出産前後の痔にはご注意!

こんにちは
歴史を勉強してます
太平洋戦争で日本海軍の誇る戦艦大和ですが
この戦艦は主砲はすごい世界最大ですが
速力がたった27ノット
例えば敵空母を発見して砲撃しようと思っても逃げられちゃうし
駆逐艦や巡洋艦も相手が速いので逃げられちゃう
天敵飛行機にはめっぽう弱い
この戦艦当時としてはどう使うつもりだったのでしょうか?
それとこれはおまけで皆さんが司令官ならどう使います?

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A 回答 (20件中1~10件)

使うならもっと機銃や高角砲を今の二倍ぐらいしてから特攻作戦に出るな。

あ~あもったいねぇー。この時代にイージスシステムとガスタービンと対空ミサイルがあったら負けんかったのに
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戦艦の衰退については、No.9の方の書かれている通りですね。



>航空機の急速な進歩と、その後の戦争の形は予測できなかったっと思われます。

toro321さんは航空機の進歩について、ALL金属・単葉低翼機の登場を挙げています。加えてエンジンの進歩があります。

大和計画段階で存在した機体のエンジンは500馬力。当然大した爆弾搭載量はありません。はたして戦艦の装甲を撃ち抜ける爆弾を搭載できたのか。そんな爆撃機が低速でヨタヨタ飛んできても怖くはないですよね。加えて急降下爆撃などの戦術も太平洋戦争開戦前に確立したものです。

でもそんな空母でも、他の艦種に搭載されている水上機より空母搭載機の方が足が長いし機数もあるから索敵能力に優れます。対戦前の空母に期待されたのは、まず索敵でしょう。

次に海戦突入前に敵艦隊の守備を砕くこと。戦艦は強力な砲を持っていますが、とどめを刺す能力は魚雷を持つ駆逐艦に劣ります。敵駆逐艦の突入を防ぐのが、戦艦を取巻く巡洋艦や駆逐艦。敵艦隊のど真ん中にいる戦艦に到達するだけの運動性はなくとも、その外縁で戦艦を守っている駆逐艦などへは、当時の爆撃機でも取り付けたはずですし、ショボい爆弾でも十分な破壊力を発揮できたはず。

でダメージを受けた敵守備陣を突破して、敵戦艦に魚雷をぶち込むことが出来たら、敵戦艦をより早く沈めることができる。最初から最後まで戦艦対戦艦のガチンコ勝負をしていたら、よしんば勝っても、味方戦艦もただでは済まないですから。

というくらいの使い道が当時の空母の使い方。

そしたら急速な航空機の進歩で、空母艦載機が直接戦艦を狙えるまでに成長していたと次第です。
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そのとおり!


だから戦艦は二次大戦以降なくなってしまいました。

戦艦一隻は6千万円
今でいえば数兆円します。

そして主砲の命中率は射程に入ったとしても数パーセントに過ぎません。



一方、零戦一機は5500円
今で言えば6000万程度。

そして、これに爆弾を積み戦艦まで運び、落とせば80~85パーセントもの確立で当たったのです。


ゼロ戦で百機で大和を落とそうとすれば間違いなく勝つのは零戦です。
それほど飛行機のコストパフォーマンスは高かったのです。

大和は丁度この時期に登場しています。

ですが、これは戦争上で大和が弱かったのであって戦艦として大和は弱ったという証明にはなりません。そもそも近代的な戦艦と言う概念が登場したころ飛行機など存在しなかったのです。


戦艦の相手は戦艦であり戦艦は戦艦を倒す事のみに特化しているためです。



もし飛行機もミサイルもレーダーも開発されずにいれば
間違いなく大和は戦艦の中では強いといえましょう。



因みに戦後登場したミサイルは更に戦艦の地位を失墜させました。
無人で爆弾が飛んでいき、しかもほぼ100%当たるのですから鈍重な装甲は無意味になりました。


今の艦船では如何に見つからないかと言うのが最大の防御であり、
如何に早く見つけるかが最大の攻撃となっています。

その根本の思想には
見つかれば100%撃沈されるのであり
見つければ100%撃沈できるという
技術的裏打ちがあるからです。

今、各国が装備している巡洋艦が
紙のような装甲しか持っていないのはそのためです。
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単純な考え方で


菊水作戦時にアメリカの正規空母と同数の大和級戦艦があったらどうなったと思いますか?

もちろんこの考え方はIFの話で戦略的には全く意味を成しません
しかし兵器としての性能を考えるなら大丈夫だと思うのですが
もちろん20隻の大和級は建造する予算も資源もドッグもありませんが

それが出来たとして
20隻の大和級が沖縄に突入したら何隻かは沈めらるでしょうが大半の数は沖縄まで辿り着くと思います

アメリカのエセックス級空母でも100機の航空機 
その内対艦能力ある航空機は約半数
ということは空母とのタイマンだったら決して敗れることはないと思います
(現に大和は300機以上に反復攻撃を受けた後に沈んでます)
速力の差で捕捉出来るかは分かりませんが

沖縄で護衛空母を含めて500隻保有していたアメリカに1隻の大和級が敗れたということが大和は弱いにはなりえないと思うのですが

またもしアメリカ軍が大和級に匹敵するモンタナ級戦艦を大量に建造していたら
日本航空隊は一隻も沈められなかったかもしれませんよね?

