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こんにちは。宜しくお願い致します。

よく「謙虚になりなさい」「寛大になりなさい」等と言いますが、
確かに、物事の道理を考えたら、そのような話になると思います。

私自身も謙虚で寛大な人間になりたいと思っています。

しかし、謙虚で寛大な振る舞いは、一部の方々を図に乗らせてしまうように思います。
(謙虚や寛大がトラブルを招いてしまう)

また、謙虚で寛大な精神は、激しい怒りや不快等に結びつきやすいような気もします。
(「優しい人が怒ると怖い」という話にも通ずると思います)

私の場合は、侮蔑に耐え切れず怒りを爆発させてしまう→相手が逃げてしまう(言い逃れ含む)
というのが、お決まりのパターンです。
なんとか怒りを爆発させずに済んだケースであっても、その怒りは数年経っても消えません。

こんな私が謙虚で寛大な人間になるには、どうすれば良いでしょうか?

宜しくお願い致します。

A 回答 (25件中11~20件)

#1です、お礼ありがとうございます。


しばらくの間に沢山回答がついたのですね。全部読もうと思ったのですが、なかなか考えさせられる内容が多かったので、全てを読んで解釈するのは割愛して、doronpappaさんから再度頂いたご質問に回答をします。

 >>でも寛大な方だったら、相手を認めた上でお付き合いできたり、
 >>気持ちを理解しつつその点を上手に注意できたりできると思います。

 >私を不愉快にするのは、認めたり、気持ちを理解することで図に乗って
 >しまうような人間なのですが、そのような人間を図に乗らせずに、
 >認めたり、気持ちを理解するには、どのようにすれば良いでしょう。

そのような方はまだお若かったり、お年を召されていても経験や思慮が浅い方かもしれませんね。認めると却って調子に乗って周囲に迷惑をかけてしまう人もいらっしゃいます。でも自分を良くしたいと思う人ですら、自分を良い方向に改善しようとしてもなかなか変えられないのに、自分で自分を意識していない人に注意をしても変わる確率は0%に近いし、注意をするのは恐れ多いことかもしれません。

なぜなら、自分の常識にある「何が正しい/間違い」かは人それぞれでその方の所属する社会(家族・職場・友人等)ではそれが常識なのかもしれません。それを相手周辺の文化として理解すれば、自分に迷惑がかからない程度に距離を保ちつつお付き合いができます。価値観が違う者同士、価値観のぶつけ合いをしても不毛です。自分から見たら酷いと思うような人でも、その人を必要としている人もいるでしょう。

また、必要悪という解釈もあります。善と悪のように、悪があるから善が存在します。比較対象である悪がなければ善が当たり前になってしまい、その価値があまり感じられないと思います。それと同じように、世の中の良い部分をより一層感じるために存在していると思えば、善に対しても貢献している人なんだと理解してあげることもできます。

ただ、相手と敵対したりお互いに不愉快になる必要は全くありませんし、むしろ何の生産性もありませんので、こういった理解の上で、適度な距離(これを見つけるのが難しいのですが)を持ってお付き合いをすれば、自分にも余裕が生まれてカリカリしないで済むと思います。

持論を展開しましたが、ご参考になればと思います。。。
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この回答へのお礼

二度目のご回答ありがとうございます。

おっしゃるとおり、たくさんの回答を頂いております。
ありがたい話です。


私を不快にさせる人間の場合は、価値観の相違というよりも、
防衛的、あるいは妄想的、あるいは病的に、自分を上位(または正義、正当など)と位置づけるような人間、
自分の都合に合わせて事実を否認、歪曲してしまうような人間等が多いと思いますが、

>適度な距離(これを見つけるのが難しいのですが)

というのは重要なポイントだと思います。

謙虚で寛大な精神を無視すれば、適度な距離を見つけるのも、そう難しい話ではありませんが、
謙虚で寛大な精神を心がけると、適度な距離を見つけるのが難しくなります。
(もちろん、謙虚や寛大だけでなく、それらに付随する要素も関係していると思います)

ご回答の内容から、回答者様は、現実的かつ的確な知見を持っていると感じました。
もし宜しければ、『適度な距離』を見つける上で、参考になるご助言を頂けないでしょうか。

宜しくお願い致します。

お礼日時:2008/10/06 18:39

補足なんですが 


 論型的対処法と因果関係的対処法の両面からアプローチしてみるという風に以下に書いたんですが、嫌な奴も同じく論型因果関係型の両面を使ってくるわけでその対処法はどちらの対処法を使うのかというのはある種やはりフィーリングで決めて欲しいです。
 つまり我々は必ずこの両面を持っているわけで、その原型がある種の迎合的パズルの形で嫌な奴になるように導かれたのであって、その根底下には論型因果関係型の両面を必ず持っているものでそれがどのように嫌な奴にさせてしまったのかというのをフィーリングでみきわめて欲しいと思います。
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この回答へのお礼

