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バランス良く選手を集め、理にかなった理論に基づいて優れた指導者達が指導したので強かったのだと思います。

さらに言えば選手の好成績に対して球団が厚遇で応え続ける事ができた、という事もあるでしょう。

バランス良く選手を集めないとどうなるかの見本が堀内巨人、バランス良く選手を集めても能力のない監督とコーチではダメだという見本が今の原巨人です。
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>球界の勢力があまりにも偏っていては見ているほうもつまらない



そんなことはありません。
今のプロ野球よりも何倍も面白かったですよ。
当時はビデオやDVD、TVゲームも無い時代でしたから、夜は野球やプロレス中継を家族で見るのが定番でした。
そこに強い巨人があって、その中に王・長嶋という二人のヒーローが野球人気を支えていたと思います。
「野球は筋書きの無いドラマ」と言われますが、王・長嶋の活躍には筋書きがあるのではないか?と思われるくらい、ここぞと思われる場面でヒットを打っていました。
またこの二人が、人柄・ビジュアル的にも格好が良かったのも人気の要因と思われます。
子供向けの雑誌の表紙や、漫画の中でも実名で度々登場するくらいでしたからね。
何十年もプロ野球を見ていますが、この二人の人気・実力に勝ると思われる選手は思い当たりません。
イチローも凄い選手だと思いますが、私の持つイチローの印象は、ヒットを多く打って次打者以降のヒットで自らホームインするという得点の多い切り込み隊長的なイメージなのですが、王・長嶋はその塁にいる走者を長打で返す強打者のイメージです。
コツコツ単打を打つ選手よりも、後者の方がインパクトが強いですからね。
強すぎる巨人と言ってもシーズン最初からブッちぎりの首位だったという記憶はあまりありません。
シーズンが終わってみたら、やっぱり巨人の優勝だった。
そこがまたドラマチックで良いんですよ。
おまけに外国人助っ人無しのV9ですから、日本人受けしますよね。
強い巨人、そしてそれをねたむアンチ巨人がいて、野球の話題に事欠かない時代でした。

>また、どうしてそんなに巨人軍だけが秀でていたのでしょうか?

王・長嶋という球史に残る大選手が同じ時代に同じチームにいたのが一番。
メジャーで例えるならば、ヤンキースのベーブルースとゲーリッグのようなものです。


大砲ばかり集めている今の巨人とは全く異なり、打順に見合った仕事の出来る選手がいた。

名捕手、森の存在。

管理野球を確立した川上監督の存在。

こんなところでしょうか。
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