あと自分がもし司令官だったら殴りこみ作戦専用に使いますね
開戦当初は太平洋で行動できるアメリカ空母は2隻 戦艦は無し なので
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速力が27ノット「しか」ない、とするならアメリカやイギリスの戦艦の大部分は足が遅いことこの上ない戦艦たちになってしまいます(米英の戦艦たちは条約開けの新戦艦まで20ノット台前半のものが殆どです)。


戦艦の任務は敵戦艦を倒すことですから、そう言う意味で大和は実に手堅くまとまった、強力な艦ですよ。
45口径46センチ砲9門の大火力。
それに耐えうる装甲。
27ノットの速度。
最大で10000海里にも達する航続距離。
どれをとっても非常に優秀な数値です。
これらの数値を完全に優越する戦艦は、ついぞ現れてはいません。
アイオワ級は速度こそ有利ですが、火力と装甲で劣ります。
ヴァンガードも同様です。
対抗できる可能性があったのは、砲撃戦を意識して建造されたサウスダコタ級ぐらいではないかと思います。
27ノットの速度を遅く感じられるかもしれませんが、これは決して低い数値ではありません。
アメリカの新型戦艦であるノースカロライナ級やサウスダコタ級とほぼ同速度です。
また、試験時の過負荷出力時には29.3ノットを記録した、という証言もありますから、もしかしたならもっと高速を発揮していた可能性もあります。
大和は、日本の機動艦隊では第2航空戦隊と第5航空戦隊以外の空母部隊になら、十分追随できる速度を持っているのです。
駆逐艦や巡洋艦、空母を相手にする場合、速度が不足する、と考えてらっしゃるようですが、本来これらの艦の相手は同クラスの艦艇が行うものです。
航空機に弱い、と言うか、航空攻撃を完全には防ぎきれないといういのは、当時の艦艇全てに共通する弱点です。
レーダ等電子機器の不備は大和固有の問題ではなく、日本海軍全体(と言うか当時の日本産業界)の問題です。
よく言われる副砲塔の弱点説ですが、大和の副砲塔は実際的な装甲厚は薄いですが、敵弾がバイタルパート内に飛び込まないような装甲配置ですとか、火災が弾薬庫に突入しないような防炎シャッターの装備など、かなり考えられた設計になっています。
これを弱点と言うのは酷と言うものです。
個人的に大和の弱点は、被雷時にバイタルパート内に浸水を起こしてしまうその装甲配置にあると思います。
ただ、これは水中弾防御との引き換えですから、一概に欠点呼ばわりも出来ないと思いますが。
強いて大和の欠点をあげるなら、それは戦艦として建造されてしまったことに尽きます。
完全な後知恵で言ってしまうなら、大和のリソースを他の部分、空母や船団護衛用の艦艇、レーダーや無線機などに突っ込んだ方が良かったと考えれれます。
しかし、これは当時、航空機の能力が完全には証明されていなかったという事実を考えるのならある程度は仕方ないことではないかと。

大和の使用方法ですが、大和の主交戦距離は2万~3万メートルと考えられていましたからアウトレンジ戦法は基本的に否定されていたことになります。
大和は純粋に強力な戦艦だったと考えられます。
つまり、3万メートル以内に踏み込んで敵戦艦との殴り合いを行う艦です。

私が海軍の人だったら、大和よりも松型駆逐艦の量産を提言すると思いますよ。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C% …
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米国人軍艦オタクの評価では


戦艦大和の欠点
対空砲火が弱い、レーダー性能が低いでした
日本人が評価を出すなら、欠点は速力が低い
これが3大欠点かな

日本の空母が早いのは、カタパルトが無いからです
米週間空母が活躍したのはカタパルトが有ったからかな
ミッドウェイ海戦では日本の鈍足空母「加賀」が
出撃していたので、この横で護衛してもよかった

戦艦大和は副砲に小型爆弾1発で沈むかもね
魚雷なら4発で速力低下、自沈処分かな

使い道はガダルカナル砲撃くらいかな
大和には充分な三式弾が無いと思われるので
徹甲弾で飛行場に穴を開ける(午前中は使用不能になるかな)
米軍は半日で穴を埋め戻す
いやいや
大和の煙突に小型砲弾命中
速力低下、自沈処分があるかもしれない
第三次ソロモン海戦の戦艦比叡のように


現代で言えば静岡空港、第2東名のような
当時の無駄遣いだったのです。
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 あくまで皆さんの追加という形です。



・航空機ではないのですが、大和は昭和18年航行中に潜水艦による魚雷を右舷に受けています。しかし、殆どの乗員が気付かなかった。

・大和の防御区画は約300に分けられていた(はず。前出の長門は1000以上)。大和の舷側を思い出してください。何か膨らんだ部分がありますよね。あれは、傾いた時に元に戻るようにするための構造です(名前は忘れました。ちなみに、大きさだけで言えば駆逐艦か軽巡並)。

・艦内には、注排水装置(注排水システムか?)なるものがあります。例えば右舷に被弾して水が入ってきた時、左舷に同量の水を入れて、水平を保つ装置なのですが、これには弱点があります。それはこの注水できる量に限度がある事です。そして、それを越えて片方の舷に水が入ると水平を保てなくなる。もしそれを越えて水を入れようものなら、水平にはなるものの、あとは沈むだけ。結果としては、この限度を越えれば沈むわけです。ちなみに先に沈んだ武蔵は両舷に同等の魚雷を受けたため、沈むまでに、時間がかかりました。そこで米軍は大和攻撃時には魚雷を左舷に集中させました。

・大和がめっぽう弱いとの事ですが、この艦が被弾した爆薬の量は、他の戦艦を3,4隻は沈められるだけの量があります。自分が攻撃隊に参加した搭乗員なら、これに恐怖さえ覚えるであろう話です。あなたはどうですか。