何度も回答して頂いて、ありがとうございます。

こんなに熱心に教えて頂いて、何とお礼を言えば良いのか……


さて、おっしゃるようなことも含めて、色々なケースがあるとは思います。
ひとつひとつ挙げていてはキリが無いほど。

回答者様は物凄く考えていらっしゃるようですし、その回答も大変参考になるのですが、
話を広げすぎると焦点がボヤけてしまう為、少し話を絞らせてください。


私の場合、単に「そのような被害から心身を守る」と言うことであれば、そのようにできます。
現に以前はそのようにしていました。ボロボロに返り討ちにしたことも多々あります。
(むしろ、そのような争いごとには強い方だと思います)

今回の質問の主旨は、単に「そのような被害から心身を守る」ということではなく、
「謙虚で寛大な精神でありながら、そのような被害から心身を守る。
(それが謙虚で寛大な精神の維持に繋がる)」ということですので、
その辺りに絞った回答を頂けたら幸いに思います。

宜しくお願い致します。


それともう一つ、『ナスティー』という言葉について教えてください。
当初は単に『不快』という意味として捉えていたのですが、
やり取りを進めるうちに、もっと深い意味があるような気がしてきました。
『ナスティー』とは学術的な専門用語なのでしょうか?
そうであれば、その用語について、少し解説して頂けたら幸いに思います。
宜しくお願い致します。

お礼日時:2008/10/06 03:53

あの>どちらにしろ因果関係型は逆に


    ・(破壊型)貶めてやられた側の人間がどんな気持ちになるのかを思い知らせる
    ・(論型)旗から見てまともに判断し、なぜ因果関係的に他者を陥れるのかを理解しその裏手をかき陥れ同じくやられた側の人間がどんな気持ちになるのかを思い知らせる。
    ・(普通の人間のようなそぶりをしている論型,破壊型)周囲にそいつの正体をばらすように演じる

 これなんですがこのやり方勧めるのやめようかと思ったんですが、実はこのやりかたは多少危険で自分がナスティーに摩り替わる危険性があるんです、なのでもしこのやりかたを実行しなければ無理だと感じた場合、良心や道徳心を汚さないレベルで実行することよろしいですね。

 例えば、多少大声で内容を話すとかとか、理論的にロジックに嵌めるとか、そのレベルにしていただきたいいです、つまり前回論型と因果関係がたと書きましたが、この共通するのはどちらも相互が苦手だというわけです、なのでその現象を引き起こせば相手が不安になって、ナスティーピープルをやめるようになる可能性を目的としていますので、決して悪用しないということを誓ってもらいたいです。また因果関係型に論型と書きましたがロジックで人を貶める論型と混同するし的確な表現ではないような気がしていますのでもう一度説明しますと
 どちらかというと理論的に語るのではなく相手を罠に貶めるために罠を仕掛けるように論ずるというのが正確なのでややこしいので【罠型】と改名します。
 よろしくお願いします。
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補足いただいてありあがとうございます。



>私の場合、知人とのトラブルよりも、偶然出会った他者とのトラブルの方が多いです。
また、私の言動が正当なものであり、それが多くの人間にとっては不快な言動でなくても、
それを不快な言動と感じる(移行する)人は居ると思います。(相手側の問題)
私の言動によると思われる相手の『移行』を感じたことはあります。
しかし前述のように、そのようなケースでは、必ずしも私の行為に問題があるとは言えず、
相手の逆ギレに過ぎないケースが殆どだと思います。
普通であれば相手が謝罪してくるような状況にも関わらず、逆ギレするようなケースです。
(相手が、そのような行動をとる原因にも、『図に乗る』という要素は含まれていると思われます)>

