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真珠湾攻撃時の宣戦布告が遅れた原因は
(1)日本大使館の怠慢と(2)当初から奇襲する計画だった。に分かれていますが、実際のところどちら真実なのですか?
私は(2)だと思いますが、大使館員の前日飲み会があってそれで遅れたと言う説もあるみたいです。ご教示お願いします。

A 回答 (9件)

(1)ですね。


最近は、日本大使館にいた当事者の子息が外務省に入省していて、必死に当時の日本大使館は悪くないという工作をしていますが、間違いなく日本大使館の怠慢です。

なにしろ、宣戦布告の電報をアメリカさんが既に解読していて、宣戦布告を日本大使館がもってくるより先に知っていますし・・・
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開戦にあたって、野村・来栖両大使がハル国務長官に手交した文書は宣戦布告文書ではなく、ハルノートの回答として、日米交渉の打ち切りを通告する文書です。


日米交渉の打ち切り後は、武力による解決ということにならざるを得ませんが、文書に宣戦を明記しているわけではありません。
この文書が真珠湾攻撃の1時間後に手交されたことをアメリカはだまし討ちとして宣伝し、戦意高揚に利用したため、指定時刻(ワシントン時間で12月7日13時)から1時間20分遅れたことがクローズアップされることになりました。しかし、文書の内容から、野村・来栖両大使は手交時刻の遅れがこのようなことになるとは認識していなかったのかもしれません。

覚書の本文は英文で翻訳の必要はなかったようです。修正の訓令がワシントン時間で7日午前5時20分にあったことから、それまでに全文は送られていたと思います。
だとすると、13時までの7時間余りで、暗号解読とタイプができたのかということになります。 当時はワープロと違い、タイプミスがあれば、そのページを最初から打ち直さなければなりません。 秘密保持のため、タイピストを使うことを禁止されていたので、慣れない秘書官がタイプしたわけですが、果たしてどうだったのかということになります。

参考:http://www.jacar.go.jp/nichibei/index2.html
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卑怯なだまし討ちに宣戦布告など必要ありません

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宣戦布告は開戦後に日本国民に布告するものです


これは12月8日午前6時に発表した物です
「大本營陸海軍部發表十二月八日午前六時 帝國陸海軍は本八日未明西太平洋において米英軍と戰鬪状態に入れり」

在ワシントンDC日本大使館が米国国務省に渡したのは開戦通告です
これはワシントン時間13時きっかりに米国政府に提出するようにと厳命されていたのですが、野村大使たちの翻訳が間に合わず13時55分に開戦通告が退出されました

攻撃計画はただの真珠湾空襲計画です
ハワイ駐留の米軍に悟られなければ奇襲作戦(攻撃隊への命令は信号弾1発で教える)
ハワイ駐留の米軍が待ち構えて入れば強襲作戦(攻撃隊への命令は信号弾2発で教える)
でした
当日、敵機は上空に無かった為、奇襲成功だったのですが、渕田隊長は2発撃ってしまった為、一部の航空隊は強襲作戦と勘違いしたそうです

ちなみにですが、開戦通告は攻撃後でも構いません
ってか攻撃前に開戦通告する事はほとんどありません

ジャップは真珠湾空襲後に開戦通告した!ジャップは卑怯だ!というのは米国民向けのプロパガンダであって国際法上問題ではありません
東京裁判で卑怯行為を理由に裁かれてはいませんので
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真珠湾攻撃はもともと奇襲攻撃です。


世界でも例のない、前人未到の作戦。
日本の虎の子の機動艦隊が、少しでも発見されるのを防ぐため、
駐米大使館には攻撃の30分前に宣戦を布告するよう通達が出てました。

さて、ここで考えてみましょう。
日本の機動艦隊がに択捉島の単冠湾を出港したのは11/26日です。
実際真珠湾を攻撃したのが12/8、2週間弱といったところでしょうか。
この間、南雲艦隊は無線封鎖状態にあり、日本側もその位置を掴むことはできません。

この沈黙の2週間の間、もし、なんらかの理由で南雲艦隊に遅れが出ていたら・・・・・
もし、攻撃が遅れ宣戦布告が早すぎ、アメリカに防備体制をしかれ作戦が失敗したら・・・・・
南雲艦隊が壊滅すればその時点で敗戦です。
駐米大使ですから、アメリカの国力はよく分かっています。
もし、艦隊が引き返し、対米戦争が中止になったりしたら・・・
宣戦布告してしまえば後戻りはできません。
まさに決定的な一打です。

そして、それは日本の奇襲攻撃を成功させる最高のタイミングでなければならない。
無線封鎖状態の来てるかどうかも分からない南雲艦隊の攻撃予定時刻のわずか30分前にきっちり行わなければならない。
失敗すれば日本が滅びる。
・・・・・どうですか?
貴方ならどうしますか?