・「この戦艦当時としてはどう使うつもりだったのでしょうか?」無論、アウトレンジ戦法(自分の射程が相手より長い事を利用して、相手の射程外で自分が攻撃する戦法)です。大艦巨砲主義の代物です。

・自分ならどのように使うか。対空兵器を充実させ、護衛戦艦として使います。但し、軍中枢の大艦巨砲主義者が納得すれば、ですが。

・忘れていました。速力27ktですが、この艦の公式排水量は69100t、後続距離7200浬、馬力は80000を越えています。全長263mつまり、東京駅並です。東京駅が49Km/hで走る姿を想像してください。これだけの艦にしては充分です。

何年か前にNHKの「その時歴史が動いた」で、戦艦大和がありました。
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こんにちは皆さん。



長くなりますがいいでしょうか?
えーとですね。まず、戦艦大和型は当時の運用思想を反映させたものです。日本海軍は、艦隊決戦を大前提としたものでその中でも第一艦隊の第一戦隊はその為の主力でした。戦時中、これを変える動きが出ましたが徹底的に空母護衛に回されたのは結局マリアナ沖海戦まで行かなくてはなりません。

まず、速度について。27ノット、これははっきりいって十分です。公試で29ノットを過負荷の時に出したそうです。(さらに航続力18ノットで10000海里以上!!)しかも、大和は空母随伴ではなく第一艦隊の中核戦力となるべくしたものです。扶桑型、伊勢型は25ノット台、長門型は26ノット行くかどうかなのに30ノットなぞ必要ありません。世界から見ると25ノットで走る戦艦部隊は日本海軍ありません。それ以上速くしてどうするのですか?空母加賀、祥鳳型、隼鷹型はどうなるのでしょう?30ノット全然到達していません。しかも、マリアナで機動部隊と組んだとき特に文句も出ておりません。機関の信頼性高いです。戦術レベルでも戦略レベルでも十分に高機動です。大和型のライバルであり米海軍最後の純粋で最強の戦艦サウスダゴタ型はどうでしょうか?27ノットですよ彼女らも。しかも、6隻建造されてますし、機動部隊の護衛もしてます。

次に、対空戦。
海軍の大方(一部を除く)考え方として、航空機は強大になってきたけれどそう簡単に戦艦は沈まんと思っておりました。(ただし、マレー沖海戦の後ショックを受けます)全ての海軍艦艇にいえることは、対空射撃とは狙って撃つというのが基本概念です。秋月型駆逐艦ですら一門に付き300発程度しか対空砲弾を積んでおりません。欧米は、弾幕をはって撃退する。(米戦艦、重巡は対空砲弾500~900発積んでました)しかも、優秀な射撃管制装置、電探、情報管理らがそろっているからです。決して、砲が悪い、艦が弱いなど関係ありません。運用思想から反映された兵器によるのです。表面だけ見てあーだこーだ言ってはいけません。それは、単なる偏見としかいえません。

大和型は、攻撃力、防御力において最強の部類です。例えば、150mm程度の甲板装甲ならば22kmぐらいから貫通可能です。舷側装甲も25kmでほとんどの戦艦に有効です。しかも、23km前後という、日本海軍が想定した決戦距離近辺では、何処にヒットしても敵艦は耐えることはできません。当たれば確実に大事なところに致命的な被害を与えます。

最後に防御力。傾斜した410mmの装甲を持っていまして、50サンチ以上でないと貫通できないです。米海軍のSHS(Super Heavy Shell)で15km、並みの40サンチや38サンチで12kmぐらいで貫通します。艦隊決戦時20km近辺を維持していればまず、砲撃では沈みません。

つまり、大和型はボカスカ撃ちあいしながら自分の望む距離に突っ込んでそこで敵の息の根を止めるつもりの軍艦です。さらには、味方の水雷襲撃のための囮ともなります。
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どうも、#7のUDUKI4です。


まず私の手に入れた資料によるとなんですが、
>燃料は往復分あった。
と言うことですが、これは、最後の航海になるのはこの出撃のときすでに分かっていました。(艦に乗る人たちも、整備員たちも・・)
で、最後の手向けにと言うことで、往復分入れたそうです。
で、前の人とも言っていましたが、実際かなり航空機には強かったのです。
意外と知られていない話かもしれませんが、設計をするときここだけは譲れないと言うことで対航空機用の装備がありましたが、残念ながら、作るときにそれは時間がかかるため、また、時間を早めるため(このときすでに第2次世界大戦が始まっていたために少しでも早く完成する必要があった。)に、この装備は省いてしまったのです。
で、装備はその後も何回も改修されています。
出番があるたびに変更があったといっても過言ではありません。
当然、どんどん航空機のための装備が多くなっていったのは間違いありません。
最初は、戦艦戦がメインと考えていられた為に艦橋塔横の副砲として別の戦艦の主砲を持ってきたようです。
それに最大の特徴と言えば現在でもなかなかお目にかからないという、艦が傾いたとしても、約45度以上傾いても持ち直すことが可能と言うものすごい技術が使われていました。
ただ、欠陥があります。
それは、この当時日本は板金の製法がよくなかったと言うこと、後板と板をつなぐさいの溶接技術の未発達ということでしょう。
大和はほとんどがリベット打ちだったと言います。
溶接さえしてればかなりよかったと思いますが、こればっかりはしょうがありませんからねぇ。
それに日本はレーダー技術では世界最新の機器を持っていましたが、残念ながら、それが生かされたこともなかったと言うことで、実際に活躍したのは双眼鏡を持った観測員たちだったと言うことです。
その前の戦争に何故勝ったのかを良く考えればよく分かっただろうに。
その前の戦争はロシア戦で、レーダーを使った奇襲作戦で勝利をしている事などからも伺える。
と言うことです。
まだまだ色々と情報がありますが、これはまた今度と言うことで。
では。失礼いたします。
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皆さんがさまざまに回答なさっていますが、基本的な認識を共有したいと思います。