 なるほどよくわかりました、この場合ようは相手にも相手の事情があって起こった現象でそれを対峙する自我を本人が持ち合わせておらず、逆切れしたということだと思います、わかりやすく言うと「俺にも事情があるんだ一方的に攻められる筋合いはない!」という心の奥底があるのだろうと考えます。ただあなたからしてみたら正当な範疇で物事を語っているわけだから、逆切れされる筋合いはないわけでじゃあもっと寛容になれば相手は逆切れしてこなくなるんじゃないかと思って質問をしたということでしょうか?そうだとして答えますと
 その手のタイプはやはりナスティー前段階だと考えます、なぜなら散々書きましたがナスティーはなにか追い詰められたり自分が無力だと感じたり相手からやり込められることが嫌であり、一時でも敗者拒絶反応を見せるようなプチナスティー見たいになってしまうわけです、なのであなたの姿勢に耐え切れず怒りを爆発させてしまうわけです。もちろん正当な範疇のあなたには腸煮えくり返るような話ですが、実はその前に相手の方が追い詰められているわけです、そこで冷静になるのが本物の人間という話になると思いますが最近増えたのか知る由もないのですが本能の方を優先してしまう人が出てきたという話だと思います。
 それを乗馬にたとえると、馬がいきなり暴れて騎士が制御不能状態になったと思っていただければいいと思います、つまり相手は自分の馬をコントロールするだけの技量がないと考えていただければよいと思います、またあなたみたいな経験をした人が些細な事でキレだすという悪循環にはまるという訳です、なので質問をして解決に導くことを選ぶというのはよい選択だと思います。
話がそれましたがキレル場合

 ・その手のキレるタイプはもし余裕があればレベルを下げてやること、つまり加重を減らすということです、あいては追い詰められているんですからそれで解決する場合もあると思います。
 ・余裕がなければ、つまり会社の取引とかなどでどうしても譲れないなど自分の限界面を超えた場合、この場合はまず事実を把握し相手の感情をなだめるように対処し、寛容な心で接するということを心がけること、寛容な心で接し取引を成立させるという感じでやればよい筈。また自分の言い方にも問題があったんじゃないか?と考えること、そうすることにより相互間のトラブルはなんとか解消すると思います。


>私の場合は、相手の『移行』を感じないケースも非常に多いです。
つまり、そのような人間とは、私と何らかの接触を持つ前から異常な言動を取っているような人間です。>

 これだけではちょっとわかりませんのでこの手のタイプの表情や言動などの特徴をもう少し教えてください。
例えば、ニタついているとか、悪戯たっぷりな表情をしている、など


>私との接触は関係なく、やたら攻撃的だったり誇大妄想を抱いているような感じだったり
投影等原始的防衛が優勢に働いているような感じだったり……
そのような異様な雰囲気を漂わせている人間です。>

 これはまさしく、ナスティーです、ナスティーと言っても人間ですから年がら年中ナスティーであるわけではありませんある瞬間からナスティーの型にはまってしまうわけです、この手のタイプはナスティーである場合が多いです。

対処法はフィーリングです。

 大体その感じがにじみ出ている筈です、この手のタイプはもはやナスティーの原型が出来上がっていますのであるとき突然ナスティー化するわけです、もしなんの利害関係もないのなら大いに捨ててください、もしあなたがそのナスティーの下らないゲームに参加したいと思うならご自由にとしか言いようがありませんがこのナスティーの目的はあなたを破壊することですから弾があったってしまえばよい訳でいくら旨く扱えるようになったとしても注意が必要です、なので見切ってしまうことをお勧めします。

 利害関係があった場合。
 この場合、利害のみの取引を重要視しそれ以外は旨く扱えばよいわけです、例えば利害関係が終わったらなにかしら勝手に用事を作ってハイさよならという感じにするとかまあ、広い心で扱えばよいわけです、もちろん相手を激怒させないようにです。そうすれば相手も情に目覚めてナスティーをやめる可能性も出てきます。
 やはりここで重要なのは
  ・相手に突っかかる
  ・否定的言語を発する
  ・相手の攻撃を鵜呑みにする
をしないこと。
 相手はもはや心理的に参っていて悪魔に変貌しているわけですから心理的に参っているのにそれに追い討ちをかければさらに悪魔に変貌するにちがいありません、わざわざ悪魔を作って自らを死に追いやらなくてもいいでしょう。
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#9です。



>お手数をおかけしてすみません。
:とんでもありません。
いい加減なところでわかったような返事をされるより、よほど嬉しく感じます。

>会話(少なくとも純粋な論理によるコミュニケーション)が成立しない(または、しそうもない)人間を想定しています。
:なるほど。
わかりました。
具体例がないとなんとも言えませんが、
本当に『明らかに論理の通じない人』がいるとすれば憐れんであげるしかないでしょう。
論理になっていない論理は、遅かれ早かれ破綻するに決まっているのですから。

ただ、絶対的に正しい普遍的論理というものは案外少なくて、大概は、個人的、あるいは社会的都合によって左右されているものであり、ちょっと立場が逆転したりすると全く逆の論理がまかりとおるのが世の常です。
(先に述べたように具体的事例がないのではっきりとはわかりませんが)ご自分の論理が絶対と確信(盲信)して、そのあたりに関する自覚が薄いと無用の煩悶に陥る危険性もあると思われます。

