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見返りを求めてはいけないと聞きますが、なんでだろう、と思いました。
もし見返りを求めたら、どうなってしまうのですか?

アドバイス宜しくお願い致します。

A 回答 (14件中1~10件)

見返りを求める・・・たとえば、「仕事」というものがあります。


もし、「貴方は、何のために働くのですか?」という質問があるとします。それに対する答えが「はい、お金を得るためです」とか「経済的に自立するためです」etc.・・・おそらくは、程度の差こそあれ、似たりよったりの内容が予想されます。当たり前といえば、当たり前のことなのですが、お金や経済的自立を得んがために働くという動機は、立派な見返りを求める行為になります。では、このような動機に基ずく行為が、何故やってはいけないのでしょうか?それは、本末転倒に陥ってしまうからです。本来、働くこと自体に、お金をもらうこと以上に、嬉しい楽しい、満足な世界を見出せるようになっているからです。それなのに、お金という見返りを求め出したら、そのもらう金額によって、一喜一憂し、多いから頑張るとか、少ないから頑張らないとかいうばかげた現象を招いてしまいます。また、ひどいのになると、職種を変えてまでもお金を得たいと思うようになり、完全に主客転倒になっていくのです。つまり、見返りの対象は何であれ、「純粋な仕事自体の喜びや価値」を自ら放棄してしまうことになるのです。仕事に生きる時間量から見ても、もし、金のためとか別のもののために生きるということになれば、トータルして考えれば、人生の膨大な時間を無駄に過ごすことになってしまうのです。もし、仕事自体の楽しみを得た者からすれば、お給料は「えっこんなに面白可笑しく働かせてもらうだけでなく、お、お金までもらえるんですか?いいんですか?まじですか?信じられな~い」ってことになるわけで、感謝が何倍にもなるわけです。
つまり、結果としてもらえる報酬に、多かろうが少なかろうが充分に満足できるのです。このように、見返りを求める行為には、不満が絶えず残り、ますます、何が喜びだったのかを忘れてしまうのです。人間、真剣に考えたら、お金が満足の基準になどはなりえないことでしょう。
わかりやすくするために仕事やお金を例に出しましたが、他も一緒です。
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この回答へのお礼

仕事はお金という形で見返りがきちっと求められていますよね。
私が疑問に思ったきっかけはそこなんです、なぜ仕事以外では見返りを求めてはいけないのか?と思いました。

「報酬が少ない(-"-)」等と、不満が絶えず残る状態は幸せではないですね。
本当の幸せや喜び(純粋な仕事の価値)を忘れたくないと思いました!!

大変参考になりました。
御回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/12/14 23:32

お礼文参考にさせていただきました


追記
人に施しをする時に
1してやるから と言う人がいます
 嫌な事をするんだから当然見返りです

2させていただく と言う気持ちでするなら
 恩返しは期待しません
  
お礼を貰えば+ - 0です
見返りを求めない人は心の貯金が
ある豊かな人ですね
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。

してやるから× 
させていただく○ ←謙虚な心は大事ですね。

見返りを求めない人は、心が豊かである証拠になりますね。

大変参考になりました。
アドバイスありがとうございます。

お礼日時:2008/12/15 11:13

他人への施しは神聖なもので


見返りを求めることは卑しいことだと教えられましたよ。
神仏に手を合わせるときも
お願いするのではなくお礼をすることだと・・・

でもね、俗物の私は必ず見返りを求めます。
理想論は理想だから語られるのであって
みんながそう出来るのであれば消えてなくなる言葉です。

ただ見返りも大それたことじゃなくて
あめ玉をあげれば、ありがとうって言ってくれる。
そのくらいの見合ったものです。
コミュニケーションの範囲内です。

5円の賽銭で沢山の願い事をする人は
図々しいし浅ましい。
それを考えると、どうなるかは分かりますよね。

YES WE CAN
って言わないといけないですかね。
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この回答へのお礼

倫理的には、見返りを求めることは卑しいことに当たりますよね。
人間には欲がありますが、見返りを求めたことの無い人っているんだろうか、と思います。

見合った範囲内なら良いですが、図々しい範囲を超えてはならないということですね。

大変参考になりました。
アドバイスありがとうございます。

お礼日時:2008/12/15 11:09

困っている人を助ける時に


先に見返りを確認してから
助けますか?

こんなにもあの人にしてやったのに
恩返しもないと請求しますか

感謝とは頼まれてするものでは
ありませんね
人に喜んで頂く行いをして
お礼を貰ったら心の貯金は半分
だそうです

見返りとはその人からかえらなくても
他の人からかえるそうです
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この回答へのお礼

見返りとは、その人から返らなくても、他の人から返る事もあるんですか!
じゃあ、人にした親切などは、忘れた頃に思わぬ形で他から返ってくるかもですね。

大変参考になりました。
御回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/12/14 21:25

1番の方にごく近いです。



自分が辛くなる。
「これ位したんだからこれくらいのものが返ってくるだろう」
ちっぽけなものしか返ってこなかったら。
もう人に何もして上げられないでしょうね。

でも情けは人のためならず。
人に良くしておくと、思わぬ形で返ってくるのは本当だと思います。
ただ、それが自分の想像と違うだけで・・・

おもしろい質問ですね。自分の勉強になります。
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この回答へのお礼

ちっぽけなものしか返って来なかったら、悲しいですよね(T_T)
でも、人に良くしておくと思わぬ形で返って来るのは、私も本当だと思います!!

