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ミッドウェイ海戦で は大和以下の戦艦3隻を主力とする本隊は機動部隊のはるか後方数百キロにおりましたが これは戦術的にはどのような意味があったのでしょうか?いざとなったときには(現実も)離れすぎていますし 殆ど意味の無い間隔を開けている様に思います。
戦力は集中して運用するのが基本ですし 航空機の防御にも貢献できたでしょうし ひょっとすると防御力のある戦艦で切込みが出来た可能性もあったかもしれません。
どうにもその位置取りの意味が理解できません、どなたか教えてください。

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A 回答 (14件中1~10件)

こんな見方もあります。


『文藝春秋』11月号「帝国海軍 VS 米国海軍」というテーマで、6人が話し合っています。

秦氏(日本大学講師)が
「私がいつも疑問に思うのは、連合艦隊司令部を大和といった旗艦に置いていたことです。開戦当時は柱島海面に浮かんでいるし、後にはトラック島に出て行きますが、いかにも中途半端です。」
いろいろ発言が続いて
半藤氏(昭和史研究家・作家)が「トラック島に出て行くのは仕方ないんですよ。当時、石油はシンガポールから運んでいたのですが、柱島にいたのではシーレーンを脅かされて動きが取れなくなってしまう。」

戸高氏(海軍史研究家・大和ミュージアム館長)「山本自身、ニミッツはハワイにいるのに、なぜ俺はトラックにいなければならないのか、とこぼしています。」

秦氏「総力戦時代になって戦争の形態が変わり、連合艦隊司令長官は常に旗艦に乗るべし、という慣例が無意味になったのですから、さっさと場所変えすればよかったんですよ。」

半藤「でも、それが海軍の伝統なのですよ。」

秦氏「作戦遂行に支障が出ているのに、そういう儀礼的な意味しかない不文律をなぜ変えないのか、不思議だ」

以上は抜書きですが、研究者でも興味をもつ問題であることが分かります。。

ほんとうのことは、山本長官の魂に聞くしかありませんが、「シーレーンの問題」は重要だと思いますのでちょっと調べてみました。
戦史を読む限り、表面上は威勢のよい強硬論や都合のよい楽観論が多いですが、真実はどうでしょうか。
「南方へ進出して石油基地を占領した」といっても、占領しただけで燃料がそのまま出てくるわけではなく、石油は掘り出して精製してはじめて燃料になります。
人と技術が必要です。
ところが、昭和17年5月、太平丸(日本郵船)が蘭印に向かう途中、九州男女群島沖で米国潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没し、乗船の石油開発要員660名が死亡(乗組員を含めた死亡者は817名)しています。
その前には本土空襲も受けています。

海軍は、大量の燃料を必要とします。
ところが、占領した油田施設は、制圧時の実勢に合わせて、海軍15%、陸軍85%です。

真珠湾のときもそうでしたが、そんなに長距離を移動できるように軍艦を造っていないので、ずいぶんと無理をしてドラム缶を満載していました。途中で狙われると一発で炎上するおそれがありますね。
私は、ミッドウエイ作戦が敵地での戦闘であることを考えると、「司令長官は前線に出ない」「柱島はこの作戦の指令本部として安全圏ではない」からトラック島に出たと、半藤氏の発言を理解しています。
発言にはないですが、作戦中は無線封鎖ですから、陸地経由で軍令部と連絡が取れる最前線がトラック島ではなかったのでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます、詳しい説明恐れ入ります。
陸軍海軍の連携の悪さは今の時代から見ると信じられないですね、陸軍は戦争中盤まではあっち見て(中国)戦争しているし 2つの軍隊がバラバラに戦っているようなものです、いや いました。
シーレーンの問題もよく理解できます、まあ開戦まで時間が無かった事もあるでしょうが 手元の本には日本海軍には開戦まで船団護衛の戦略も船舶も全く無かったと書かれています、一方アメリカは日露戦争後に作成されたオレンジ計画では 日本には潜水艦と航空機による無制限船舶撃滅シーレーン封鎖による兵糧攻めが有効な計画として策定されていたそうです。ただ第一次大戦のUボートの無制限攻撃(非武装船舶を含む)で多大な民間人が犠牲になったことで ロンドン条約では制限される事になったそうですが パールハーバーの騙し討ちを口実に国際法を破る事を宣言したそうです。石油技術者が600人犠牲になったとは知りませんでした。しかし石油を、海軍15%、陸軍85%とは呆れます、これ分け前の事ですね。
日本の艦船の足の長さは短いらしいですね、小笠原近辺で迎え撃つ 漸減邀撃作戦専用マシンですのでしょうがないですね。
しかし戦略性 長期的な展望 柔軟な頭脳 は全く欠けていましたね。