>それがなぜ『臆病』等と言った話になるのか、
今回頂いた補足では、残念ながら理解することができませんでした。
:わかりました。
文の脈絡として例の上げ方が悪かったかもしれません。

まず、
「臆病」に該当するのは、
「裏切りなどにあっても自分のほうが悪いと思うこと。」
のほうです。
この場合、裏切りに対しては忌避するか対決するかが正道でしょう。
しかし、わざわざ自身を悪者に仕立ててまでそれを避けようとするのは、裏切りを指摘することによって推測される相手からの反撃が怖いからとしか考えられません。
このような心理を臆病と評してみたわけです。

「裕福であるのに生活が大変だと嘆いてみせたりすること。」
のほうは、臆病と評するのは不適当でしょう。
これは説明不要と思いますが、前回の回答中で述べたうちの「自己欺瞞」「マゾ゛ヒスト」などに該当するとお考えいただくと良いと思います。
(#5においてはこのあたりを「猫かぶり」とひとくくりに表現しました)

>『図に乗る』= 調子に乗ってつけあがること、
(『つけあがる』= 相手の寛大さにつけこんで増長すること――ともに大辞林)
という定義を前提に、私は「図に乗る」という言葉を用いさせて頂きました。
:おっしゃることはよくわかります。
ただ、私の言いたいことは、図に乗らせるような寛大さは本物の寛大さと言えるだろうか、ということです。
そこに自己欺瞞的な隙があるためにつけこまれる(=増長させる)ことも多いのではないか、と思うわけです。

そんな寛大さは無意味である、ということと共に、それは実は寛大さなどではなく(自らの「優位性=余裕」を誇示するという意味で)単に相手に対する侮蔑であったりする場合も多いのではないか、ということを述べてきたつもりです。

対面での会話と違って(対面であっても難しいものですが)、ネット上で相手の考え方を理解するのはお互いに難しいものだと感じます。
不明点があればさらに提示していただくと助かります。
 

この回答への補足

ありがとうございます。

お世話になっております。
(こんなにお世話になって良いのだろうか……)


>本当に『明らかに論理の通じない人』がいるとすれば憐れんであげるしかないでしょう。

理性では理解できるのですが、理性の理解に感情が付いて行けず(感情を抑制できず)困っています。


>大概は、個人的、あるいは社会的都合によって左右されているものであり、ちょっと立場が逆転したりすると全く逆の論理がまかりとおるのが世の常です。

この質問で想定しているのは、そのようなレベルの問題ではなく、事実を否認・歪曲してしまうような人間、
妄想の世界に生きているような人間が引き起こす問題を想定しています。


>「臆病」に該当するのは、
>「裏切りなどにあっても自分のほうが悪いと思うこと。」
>のほうです。
>この場合、裏切りに対しては忌避するか対決するかが正道でしょう。
>しかし、わざわざ自身を悪者に仕立ててまでそれを避けようとするのは、裏切りを指摘することに>よって推測される相手からの反撃が怖いからとしか考えられません。
>このような心理を臆病と評してみたわけです。

つまり、「裏切りなどにあっても自分のほうが悪いと思う」=『臆病』というわけではなく、
「裏切りなどにあっても自分のほうが悪いと思う」人間のうち、
その判断が、相手の反撃に対する恐怖に由来する場合のみ『臆病』と言うことですね。
それなら理解できます。おっしゃるとおりだと思います。
そのような人間が居るのは事実だと思いますし、そのような人間は『臆病』に該当するとも思います。
そのような『臆病』は、恐怖を感じない『過信』や『平和ボケ』等とは違い、
ある意味「健全な精神」と言えるのかも知れませんが、
個人的には『臆病』になりたいとは思いません。


>「裕福であるのに生活が大変だと嘆いてみせたりすること。」
>のほうは、臆病と評するのは不適当でしょう。
>これは説明不要と思いますが、前回の回答中で述べたうちの「自己欺瞞」「マゾ゛ヒスト」などに該当するとお考えいただくと良いと思います。
>(#5においてはこのあたりを「猫かぶり」とひとくくりに表現しました)