その上でどのように考えるかはご自由です。

まず、#6の方のいう通り、第二次大戦が始まるまでは「作戦行動中の軍艦、特に戦艦は航空機による攻撃では沈められない」とされていました。これを日本軍がマレー沖海戦によりプリンスオブウェールズとレパルスを沈めたことで認識が変わり始めます。ただ、日本海軍はその基本戦略が「艦隊決戦」であり、その相手の主力艦隊の勢力削減策として航空機攻撃を考えていたために結局アメリカによる大胆な戦略変換についていけなかったわけです。

また、大和型の設計・竣工の日時および武蔵・大和の奮闘から考えて大和型は決して「航空機にめっぽう弱い」とは言えません。当時は魚雷は命中すれば一発で相手艦を沈める兵器とされていましたが、大和にしろ武蔵にしろ航空機攻撃による爆弾の直撃や雷撃機による魚雷を複数発受けても沈んでいませんし、唯一無傷で残った長門が戦後アメリカによる原爆実験の対象にされての結果(原爆の空中破裂に対して長門はほぼ無傷、二度目は原爆を水中爆発させた為に浸水、数日後に沈んだ・・乗組員がいればおそらく沈まなかった)を考えればやはり優秀な軍艦であったと言えるでしょう。ついでながら、現代戦においてもミサイル一発の被弾で軍艦は沈んでしまうことがあります。(例としてフォークランド紛争時の英軍駆逐艦シェフィールドはエグゾゼ一発で沈みました。)しかし、今はイージス艦の存在などにより、簡単に被弾することはなくなっています。

つまり、何人かの皆様がお答えになっていますが、「軍艦は航空機に弱い」というのは無条件に言えることではなく第二次大戦での結果論にすぎません。また、逆の意味で日本軍のカミカゼ攻撃に対しても対空火力を充実させたアメリカ海軍に対しては決定的と言えるような戦果はあがっていないことからもそれは言えると思います。

また、大和型の27ノットという速力は大戦前の戦艦としては充分なものであったことも確かです。ただ、結果として空母と共同作戦をとるだけのスピードでは無かった為に空母の護衛として使えなかったのですね。つまり、空母にとって積載機の離発着時が一番防御力が弱いのですが、その時空母は風上に向かって全速力で走ります。このスピードに大和型がついて行けなかったことが結局空母との共同作戦に支障をきたしたわけで、これが結局は最大の弱点となりました。

結論を申し述べれば、結果論や常識論でなく、もう少しつっこんだ側面からいろいろと議論をしていただきたいということになります。
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Q旧日本軍はどうして潜水艦を強化しなかったのでしょうか?

第二次世界大戦もののDVDを観て思ったのですが、
潜水艦の役割は重要です。
攻撃にしろ、防御にしろ威力絶大と感じました。
とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。
日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、
海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか?
海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

一方、米軍の潜水艦は日本軍のそれよりはるかに劣ります。
酸素魚雷の開発もまだでした。

米軍は、
潜水艦を3隻一組とする狼狽戦法で弱い輸送船団を襲う事に専念します。
彼らは、日本軍の海防艦が、殆ど使い物にならない木造船である事を知っていました。

日本軍は
駆逐艦を重雷装する事により重巡洋艦と匹敵する戦力としようとします。
重巡洋艦は、重雷装させ、戦艦と互角で戦える事を目標としました。

その結果、被弾に対しては極めて脆く火災、誘爆が多かったのです。

米軍は、無理な雷装や、無理な作戦より、
より効果的な運用方法を目指しました。

追い詰められ、
潜水艦に戦艦が沈められるようになると、
日本海軍も、もう終わりだな。
こう言う空気が流れます。

潜水艦に対する防御、発見方法、攻撃方法などが確定していないと言う、根本的な問題でした。

>とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。

潜水艦は、常に最前線に投入され、後方は無視されました。

>日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、
海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか?
海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか?

上層部は、敵艦隊を攻撃する事しか頭にありませんでした。後方、補給よりも、最前線でした。
援護の無い、単独攻撃は、犠牲も大きかったようです。

日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

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Q(戦艦大和の装甲) 410mmの鋼鈑の造り方は?

(戦艦大和の装甲) 410mmの鋼鈑の造り方は?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C_(%E6%88%A6%E8%89%A6)
ここの性能諸元の装甲欄に「舷側 410mm」とあります。こうした分厚い装甲は如何にして造るのですか。
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よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 軍艦「大和」の装甲は、呉海軍工廠の第一甲鈑所の能力を超えていたために、新たに第三製鋼工場が建設され、同工場の七十屯酸性平炉3基をつかって最大200トン鋼塊をつくりだしました。次いで、この鋼塊を鍛錬圧延するために、当時世界最大能力であったドイツ、ヒドロリック社製1万5千トン水圧機を購入し、同工廠製鋼部長・佐々川技術少将は艦各部に応じて各種甲鈑(たとえばVH甲鈑・NVNC甲鈑・CNC甲鈑など)を使い分けました。

 艦舷側装甲は、船体構造ではなく、410mm表面硬化VH甲鈑(一枚鋼板)を海上クレーンで取り付けました。固定はアーマーボルトにより、さらに下部舷側甲鈑で抑える方式を採っていました。


資料:歴史群像シリーズ 『超超弩級艦「大和」建造』学習研究社 06年10月による

   なお、同書58・59ページには舷側装甲の取り付け状況を3DのCG画像で再現されています。



 

Q戦艦大和の主砲発射時 甲板での衝撃は?

