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こんにちは。宜しくお願い致します。

よく「謙虚になりなさい」「寛大になりなさい」等と言いますが、
確かに、物事の道理を考えたら、そのような話になると思います。

私自身も謙虚で寛大な人間になりたいと思っています。

しかし、謙虚で寛大な振る舞いは、一部の方々を図に乗らせてしまうように思います。
(謙虚や寛大がトラブルを招いてしまう)

また、謙虚で寛大な精神は、激しい怒りや不快等に結びつきやすいような気もします。
(「優しい人が怒ると怖い」という話にも通ずると思います)

私の場合は、侮蔑に耐え切れず怒りを爆発させてしまう→相手が逃げてしまう(言い逃れ含む)
というのが、お決まりのパターンです。
なんとか怒りを爆発させずに済んだケースであっても、その怒りは数年経っても消えません。

こんな私が謙虚で寛大な人間になるには、どうすれば良いでしょうか?

宜しくお願い致します。

A 回答 (25件中21~25件)

A.


たとえばですが、過剰につつましかったり、不必要に自己卑下したりすることは謙虚とは言えません。

B.
つつましくすべきところではつつましくし、必要な場面では自己主張を抑える。
というのが謙虚ということなのだと思います。
つつましくする必要のないところで自分をつつましく見せ、必要な場面でも自己主張ができない、というのは、それぞれ、猫かぶり、あるいは臆病と評価されることでしょう。

>謙虚で寛大な振る舞いは、一部の方々を図に乗らせてしまうように思います。
(謙虚や寛大がトラブルを招いてしまう)
:ということに関しても同様で、相手が偽物の謙虚さを見破ってしまう、ということなのだと思われます。
偽物の謙虚さとは単なる自己満足にすぎず、一種の責任放棄にすぎません。
本物の謙虚さや寛大さというのは、厳しさに裏打ちされたものであって、単に甘やかすこととはちがいます。

>また、謙虚で寛大な精神は、激しい怒りや不快等に結びつきやすいような気もします。
:この点も上記の内容に関連してきますが、つまり、理不尽に自身を抑圧しているために納得いかない部分が後から噴出してくる、ということでしょう。
本質的な問題に目をつぶって、自分さえ我慢すれば済むといった誤った価値観を謙虚だと勘違いしているわけです。
本来は責任のない不要なものを自分で引き受けてしまっているわけですから、怒りや不愉快として蓄積されるのは自然な道理と言えます。

>侮蔑に耐え切れず怒りを爆発させてしまう→相手が逃げてしまう(言い逃れ含む)
というのが、お決まりのパターンです。
:これがもっとも正しい対処のしかたです。
理不尽な抑圧を内部に溜めておくことは生体の危機とも認識されます。
また、変にわかったような気になってしまうと、(あるとすればですが)本質的な問題が覆い隠されてしまうことになり、根本的な解決が遅れることになります。
怒りや不満はその局面で処理しないと、全く無関係の人間に向けてその鬱憤を晴らそうとすることになるでしょう。

ですから、無理に「>謙虚で寛大な人間になる」必要はありません。
それは、あなたの長所を歪めてしまうことになります。
以上が、謙虚さに対する基本的な感想です。

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とはいえ世間では
>よく「謙虚になりなさい」「寛大になりなさい」等と
:言われることも事実です。

>こんな私が謙虚で寛大な人間になるには、どうすれば良いでしょうか?
:という悩みも誰しもが持ったことがあるはずです。
だからといって、たとえば闇雲に「>侮蔑に耐え」て謙虚になる必要はありません。
ただ、果たして本当に侮蔑だったのかどうか、あるいは、許す余地の全くなかったことであったのかどうか、といったことについて考える余地はあるのかもしれません。

完璧な人間はいませんから、相手の気に障るようなことを平気で口にして、しかもそのことに気づかない、といったようなパターンも数多くあるでしょう。
しかし、それらがどの程度の悪意を持って為されたことであるのか。
あるいは、自分も同じようなことを知らず知らずのうちにしていなかっただろうか。
などといったようなことに関して少し想像してみることが、もしかすると、爆発寸前の怒りを鎮静化させるきっかけになることはあるのかもしれません。
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

色々と伺いたいことがあるのですが、とりあえずは下記の内容に絞らせて頂きます。


(1)「過剰につつましかったり、不必要に自己卑下したりすることは謙虚とは言えません」「謙虚だと勘違い」「偽物の謙虚さ」
等といった考え方についてですが、おっしゃるような状態が、どのような状態のことを指しているのか、
具体的に教えて頂けたら助かります。

(2)また、(1)のような状態を、「謙虚とは言えません」「謙虚だと勘違い」「偽物の謙虚さ」「猫かぶり、あるいは臆病と評価されることでしょう」
等と考える根拠を教えて頂けたら幸いです。

宜しくお願い致します。


>相手が偽物の謙虚さを見破ってしまう、

につきましては、そのようなケースが、どのくらいあるのかわかりませんが、
今回の質問は図に乗るケースを念頭においています。

お礼日時:2008/10/04 16:47

こんにちは。


確かにdoronpappaさんの言われるとおり「謙虚で寛大」な人が多いと
世の中がうまくいきますね。だからよく世間ではそのような教訓が
疑われることもないまま大手を振るっているように思います。
(実際はよくわからない曖昧な言葉なのに、です)