おっしゃるようなケースもあるのかもしれません。
しかし「裕福であるのに生活が大変だと嘆いてみせたりする」人間のうち、
「自己欺瞞」「マゾ゛ヒスト」「猫かぶり」に該当する人間が、
どのくらい居るのかな? そんなに多いのかな? とは思います。
(これは前述の『臆病』のケースも同様です。
つまり「裏切りなどにあっても自分のほうが悪いと思う」人間のうち、
『臆病』に該当する人間が、どのくらい居るのかな? そんなに多いのかな? と思います)


>私の言いたいことは、図に乗らせるような寛大さは本物の寛大さと言えるだろうか、ということです。
>そこに自己欺瞞的な隙があるためにつけこまれる(=増長させる)ことも多いのではないか、と思うわけです。
>そんな寛大さは無意味である、ということと共に、それは実は寛大さなどではなく(自らの「優位性=余裕」を誇示するという意味で)単に相手に対する侮蔑であったりする場合も多いのではないか、ということを述べてきたつもりです。


まず、『本物の寛大』『意味のある寛大さ』として、どのようなものを考えていらっしゃるのか、
そして、その根拠は何なのかを伺いたいです。
また、自己欺瞞的な隙とは、具体的にどのようなものなのか、そして、その根拠は何なのか、
その辺りについても、教えて頂きたいです。


宜しくお願い致します。

補足日時:2008/10/06 03:48
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>ものすごく考えていらっしゃるんですね。


参考にさせて頂きます。>

ありがとうございます。

>私を不快にさせるのは、TENNTENNSEVENOKさんがおっしゃるようなタイプの人間に該当するかもしれません。
少なくとも一致する部分はあると思います。>

 これが凄い気になったのですが、ひょっとしてあなたが出会ったのはナスティーピープルなのではないかと考えます。
 例えば何かしら、あなたの成功を妬んでいるとか、正当行為の範疇での内容に妬んでいるとか、会話のなかにそのニアンスが含まれているとか、そのようなことがあって相手があの手この手を使ってグループの中であなたを弱めようと画策しているしているタイプではありませんか?
 まあ学校で言うといじめという話になりますがだからあなたは
>侮蔑に耐え切れず怒りを爆発させてしまう>
のであって、また自分の方にもある種ナスティーな部分があり、どちらかというと不正等だと感じないような兵士的な気持ちで相手にナスティーを仕掛けてしまい。
>→相手が逃げてしまう(言い逃れ含む)>
が起きているのではないかと思うのですがどうでしょうか?

まずあなたの立場と状況と出来ればその経緯と会話の内容をお聞かせ願えませんか?

 この質問のニアンスからすると多分僕の判断はそんなに間違えているとも思えないのですが、もしそうだとしてとりあえず答えておきますが、もしそうなら何かしら相手がそのような心理状態へ移行する理由がある筈、それをある種客観的に見てもらいたいのです、ですがなかにどうしても理由がわかりにくい場合もあります、その場合以下のパターンを考えてみてください。
 ・元の性格に多少癖や障害とも思えるようなものがある
 ・全能感が剥き出しになっている(なにか高慢な態度を取っているとか,やたらにやつくなど)
 ・過去に嫌がらせを受けている。
 まあ過去の場合発揮しいって見えないのでどう確かめていいのかというのがあると思いますが、例えばある発言をしていきなり嫌な奴に変貌するとか、そのような現象があれば間違いないと思っていいです。 
 つまりその人たちはあなたが憤慨して心理的に崩れていくのを望んでいるのであり、あなたの何かに引っかかりトリガーとなり嫌な奴に変貌するのです、それが周りの人も巻き込んで集団で追いめる行為などをしている場合、あなたの心理を崩すための画策がある筈です。

もし上記が考えられない場合
 ・脳の化学物質が崩れている可能性があります。
つまり食事などで脳の化学物質のバランスが崩れている。

というわけです、どれにしろ何かしら相手側の精神が破壊されている訳です、なのであなたの精神を破壊しようと邁進している可能性があります。それがその場の一時的なものであっても一時の破壊性に嫌な奴に変貌してしまうということは日常的にありえる話なのです。
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

何度もすみません。


>グループの中であなたを弱めようと画策しているしているタイプではありませんか?

そのようなケースもあるかもしれませんが、
私の場合、知人とのトラブルよりも、偶然出会った他者とのトラブルの方が多いです。


>自分の方にもある種ナスティーな部分があり、 どちらかというと不正等だと感じないような兵士的な気持ちで相手にナスティーを仕掛けてしまい。
>→相手が逃げてしまう(言い逃れ含む)>
が起きているのではないかと思うのですがどうでしょうか?