以前、なんらかの本で戦艦大和の主砲発射時、甲板上で生身の人間はその衝撃に耐えられない。(ウサギを金網に入れ実験したところすべて死んだ)という事を読んだ記憶があります。映画「男たちの大和」では、機銃座の兵員はヘルメット以外なんの防具、耳栓などしていないようなのですが、主砲の三式弾打ちまくっていましたね。実際のところどうだったのでしょうか?

Aベストアンサー

映画は観ていませんが、主砲発射時に剥き出しの機銃座にいれば吹き飛ばされてしまうので、そんなシーンがあったのなら、それは映像表現上の嘘でしょう。
大和の場合、主砲発射の衝撃と爆風があまりにも激しいので、高角砲や高射機銃座等は全てドームで覆う設計を施してあります。後期の改修で露天式の物も取り付けられましたが、これを使用するのは、飽くまで主砲を使用しない時だけです。主砲発射の際には、甲板に警報が出て、機銃要員は最寄のハッチから甲板の下に退避するのです。
余談ですが、大和の前にも、戦艦長門が竣工した際(大正時代)、主砲(40センチ砲)の一斉射撃を行った時、艦橋最上部の露天艦橋に人が立っている事が出切るかどうか、志願者を募って実験したそうですが、全員柱にロープで体を繋いでから一斉射撃を行った所、射撃の瞬間に吹き飛ばされて床や壁等に叩き付けられ全員失神。気が付くと軍服のボタンが爆風ですべて弾け飛んでいたそうです。それ以前の日本海軍では、戦闘時の指令部は露天艦橋で指揮を取るのが日露戦争以来の伝統でしたが、これを機会に防御の施された艦橋内で指揮を取るように改まったと言います。

映画は観ていませんが、主砲発射時に剥き出しの機銃座にいれば吹き飛ばされてしまうので、そんなシーンがあったのなら、それは映像表現上の嘘でしょう。
大和の場合、主砲発射の衝撃と爆風があまりにも激しいので、高角砲や高射機銃座等は全てドームで覆う設計を施してあります。後期の改修で露天式の物も取り付けられましたが、これを使用するのは、飽くまで主砲を使用しない時だけです。主砲発射の際には、甲板に警報が出て、機銃要員は最寄のハッチから甲板の下に退避するのです。
余談ですが、大和の前にも...続きを読む

Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む

Q第二次大戦中に現代の自衛隊を投入したら

くだらない質問ですが、気になったので書いてみます。

第二次世界大戦末期の1945年1月1日時点に、現在の最新鋭の自衛隊(航空・海上・陸上)の全戦力を日本本土に投入したら、日本軍は勝てるのでしょうか?兵器の生産設備などは投入しないものとします。

いくら最新鋭の戦力を持っていても核と資源がないのでアメリカが多大な犠牲を出しながらも勝つだろうという見方もできるし、当時の日本はインドネシアを占領していたので資源不足を克服し日本の勝利という考え方もあると思います。

Aベストアンサー

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、護衛空母17隻を含む大艦隊を出撃させてきており、このうちの正規空母12隻、護衛空母4隻が日本近海に現れ本土空襲を行っています。これを狙います。ちなみに、この当時の米艦隊の正規空母の数は14隻ですから全部撃沈できれば、後がかなり楽になります。
F2攻撃機、約80機を中心とする対艦ミサイル攻撃で、空母を撃破します。現代の対艦ミサイルを当時の米軍艦艇がそれほど迎撃できるとは思えないので、うまくいけばかなりの空母を撃破できるのではないかと・・・
また、B29への迎撃にもF15を出撃させます。最大で4発のミサイルを別々の目標に連続発射できるF15の戦闘力に、B29の部隊は大打撃を受けるのではないかと・・・
さらに海上自衛隊の潜水艦部隊によるハワイの真珠湾攻撃を行います。ハープーン対艦ミサイルは対地攻撃にも転用可能とという事なので、ハープーンで真珠湾の燃料施設や艦艇補修設備などに攻撃を行い、打撃を加えます。
要は自衛隊の進んでいる兵器を一挙に出して大打撃を加えるとともに、米軍にショックを与えます。
これでうまくいけば、アメリカは空母艦隊とB29の部隊とハワイの後方施設に大打撃を受け、直ぐには大きな作戦をできなくなるのではないかと思います。

その後は、まずシーレーンの確保です。九州から中国沿岸、そして台湾海峡を通ってシンガポールへの海上交通路の守備に海上自衛隊のP3C対潜哨戒機の部隊や、一部航空自衛隊の戦闘機部隊を派遣します。輸送船団には海上自衛隊の護衛艦隊も付けます。航空部隊の根拠地の設営は大変でしょうが、部隊が稼動すれば米潜水艦隊の脅威へ大きな力になると思います。日本の輸送船の撃沈された半数は、米潜水艦隊の通商破壊戦によるものだそうですが、当時の旧式な潜水艦なら現代の対潜哨戒機と護衛艦でかなりの確率で防ぎ、逆に戦果をあげられるのではないかと思います。
日本本土の防空は航空自衛隊の戦闘機とPAC3ミサイル部隊と、陸上自衛隊の高射特科団(改良ホーク地対空ミサイル部隊)が守ります。
攻撃には海上自衛隊の16隻の潜水艦部隊を使います。潜水艦隊で通商破壊戦を行います。第二次大戦末期のドイツで建造されたUボート21型は連合軍の対戦哨戒部隊にも察知されにくかったそうです。それよりさらに技術の発展している現代の潜水艦なら数は少なくとも大きな戦果を期待できると思います。
未だフィリピンの日本軍の抵抗は続いており、米陸軍20万人が投入されている時点で、米空母艦隊が大打撃を受け、さらに通商破壊戦を仕掛けられたら・・・米軍は楽勝とはいかなくなるでしょう。