失礼かもしれませんが、doronpappaさんの
(1)侮蔑に耐え切れず怒りを爆発させてしまう→相手が逃げてしまう(言い逃れ含む)
(2)侮蔑に耐え、怒りを爆発させない→でもその怒りは数年経っても消えない
というパターンを見る限り、
「自分の大切なものを踏み散らかそうとする相手から
 自分を守りたいのに、うまくできない。
 相手の大切なものを攻撃するか、自分が傷ついて終わるだけ」
というジレンマがあるのかなあと思います。
大層お苦しいことだと思います。
この場合、No2さんが言われている通り、
怒りをきちんと伝えられるようになることが大事だと思います。

自分の怒りを「ワガママ的」でも「暴力的」でもなく
大人として伝えるのは結構難しいことです。
私もうまくできません。

心理療法としては認知行動療法などが有効かもしれません。
でも、これから先の人生で、
非常に心のバランスのとれた人に出会ったら、
その人のやり方をよく観察するといいのではないでしょうか。

私も尊敬できる人に出会い、少し自分のやり方が変わった気がします。
性格とか気質は変えられませんが、行動は変えられます。
希望をもってがんばってください^^
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この回答へのお礼

こんにちは。

温かいアドバイス、ありがとうございます。


>怒りをきちんと伝えられるようになることが大事だと思います。

とのことですが、なぜそれが大事なのか、その理由を教えて頂けたら助かります。

宜しくお願い致します。

お礼日時:2008/10/04 16:30

>こんな私が謙虚で寛大な人間になるには、どうすれば良いでしょうか?



はっきりいって無理です。
人の性格は変わりません。
考え方をかえるというのも本物ではありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私には、「性格には、(1)一生を通して変わらない部分、
(2)経験の影響を受けて変化する部分、(3)世代に共通して見られる傾向等がある」
という知識しか無い為、なぜ私のケースが(1)に該当するとおっしゃるのか理解できない状況です。
もし宜しければ、「人の性格は変わりません。」の根拠を教えて頂けたらと思います。

宜しくお願い致します。

お礼日時:2008/10/04 16:30

足ることを知り、相手のことを本当に考えることが出来ればそういう人間になれます。



まず謙虚であったり寛大であることと、相手の間違いを正さないことは全然違います。

相手に間違いがあればそこは注意し正す。
かといって、自分に対しての謝罪を求めたりはしないし、その人に怒りは持たない。

また寛大でなく腹に溜め込んでいるだけだから爆発するんです。
本当に寛大であれば腹に溜め込む必要はありません。

侮蔑になぜ耐えられないのか。
可能性としては
1、その侮蔑があたっているため。
これは自分で成長すれば良いです。
2、誤解されているため。
自分の行動の何かが誤解を生んでいます。それをあらためれば良いだけです。
3、相手がこちらをからかっているため。
人間をからかうような小さい人間と同じ土壌に降りる必要は無いです。
人をからかわなきゃ自分を維持できないようなかわいそうな人など気にしなければいいだけです。

大抵がこの3つに当てはまります。
1、2は本来は侮蔑で無く痛いところを突かれたとか誤解の話しです。
3のようそういう人や事には腹を立てず、逆に哀れみを持って接し、
正すにしても怒るのではなく、なぜそういう行動がいけないのかをしっかりと伝えれば良いのです。
そしてそういうことが理解できない人は残念ながらその人自身がいつか自分のそういう行動のために身を滅ぼすことになるのですから。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

侮蔑に耐えられない可能性について、私の場合は多かれ少なかれ3のような要素は含まれていると思いますが、
1が絡むケースも多いです。(それはどんなに成長しても解決できない問題)

そして2が絡んでいるケースも多いです。
私が道理に適った行為をしていても、誤解は生じるわけです。
いや、むしろ道理に適った行為をするほど、誤解が生じることも多いです。


>かわいそうな人など気にしなければいいだけです。

というような話も理性では理解できているのですが、
感情を抑制できない状況です。

お礼日時:2008/10/04 16:30

こんにちは。


誰でも、謙虚になりなさい、寛大になりなさい、と言われて、すぐ「はい、そうですか」となれるものではないと思います(^ ^;) 特に色々な経験が浅い若い頃には難しいのではないでしょうか。

私もその昔、謙虚や寛大になりたいと思い続けていましたが、考えていてもできるものではありませんでした。努力すれば何でもどうにかなると思っていた頃です。でもその後、色々な失敗をしたり、物事がうまくいかない経験を沢山して、最近になってやっと、何かを褒められても「まだまだ自分の知らないことは多いから」とか「運良くできたので」「私より上手にできる人は世の中に沢山いるし」とうまく出来たことを自分でそれなりに評価しつつも、心の底からそのように謙虚な気持ちにもなれるようになりました。

また、寛大というのは、怒りや不愉快な感情を我慢するのとは違い、相手の言動をそのまま受けいれられることを言うのだと思います。怒りや不愉快な感情を蓄積すれば、いつか爆発するのは当然です。でも寛大な方だったら、相手を認めた上でお付き合いできたり、気持ちを理解しつつその点を上手に注意できたりできると思います。

私もまだまだどちらもできないことが多いので、偉そうなことはいえませんが、私の持論が何かのご参考になればと思います。
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この回答へのお礼

こんにちは。

温かいアドバイスありがとうございます。


>でも寛大な方だったら、相手を認めた上でお付き合いできたり、気持ちを理解しつつその点を上手に注意できたりできると思います。

私を不愉快にするのは、認めたり、気持ちを理解することで図に乗ってしまうような人間なのですが、
そのような人間を図に乗らせずに、認めたり、気持ちを理解するには、どのようにすれば良いでしょう。

宜しくお願い致します。

お礼日時:2008/10/04 16:28

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