そのような行為を意識的に行っているつもりはありませんが、
無意識に行っている可能性は否定できません。(無意識ですから分かりません)
また、私の言動が正当なものであり、それが多くの人間にとっては不快な言動でなくても、
それを不快な言動と感じる(移行する)人は居ると思います。(相手側の問題)


>まずあなたの立場と状況と出来ればその経緯と会話の内容をお聞かせ願えませんか?

私の言動によると思われる相手の『移行』を感じたことはあります。
しかし前述のように、そのようなケースでは、必ずしも私の行為に問題があるとは言えず、
相手の逆ギレに過ぎないケースが殆どだと思います。
普通であれば相手が謝罪してくるような状況にも関わらず、逆ギレするようなケースです。
(相手が、そのような行動をとる原因にも、『図に乗る』という要素は含まれていると思われます)

私の場合は、相手の『移行』を感じないケースも非常に多いです。
つまり、そのような人間とは、私と何らかの接触を持つ前から異常な言動を取っているような人間です。
そのような人間は、私との接触は関係なく、やたら攻撃的だったり、誇大妄想を抱いているような感じだったり、
投影等原始的防衛が優勢に働いているような感じだったり……
そのような異様な雰囲気を漂わせている人間です。
(恐らくはパーソナリティ障害等心の病や、それに近い状態の方ではないかと思われます)


以上、宜しくお願い致します。

お礼日時:2008/10/05 17:28

#5です。



(1)
>「過剰につつましかったり」→たとえば、自分の気持ちをはっきり伝えたほうが状況が良くなるにも拘わらず、黙っているようなことです。

>「不必要に自己卑下したりすること」→たとえば、裕福であるのに生活が大変だと嘆いてみせたりすること。
あるいは、裏切りなどにあっても自分のほうが悪いと思うこと。

(2)
こういったことを謙虚と考えてしまう傾向もなきにしもあらずですが、
自分では謙虚だと思い込んでいても、実際はそうではないということです。
謙虚というものに対する誤解があるということになるでしょうか。
「猫かぶり」「臆病」「自己欺瞞」「自己満足」「マゾヒスト」「責任放棄」などなど、場面によって評価は色々でしょう。
根拠というよりは、謙虚という言葉に対する解釈の問題です。

>今回の質問は図に乗るケースを念頭においています。
:とのことですね。
私の表現が至らなかったと思います。
「偽物の謙虚さを見破ってしまう」からこそ「図に乗ってしまう」のではないでしょうか。

無理に謙虚になろうとすると自己卑下になってしまう場合も多いだろう。
結果として嘘をついているのと同じこと(=偽物の謙虚さ)ですから、そこを見透かされて図に乗られてしまうのではないか。
ということを述べたつもりです。


それでは、なんでも怒って自己主張だけしていればいいのか、というとそういう意味でもありません。
相手がどんなつもりでそのような(自分を怒らせるような)ことをしたり言ったりするのか。
その原因を考えてみることも大事だろうと思います。
その上で自分が謙虚に受け止めるべきだと思えばそうすればよいでしょうし、どうしても納得がいかなければ徹底的に対峙すべきでしょう。

その過程を曖昧にしたまま、ただ謙虚さだけを求めようとするのは却って逆効果(=関係性を悪化させること)になるのではないか、というのが回答の骨子です。
不明点を質問していただき大変嬉しく思います。
さらにございましたら、何度でもご遠慮なく是非お聞かせください。
私も色々考える機会を与えていただき感謝しております。
 
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この回答へのお礼

補足ありがとうございました。

お手数をおかけしてすみません。

どうも話が噛み合っていないようなので、私も補足させてください。


>「過剰につつましかったり」→たとえば、自分の気持ちをはっきり伝えたほうが状況が良くなるにも拘わらず、黙っているようなことです。

もちろん、自分の気持ちを伝えることで状況が良くなるような相手であれば、
そのようにすれば済む話ですし、私も悩む必要は無いのですが、
今回の質問では、そのようなまともな相手を想定しておりません。
会話(少なくとも純粋な論理によるコミュニケーション)が成立しない(または、しそうもない)人間を想定しています。
(つまり「徹底的に対峙すべきでしょう」等といったお話も、
的を射ない状況を想定しているわけです。説明不足で申し訳ありません)


>「不必要に自己卑下したりすること」→たとえば、裕福であるのに生活が大変だと嘆いてみせたりすること。
あるいは、裏切りなどにあっても自分のほうが悪いと思うこと。

それがなぜ『臆病』等と言った話になるのか、
今回頂いた補足では、残念ながら理解することができませんでした。


>根拠というよりは、謙虚という言葉に対する解釈の問題です。

そのような解釈を導き出す背景や論理に興味があります。


>「偽物の謙虚さを見破ってしまう」からこそ「図に乗ってしまう」

『図に乗る』= 調子に乗ってつけあがること、
(『つけあがる』= 相手の寛大さにつけこんで増長すること――ともに大辞林)
という定義を前提に、私は「図に乗る」という言葉を用いさせて頂きました。


