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こんなふうに考えれば死(自分の死)は恐くないという考えをお持ちの方がいたら教えて下さい。

*霊界とか魂のことを持ち出すのはNGとさせて頂きます。
*私は別に自殺を考えているわけではありません。

A 回答 (17件中1~10件)

死ぬ事が怖くないというのは私には実感できませんが


恐かったら今こうして生きていることは何か不思議な気がします。(なぜ発狂しないかという意味)
それはつまり「死」というものを忘れているから
生きていられるのだと私は思っています。
私は死ぬ事とは暗闇を暗闇と感じられなく状態だと思っているので考え出したら
ほかのことが考えられなくなります。
しかしながら運動している時勉強している時そのようなことを考えているわけではありません。
つまり何かに没頭している時死というものを忘れる事ができる。
死というものが怖くならないという根本的な問題の解決ではないですが
実際的な解決方法として何かに没頭するつまり楽しむ事が
良いのではないでしょうか?
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何かの番組で「死の恐怖は未経験の恐怖に他ならない」と聞いたことがあります。

確かに生物にとっては究極の未体験だと思います。
ということは、何か自分が未体験を克服したことを思い出せば、そういうものかと思えるかもしれません。
いつまでも死の恐怖に怯えるよりはいいのかも。
(沖縄などの集団自決の映像を見るたびに、この言葉が思い出されるのです。)
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この回答へのお礼

皆さん、ご回答ありがとうございました。
が、正直に言わせてもらって、どれも私の想像の範囲内の回答でしたので得るものはほとんどなかったです。
でも、善意で回答を下さった行為には報いなければいけないと思いますので、ポイントは発行しました。
基準は単純に文字数の多さです。
(厳密にカウントしたわけではなくあくまでも見た目です)

お礼日時:2003/01/17 06:36

この世界は、誕生、幼生、青春、中年、老人、そして避けられない「死」あるのです。

・・・・・まっ、途中で頓死しなければ・・・・・・これが正常のシステム・
・・・これに逆らう事(呪縛霊)は一切できません・・・当たり前なのです。・・
・・逆に何かに執着すれば、この世界より出る事は、永遠に叶わないでしょう・・
・・この世界の全てを、卒業する・・・それが,この世界に生存するモノノ永遠の課題なのです。・・・・・・・・「死」即「卒業」これは我々の儚い希望なのです。・・・・・・・・・・・
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3つの方法が考えられます


 1死をなくす 2死を忘れる 3「恐い」以外の感情を持つ

(1不可能   2不可能   3死が楽しいと言ったら死)
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死そのものは怖くはありません。


むしろ、死ぬ時あー初めて死ぬんだなと楽しみさえ感じます。
でも、「いまの人生なんのために生きてきたのか」の答えをもたず死んでいくと思うと自分で怖いと思います。
だから、毎日が真剣勝負、自分との戦いなんですね。
いまは、まだ死ねないですね。怖いということです。
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死は怖くないと言う人は


1)悟りを開いている人
 :何もいう事はありません。
2)死は遠い未来の事と思っている人、または思いたがっている人。
 :一生なんて、一瞬ですよ!
3)怖くないと自分に嘘をついている人。自分の死についてまじめに考える事を放棄している人。
 :その歪によるしわ寄せがいずれ来ますよ!

自分の弱さを真摯に見つめる事、そこから全てが始まる気が…
と、言いながら、お前は?と言われると……一生の課題です!
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僕自身が実感したことではありませんが・・・・



最近の人間は自分を「自分は自分だけ」と見る傾向が強いようです。わかりにくい表現ですが、つまるところ、「親から子へと継がれていく流れの一片である」という考え方をしないということです。

個人的には、
親より生まれて大地を耕し大地に育てられ、やがて自分が親となる。私の親が生きた証は私自身であり、私が生きた証は私の子である。
こんな生き方で死を悠々と受け入れられるのもいいかなとも思います。

やや仏教的ですが、「我に執着する」って事が災いの元だって考えもあります。
こういう「自分より大きなもの」の中に自分が含まれるという考え方は如何でしょうか?
自然より生まれ自然に帰る、といったね。

ただこれも霊界や魂と同レベルかもしれませんが。
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特別何も考えなくても自分の死は恐くありません。


生を受けただけ儲けものです。
これでは、求められた回答になりませんので、いろいろ考えて見ます。

生きているうえからは、必ず死にます。これを恐れる意義は、何もないと思います。
生まれなかったよりは、よほど儲けたわけです。
物心ついたときから、いつかは死ぬことは知っていましたから、できれば、いつ死ぬのか事前にわかればよいとは思っていましたが、それは、望めないですね。
結局、できるだけ時間を無駄にしないように、段階的に目標を決めて実行してきたような気がします。
今まで自分の好きな人生を送って来たし、これからも死ぬまで、精一杯そうするつもりです。

いま、恐れていることといえば、自分よりも妻や子が先に死ぬことです。
そのような兆候は、現在ありませんので、一応安心してはおりますが。
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考えというより体験ですが、強引に追い越しをかけた対向車が私の直前に迫ったとき、どこへも逃げ道がなく、どうにも避けられない状況になったのですが特に恐怖感はありませんでした。

パノラマのように横長のフォーマットで過去に有った事、幼年時代~その時点までの体験の記憶が走馬灯のように相当なスピードのカラー映像で、見えました。……

病気で死ぬしかない、といった状況ではどうなのでしょうね。考える時間が恐怖を生み出すのでしょうか。そういう体験をしてみないと何とも言えません。
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1やりたいことを全てやり遂げて未練を残さない。


2死んだら何も感じることができないんだから、
痛いとか暗いとか苦しいとかの感覚はなし。完全に無。
むしろ無ということも感じられない。
3死という体験は人生で一度しかできない。一度しかできない対嫌を
思う存分楽しもう。
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