結局攻撃開始後に通達するしかないじゃないですかー。
解読に手間取ったとかなんとか理由つけるしかないじゃないですかー。
無理ですよそんなの。
世界大戦の引き金を最高のタイミングで引けとか個人が背負うには重すぎますよ。
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1に近いのが事実だと思います。

ただし、前日の飲み会の事実も、それだけが問題とは思えません。
まず、大使館では、野村が13時00分に東京からの秘密暗号による電文の解読メッセージをハル国務長官に渡す手はずでした(対米覚書)。もちろん、ハル国務長官とのアポも13時にしっかりとってありました。
しかし、その書類を準備する時間が足りなかったのです。電文は長文にわたり、Part 14 が解読されたのはその30分後でした(最後のページにとても重要な開戦の趣意が書かれていました)。そこでハルに、しばらく交渉(ワシントン時間13時)を延期するよう要請しました。
ここには日本側の綿密な計画がありました。13時ぴったりに宣戦布告すれば、真珠湾攻撃の準備ができるわけはなく、したがって、奇襲と同じことになり、しかも、日本は開戦前に宣戦布告をしたことになるのです。しかし、実際は手間がかかって、時間までに解読して書類を準備することができなかったのです。
この背景には、前日の飲み会もあっただろうし、まだ開戦に至るとは思っていないワシントン駐米大使以下の認識の甘さがあり、また、日本から長文の電文のメッセージを送ってしまった東京の側の問題もあるでしょう。また、タイプを打つのが速くない人材だったのも、問題でした。しかし、12月6日(日本時間)に東郷外相からの訓令が確かに打電され、しかも、それをワシントン時間13時00分に手渡すことになっており、そのための作業を大使館ですすめていたわけで、これらの事実から、とうてい日本が奇襲を意図していたとは思えないーーというのが妥当な考えだと思います。

前日の飲み会については、転勤する寺崎英成書記官のための送別パーティーがあり、ぐでんぐでんに酔っぱらっていた。そして入電文書の暗号解読とタイプ打ちを怠ったーーそれはひどい怠慢であり、翌朝、その日の午後13時までに書類を揃えるのは無理だったのである。しかし、飲み会だけでなく、このように認識を甘くしていた大使館の日常こそ問題であり、当日の朝からでも間に合うぐらいの打電をすれば間に合ったかもしれず、そこは東京の側にも責めがあると私は思います。

なお、なぜ、以上の事実を無視して、当初から奇襲する計画だったという説があるかと言うと、アメリカが、宣戦布告もなく奇襲されたーーということで、国民に対し、何が何でも日本をやっつけなければならないという思いを国民に鮮明に植え付けるためでした。
アメリカは、「日本は過去の戦争で宣戦布告して戦いを開始したことは一度もない」(マーチン・ベジンジャー)という意見を持つ。これが1つの根拠になっている。
たとえば、日露戦争もそうだった。日清戦争もそうだった。日本は卑怯な国だ。ーーこのような日本観をアメリカが流布したので、これが今日でも多くのアメリカ人の信じるところとなっているのです。



以上、ご参考になればと思います。
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acdcacdc73 さん、こんばんわ。



私の話ですと、(1)ですね。ただ、(2)で開戦するということは大本営が決めていたようなものですね。最後通牒を行う時の文書を現地人のタイピストに日常のように打たせてしまうと機密が漏れてしまうので、書記官自身が打っていたので、かなり文書を打つのが遅れたため、通帳文書を渡すのが遅れたらしいです。この時の書記官が奥村勝蔵という人で戦後マッカーサーの通訳や外務省の次官を務めたため、公然の秘密になってしまったらしいです。



奥村勝蔵
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E6%9D%91% …
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大本営は大使館の公務員達が毎日、真剣に仕事しているとの麗しき誤解に基づいてコミュニケーションプランを作った。



現地の公務員は、自分たちの日々の生活の方が”皇国の興廃”よりも優先しておった、というのが歴史の真実やね。

この回答への補足

ルーズベルトに親書を書かせたり、大使館も仕事しています。それと飲み会がどうしても、繋がらないのですが?

補足日時:2013/11/11 23:10
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どちらも正しくないだろ


間に合うか間に合わないかギリギリに宣戦布告だすようなバカがわるいんだよ
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