お礼日時:2007/11/11 23:54

B-17の航続距離は爆装時で3200kmです。

確かミッドウェーハワイ間って2700kmでしたっけ?爆装できたとしても500kgがせいぜいだと思います。だからミッドウェーがとられたら米軍は空母つきの艦隊を組織して奪還作戦が必要になります。しかも全力で。ここで決戦を起こさせて勝つことにより、ハワイ攻撃(攻略ではありません)を可能にしようというのが、作戦の目的です。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
B-17の件 了解しました、爆弾搭載時には3200キロなんですね、ミッドウェイに航空攻撃を仕掛けるためには必ず空母が必要になるので そこで機動部隊決戦をする話 納得しました。

お礼日時:2007/11/14 21:57

シーレーンという観点からみるなら、当時の日本の能力ではミッドウェーの維持もハワイ占領も夢物語でしょう。


もし開戦直後にハワイを占領できるだけの兵力を運んだら、肝心の南方作戦に支障が出ますし、ハワイまで充分な補給を行なうとなれば、南方からの輸送ができません。
日本の陸軍部隊のほとんどは中国で戦っていたのです。陸軍にとっての主敵は中国でした。
なお、千島列島からすぐ近所のアッツ・キスカへの補給でさえ、輸送船の被害が甚大なため、潜水艦による輸送に切り替えられました。ミッドウェーやハワイへの補給は、日本の貧弱な海上護衛能力では不可能でしょう。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
冷静に考えれば確かにそうですね、攻略は出来ても維持しないと意味が無いですから どだい難しい話ですね。
ミッドウェイも地図でみたらハワイから2500キロ程でした B17の航続距離が5800キロだそうですので 連日空襲に見舞われたでしょう。

お礼日時:2007/11/13 00:21

ハワイ攻略は意味がありません。

それに不可能です。日本にハワイを維持するフナバラはありません。当時は揚陸艦もありません。大量の海兵だけでなく陸軍までいるハワイ相手に、ライフルと手榴弾、そしてせいぜい数日の航空支援だけでは制圧不可能です。空母は二日も全力戦闘すれば、燃料も弾薬もからになります。そして空母に補給するタンカーも数日分確保することがせいいっぱいです。ちなみにミッドウェークラスの艦隊(後方分含む)であれば、数回満タン補給をすると、本土の重油は払底します。それだけのタンカーもないでしょうが。

 それを考えるならミッドウェーを制圧して、潜水艦基地とすることでしょう。ハワイを海上封鎖できれば、アメリカは白人を本土に脱出させハワイを放棄するプランの実行を考えるやも知れません。ただ当時の日本に、ハワイを海上封鎖するほどの潜水艦戦力もないでしょうし、ミッドウェーを取られれば、まず取り返しにくるでしょうが。

 アメリカが日本の開戦を予期していたというのは、どこまで確信があったかは別としてある意味そうなのでしょう。ただし彼らが読んでいたのは、フィリピンや南方侵攻で、真珠湾に対する航空攻撃ではありません。まさか本題である石油資源確保のために侵攻する部隊や、最初の目標であろうシンガポール攻略部隊の直援を空にして、フィリピンに対しても互角程度の兵力で台湾渡洋攻撃を強行してまで、精鋭をかき集めてハワイに殺到するなど誰も本気で考えてはいなかったでしょう。特にフィリピン攻撃はもし奇襲に失敗していれば返り討ちにあっていたでしょうし、南方侵攻もけっこう綱渡りな作戦となってしまいました。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
冷静に考えれば ハワイ侵攻は難しいですね、例え攻略しても多くの民間人を含む社会基盤を維持する為の物資輸送も不可能ですし。
いずれにせよ どこを修正しても勝てる見込みは無かったのですが。