米軍としてはこうした進んだ技術の兵器対策に苦慮する筈です。簡単には有効な対抗策は出てこないのではないかと思います。まずは打撃を受けた艦隊の再編と、戦略爆撃部隊の戦術の見直し、フィリピンへの海上補給路の守備を固め、真珠湾の設備の再建をしなければなりません。
建造中のエセックス級空母の建造を急いでも、半年以内に戦闘に参加させる事ができるのは5隻です。
大西洋から部隊を回す必要も出てくるかもしれません。

一方、自衛隊を除く日本の連合艦隊の状態はよくありません。
戦闘可能な空母は小型の鳳翔1隻ですし、戦艦は2隻、巡洋艦も数隻、駆逐艦も二十数隻というありさまです。
南方から資源が入ってきたら、まずは艦隊の増強が急務でしょう。まずは空母で建造途中の伊吹、天城や損傷状態の龍鳳、準鷹、葛城を戦闘可能な状態にしなければなりません。
他にも損傷を受けている戦闘艦艇があるので、大至急修理が必要です。
また、輸送艦の建造も急務です。1945年1月から終戦時までに約180隻の輸送船が建造されています。
しかし、同じ期間に実に700隻が沈められているのです。
まあ、自衛隊の参戦で、その数は減るでしょうが、しかし、1944年だけでも約970隻の輸送船が撃沈されています。
日本の造船所はとにかくフル稼働しなくてはならないでしょう。
また、航空機パイロットの育成や、戦闘機などの生産も必要でしょう。
時間は幾らあっても足りないくらいです。

こうした中で、日本の潜水艦隊がどれだけアメリカに打撃を加えられるかが重要だと思います。
そしてフィリピンの米軍を孤立させ、ハワイを孤立させる事ができれば、新たな展望が開けるかもしれません。
時間が立てば、連合艦隊の戦力もある程度は回復してきます。そうなれば、新たな作戦を立てる事も可能となるでしょう。

なお、そのうち満州にソ連軍が侵攻してくるでしょうが、これについては航空自衛隊の支援を受け、東満山地で持久戦を行えば、かなりの機間、持ち堪える事ができるのではないかと思います。

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、...続きを読む

Qマリアナの七面鳥撃ち

昭和19年のマリアナ沖海戦についての質問です。
 記録映画で観たのですが、航空機戦ではアメリカ軍が圧倒的に強く、のちに「マリアナの七面鳥撃ち」と呼ばれたそうです。
 日本のゼロ戦などはとても優秀で、小回りが利き、アメリカ戦闘機を寄せつかなかったと思うのですが、どうなってしまったのでしょう。
 敵に背後をとられても三回転もすれば形勢が逆転したとききましたが。
 少なくともミッドウェイ海戦の時点では、日本機はアメリカ戦闘機を問題をしないほどすぐれていたと同じ映画で解説していました。
 日本の戦闘機は技術革新を行わなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

お答えします。

そのとおり、日本の戦闘機は技術革新を行いませんでした。

零式艦上戦闘機、ゼロ戦は確かに戦争初期は優秀でした。ミッドウェー海戦の活躍はその通りです。

しかし、日本は攻撃一辺倒で防御・防弾を軽視したため、マリアナ沖海戦ではアメリカのグラマンF6Fヘルキャットの攻撃に負けました。この戦闘機はゼロ戦の特性を知り尽くした上で設計されました。
ゼロ戦が燃料タンクをやられるとすぐ燃え尽きてバラバラになるのに対し、ヘルキャットは燃料タンクを守るための特殊ゴムや操縦席を守るために防弾鋼板など
防御・防弾に力を尽くしました。

日本のゼロ戦にも防御をという意見はありました。
しかし、軍令部作戦課の源田 実中佐はこれを退け、防御装備はなされないままでした。

マリアナ沖海戦の敗因はヘルキャットのほかにも、レーダーやVT信管があげられます。これら防御兵器の前に日本の攻撃部隊は壊滅しました。その理由は攻撃一辺倒で防御を軽視したからです。

詳しくは角川文庫から出ているドキュメント太平洋戦争3「電子兵器カミカゼを制す」をお読み下さい(同じ内容で平成5年にNHKスペシャルをやっていました。この時の題は「エレクトロニクスが戦を制す」でした)。

お答えします。

そのとおり、日本の戦闘機は技術革新を行いませんでした。

零式艦上戦闘機、ゼロ戦は確かに戦争初期は優秀でした。ミッドウェー海戦の活躍はその通りです。

しかし、日本は攻撃一辺倒で防御・防弾を軽視したため、マリアナ沖海戦ではアメリカのグラマンF6Fヘルキャットの攻撃に負けました。この戦闘機はゼロ戦の特性を知り尽くした上で設計されました。
ゼロ戦が燃料タンクをやられるとすぐ燃え尽きてバラバラになるのに対し、ヘルキャットは燃料タンクを守るための特殊ゴムや操縦席...続きを読む

