プロが教えるわが家の防犯対策術!

銀座での強姦事件、新潟では中学生が似た事件、、、風体だけは人間のようなクズどもが起こす悲惨な事件・・・。しかし、日本の法律はそんなやつらに優しすぎる。耳を引きちぎる、目をつぶす、、、とまぁ、ハンムラビ法典みたいなことを言うのは極論でしょうが、それぐらいの罰を与えてやら無いと、被害者が浮かばれません。しかし、こういうのを「現実」というのでしょうか。仮に服役があったとしても、殺人でもない限り、しばらくすれば、のうのうとした顔をして社会にこんなクズたちが出てきます。私は納得いきません。それぐらいでは、罰が足らないと思う。この社会はなんとなく理不尽です。「正直者がバカを見る」という言葉に、最近うなずかざるを得ない状況が増えてきました。

でも、期待できるのは死後の世界。死後の世界だけは、「正直者がバカを見る」-そんな理不尽な世の中ではないですよね?

前述の輩は、いつかこういった場所(死後の世界)で、しかるべき裁きを受けますよね?

皆さんのご意見をお待ちします。

A 回答 (13件中1~10件)

悔しいですが


そんなに不正をしても捕まらない奴もいます。

ある方に聞いた所、絶対に罰は下ると 言葉は頂きましたが

現状 生き生きしております

知る限りでも本当に運はいいし
何やっても捕まらない 信じられない
こんな奴もいるんだなと実感しています。

いつか罰があたってほしいとは思います・・
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あなたはおいくつですか。

私は50歳になりました。
たばこの投げ捨て、不法投棄。些細な犯罪かもしれませんが、ある友人がそういうことをするやつは車から引きずり出して殴り殺したくなる。といってましたが、彼は若い頃暴走族でしょっちゅう警察の世話になってました。
芸能人でいますよね、元族の総長っていうやつ。若いときは馬鹿やってと笑いながら話すのを見てると腹が立ちます。

正直者は馬鹿を見る、というのはたぶんあなたと私では意味の取り合いが違うと思います。悪さをしたのだからそれに見合う罰を受けなければならない。という考えは理解します。でも更正できるのなら立ち直らせたい、犯した罪を見つめて改心しようとする人を助けることは、あなたのいう死後の世界で「徳」という財を積むことなんじゃないかな。正直者はきっと傍目には損をしているように見えるけど徳財をいっぱい持っているに違いないと思うんです。悪さをしたやつは徳財をまき散らして徳貧乏になっているに違いない。更正しようとしている者は落とした徳を苦労して拾い集めていると思います。
ひどい言い方かもしれませんが、無差別殺人でなくなった方はみんなに惜しまれて、同情されて、いい人だったのにといわれますが、実際にはいい人じゃなかったかもしれない。でも凶悪犯罪のおかげでみんなの同情をもらえた。命と引き替えに徳をもらった、とはひどいですか。割が合わないと思いますか。

最初の話ですが、不法投棄を見たら馬鹿やろうと小さく罵りながら拾います。悪いのは捨てたやつですがそのために迷惑する人がいるからです。そこにゴミがあることが許せないからです。
小学校の通学路の道端の草が伸びてじゃまそうだから刈り取りました。終わらなかった分はいつの間にか誰かが刈ってくれました。私はそんなところに住んでいます。刈り取られてきれいになった道を見ていると正直者はやっぱり得してるって思うんです。

最後に、私は宗教家ではありません。
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例えば地球の総人口が100億とした場合霊界は其の何百剰という桁外れの霊魂が存在して此の地球上に性を受けるのは、ほんの一握りである。

霊界は広大無辺自由の世界で生前欲に絡む者は死後もの続きをする、現世に罪を犯した者は自ら地獄の世界に入り,もがき苦しみ其処が地獄である事は分からず。
自殺者は暗黒の霊界で嘆き悲しみさ迷い,例え生前罪を犯さなくとも業の深い人、信仰心が無く霊界を否定する人は霊界と人間界の中間層に漂う

大罪を犯した自殺者は御先祖様から敬遠され霊界に入れず悪霊となって長期に渡り此の世をさ迷ったあげく霊界に入り、悪い因縁を作り出した自殺者は何度生まれ変わろうとも自殺を繰り返す。
遺された遺族は繰り返し供養、死霊は遥か彼方から微かに聞こえる、其の距離は罪の度合い業の深さに比例し距離間は人間界と違い数センチの距離でも遥か彼方に聞こえる。

人は良きに付け悪しき付けに因縁を背負い此の世に性を受け幼年期、青年期と人生を歩み人徳をどれだけ積重ねたかで無限に有る霊界の行き場所が決まる、と言うより自然に入り込む。
人間社会は時間に対し霊界は空間の世界である、霊魂は容易に空間を通り抜け人間社会に生まれ変わる者又戦争で怨みを抱いて戦死し霊界で永遠に続ける者。

幼児期若しくは不慮の事故で他界した者は肉体が消滅しても魂は真っ当年数迄成長した後、霊波が弱り死者の縁者に導かれ霊界に入り永い年月を経て生前のカルマ(業)を極限まで消化しますが、完全に消化消滅した場合は永遠の霊界へ二度と此の世に生まれ変わる事は無い、しかし其れは不可能で極限まで縮小した魂には、
性、善、悪の三つの要素が消化されず霊遺伝子に組み込まれ空間を通り抜け、霊界から空中に漂い此の世に性を受けるのを待つのである。
と、まあこんな一言書いてみました。
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死んだら終わり。