以上をもちまして、お礼と補足とさせて頂きます。

宜しくお願い致します。

お礼日時:2008/10/05 17:27

私にも質問者の方と、性格的に似た傾向があるのでよくわかります。


まずは、自分を知ることから始めてみてください。

世のことはすべて、段階を経ずして変わることはない。
そして、自己を律することが、人生で最大の課題の一つであることを認識すれば、道は開かれると思います。

つまり、自分を変えるには時間がかかるということです。
あきらめずに、地道に取り組んでみてください。

自分を知る手がかりとして、エニアグラムを紹介します。
かなり奥深い内容ですが、なぜ自分がこんな人間なのか、学んでいけば次第に見えてくることでしょう。

参考:
『千年堂エニアグラム性格鑑定室』
 http://homepage3.nifty.com/tak-morita/sennnenndou/
『究極のエニアグラム』
 http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/
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この回答へのお礼

心強いアドバイスありがとうございます。

参考にさせて頂きます。


>自分を変えるには時間がかかる

身をもって痛感しております。

お礼日時:2008/10/04 16:47

 正直ほぼNO1~NO5さんが書かれているのでなんともいえませんが


ナスティピープルの場合NO1~NO5さんの対応で毎回うまくいくとは限らないのでその辺の対応を説明したいと思います、ある種応用編といったところで聞いていただきたいです。
 ひょっとしてであったかもしれませんが、世の中にはとてつもない悪魔のようないやな奴というのが必ずいるもので、その手のタイプが居た場合という設定で説明させていただきます。
 この手のタイプの場合感情をストレートに吐くという行為のみで何とかいくという場合が毎回訪れるとも限りません、どちらかというとその手のタイプはその感情を逆手に取ります、逆手に取られたと感じて「なにくそやられてたまるか」と裏の裏をとりに行こうと思ってもまた逆手を取られるような何をしようが人の精神破壊しまうような悪魔がいたりします。
 この手のタイプは逆にストレートに感情を吐けば吐くほど精神を破壊してきます、この手のタイプの最大の目的は誰かの感情を破壊することですので感情を出せば出すほど破壊してきます、ものすごいナスティーピープルの場合相手の精神構造そのものを破壊しようと企むに違いありません、
 この手のタイプの歴史上もっとも酷いのはナチスヒットラーだろうと思われます、自分の手を汚さずに自分の意のままに独裁政治を遂行したのです
 この手のタイプの対処法として以下をあげておきます。
・その場を離れる、学校や職場ならめぼしをつけやめることをおすすめします。

・かといってやめるわけにもいかない場合はあるわけでその場合
 ・やってはいけないこと
  ・相手に突っかかる
  ・否定的言語を発する
  ・相手の攻撃を鵜呑みにする
 ・この手のタイプが自ら悪魔から脱却しようという動機を持つことはあまり期待できないと推測します、なぜなら自分は勝者であればよいのだから変わる必要がないわけです、この手のタイプに対処するのはある種テクニックがいるわけです、そのテクニックを実行する前に必要な前置きが
  ・いやな奴が抱えている問題を客観的に察知する
  ・自分の限界を決めておくこと
  ・言葉の内容を無関係だと考える
この3つです、最後の言葉の内容が無関係というのは言葉はあくまで便宜上のもので発揮し言って言葉はその人の格好のツールの位置関係だろうと推測しますので、関連性として持ち出すことはありますが言葉の内容は無意味です。
 ・大きく分けていやな奴は以下の2パターンです
  ・論型
  ・因果関係型
 この2パターンです、これ以外存在しないと思ってもいいと思います。
論型の場合大抵ロジック的に相手を追い詰めることを快感としているでしょう、いやな奴の論型は普通の論型とは違って自分が勝者であればよいわけで、そのためならありとあらゆるロジックを使って相手を貶めてくるだろうと推測します、この手のタイプに対して論ずるのはよくないでしょう、逆にそれを覆してやろう躍起になりますので逆効果だろうと考えます、なのでこの手のタイプの対処法は
  ・相手の認められるところを認める
  ・感情を表す言葉をつかう。
  ・相手をうまく判断する
  ・粘り強く対処する
  ・個人として接する
  ・やわらかい雰囲気で接する
といったところだと思います、この手のタイプは逆に感傷的になって剥きになるという行為は逆効果になると見ていい。