Q旧日本海軍の対空砲火

旧日本海軍の特に機動部隊の対空砲火について教えてください。

よく旧海軍機動部隊の対空砲火の威力というか弾幕密度が、アメリカのそれより貧弱で「米雷撃機が日本軍の凄まじいまでの対空弾幕に阻まれ・・・」という事は寡聞にして聞き(読み)ません。
しかし、太平洋戦争開戦頃ならまだしも、ミッドウエー海戦以降であれば日本軍も対空兵装を強化して、「これ以上はもう搭載するスキマが無い。」という位、全艦針鼠のような状態ではなかったのでしょうか?
それともアメリカは門数は1艦隊当たり日本と同等でも、単位時間内での発射弾数などが多いので密度が違うのでしょうか?
でも、それほど日本とアメリカで単位時間発射弾数が違うとも思えませんが。

ずっと気になっていたので質問させていただきました。
ご存知の方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

まず対空砲の射程の問題があります。
雷撃機は高度2~3000メートルで接近し敵艦を発見し次第に高度を下げ高度を海面上10メートル前後までさげないと魚雷を投下できません。  これは海面での衝撃で魚雷の破壊や爆発を避けるためです。

この距離ないし接近中に早期に射撃して雷撃機を撃墜するには日本軍の対空機銃は射程が不足でした。
雷撃機は約2000メートルまで目標に接近すると魚雷を投下し離脱するものです。

従ってこれを撃退するには目標艦より距離2000メートルの海上に護衛艦を配置する必要があります。
日本軍は護衛艦が少数でしたから有効な弾幕を張ることは困難でした。

アメリカ海軍の輪形陣はこの点強力な防御体形でした。
射程の長い対空砲は射撃も種々の理由で制限があったことは他のご回答に示されています。

急降下爆撃機の場合は高度3000メートルくらいから急角度で降下しますから加速度もあり爆弾投下高度まで急速に接近します。
この間の対空射撃は対空砲が有効ですが発射弾数が少なく適当な距離での爆発を設定する事は困難です。
日本軍の対空射撃の有効射程を知っておればその圏外で爆弾を投下して離脱できます。

戦艦や空母は大型ですから至近弾でも損害を与えることが可能です。
これを迎え撃つ機銃座は暴露状態ですから死傷者が続出し対空能力が低下せざるをえません。

アメリカ軍のVT信管、40ミリ機関砲、20ミリ機関砲の組み合わせは極めて有効な弾幕射撃が可能でした。
しかも攻撃地点に近い場所に配置されていましたから雷撃、爆撃、特攻攻撃も困難ないし犠牲者を生むだけでした。

まず対空砲の射程の問題があります。
雷撃機は高度2~3000メートルで接近し敵艦を発見し次第に高度を下げ高度を海面上10メートル前後までさげないと魚雷を投下できません。  これは海面での衝撃で魚雷の破壊や爆発を避けるためです。

この距離ないし接近中に早期に射撃して雷撃機を撃墜するには日本軍の対空機銃は射程が不足でした。
雷撃機は約2000メートルまで目標に接近すると魚雷を投下し離脱するものです。

従ってこれを撃退するには目標艦より距離2000メートルの海上に護衛艦を配...続きを読む

Q道路の白線・黄色線は「はみ出し禁止」?「追い越し禁止」?車線変更は?

道路の白線・黄色線について疑問に思っています。過去の質問を拝見しましたら、白・黄色の実線について
「はみ出し」を禁止している
「追い越しのためのはみ出し」を禁止している
「追い越し」を禁止している
との回答を眼にしました。

1)どの見解が正しいのでしょうか?


2)1)の回答にもよりますが、車線区分線としての白・黄色の実線の場合には、車線変更は禁止なのでしょうか?

「はみ出し」禁止であれば当然ダメでしょうが、「追い越し」禁止であれば車線変更は可能なような気がします。しかし、その場合は「追い越しのための車線変更」と「ただの車線変更」との区別がつかず、どこから違反とされるのかわかりません。

宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

少し噛み砕いて書いてみます。
(学科のテキストには明記されていないと思われるので)

◆白色実線の中央線

主に、片側に複数車線ある場合の中央線で、(原則として)絶対にはみ出し禁止。

(複数の車線があるため、駐車車両や道路工事などがあっても、中央線をはみ出すことなく回避できるから)

中央線が2本線で引かれている場合は、それが中央線であることと、はみ出してはいけないことを、より強調するため。

◆黄色実線の中央線

主に、片側1車線の道路に引かれており、追い越しのための右側部分へのはみ出しは禁止。

(道幅が狭いため、駐車車両や道路工事、また軽車両を追い越すなどやむを得ない場合には、中央線の右側へはみ出すことが出来る)

「追い越し禁止」の標識がある場合は、右側へはみ出すことはもちろん、はみ出さずに済む状況であっても、追い越しそのものが禁止されます。


次に

◆実線の車線境界線(白色・黄色とも)

実線部分では、車線変更そのものが禁止されます。白・黄色ともに。

※交差点(内部)と、その手前30メートル以内はもともと「追い越し禁止」場所ですから、仮に点線(破線)の車線境界線であっても、追い越しのための進路変更(車線変更)をすることは出来ません。
(優先道路を走行していて信号機のない交差点の場合は除外。←あまり考えなくて結構です)

テキストには、「追い越しが禁止される場所」として7項目の記載があると思います。
それらの場所では、追い越しをしようとして進路変更(車線変更)しただけでも違反行為と考えられます。

●「追い越しのための車線変更」と「ただの車線変更」との区別 について。

クルマはその速度に応じた車間距離を必要としますが、最低限必要な距離としては、前車が急停車した場合に追突しない距離と考えられます。
次に、追い越す動機としては、速度差があるため前車に対して、最低限必要な距離程度までに近づいてしまったから、という理由が挙げられると思います。
(勿論、急いでいる場合もあるでしょう)