アメリカが開戦を予知していたのは事実ですよね、この事は世界でどの位認知されているかはわかりません。
ハワイ奇襲の予知ははもう闇の中ですが フィリピンは準備していたそうですね、台湾の航空部隊が霧の為に時間がずれて その為にクラーク基地の航空部隊は 来ないので着陸してしまった直後に攻撃が始まったそうですね。
もし迎え撃たれていたら攻撃は失敗し 航空機の損失も多かったでしょうし 健在の航空機でシンガポールやフィリピン攻略部隊も影響を受けたでしょうね。

お礼日時:2007/11/13 00:12

 目的は、ミッドウェー島への砲撃、そしてできれば敵太平洋艦隊との決戦でしょう。

何日滞在できるか微妙ですが、もしミッドウェーに居座られたら米軍は全力で攻撃をかけるかハワイ放棄しかありません。いつでもハワイを攻撃にこれる距離ですから。

 ちなみに空母と戦艦では足が違いすぎて一体運用はできません。そのためミッドウェーでの戦訓も含めて、南太平洋海戦あたりでは、戦艦が前衛を勤めています。できれば敵航空機の攻撃吸引もありますが、どうせ敵は無視して空母攻撃ですから、すきあれば敵艦隊に突撃しようという意図です。ちなみになぜかよくわかりませんが、実際にこの役目を実行したのは、前衛戦艦部隊の護衛についていた護衛空母準鷹とその護衛駆逐艦です。

 ちなみに戦艦を空母に改造するくらいなら、一から空母を作ったほうが早くて安上がりです。活躍の場のなくなった戦艦は、抑止力としておいておくのが最上だったのでしょう。航空機優勢といっても、当時は嵐や夜間に艦隊の侵攻を抑えられるのは船だけですから。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
皆さんのご回答で 空母と戦艦の艦隊編成は難しい事がわかりました。
ハワイの件ですが ハワイ占領と言うのは可能性はあったのでしょうかね?機会としては真珠湾攻撃から間もない時期 それから もしミッドウェイ作戦が成功していたら チャンスがあったかなとは思いますが、ただ陸上兵力もかなりいたかも知れませんので難しいかな?
戦艦を改装して空母にするのはそんなにコストがかかるのですか、艦隊決戦時代の遺産みたいな感じですね、そういえば真珠湾攻撃の時に在泊していた米戦艦は 同じ様な立場の戦艦ですね、米が真珠湾攻撃を予期していたという説には使い道の無いこれら戦艦を並べていたと言う話もありますね。

お礼日時:2007/11/11 23:03

ミッドウェー海戦において、本隊が機動部隊よりも後方に位置したのは、本隊の任務が上陸援護のための艦砲射撃にあったからです。


不用意に前に出て、まぐれ弾にでも当たったら損だということでしょう。
本隊の戦艦は、大和級ですら27ノットと低速です。
機動部隊と行動を共にしても、艦隊の隊列を乱すだけの存在となってしまいます。
それならば、後方にまとめて置こう、ということです。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
意味が良く判りました、しかし空母が主軸になった海の戦いでは 日本の誇る大和や長門も使い難かったでしょうね、ましてや伊勢や山城クラスは・・
比べてアメリカのサウスダコタクラスは対空兵装も充実していて高速ですし 実用的ですね。

お礼日時:2007/11/10 18:47

日本もアメリカも同じなんですが、艦隊決戦において制空権確保が最優先事項になります。


制空権を確保したほうが海戦を有利に運ぶことができます。
砲撃の航空観測ができますし、爆撃も行うことが可能になります。
制空権がないと観測も妨害されますし、爆撃を受ければかなり痛い損害を受けますし、当たらなくても回避運動を行わなければなりません。(例えばサマール島沖海戦では回避運動を行ったので米護衛空母に距離を縮められませんでしたね)
よく戦艦大和はいろいろといわれますが、その大和は自制空権内での行動を想定しています。

ですので、前衛に空母を出し後衛に戦艦を配置。
空母が敵空母を潰してから戦艦を出すというのが日米両軍の戦前からのスタイルなのです。
特にMI作戦は日本にとって決戦なわけで米空母潰してから前進、また自軍が制空権を確保したのちに復活して出撃しているかもしれない米戦艦部隊との交戦を想定していました。(事実、その当時かなりの数の米戦艦が戦力化されています)