「はい、それま~で~よ~~。」です。
バカを見るも見ないもないですよ。
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うけないですよ。


 受けたとしても、例えるなら
・ひき逃げ犯が、散々人に迷惑をかけた末、他人を巻き込んだ事故で死亡(怪我) とかそんなもんでしょ。
 犯した罪と同等、それ以上の罰を受けるなんて事は、まずない。

 大体、「罰」なんて観念の根拠が分からない。
 「罪」は人間がその時代時代のモラルに合わせて作り出したもので、100年も経てば今の「悪い事」が「善い事」になってるなんて十分あり得る話でしょ。極端な話、戦時中は戦争反対!って言う事が悪で、人殺す事が善だったりしたわけで。

 死後の世界については分からないです。個人的に魂は信じてるのですが、死後の世界って世界中の色んな文化の色んな時代の人が集まってくる場所なんでしょ?そこでの善悪が、自分の善悪に当てはまるとは思えないです。だから死後の世界は、罰を下す為にある場所じゃないと思ってます。

 人が人を裁く事なかれとか言いますが、正直者が馬鹿を見る世の中になったのは、個人が自らの善悪で裁く事をやめて、損得に走るようになったからだと思ってます。

 例えば会社や学校で、喧嘩をしたり注意をしたりするのを「子供っぽいこと」と言いますよね。
 公共の場で注意したりするのを「大人気ない」とか言いますよね。
 された事を忘れない(流さない)事や、人(悪人)を憎む事を、「それは魂のレベルが違うのだからね、考えるとあなたの魂が汚れますよ」とか言う人も居ますよね。

 例えば近所に前科者の強姦犯が住んでたとして(コンクリ殺人の犯人のように出所後も「俺、女殺したんだぜー♪」とか調子こいでたりして)、その人に対して「このクズが」という態度を取る事が、大人気ない行動だと思われますよね。

 良い人も悪い人も一緒くたに混ぜて、同じように当たり障りなく扱うのが、大人の対応・スピリチュアルにレベルの高い人の対応だとされる風潮で。
 そんな世の中なんだから、罰なんて当たるわけ、ないです。

 私がイラっと来るのは、悪人面した悪人に対してではなく、良識人の顔をした、「悪人を許し続ける人たち」に対してです。
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正直者はバカを見る。


これは確かに当たってますね。
死後の世界がどんなのかは知りませんが、
死んだら無じゃないですかねぇ。
悪いことをしたから必ず裁きが下るとは言えませんし。
例えば、誰でもあるんじゃないでしょうか。
ちょっとした言動で相手の心をグサッとヤッてしもたっての。
言葉の暴力っていうやつ。
気づかぬうちに相手の心を殺した場合も裁きが下るのでしょうかね。
もしそうだとしたらほとんどの人間がバチがあたりますね。
ほとんどの人間が地獄行きですね。
言葉の暴力も、肉体の暴力もいっしょですからね。
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そうですね。

私はぜひとも死後の世界ではしかるべき裁きがあってほしいですよ。そうでないとね、悪が勝ち、正義は報われないですから。
それにそういう考えがないと、何をしても良いことになり、モラルや秩序が崩れる(もう崩壊しかけていますが)ことになります。でもこういうことわざをご存知ですか?「地獄の沙汰も金次第」この言葉を聞くと、やっぱりあの世でも悪人があくどく善人をいじめていてそれが真実なんじゃないかな~と思ってしまいます。
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死後の世界なんてあるわけないと思っています。


だから罰なんて当たるわけがない。
けれども、正直な人にしか与えられることのない心の在りかには、絶対に辿りつけない。
そんな心が在ることさえ気づけないかもしれない。
心が感動することのない、ある意味それも「生き地獄」でしょう。

>「正直者がバカを見る」-そんな理不尽な世の中ではないですよね?
死後の世界はありませんが、正直者はそれなりの感動が得られます。
Oヘンリーの「最後の一葉」に出てくる老人は、きっと人生最高の傑作が描けて、幸せに亡くなっていったと思います。
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どんなに悪いことをしようが、


バレなければ何も起こりません

人を殺すのも、動物を殺すのも同じことです

私たちは日々動物の肉を喰らって生きているのです
人間同士で殺しあったり犯しあったりしている人間も、誰にでも優しいけど毎日肉ばっかり食っている人間も、
地球の生命という観点から言ったら極悪非道のキワミのような生き物で


もし天罰というものがあるのならば、
汚れた下等生物である人間全体に罰がくだらなければおかしいわけです
それが今の所ないわけですから、
罰という概念は今の所確認できません
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悪事を行っている時点で、すでにその人がつらい状況にあると思います。

精神的に参っているとか。
もちろんそんなこととは別に社会的制裁も必要です。程度の差こそあれそれに相応しい罰が必要。
と同時に実は人間を許すという、社会的な余裕も必要ではないかと思う。
社会がもっと個人を許し、ゆとりをもって受け入れていたら犯罪の芽はそれほど育たないのではないかと思います。

頭ごなしに人を罰するより、社会が人を受け入れる温かい世界になってくれないかと思います。その方が幸せでないかと。
秋葉原の事件もなかったかもしれません。
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