追い越す意識(目的)があるかどうかという心理は、遠目には分かりませんが、車間距離がギリギリまで近づいていた場合には、意図していたと判断されるのではないでしょうか?
追い越す必要がなければもう少し車間距離を取るでしょうから。
特に速度を上げて接近していった場合には、その速度差から、追い越す意識があったと判断されると思われます。

現実的には、追い越しのための車線変更自体が違反行為となるケースが多いと思いますが、単純に追い越す意図があるかないか、を判断する材料はギリギリの車間距離か十分な車間距離か、また、前車と同じ速度であったか、速い速度で接近中であったか、だと考えます。

前車と十分な車間距離があり、速度も同程度の場合には、単なる車線変更と見なされると思います。

どうぞご安全に。(元、指導員より)

少し噛み砕いて書いてみます。
(学科のテキストには明記されていないと思われるので)

◆白色実線の中央線

主に、片側に複数車線ある場合の中央線で、(原則として)絶対にはみ出し禁止。

(複数の車線があるため、駐車車両や道路工事などがあっても、中央線をはみ出すことなく回避できるから)

中央線が2本線で引かれている場合は、それが中央線であることと、はみ出してはいけないことを、より強調するため。

◆黄色実線の中央線

主に、片側1車線の道路に引かれており、追い越しのための右側部分...続きを読む

Q戦艦信濃の装甲を貫徹した米軍の16in砲

戦艦信濃用に生産された装甲に対し,米軍が16in砲を射撃し,貫徹可能と誇らしげに大穴の開いた装甲を飾ってある写真を見ましたが,私が過去からの文献を読む限り,想定砲戦距離においては,信濃(大和改型)の装甲板を貫徹することは不可能だと信じているのですが,実際は何メートルの距離から射撃されたものと推定されますか。
射撃場はどこでその距離は何メートルで,火薬は強装だったとか,知っている方がいらっしゃいましたらお願いいたします。いや,ご想像でもかまいません。オタクな質問なので回答あるか心配・・・。

なお,本文中,「大和改」としているのは,装甲厚が十分すぎるので薄くし,3重底に設計変更したため,あえて信濃を大和改と表現させていただきました。

Aベストアンサー

#2です。
テストに使用した装甲板は660ミリのもので、主砲塔前盾の部分だそうです。あまりに小さな標的ですから至近距離でなくては命中できないと思います。

Q戦艦「ビスマルク」の防御力

防御力が優秀といわれるドイツ艦の中で一際有名な「ビスマルク」ですが、装甲厚を見ると排水量のわりに舷側、甲板、主砲塔どれをみてもそれほど厚いように見えません。
英・仏・伊の「リシュリュー」「ヴィットリオ・ヴェネト」「キングジョージV世」の方が装甲が厚くみえてしまいます。

そこで疑問に思ってしまったのですが、「ビスマルク」は他艦と比べ本当に防御力の優れた艦であったのでしょうか?
それとも装甲厚がではなく構造的に優れているのでしょうか?

お勧めの本、サイトの紹介でも構いませんのでご教授お願いします。

Aベストアンサー

まず、艦の耐久性、防御力というものがどういうものかといいますと・・・

要素は「装甲圧」「装甲の質」「構造」「その他防御装置」などがありますが・・・
たとえば大和は装甲圧はもちろんですが、細かい水密区画、注排水装置、バルジなど、それらも含めて、非常に高い防御力というのを自他共に認められているのです。

ビスマルクは、装甲圧はともかくとして、質はまあなかなか良いのですが、どっちにしても、現在想像されるほど屈強ではありません。

これはビスマルクが結局のところ第1次大戦型の焼き直しに過ぎない、つまり日本で言うところの金剛といったもの(ただし金剛はあくまで巡洋戦艦ですが・・)の発展系でした。
特に泣き所は甲板の装甲です。
これはあくまで、バーデン級戦艦という、第1次大戦戦艦の設計を踏襲しているためです。
この船はあくまで近距離での撃ち合いを考えており、そのため甲板防御が低くなっています。
どういうことかというと、遠距離だと砲はかなり仰角をつけて狙うため、甲板に命中します。しかし近距離だと、仰角をつけずに撃ち込む為、舷側に命中するのです。
第1次大戦頃では測定儀が発達していなかったため、水平線の遠くからの撃ち合いはあまり想定されていませんでした(しかし第1次大戦でこれが合ったため、甲板薄の舷側厚という設計は事実上否定されました)。
で、ビスマルクも甲板が薄い。舷側は厚いですが、いずれにしても総合防御力でキングジョージといった最新艦よりは劣っていたといわざるを得ないでしょう。

さて、なぜビスマルクは装甲が厚い、という風評が出たのかと考えると・・・
フォルムでしょうね。あの舷側が低くいかにも安定して、どっしりとした形。
そしてどっしりとしていながらスマートな艦の見た目。
さらには「大和が出るまで世界一」だった排水量。
このあたりが、ビスマルクが防御力に優れていた、という話が出るゆえんかと思います。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/ビスマルク級戦艦

まず、艦の耐久性、防御力というものがどういうものかといいますと・・・

要素は「装甲圧」「装甲の質」「構造」「その他防御装置」などがありますが・・・
たとえば大和は装甲圧はもちろんですが、細かい水密区画、注排水装置、バルジなど、それらも含めて、非常に高い防御力というのを自他共に認められているのです。

ビスマルクは、装甲圧はともかくとして、質はまあなかなか良いのですが、どっちにしても、現在想像されるほど屈強ではありません。

これはビスマルクが結局のところ第1次大戦型の焼き...続きを読む


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