しかし自軍が制空権を確保してから戦艦を出しても戦場に間に合わないことがのちにわかりました。
ですから南太平洋海戦の日本の第二艦隊、マリアナ沖のアメリカの第七艦隊のように戦艦を前面にだす戦術を取るようになったということです。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
なるほどそういう事なのですか、私は占領部隊を帯同している事を忘れていました。山本長官はじめの上層部はまさかこういう事態になろうとは夢にも思わなかったでしょうね、あわてて主力艦船による攻撃を企図しようとしましたよね。

お礼日時:2007/11/10 18:38

これは、意味のない出撃なんですよ。


戦艦が7隻も出撃して、相手なんて真珠湾に沈んでいるのですから。
空母相手に、鈍足の戦艦が追いつけるわけはないし、第一航空戦隊の実力から言って、普通に戦えば、勝てます。
上陸部隊の援護は近藤部隊の戦艦2重巡4で十分。
かといって、空母部隊と同行すると、戦艦の船足では遅いので、空母部隊は嫌うだろうし。
考えられるのは、開戦以来出撃のない船を出して、戦闘加増を狙ったのではないかと。空母部隊だけが連戦して、柱島の将兵たちは、俺たちも出たいと思っていたでしょうし、出れば戦闘加増があるわけで、将兵全般の士気向上のための出撃だとしか思えないですね。
空母部隊から見れば、こうるさい舅が後ろから来ると思っていたでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
なるほど そういうこともあったのですね、山城型や伊勢型は本当に活躍の場が無かったですね、いっそ 開戦初頭に空母へ改装したほうが良かったと思います。

お礼日時:2007/11/10 00:11

>戦力は集中して運用するのが基本



戦艦は25ノットです。
30ノットの機動部隊と一緒に行動すると足でまといになります。
哨戒中の潜水艦から航空母艦の発見の通報があれば急行出来ずに
討ちもらす、または先制攻撃を受ける恐れもあります。

>航空機の防御
艦載機数機の撃墜で戦艦1隻を失っては、「割りに合いません。」
これは、艦隊決戦や砲撃の仕事をさせるべきです。

対空能力の高い、高角速射砲に換装した軽巡洋艦や、量産可能な対空駆逐艦の仕事です。

巡洋戦艦は30ノットで機動部隊と一緒の行動が取れます。
その為に、過酷な戦況下に投入され、次々消耗して行きます。

旧式化し、鈍足、射程の劣る中型主砲の戦艦でも、
艦隊決戦ならば使い物になります。

しかし、ここでも戦闘参加に遅れます。
(後方に取り残され、ようやく発砲距離に到達。敵弾の被弾も多い)
こんなの待ってたら、高速の重巡洋艦の戦隊が壊滅してしまいます。

当時は、
第一戦隊(戦艦1~2隻)第十二戦隊(巡洋艦数隻)第一駆逐艦隊などで一個艦隊が形成されていました。

更に、第一、第二航空戦隊(航空母艦2)など、空母計4隻を追加したのが第二艦隊であったようです。

違う艦種は混ぜてはいけないなどの規則があり、
異様な分類方法とも考えています。(使えない戦隊)

鈍足な36センチ砲の旧式戦艦を待っていると、敵に針路を先にふさがれてしまいます。
40センチ砲戦艦ならある程度は運用可能です。
思うような速度での作戦遂行は難しくなるでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
確かに船足が違いますね、金剛型が活躍したのも速力の事があったからですよね。アメリカは空母を中心にした輪形陣を取っていましたが 速度の統一は図られていたのでしょうね。

お礼日時:2007/11/10 00:06

補足します。


山本五十六長官の考えは、ミッドウェー島を占領すれば、アメリカの主力艦隊に決戦を強要できるというもので、占領しても維持が不可能なミッドウェー自体に戦略的価値はありませんでした。
主力艦隊はアメリカとの決戦のためミッドウェーへ向かったもので、小島を制圧するには巨大すぎる前衛部隊も、占領後に決戦へ投入する目的だったでしょう。
奇襲を意図した点は、大規模な陽動(アリューシャン作戦)や厳重な無線封止にも現われています。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
なるほど 米機動部隊をおびき寄せるための占領だったわけですね。本で読みましたが真珠湾のときと違い 作戦の秘匿もルーズで 横須賀の飲み屋のオヤジも海軍の将兵に「今度はミッドウェイですね」なんて話していたと書いていました。機動部隊がいることが判明した時点で 山口多聞少将の進言どおり艦載機を緊急発進しておけば もう少し違った展開になったでしょうに。