みなさん何かしら御経験をお持ちになっていて、見返りを求めてはいけない訳について、
キチンと回答できるんですよね。私も、思い当たる節を思い出してきました。

大変参考になりました。
アドバイスありがとうございます。

お礼日時:2008/12/14 21:17

 してくれて当たり前、してくれなかかったら怒りを感じるというのでは、「当然」か「不幸」かしかありません。

いつまでたっても幸せにはなれません。だから、してあげたことは忘れるようにするほうが良いのです。誰でも、人にしてあげたことは重大に感じますが、人からしてもらったことは軽く見ます。だから、してあげたことは全部忘れるくらいでちょうど公平なのです。
 これは人間不信になれと言うのではありません。あれもしてあげた、これもしてあげたと思い出すよりも、あれもしてもらった、これもしてもらったと思い出すほうが、ラッキー感がして心穏やかに過ごせるからです。幸せって、つまりは「自分は恵まれてるなぁ」というラッキー感に他ならないのです。
 「人のため」と言いながら本当は「自分のため」の見返りを求めていることを自覚するだけでも、とらわれから解放されるでしょう。また、客観的に見て「恩着せがましさ」もなくなり、より好かれるようになるでしょう。
 「人に尽くさないと、自分は人から愛されない」という感じ方をしている人は、「生きづらさ」を感じながら生きている人です。どうしてそのような偏った感じ方をするようになったのか、点検する必要があります。いわゆる「都合のいい女」タイプです。「無理をして人に尽くさなくても、ひとは自分を受け入れてくれるだろう」という自信を取り戻していただきたいものです。
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この回答へのお礼

してあげたことは、全部忘れる方が良いのですね。
確かに、してあげたことは重大に感じますが、してもらったことは軽く見るような気がします。
あれもしてもらったこれもしてもらったと思い出すほうが、ラッキー感を感じますね!

大変参考になりました。
アドバイスありがとうございます。

お礼日時:2008/12/14 21:10

それは、大事な言葉を抜かして表現しているだけです。



 自分以外の、誰か、あるいは何かの【ため】に努力できるということはもとてもすばらしいことです。それがないときと比べると分かるでしょう。
 それ自体が、人生にとって一番の幸せなのです。(独りよがりかも知れないけど)

★見返りを求めてはいけない
 とは、『それ以上の』見返りを求めてはいけないという意味です。
    ^^^^^^^^^^^^^^^^
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この回答へのお礼

自分以外の為に何かができるということは素晴らしいですよね!
見返り・・・は、「それ以上の」見返りを求めてはいけないよ、という意味なんですね。

大変参考になりました。
アドバイスありがとうございます。

お礼日時:2008/12/14 21:00

見返りを求めるとケチだと思われて人が離れていきます。

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この回答へのお礼

ケチと思われたくないですね(>_<)

大変参考になりました。
御回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/12/14 20:57

自分が苦しくならないため。


見返りを求めて、もし、求めたとおりの見返りがなかったら、
ガッカリしたり、腹が立ったりしてしまうから。
見返りを求めてないで、見返りがあったら、素直にうれしいと感じることが
出来ると思います。
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この回答へのお礼

自分が苦しくならないためですね。
見返りを求めていないで見返りがあったら、きっと素直に嬉しいでしょうね。

大変参考になりました。
御回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/12/14 20:55

見返りを求める、計算をする。


ビジネスでは、それは必要です。でも、恋人・夫婦・親子関係にそれを持ち込むと、どうなるでしょう?

計算すれば、結婚するよりも、独身女性のままのほうがお得、結婚しても、共働きで、子供を産まないほうが2人が生活をエンジョイできる(ダブルインカム・ノーキッズ)となります。
つまりは、話題の少子化に一直線です。

まあ、それで、自分が「幸せ」「幸福」になれるならいいのですが、人間の心ってそういう経済原則、ギブアンドテイクで説明できるようにはできていません。

無償の愛、見返りを求めない愛とよく言われるように、見返りを求めないで行動できるようになるほうが「もっと幸福」になれるからです。

ただし、「明日、食べるものも買えない、借金取りから逃げる生活」なんてのををやっていたら、そんな気持ちになれない方がほとんどでしょう。やはりそういう方には、「見返り」あるいは、「明日のパン代」をもらうことが幸福でしょうね。
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この回答へのお礼

見返りを求めないで行動できるようになるほうが「もっと幸福」になれるからですね。
分かりました!

ただし、明日のパン代が欲しい方にとっては、見返りや明日のパンの方が幸福になりますね。

大変参考になりました。
アドバイスありがとうございます。

お礼日時:2008/12/14 20:52

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