 次、一番厄介なのが因果関係型である、この手のタイプは最悪である、この手のタイプは因果関係のみがすべてで、それ以外はないと見るタイプだ、つまり愛だろうが幸福だろうが美しさだろうがすべての感情は無に等しいものだと思い込んでおりすべては因果関係のみなのだ、多分この手のタイプは完璧に相手を貶めてくるだろうと感じる、この手のタイプも2パターン分かれて
    ・論型
    ・破壊型
 である、論型は以前の論型とはちがい、どちらかというと論ずる内容は相手の感情を逆手に取るタイプだと見ていい、相手はなぜそのように論ずるのかと言えば以前の論型と違い相手を論破することが目的ではなく相手の感情を引き出すために論ずるのだ、そしてストレートに感情を吐きだした暁にはその感情を破壊するのである、なので受ける感覚は以前の論型に比べはるかに屈辱的である
 ではなぜそのようなことをしてくるのかと言えば以前の論型からロジックに嵌められた経験があるのだろうと考えられる、なので他人の言葉が信じられず、他人の言葉よりも行動に対して注意を払うのである、そして相手の感情を引き出し破壊へ導くのである、もしくはこの論型か破壊型から欺かれ貶され陥れられた経緯があると見ていい、つまり感染の場合である、これは同じことを他者にすれば治ると思い込むところから始まる、これはあなた様も仰っていらしゃいますがどうしても耐え切れず人をコントロールして攻撃するというパターンです。破壊型から制裁された場合は自分が人を圧力できないが故に論型に摩り替わる場合である。この手のタイプは他者を不安がらせたり、一般化した判断で相手を貶すという行為などをしてくる、もしくは相手の感情を板ばさみにするような言動をする場合もあるだろう。
 次、破壊型この手のタイプの経緯もまったく論型と同じである、特徴としては話をいきなり遮断してくる、他人を罵倒する、自己中心的で独善的な態度で圧力を掛けてくる、自己感情を他者に投影しその他者に圧力をかける、などなど。
どちらにしろ因果関係型は逆に
    ・(破壊型)貶めてやられた側の人間がどんな気持ちになるのかを思い知らせる
    ・(論型)旗から見てまともに判断し、なぜ因果関係的に他者を陥れるのかを理解しその裏手をかき陥れ同じくやられた側の人間がどんな気持ちになるのかを思い知らせる。
    ・(普通の人間のようなそぶりをしている論型,破壊型)周囲にそいつの正体をばらすように演じる
    ・(論型)ジッと睨みつける
    ・(論型,破壊型(△))会話などでその現象が発祥したら眉を吊り上げる「ん~っ?」って感じでw
    
もしこれがだめなら

    ・(論型)いきなり相手の会話打ち切る
    ・(論型)相手がしゃべっている居る時にいきないりその場を立ち去る
    ・(論型(上記2つを実行した後),破壊型)いきなりその人との人間関係を終わりにする

これを実行してみてください多分うまくいくと思います。
    
  
 【論型】【因果関係型】どちらにしても【精神状態が破壊状態になっている】状態でありますので相手は苦痛を感じません。しかしこれは同時に感情の実感を得れず本能のみで物事を実感することしか出来ないのです、いわゆる野蛮への退行なのです。つまり良心も自分の感情も精神も破壊しているために苦痛を感ずることが出来ないので他人を陥れることが平気で出来るわけです、しかも精神状態が破壊されているから反撃されても平気でいれられうというメカニズムです。
 はたからみるとまるで権力者のような高慢な態度でさまざまなことを言ってきますがこの手のタイプは自分の内面では無力で恐怖すら感じているだろうと思います、だからそのような人物を演じているのです。

 
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この回答へのお礼

詳しい回答、ありがとうございます。

ものすごく考えていらっしゃるんですね。
参考にさせて頂きます。

私を不快にさせるのは、TENNTENNSEVENOKさんがおっしゃるようなタイプの人間に該当するかもしれません。
少なくとも一致する部分はあると思います。

お礼日時:2008/10/04 16:47

自分が相手の立場なら何を望むか


理想の自分をイメージし、理想の自分ならどの行動を取るか
自分の好きな人、もしくは恋人が同じ行動をとっても許せるのか

私がよくとる抑止方法です
参考にしてください

それと基本的に、どんなときでも自分が犠牲となることです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

参考にさせて頂きます。

やはり、そのような生き方をするには、自分の犠牲を厭わない精神が必要なのかもしれませんね。

お礼日時:2008/10/04 16:47

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