お礼日時:2007/11/10 00:01

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Qミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい

ミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい。なぜあんなに強かった日本軍が負けてしまったのですか?理由を教えて下さい。ちなみに僕は戦史に関してはド素人ですので、その辺はご了承ください。

余談ですけど、先日新聞を読んでいたら「アベノミクス第三の矢はミッドウェー」とかいう記事が載っていて、要するに第一、第二の矢(経済政策)はうまくいったが問題は第三の矢で、これが日本の今後の経済趨勢を決するという内容でした。

それで僕は、緒戦の快進撃から一転、大敗北を喫したミッドウェー海戦の敗因とやらをどうしても知りたくなった次第です。

Aベストアンサー

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%BA%81%E9%98%B2%E8%A1%9B%E7%A0%94%E4%BF%AE%E6%89%80%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%AE%A4/dp/B000J9GX1M

この本によると次の6項目が大きな日本軍の敗因として取り上げられています。

(1)情報戦の大敗。日本海軍の暗号が解読され、米軍は日本軍の計画を察知していたのに、日本軍は敵情がよくわかっていなかった。

(2)心のゆるみ。開戦以来の戦果から心にゆるみが生じ、作戦の計画と実行に慎重さを欠いた。

(3)山本長官の出撃。山本長官が戦艦に座乗して出撃したので、その位置を秘匿するため、無線の使用が制限され、作戦指導に支障を生じた。

(4)航空戦様相の事前研究、訓練の不足。索敵、偵察、報告などの地道な訓練及び、空母の被害局限対策の研究が足りなかった。

(5)5日の航空決戦の指導の誤り。二度の兵装転換によって弱点を作った。

(6)戦艦主兵思想の転換の不十分。戦艦部隊が後方遠く離れて航空決戦に寄与できなかった。


○ちなみに当時、敵であったニミッツ太平洋艦隊司令長官は戦後に出した著書の中で、「勝利は主として情報による。・・・日本軍は奇襲を試みようとして日本軍自体が奇襲された」と述べています。また日本軍が空母戦力を分散してアリューシャン作戦を行った事を批判し、その戦力分散が無ければ米艦隊が敗北していた可能性があると述べています。

○なお、アメリカ海軍公刊戦史を編纂したサミュエル・エリオット・モリソン少将はミッドウェー海戦について、日本の空母が最も脆弱な状態の時に、米爆撃隊が偶然に日本の空母を発見し攻撃できたという、幸運に恵まれた事から「100秒足らずの時間に起こった事実の相違で、日本軍はミッドウェイに勝ち、太平洋戦争にも勝利をおさめたかもしれない」と日本軍にも勝利の可能性が十分あったことを述べています。

○英国の著名な戦史家リデルハートはその著書で日本の敗因について、十分な数の索敵機を出さなかったこと、戦闘機の援護不足、空母の防火対策が不十分、空母での兵装転換時に敵に向かって航行したこと等、他にも色々指摘していますが、最後は「・・・これらの過失は自信過剰から生じたと言っても過言ではない」と述べており、日本軍の「自信過剰」を問題視しています。

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9...続きを読む

Q旧日本軍はどうして潜水艦を強化しなかったのでしょうか?

第二次世界大戦もののDVDを観て思ったのですが、
潜水艦の役割は重要です。
攻撃にしろ、防御にしろ威力絶大と感じました。
とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。
日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、
海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか?
海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

一方、米軍の潜水艦は日本軍のそれよりはるかに劣ります。
酸素魚雷の開発もまだでした。

米軍は、
潜水艦を3隻一組とする狼狽戦法で弱い輸送船団を襲う事に専念します。
彼らは、日本軍の海防艦が、殆ど使い物にならない木造船である事を知っていました。

日本軍は
駆逐艦を重雷装する事により重巡洋艦と匹敵する戦力としようとします。
重巡洋艦は、重雷装させ、戦艦と互角で戦える事を目標としました。

その結果、被弾に対しては極めて脆く火災、誘爆が多かったのです。

米軍は、無理な雷装や、無理な作戦より、
より効果的な運用方法を目指しました。

追い詰められ、
潜水艦に戦艦が沈められるようになると、
日本海軍も、もう終わりだな。
こう言う空気が流れます。

潜水艦に対する防御、発見方法、攻撃方法などが確定していないと言う、根本的な問題でした。

>とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。

潜水艦は、常に最前線に投入され、後方は無視されました。

>日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、
海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか?
海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか?

上層部は、敵艦隊を攻撃する事しか頭にありませんでした。後方、補給よりも、最前線でした。
援護の無い、単独攻撃は、犠牲も大きかったようです。

日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

...続きを読む

Qなぜ日本の海上自衛隊の潜水艦が世界一の軍事技術なの

なぜ日本の海上自衛隊の潜水艦が世界一の軍事技術なのでしょう?

米国アメリカ海軍の原子力潜水艦より性能が上な理由を教えてください。

Aベストアンサー

>なぜ日本の海上自衛隊の潜水艦が世界一の軍事技術なのでしょう?

音が静かで深く潜水できるからです。

まず、日本の海上自衛隊のような通常動力型潜水艦と米海軍の原子力潜水艦とでは使われ方が全然違います。

原子力潜水艦は速度が速いが音がうるさい、だから敵に見つかる可能性が高い。
原子力潜水艦の使われ方は、敵を攻撃したら後はバンバン音を出して高速で逃げる戦法。

通常動力型潜水艦は速度は遅いが音は静か、だから敵に見つかる可能性は原子力潜水艦より低い。
通常動力型潜水艦の使われ方は、敵を攻撃したら見つからないようにひっそりと隠れる戦法。

どっちの戦法を使うかですよ。
敵に見つからないようにひっそりと隠れる戦法では日本の海上自衛隊の潜水艦の方が上なんです。

ただ見つかっちゃったらもう終わりですけどね。速度が遅いので逃げ切れない。

Q真珠湾攻撃で空母を大破していたら?

真珠湾攻撃の日に空母3隻は湾にはおらず打ち漏らした事は良く聞きますが、この3隻を大破していたら歴史は変わったのでしょうか? 3年8ヶ月の太平洋戦争が4年になったのでしょうか?? 大勢には影響しなかったと思いますが、実際はどうでしょうか? 歴史にたら、ればで論じても仕方のないことですが、こうなった事には変わりないくらいのコメントでも頂けると参考になります。

Aベストアンサー

>歴史は変わったのでしょうか?

その可能性はあります。
日本の勝算は上がったでしょう。

真珠湾攻撃の時、太平洋にはアメリカの大型空母3隻がいました。
エンタープライズはオアフ島西約200浬に位置し、レキシントンはミッドウェー島南東約420浬に位置し、サラトガは本土のサンディエゴで整備中でした。
これが全て真珠湾で大破し(大破の状況にもよりますが・・・複数の魚雷を受け大きな損傷負って修理に手間取り戦線復帰に半年もかかるとか、そこまでの損傷ではなく2~3カ月で復帰するとか、色々考えられますが)、それと空母に所属する飛行隊も壊滅したと仮定しますが・・・
まず、最初の日本軍の真珠湾攻撃において空母を大破させたなら、日本軍は史実では行われなかった第二撃を行う可能性もあるかと。第二次攻撃を行わなかった理由の一つが敵空母の所在不明です。それが真珠湾で大破し、ましてや史実での戦果予測ではハワイの敵航空部隊も壊滅に追い込んでいる状況です。特に日本側の水平爆撃隊は損失機0でもありました。第二次攻撃を行いさらなる戦果を得たかもしれません。
それはともかく、当然、米国としては空母を大西洋から回すと考えます。

当時、大西洋には就役したばかりで訓練中のホーネット(1942年2月より任務開始)、レンジャー、ワスプ、ヨークタウンの4隻の大型空母がいました。
ただし、レンジャーは防御に問題のある艦であり、史実でも太平洋での戦闘は無理だと判断され主に大西洋で輸送、護衛、訓練、上陸支援などの任務につきました。1942年10月の南太平洋海戦で米国は無傷の大型空母が0隻となる「アメリカ史上最悪の海軍記念日」と米国側が言うほどの最悪の状況だったにも関わらず、レンジャーが太平洋に投入される事はなかった事から、真珠湾で空母3隻が大破してもレンジャーだけは大西洋で任務につくかと考えます。
なお、ワスプは史実では1942年に太平洋艦隊に編入されるまでは、マルタ島への戦闘機輸送任務を数回従事するなどしており、日本との開戦後、すぐに太平洋に投入するとすれば、その分、マルタ島の航空戦力が低下し、地中海を通る北アフリカ戦線のドイツ軍への補給路への攻撃がその分、和らぎ、ドイツ軍に多少有利な状況になるかもしれません。

そんなわけで、おそらくワスプ、ホーネット、ヨークタウンが太平洋に回されると考えます。
そして、ミッドウェー海戦までは史実と同じような展開になるのではないかと考えます。
そして珊瑚海海戦でも史実と同じように米国空母1隻が撃沈され、1隻が中破となり、ミッドウェー海戦になるかと思いますが、ここで仮定の上に推測でしかありませんが、真珠湾で大破した空母が修理を完了し戦線復帰。
米国は無傷の空母1隻に復帰した3隻の計4隻の空母で日本艦隊を迎え撃ちますが、問題は空母の航空部隊です。
史実では、ミッドウェー海戦での米空母部隊は訓練が完了していないパイロットまで作戦に参加させるほど切迫した状況でした。
今回はハワイ攻撃時に3隻の空母の航空部隊は打撃を受けているので、なおさら酷い状況かと思います。空母は戦線復帰しても技量の未熟なパイロットを多数使う事になり、この点において、日本側は非常に有利になるかと思います。

ただし戦争に絶対はありませんから、日本が史実通りミッドウェーで敗北する可能性も充分あります。
その場合は、やはり史実通りの展開となり敗戦の道を辿っていくかもしれません。

しかし、ミッドウェー海戦で勝利した場合は戦局が大きく動くかもしれません。
まず、ミッドウェーで米国側がパイロットの低い技量が災いして敗北し、空母が全滅したとして、日本軍が次に狙うのはハワイです。
これは史実でもミッドウェー海戦前に、9月以降を目処にしてハワイ攻略戦の準備命令が陸軍では既に出されています。
ですが、その前にインド洋が焦点になります。
史実では6月に北アフリカ要衝のトブルク要塞を陥落させたドイツ軍が勢いに乗っており、ドイツとイタリアからインド洋での通商破壊強化と有力な艦隊派遣の要請が来ていました。
この状況に日本もインド洋で潜水艦隊や水上艦部隊を派遣する命令を出し準備していましたが、ガダルカナルの戦いが生じ、インド洋での作戦は極少数の部隊に任される事になりました。
しかし、ミッドウェーで勝利すれば米国はハワイの防備強化と航空部隊、艦隊再建に忙しく、ガダルカナルへの反攻は行わないでしょうから、日本は史実で予定されていた通りか、それ以上の戦力をインド洋に投入して通商破壊戦を行うかと思います。

インド洋は連合軍にとって、北アフリカ戦線、ソ連へのレンドリース(ソ連への軍事援助で全体の約3割がインド洋を通りました)、ビルマ戦線、中国戦線への補給路であるばかりか、インドからイギリスへ戦略物資を運ぶ海上交通路でもありました。
もし、この海上交通路が阻害されれば、各戦線は崩れるかもしれませんし、イギリスは戦争遂行に大きく響くでしょう。
特にイギリスは1942年にはドイツのUボートの通商破壊戦により、穀物などの輸入量が低下し消費量が輸入量を上回り備蓄で何とか凌いでいました。また貯蔵していた商船の燃料も3ヶ月分を切っている危険な状況でした。これにインド洋でさらに大きな被害を被ればイギリスは持ち堪える事ができないかもしれません。
元々日本には政府上層部の言う「通商破壊戦により英国の死命を制し米国の態度を変える」「英米連合軍の弱点は英国にあると考えられる。海上交通を断ち英国を餓死せしめて英国を屈服せしむること最も捷径なり」「英国の屈服に際し之と直ちに講和する事なく英国をして米国を誘導せしめる」という、まず英国を叩き、それにより米国との講和へ持ち込もうと言う戦略がありました。これが実際に成功するかどうかはともかく、英国の死命は海上交通路にあり、もしインド洋を日本が制すれば、前述した各戦線に致命的であり、英国にも大打撃だった事でしょう。

また、日本の潜水艦隊は開戦時に南方とハワイ方面に大きく二分され作戦しており、ミッドウェーで勝利した場合も当然、インド洋だけでなくハワイ~米本土、オーストラリア~米本土間で通商破壊戦に全力をあげる事になるかと思います。
史実では大戦初期は日本の潜水艦も遠く米本土沿岸で暴れ周りましたが、戦局の推移とともにそれもできなくなりました。しかし、ミッドウェーで勝利し米国の大型戦闘艦艇も多くを沈めたとなれば太平洋で通商破壊戦に力を入れる事も可能になるかと思います。
そうなれば、米軍も大西洋にばかり護衛艦を投入するわけにもいかず、その分、大西洋のUボートが楽になり戦果を拡大し英国を一層苦しめる事になるかもしれません。

そして、太平洋ではハワイ攻略戦となりますが、日本の潜水艦の通商破壊戦がうまくいけば、ハワイの防備も思うようには進まないかもしれません。
攻略自体は制海権、制空権をとれれば可能かと思います。あまり陸軍の大兵力を投入できないでしょうが制海権、制空権を握れば圧倒的有利になります。フィリピン攻略戦やマレー攻略戦、ジャワ攻略戦でも日本軍は連合軍より兵力が少ないにも関わらず勝利したのは、そうした要素において勝っていたからです。

ハワイの失陥は米国にとり大きな衝撃となるでしょう。
そもそも開戦前の米国の新聞には「日本は我々を攻撃する事はできない。軍事的にも不可能な事だ。ハワイの基地にしろ日本艦隊の有効攻撃圏の外にある」と載っていたくらいです。
おそらく、ここで活気付くのが米国内の黒人などの有色人種です。
開戦時、米国は一つに纏まっていたかのように言われますが、実はそうでもありません。
第一次世界大戦で黒人は待遇改善、地位向上を目指し、戦争に積極的に協力しましたが終わってみれば何も実りはなく失望だけが残りました。その経験から第二次世界大戦に米国が参戦した時も、有色人種の間では冷ややかに戦争を見ている部分がありました。
また、大戦を勝ち抜くため軍の増強と軍需産業での人員確保に黒人も組み込まれますが、黒人のこれまでの不満を和らげ、また人手不足を解消するために、これまで働けなかった職場や地位に黒人が就きました。
それに反発したのが白人労働者で職場放棄や暴動を起こしています。黒人側も歴史的に差別されている事から当然不満と反発がありました。1943年だけでも全米47都市で100以上もの人種暴動が発生しています。これにより、軍需産業の生産にも影響が出ています。デトロイトの暴動では黒人が軍の武器庫に突入しようとしました。軍内部でも黒人対白人の暴動が発生しています。
暴動で逮捕された黒人指導者の中には「黒人は米国内の日本軍だ」「東条首相に日本の勝利を祈る」と言い放った人もいました。
日本の勝利がこうした米国内の不満分子である有色人種を刺激し、より一層、反政府運動を大きくするかもしれません。
もしそれが広がれば米国内は酷い紛争状態となり兵器や物資の生産は遅れ、生活用品の流通にも影響を及ぼし、市民の不満を更に募らせるかもしれません。ただでさえ戦争で食肉やバター、ガソリンや暖房用燃料等色々な物が配給で不足気味なのです。それが更に悪化したら・・・
そうなれば、米国は日本と戦うより先に国内問題を解決しなければならず、日本に有利な状況で講和という事になるかもしれません。

史実では、前述した1942年10月の「アメリカ史上最悪の海軍記念日」の後に、米国では上下両院議員選挙が行われましたがルーズベルトの民主党は51議席も減らしました。ミッドウェーで負け、ハワイも攻略されたら民主党はもっと大敗し、ルーズベルト政権ももたないかもしれません。

>歴史は変わったのでしょうか?

その可能性はあります。
日本の勝算は上がったでしょう。

真珠湾攻撃の時、太平洋にはアメリカの大型空母3隻がいました。
エンタープライズはオアフ島西約200浬に位置し、レキシントンはミッドウェー島南東約420浬に位置し、サラトガは本土のサンディエゴで整備中でした。
これが全て真珠湾で大破し(大破の状況にもよりますが・・・複数の魚雷を受け大きな損傷負って修理に手間取り戦線復帰に半年もかかるとか、そこまでの損傷ではなく2~3カ月で復帰するとか、色々考えられます...続きを読む


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